無自覚なふたりの厄介ごと

散りぬるを

文字の大きさ
10 / 12
第三話

朝陽に舞う(2)

しおりを挟む
 クリスティーナが泊まっている宿屋は、一階が酒場で二階が宿泊施設になっていた。
 店の入り口でカルロと手を離し、酒場を見渡してクリスティーナの姿を探す。
 店の角席に座っている金髪の女性と、黒髪の男性が目に留まる。

「いた、あそこ」
「誰か隣に座ってるぞ」
「あの子のお師匠さま」
「にしちゃ、ずいぶん若いな」

 ヴェルナは苦笑いして歩き出した。
 黒髪の男性はヴェルナの姿に気付き、挨拶がわりにまぶたを伏せた。
 ヴェルナも軽く会釈する。

「お久しぶりです」
「息災か」
「はい。クライドさんもお変わりないようで」

 見た目は三十代といったところ、しかし十年前からクライドの容姿は変わらない。衰えとは無縁なのではないかと思うほどで、実年齢を聞くのがとうとう怖くなってきた。
 凛として涼やかな目つきに、すっと通った鼻梁びりょう
 魔法使い特有の堅苦しい雰囲気に、すこしだけ緊張する。ぼんやりポヤポヤなクリスティーナが魔法使いだということに、未だに違和感がある。

「ヴェルナ、こちらの方は?」

 クリスティーナはカルロを見上げた。

「とも、だち」
「友達?」
「カルロだ。ヴェルと一緒に自警団で働いている」

 状況が飲み込めないクリスティーナは、「うん?」と曖昧に頷く。

「実は、呪いのこと知ってるんだ」
「ええっ、そうなの?」
「うん。色々と気遣ってくれるから、その、ついてきてもらった」
「そっか。そっか~ふふっ、分かった。あ、座って座って。お酒飲む? あ、お腹空いてるよね」

 クリスティーナは店員を呼び、グラスの追加と料理をいくつか注文した。
 ヴェルナとカルロは互いに顔を見合わせて、隣り合って着席する。

「じゃあ、さっそく本題に入るね」
「う、うん」
「クリスティーナ。彼女にも心の準備というものがあるだろう。すまないな、ヴェルナくん。相変わらず落ち着きがないんだ。いつも言い聞かせてはいるのだが」

 師匠というより、もう父親のようだ。
 若いと思っていた顔にかげりが出来て、一瞬のうちに老け込んだように見えた。
 クリスティーナの旅に同行しているクライドは、その旅先でも気苦労が絶えないのだろう。

 どうしてそこまでクリスティーナに付きっきりなのかというと、ヴェルナの呪いが原因だった。

 クリスティーナがヴェルナに呪いをかけてしまったときから、自身の指導と監督が不十分だったことを謝罪し、彼女とともに呪いを解くための旅に出たのだ。
 魔法学校の次期校長とも期待されていた教師が、教え子の失態によってその道を捨てた。
 
 ヴェルナやクライドだけではなく、その家族の人生をも狂わせたクリスティーナは、自身を責め、苦しみ続けた。クライドがずっと寄り添ってくれていなければ、今頃クリスティーナは――。

「ヴェルナ、大丈夫?」
「うん。ちょっと感慨深くって。長かったね、この十年」

 クリスティーナは瞳を潤ませて、頭を深く下げた。

「待たせて、ごめんなさい。何度謝っても許されないって分かってる。でも、何度でも謝る。本当にごめんなさい」
「うん。もう良いんだ。ずっと諦めずに探し続けてくれて、ありがとう。クリス」

 恨まなかったかと言えば嘘になる。言葉にして伝えたことはないが、思いは伝わっているだろう。
 だが、何年も呪いを解く方法を探して、自分の人生をその旅に費やすクリスティーナの誠意を認めないわけにはいかなかった。

「感動しているところ悪いが、まだ呪いは解けていない。クリスティーナ、我々が安堵するには気が早いぞ。さて、ヴェルナくん。覚悟は決まっただろうか」

 ヴェルナは深く息を吸い、吐き出す。

「はい」

 クリスティーナはクライドの視線を受け止め、こくりと頷いた。

「ヴェルナの身体にかかった呪いの正体は、"暁の神の祝福"と呼ばれているもの。名前の由来は、その神にあって」
「解説はいい。呪いの解き方を教えてくれねーか」

 クリスティーナの顔に緊張が走る。

「カルロ、言い方がきつい。クリスが怯えてる」
「……わりぃ。責めてるつもりはないんだ。俺、話が長いと頭がついていかない方でよ」
「単に頭が悪いんだ」
「うるせぇ」

 冗談を言い合う二人に、クリスティーナはクスクスと笑った。力が抜けたようで、ほっと安心する。
 運ばれてきたグラスをクライドが受け取り、ヴェルナとカルロのために酒を注いでくれた。

「性愛を知らぬ少年期にしかかからない特殊な呪いだ。それゆえ、一般的には知られていないし、文献も少なかった。探すのに時間がかかった」

 言って、クライドは二人の前にグラスを置く。

「見つけたいくつかの文献、いずれも共通する呪解法は、女になりたければ、女の身体で男の精液を取り込み、男になりたければ乙女の純潔をもらうことだ」
「うわぁ……」
「ずいぶんとまぁ、品性のかけらもない方法だな」

 顔をしかめる二人に、クリスティーナとクライドはそろって苦笑した。

「正直なところ、我々も半信半疑だ」
「でも、東西南北、各地の文献を照らし合わせたら、話の筋書きは様々だけど、呪いの解き方は一致したの。だから、一番有力な情報なんじゃないかって」
「試す、試さないはヴェルナくんに任せる」
「うん。これは、心の問題でもあるから」
「心の、問題?」

 ヴェルナが目を瞬くと、クリスティーナは柔らかく笑んだ。

「呪いを解くためだけに、好きでもない人とそういう行為をしてほしくないなって」
「……そう、だね」

 ヴェルナは頬をかすかに染めて視線を落とした。
 カルロと酔った勢いであんなことをしてしまっただけに、罪悪感に似た苦いものが込み上げる。

「直接、力になれたら良かったんだけど」

 そう言うと、クリスティーナはカルロをちらりと見やった。
 腕を組んで考え込んでいたカルロは、クライドへと問いかける。

「精液をあそこに擦り付けるだけじゃダメなのか?」
「呪いが解けていないのなら、それが答えだ」
「そうか」

 ヴェルナはますます顔を赤く染めて、身を縮めた。
 今のやり取りで、クライドには色々と勘づかれたに違いない。
 クリスティーナもなにかしらを察したのか、同情するように微苦笑を浮かべている。
 
「急には答えを出せないと思うの。だから、焦らず考えてみて」




 クリスティーナたちとの食事を終えて、カルロに自宅まで送ってもらう最中、ヴェルナは空に浮かぶ月を見つめながら思案していた。

「悩んでんのか?」
「まぁ、うん……そうだね」

 コツ、コツと二人分の足音が耳に心地いい。
 しばらくの沈黙のあと、ヴェルナは口火を切った。

「女の姿に戻ったら、自警団の仕事は出来なくなる。それが嫌だなと思ってる。今の仕事はすごく好きだし、辞めたくない……ずっと頑張ってきたのに、今さら捨てられない」

 でも、と迷う。

「呪いに縛られず、自由に生きたいとも思ってるんだ。恋人に甘える女の子や、子供を抱える女性を見ると……時々、羨ましくなる。それに、私が元の姿に戻れば、クリスやクライドさんを解放してあげられる。もう旅に出なくていいって言っても聞かない人たちだから」
「だろうな。俺があの人たちの立場なら、きっと同じようにしてる。十年分の重みを思うと、お前に許してもらえても、自分を許せねーと思う」
「うん」
「けどよ、悩んで当然だ。染み付いた生き方を変えろと言われても、誰だって戸惑うだろ。ゆっくり考えればいいんじゃねーの。自分の気持ちを見つめ直すつもりでよ。あの人たちも待ってくれるだろ」

 それはきっと、雨の夜にヴェルナがこぼした本心について言っているのだろう。
 そうか、と思い直す。
 女として生きる未来が見えた今、どう生きるか、どう生きたいのか改めて考えてみたくなった。
 そうこうしているうちに自宅に着き、ヴェルナは家の扉を開けた。家の中に入るまで見届けるというカルロへと振り返る。

「ちなみに、カルロはどっちが良いと思う?」
「なにが」
「女か、男か」
「俺に聞くなよ」
「参考にしたいだけ」

 カルロは顔をしかめて、後頭部を無造作に掻いた。

「んー、どっちでも良い」
「私の目を見ろ。隠し事はなしなんだろ?」

 なにが気に食わないのか、カルロはしかめ面のままヴェルナへと一歩近づき見下ろした。
 顎先を指で掴まれ持ち上げられたと思ったら、優しく唇を塞がれた。

「女でも男でも良いって言ったけど、お前が女になりてえって言うなら、俺が女にしてやりたい」

 家のなかに押し込まれ、耳元で「おやすみ」と囁かれた。重い音を立てて扉が閉まり、ヴェルナは扉にもたれかかる。
 柔らかかった、触れ合った唇の温度はよく分からなかった。
 それから、それから。
 激しい鼓動はしばらく続きそうだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

つかまえた 〜ヤンデレからは逃げられない〜

りん
恋愛
狩谷和兎には、三年前に別れた恋人がいる。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

×一夜の過ち→◎毎晩大正解!

名乃坂
恋愛
一夜の過ちを犯した相手が不幸にもたまたまヤンデレストーカー男だったヒロインのお話です。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

処理中です...