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第二話
女だろうと、男だろうと(3)*
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カルロに怒りをぶつけてからニ週間。ヴェルナとカルロは互いに避け、会話らしい会話もしなかった。
仲間たちは初めこそ「夫婦喧嘩だ」と冷やかしていたが、さすがに十日以上そんな状態が続くと、誰もが二人を心配していた――約一名を除いて。
「せーんぱい、見回り一緒に行きましょ?」
トーマだけは、ここぞとばかりにヴェルナとの距離を詰めてきた。とはいっても、特別なことはなにも起きていない。
トーマは二人きりの任務であっても特段ヴェルナを困らせることはなかった。
まったく公私混同しないかといえば、そうでもないのだろうが、具体的に迫ってくることはしない。
「お前、なんでそんなに俺と組みたがるの?」
ある事件を追っているときに、何とはなしに訊いてみると、
「言ったでしょ。俺、諦め悪いって。先輩に頼ってもらえるよう頑張ってるんです。こうやって仕事で成果を出すしか、カルロ先輩に勝てないじゃないですか」
トーマからそのように返ってきた。
無邪気な笑顔のせいで真意を測りかねるが、悪い気はしなかった。
よく手助けをしてくれるし、ヴェルナの意見を尊重してくれる。トーマ自身の実力も申し分ないので、組んで不安になることもない。
なにより、過保護じゃないところが好ましい。
トーマに対して徐々に居心地のよさを感じ始めた頃、カルロに呼び出された。
終業時間前、詰所裏で待つカルロは難しい顔をしていた。
「なに、話したいことって」
ヴェルナらしくもない、つっけんどんな言い方にカルロは視線を落とした。
「ヴェル。お前、トーマに呪いのこと話したのか」
「話すわけないだろ」
「じゃあなんでっ」
パッと顔を上げたカルロは、何かを言いかけて、悔しげに口を閉ざした。
何が言いたいのか、何を伝えようとしているのかさっぱり分からない。
ヴェルナはため息混じりに空を見上げた。昼間はあんなに晴れていたのに、灰色の雨雲が空を覆い尽くそうとしている。日が沈むタイミングが読みにくいため、天候の悪い日は早く帰宅したい。
空の様子が気になりながらもカルロの言葉を待っていたが、一向に何も言ってこないため、ヴェルナはしびれを切らした。
「悪いけど、時間がないんだ。もうすぐ日が落ちるし、はやく帰らないと。話が終わったなら、もういいか」
冷たく言い残して踵を返したとき、腕を強く引かれた。背中に強い衝撃を受け、ヴェルナはちいさくうめいた。
「この間、仲間内で飲みに行った」
「はぁ?」
ひとのことを壁に押しつけておいて何を話すかと思えば、飲み会の話だった。
ヴェルナが呆れ返っていると、カルロは真剣な表情で続けた。
「そこにトーマもいた」
「だから?」
「アイツ、お前に告ったって俺に言ってきた。俺にだけ、わざわざ」
茶色の瞳に苛立ちが見え隠れする。
ヴェルナは目を大きく張った。
「冗談だと思って、正気かって訊いたらアイツ……本気だって言ってた。男だろうと女だろうと関係ない、ヴェルだから欲しいんだと」
ここ数日のヴェルナとトーマの様子を見て、カルロの目にはどう映っていたのだろうか。
今まさに頬を赤くしているヴェルナを見て、どう思っているのだろうか。
頭の片隅で警鐘が鳴っている。このままじゃ、面倒なことになると。
「その顔、本当なんだな。お前……トーマに告られて、浮かれてんだろ」
ヴェルナの平たい胸をカルロの大きな手が撫でた。
気持ち悪さに背中がゾゾッと粟立つ。
「心は女だもんな」
「やめっ、何考えて」
嫌がるヴェルナのことなどお構いなしに、カルロはズボンの上から股間をまさぐってくる。
「アイツと寝てみようか、とか思ってんじゃねーのか? お前、アイツのことお気に入りだもんな。いつも一緒だし、俺といるより楽しそうにしてよ」
「っ……」
「そうだ。俺からアイツに教えてやろうか。ヴェルはここをしごくより、指を突っ込まれてぐちゃぐちゃにされる方が好きだって」
パンッと乾いた音が響いた。
カルロは目を丸めたまま、叩かれた頬に触れる。
「お前なんかにっ」
ぽろり、とヴェルナの頬に雫が伝う。
涙ではない。雨だった。
ぽた、ぽた、と大粒の雨が降ってくる。
喉に熱いものが迫り上がり、ヴェルナの声は続かなかった。
(お前なんかに、私の気持ちが分かるものか! 男にも女にもなりきれない、私の気持ちなんて……)
ジンジンとしびれる手のひらをぎゅっと握りしめる。
怒りや悔しさが突き抜けて、残ったのはやるせない気持ちだった。
カルロに抱かれたあの日の記憶は、決して嫌なものではなかった。女としての悦びを与えられ、乱れ、甘えることができたのは、カルロが相手だったからだ。
自分でも無意識のうちに、カルロなら分かってくれる、女の顔を見せても受け入れてもらえると思い込んでいたようだ。
恥ずかしくて、苦しくて、何もかも無かったことにしたい。
「ヴェル……俺……」
ヴェルナはカルロを押しのけて歩き出し、詰所内の更衣室へと向かう。
誰もいない更衣室で私服に着替えていると、更衣室の扉が音を立てて開かれた。
カルロかと思いドキリとして振り返る。
「お疲れ様でー、す……」
トーマは後ろ手で扉を閉めて、足早にヴェルナのそばにやってきた。
気遣わしげにヴェルナの顔をのぞき、濡れた頬をそっと撫でた。
「なんて顔してるんですか」
ヴェルナはトーマの手を押しやって、顔を逸らした。
「お前のせいだ……」
歳下の、しかも後輩相手にみっともなく八つ当たりをしてしまう。
トーマは腹を立てるわけでもなく、微苦笑した。
「責任、取りますよ」
頭の回転が早い男だ。何があったかは、だいたい察したのだろう。
トーマの手がヴェルナのうなじを掴み、優しく引き寄せた。
視線が絡み、今にも口づけをする雰囲気になる。
いっそ、本当に寝てみようか。こんなに想ってくれているのだから、呪いのことを知っても案外簡単に受け入れるかもしれない。
呪われた身体でも恋愛ができるなら、良いことではないか。ずっと夢見ておきながら、諦めてきたんだ。
ヴェルナは、ゆっくりと目を伏せた。
唇が触れ合いそうになったとき、バンッと勢いよく扉が開いた。とっさに顔を離した二人が驚いて扉の方を見ると――雨に濡れたカルロがそこに立っていた。
大股で歩いてきて、二人を無理やり引き剥がす。
「ちょっと、カルロ先輩」
「お前にヴェルは渡さない」
ヴェルナは目を瞬いた。
カルロの背中に視界を遮られ、トーマがいったいどんな顔をしているのか分からない。だが、聞こえてくる低い笑い声には、珍しく怒りが滲んでいた。
「この人を泣かせておいてよくもまぁ」
ピリつく空気。
この状況をどうしようかと考えていると、廊下から多数の足音と共にガヤガヤと男たちの声が響いてきた。カルロが開けっ放しにしていた出入り口から、仲間たちが入ってくる。
「お前ら、なにやってんの?」
殺伐とした光景に仲間のひとりが言葉を漏らす。
「あーえっと」
トーマが言い淀み、
「コイツらが言い合いをしてたから止めてたんだ」
とカルロがごまかす。
仲間たちは「ふーん」「そうか」と相槌を打って、それぞれが着替えを始めた。
ヴェルナ、カルロ、トーマはそれぞれ目を合わせて、すぐに逸らした。
(まずいな、早く帰らないと。みんなの前で元の姿に戻るわけには)
ヴェルナはさっさと着替えて、詰所の玄関に走った。
仲間たちは初めこそ「夫婦喧嘩だ」と冷やかしていたが、さすがに十日以上そんな状態が続くと、誰もが二人を心配していた――約一名を除いて。
「せーんぱい、見回り一緒に行きましょ?」
トーマだけは、ここぞとばかりにヴェルナとの距離を詰めてきた。とはいっても、特別なことはなにも起きていない。
トーマは二人きりの任務であっても特段ヴェルナを困らせることはなかった。
まったく公私混同しないかといえば、そうでもないのだろうが、具体的に迫ってくることはしない。
「お前、なんでそんなに俺と組みたがるの?」
ある事件を追っているときに、何とはなしに訊いてみると、
「言ったでしょ。俺、諦め悪いって。先輩に頼ってもらえるよう頑張ってるんです。こうやって仕事で成果を出すしか、カルロ先輩に勝てないじゃないですか」
トーマからそのように返ってきた。
無邪気な笑顔のせいで真意を測りかねるが、悪い気はしなかった。
よく手助けをしてくれるし、ヴェルナの意見を尊重してくれる。トーマ自身の実力も申し分ないので、組んで不安になることもない。
なにより、過保護じゃないところが好ましい。
トーマに対して徐々に居心地のよさを感じ始めた頃、カルロに呼び出された。
終業時間前、詰所裏で待つカルロは難しい顔をしていた。
「なに、話したいことって」
ヴェルナらしくもない、つっけんどんな言い方にカルロは視線を落とした。
「ヴェル。お前、トーマに呪いのこと話したのか」
「話すわけないだろ」
「じゃあなんでっ」
パッと顔を上げたカルロは、何かを言いかけて、悔しげに口を閉ざした。
何が言いたいのか、何を伝えようとしているのかさっぱり分からない。
ヴェルナはため息混じりに空を見上げた。昼間はあんなに晴れていたのに、灰色の雨雲が空を覆い尽くそうとしている。日が沈むタイミングが読みにくいため、天候の悪い日は早く帰宅したい。
空の様子が気になりながらもカルロの言葉を待っていたが、一向に何も言ってこないため、ヴェルナはしびれを切らした。
「悪いけど、時間がないんだ。もうすぐ日が落ちるし、はやく帰らないと。話が終わったなら、もういいか」
冷たく言い残して踵を返したとき、腕を強く引かれた。背中に強い衝撃を受け、ヴェルナはちいさくうめいた。
「この間、仲間内で飲みに行った」
「はぁ?」
ひとのことを壁に押しつけておいて何を話すかと思えば、飲み会の話だった。
ヴェルナが呆れ返っていると、カルロは真剣な表情で続けた。
「そこにトーマもいた」
「だから?」
「アイツ、お前に告ったって俺に言ってきた。俺にだけ、わざわざ」
茶色の瞳に苛立ちが見え隠れする。
ヴェルナは目を大きく張った。
「冗談だと思って、正気かって訊いたらアイツ……本気だって言ってた。男だろうと女だろうと関係ない、ヴェルだから欲しいんだと」
ここ数日のヴェルナとトーマの様子を見て、カルロの目にはどう映っていたのだろうか。
今まさに頬を赤くしているヴェルナを見て、どう思っているのだろうか。
頭の片隅で警鐘が鳴っている。このままじゃ、面倒なことになると。
「その顔、本当なんだな。お前……トーマに告られて、浮かれてんだろ」
ヴェルナの平たい胸をカルロの大きな手が撫でた。
気持ち悪さに背中がゾゾッと粟立つ。
「心は女だもんな」
「やめっ、何考えて」
嫌がるヴェルナのことなどお構いなしに、カルロはズボンの上から股間をまさぐってくる。
「アイツと寝てみようか、とか思ってんじゃねーのか? お前、アイツのことお気に入りだもんな。いつも一緒だし、俺といるより楽しそうにしてよ」
「っ……」
「そうだ。俺からアイツに教えてやろうか。ヴェルはここをしごくより、指を突っ込まれてぐちゃぐちゃにされる方が好きだって」
パンッと乾いた音が響いた。
カルロは目を丸めたまま、叩かれた頬に触れる。
「お前なんかにっ」
ぽろり、とヴェルナの頬に雫が伝う。
涙ではない。雨だった。
ぽた、ぽた、と大粒の雨が降ってくる。
喉に熱いものが迫り上がり、ヴェルナの声は続かなかった。
(お前なんかに、私の気持ちが分かるものか! 男にも女にもなりきれない、私の気持ちなんて……)
ジンジンとしびれる手のひらをぎゅっと握りしめる。
怒りや悔しさが突き抜けて、残ったのはやるせない気持ちだった。
カルロに抱かれたあの日の記憶は、決して嫌なものではなかった。女としての悦びを与えられ、乱れ、甘えることができたのは、カルロが相手だったからだ。
自分でも無意識のうちに、カルロなら分かってくれる、女の顔を見せても受け入れてもらえると思い込んでいたようだ。
恥ずかしくて、苦しくて、何もかも無かったことにしたい。
「ヴェル……俺……」
ヴェルナはカルロを押しのけて歩き出し、詰所内の更衣室へと向かう。
誰もいない更衣室で私服に着替えていると、更衣室の扉が音を立てて開かれた。
カルロかと思いドキリとして振り返る。
「お疲れ様でー、す……」
トーマは後ろ手で扉を閉めて、足早にヴェルナのそばにやってきた。
気遣わしげにヴェルナの顔をのぞき、濡れた頬をそっと撫でた。
「なんて顔してるんですか」
ヴェルナはトーマの手を押しやって、顔を逸らした。
「お前のせいだ……」
歳下の、しかも後輩相手にみっともなく八つ当たりをしてしまう。
トーマは腹を立てるわけでもなく、微苦笑した。
「責任、取りますよ」
頭の回転が早い男だ。何があったかは、だいたい察したのだろう。
トーマの手がヴェルナのうなじを掴み、優しく引き寄せた。
視線が絡み、今にも口づけをする雰囲気になる。
いっそ、本当に寝てみようか。こんなに想ってくれているのだから、呪いのことを知っても案外簡単に受け入れるかもしれない。
呪われた身体でも恋愛ができるなら、良いことではないか。ずっと夢見ておきながら、諦めてきたんだ。
ヴェルナは、ゆっくりと目を伏せた。
唇が触れ合いそうになったとき、バンッと勢いよく扉が開いた。とっさに顔を離した二人が驚いて扉の方を見ると――雨に濡れたカルロがそこに立っていた。
大股で歩いてきて、二人を無理やり引き剥がす。
「ちょっと、カルロ先輩」
「お前にヴェルは渡さない」
ヴェルナは目を瞬いた。
カルロの背中に視界を遮られ、トーマがいったいどんな顔をしているのか分からない。だが、聞こえてくる低い笑い声には、珍しく怒りが滲んでいた。
「この人を泣かせておいてよくもまぁ」
ピリつく空気。
この状況をどうしようかと考えていると、廊下から多数の足音と共にガヤガヤと男たちの声が響いてきた。カルロが開けっ放しにしていた出入り口から、仲間たちが入ってくる。
「お前ら、なにやってんの?」
殺伐とした光景に仲間のひとりが言葉を漏らす。
「あーえっと」
トーマが言い淀み、
「コイツらが言い合いをしてたから止めてたんだ」
とカルロがごまかす。
仲間たちは「ふーん」「そうか」と相槌を打って、それぞれが着替えを始めた。
ヴェルナ、カルロ、トーマはそれぞれ目を合わせて、すぐに逸らした。
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