無自覚なふたりの厄介ごと

散りぬるを

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第一話

踏み越えた先にあるもの(1)

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「起きろ、ヴェル!」

 カルロは信じられない気持ちで、テーブルに突っ伏したまま眠る友人の肩をゆすった。
 深緑色のシャツ越しに感じ取った違和感。

「っ!?」

 思わぬ肩の細さにギョッとして手を引っ込める。

(俺は、夢でも見ているのか……?)

 眼前で眠るこの友人と昼から酒を飲み、二人揃って寝落ちた。日が完全に落ちる前に、カルロだけが目を覚まし、部屋のランプに火をつけ始めた。そして、すべてのランプを灯して振り返った時には、友人の身に異変が起きていた。

 カルロは今一度、しかし、恐る恐る友人の肩に触れる。
 細い。細すぎる。剣術で鍛え上げた筋肉は、一体どこへ消えたというのか。筋肉の鎧を脱いだかのように、身体が二回り、いやそれ以上に小さくなってしまった。
 シャツの肩の張りが崩れ、明らかに身体と服の大きさが合っていない。頭も身体の変化に合わせて小さくなったように見える。

「おいっ、起きろ! ヴェル!」
「……ん~」

 揺り動かす手が再び止まる。いや、固まったというべきか。

「じょ、冗談だろ……」
「んん……」

 聞き慣れたはずの低い男の声は、今や女の柔らかな声に変わっている。
 ゆっくりと頭を持ち上げたヴェルは、俯いたまま、あくびをした。それは、くぁ~と猫のあくび声のよう可愛らしいものだった。
 肩の辺りで切り揃えた金髪からのぞく、ほっそりとした顎先。薄紅色の唇が「いま何時?」と尋ねてくる。

「お、お前……ヴェル、だよな?」

 カルロへと向けられる翠色のつぶらな瞳は、怪訝そうである。
 
「ヴェルで間違いないよな?」

 友人は顔をしかめつつも、こくりと頷く。
 カルロは人生で初めて、頭から血が引いていく音を聞いた。

「なんで女になってんだよ!」

 友人はつい先程まで確かに"男"であったはず。

 ヴェルは目を瞬き、ややあって見開いた。
 ガタタッと大きな音を立てて椅子から立ち上がると、カルロの部屋の窓へと駆け寄り、カーテンを手荒く開けた。
 外はすっかり暗くなり、雲の切れ間から満月が顔をのぞかせている。

「日が落ちる前に起こす約束だったろ……」

 口調は男のそれだった。
 けれども、紡がれる声は女のもの。

「なにが起きてんだ? なんでちょっと目を離した隙に、男のお前が女になってんだよ!」

 ヴェルは答えない。カルロに背を向けたまま、深いため息をつくだけだった。小さくなった背中から、落胆と動揺が見て取れる。
 勢いのまま問い詰めたらいけない気がして、カルロは言葉を慎重に選んだ。

「身体、大丈夫なのか?」
「何ともない。だよ」
「いつも通りって……」
「そのままの意味。といっても、いちから説明しないと伝わらないか」

 ヴェルは諦めたようにカーテンを閉めると、ゆっくり振り返った。

「私は生まれた時から女だよ」
「はぁ?!」
「本当の名前は、ヴェルナ。ヴェルナ・アローラ」

 カルロが今まで幾度も呼んできたヴェルという名は、偽名だと明かされた。

「私には幼馴染の魔法使いがいるんだけど、才能はあるのに、とんだドジっ子でね。十年前――私が十四歳だった当時、まだ見習いだったその子は、覚えたての魔法を見せてくれようとした。んだけど、ものの見事に失敗した。そして、私は原因不明の呪いにかかって、それ以来、太陽が出ている間は男の姿に、夜は元の女の姿に戻るようになった」

 にわかには信じがたい話だ。
 だが、実際にヴェルは男から女の姿に変わっている。

「これって、現実なんだよな」
「夢だったらどんなに良かったか」

 十年間、誰にもバレなかったのに。ヴェルは悔しそうに吐き出した。
 カルロはヴェルを見つめながら、昔から抱えていた違和感がようやく解消された気がした。

「なるほどな……。あぁ、どうりで」

 カルロとヴェルは街の自警団員として働いていた。男だらけの職場ゆえに、さまざまな酒の付き合いがある。だが、ヴェルは一度も顔を出したことがない。

 男同士なのに裸を見るのも、見せるのも嫌がる。さらに言えば、誰一人、ヴェルが用を足す姿など見たことがない。

 整った中性的な顔立ちから、女に人気があり度々告白されるのに、絶対に手を出さなかった。むしろ、言い寄られると、顔を強張らせて困惑していた印象しかしない。

(誰に対しても一線を引いてて、よっぽど大事な相手が居るんだと思ってたけど。なんだ、そういうことだったのか。そうか……)

 友人の自分でさえも踏み込めない、見えない線がずっと目の前にあった。
 友人だからと言って、すべてを共有するつもりはない。だが、何年もヴェルの傍にいるのに、何一つ分かっていない気がしていた。
 明確に引かれていたその線の正体と理由がやっと分かり――やっと、踏み越えて近づけると思った。

(知り合って五年間、ずっと本名すら教えてもらえなかったとはな。こいつにとって俺って、マジでどうでもいい存在なんだな。なんか、腹が立ってきた)

 カルロはヴェルナに詰め寄り、その細い顎を掴んで持ち上げた。

「ムカつく」
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