無自覚なふたりの厄介ごと

散りぬるを

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第二話

女だろうと、男だろうと(4)

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 詰所の外は大雨だった。
 すこしも経たないうちに全身ずぶ濡れになり、髪が顔に張り付き、泥が跳ねてズボンの裾が汚れた。
 最悪な気分に、最悪な天気。

「ヴェル! 待てよ、ヴェル! おい!」

 駆け足と共にカルロの声が追ってくる。
 ぬかるむ道に足をとられたせいで腕を掴まれてしまい、ヴェルナは立ち止まるほかなかった。俯いたまま「なに」と訊く。

「俺の家に来い」
「なんで」
「俺の家の方が近いだろ」

 ヴェルナはカルロの手を振り落とした。
 カルロを睨みつけ、不敵に笑う。

「ははっ、お前ってほんと……あぁ、そうか。おれを性欲処理に使おうって魂胆か」
「……さっきは、悪かった。本当に、ごめん」

 カルロは腰を折って頭を下げた。
 だが、今さら謝っても遅い。
 深くえぐるように傷をつけたのだ――明確な意思をもって、わざと。

「あの日から俺……お前のこと、男として見れば良いのか、女として見れば良いのか分からなくなった」

 けど、とカルロは頭を上げてヴェルナを見つめた。

「お前に張っ倒されて目ぇ覚めた。お前が一番、苦しんで悩んでんだって気づいた。十年間、ひとりで呪いと向き合ってきたお前を、下らない理由で傷つけた。もうあんなこと二度と言わない。お前が女でも男でも構わない。俺はお前が好きだ」

 ヴェルナは目を見開き、すぐに俯いた。

「自分の罪悪感をごまかすために、おれを好きになっただけだろ。そういう都合のいい奴は、嫌いだ」
「どう思われてもいい。ただ、このままじゃ風邪を引く。頼むから、うちに寄ってくれ」
「ほんと……しつこいな、お前」

 手を掴まれて、引きずられるように走り出す。
 今度はなぜか振り解く気になれなかった。

(まずい、呪いが)

 カルロの手の中で、自分の手が小さくなっていく。
 おそらく、カルロも感じたはずだ。
 気味が悪くなって手を離すだろうと思ったが。

「えっ……?」

 カルロはしっかりと握り直し、ヴェルナの手を引き続けた。

(やめろ……)

 体格が変わったせいで靴の大きさが合わず、靴のなかで細い足が滑る。そのうえ、カルロの足の速さについていけず、ヴェルナはつまずいた拍子に激しく転んだ。手や膝が地面にすれて痛む。

「ヴェルナ!」
(やめて……)
「大丈夫か? 悪ぃ、走りにくかったよな」
(もう放っておいて)

 カルロはヴェルナの膝下に腕を差し込み、腰を支えて持ち上げた。

「しっかり掴まってろ」

 ヴェルナはされるがまま、言われるままに従う。

(どうして振り払えない。どうして掴んでしまうの?)

 複雑に絡まる感情に胸が苦しくなる。

(私はいったい、何を望んでいるの?)



 * * * *



 カルロの家で風呂を借りて、ヴェルナはベッドに横になっていた。もちろん、服はカルロのものだ。
 窓を打ちつける雨音が静かな部屋に響く。
 部屋を照らすランプをぼんやりと眺めていると、風呂から上がったカルロが救急箱を持って現れた。

「起きられるか? 傷になったところ、見せてみろ」

 ヴェルナは無言のまま上体を起こし、ズボンを膝上までまくりあげると膝頭を見せた。
 塗り薬に包帯にと、処置が大げさだと思ったが口を挟まなかった。
 ズボンの裾を下ろす最中、手を洗って戻ってきたカルロがつと口を開いた。

「また怒られるかもしれないけど」

 ヴェルナが目をあげると、カルロは苦笑した。

「あの日の夜、お前の身体を見て、きれいだなって思ったんだ」
「え……」
「時間が経つにつれて、いつか呪いが解けるなら傷ひとつなく、きれいなまま戻してやりてぇなって思い始めた。お前の実力を疑ったわけでも、本当の姿が女だからって見下したわけでもねーよ」

 だからカルロは、身をていしてヴェルナを守ろうとしていたのか。
 カルロはヴェルナの隣に座った。両腕で身体を支えるように手をついて、天井を見上げる。

「いや、心のどっかでは下に見てたのかもな……お前のこと守らねぇとって、そればっかり頭にあった。俺はお前の呪いを解いてやれない。けど、なにかしたかった。結果的にお前のこと傷つけてんだから、どうしようもねーよな」

 はは、と乾いた声で笑うカルロ。
 ヴェルナは膝を抱えて俯いた。

「なんでそんな話するの」
「どうせ嫌われるなら、伝えておきたいこと伝えた方が後悔が少ないだろ?」
「自分だけスッキリするわけか」
「そう言われると、何も言い返せねーな」

 カルロは体勢を変えて、ヴェルナと向き合った。

「お前も言いたいことがあるなら、ぶつけてこい。この間みたいに、遠慮なくこいよ」

 しばしの沈黙のあと、ヴェルナは口を開いた。

「いつから私のことを好きになったの」
「正直、俺も分かんねーよ。恋愛なんてろくにしてこなかったし。まぁでも、そうだな……呪いのことを知らなかったら、惚れはしなかっただろうな」

 ズキリ、と胸が痛む。
 なぜかは分からない。けれど、告げられた事実にひどく胸が締め付けられた。

「呪いに悩みながらも、前を向いて生きてるお前を見て、すげーなって思ったのが始まりなんかな。自分のことだけで精一杯だろうに、わざわざ自警団に入って人の役に立とうとする。そういう自分に誇りを持ってるお前が格好よくて……あー、なんかちげぇな。うまく説明できねー!」

 カルロは乱暴に頭をかいて、眉間を寄せた。

「俺はお前のことをダチとして、人間として好きだ。そこがまず根っこにあるわけだ」
「ふぅん、それで?」
「んで、お前が女だと知っただろ。見た目と声が好みなうえ、欲求不満をこじらせてるところが可愛いときた。……待て待て待て、落ち着け! その鈍器を置けって! シャレになんねーって!」

 手近にあった陶器の置物を掴み、大きく振り上げるヴェルナをカルロは必死に止めた。置物をもぎ取りベッド下に隠すと、ヴェルナをベッドに押し倒した。

「トーマがお前に告ったって聞いたとき、ハッキリ自覚した」

 カルロはヴェルナをまっすぐに見つめた。

「好きだ」
「っ……」
「お前の隣は、誰にも渡さねぇ」

 まただ。
 あの日の夜も、この目から逸らせなかった。
 心臓が耳にうるさいほど騒いで、頬が熱くなる。
 だけど――。

「私はお前のこと、何とも思ってない」

 ギュッと目を閉じて言い放つ。
 しん、とした部屋に雨音が沁み込む。

「ヴェルナ」
「…………」
「俺を見ろ」

 ヴェルナは応じず、身を縮めて横を向いた。
 ふ、と自分より熱い体温を感じる。抱きしめられていると分かり、はっと目を開けた。

「これからは隠し事なしって、約束したじゃねーか」

 絞り出すように辛そうな、

「本心なら目を見て言えよ」

 祈るような、切実な声に、ヴェルナは息を震わせた。

「…………分からない。自分の気持ちが一番分からない……頭のなかが、ぐちゃぐちゃで……今は何もかも、どうでもいい。何も考えたくない」

 言葉とともに涙がこぼれた。
 いっそう力強く抱きしめられる。

「それでいい……何も考えんな……」

 どうしてカルロの腕のなかは、こんなにも温かいのだろうか。
 どうしてこんなにも安らぐのだろうか。
 ヴェルナは訳も分からず、ただ大きな背中に腕を回してしがみ付いた。
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