どうしたって、君と初恋。

散りぬるを

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「螢一君」
「なに?」
「わたし、いまから嫌なことを聞くかもしれない。でも、馬鹿にしたり、傷つけたくて聞くわけじゃないってわかってほしいの」

 真剣な気持ちが伝わったのか、螢一君も柔和な眼差しはそのままに真面目な表情をした。

「いいよ。どうしたの」
「なにを今更って思うかもしれないけど、ふたりで園内をまわる前に確認したいことがあるんだ。恋人は、いますか」
「え……」
「もしいるなら、わたし、一緒にまわれない」
「海央はどうなの? 恋人は、好きな人は?」
「どっちもいないよ」

 螢一君はどこかほっとしたように息をついて、それから顔を引き締めた。

「俺も、恋人はいないよ。そうじゃなかったら、ここには来てない」

 きっと、この言葉は嘘じゃない。証拠なんてないけど、確信に近いものを感じた。
 ああ、よかった。この人は昔と変わらず、誠実な人だ。

「そうだよね。螢一君はそういう人だよね」

 螢一君の誠実さが嬉しくて笑顔になってしまう。
 こんなに誠実な人を裏切って、自然消滅のまま終わらせたことにまた罪悪感が生まれる。わたしが楽になりたいだけかもしれない。だけど、今日でちゃんと終わらせたい。

「海央、あのさ」
「螢一君、あのね」

 声を出したのは、ほとんど同時だった。
 お互いに遠慮して「どうぞ、どうぞ」とやっている間にふと周囲から奇異の目で見られていることに気づく。

「えぇっと、移動しようか」
「だな。海央さえ嫌じゃなければ、あれに乗らないか」

 螢一君が指差すほうをたどると、大きな観覧車があった。
 ふたりきり、しかも密室。途端に緊張が戻ってくる。

「静かなところに行きたい。話したいことがあるんだ」

 そうだ。あの話をするなら、静かなところがいい。

「うん、わたしも。ずっと、螢一君に伝えたかったことがあるの」

 観覧車に乗り込み、鉄の扉が閉じられると園内の喧騒が嘘みたいに遠ざかり、静寂が訪れた。
 目の前に座る螢一君は窓辺に頬杖をついて、口を閉じたまま思案するように外を眺めていた。
 わたしはというと、自分の親指を撫でて気持ちを落ち着けようとしていた。どうやって切り出そうか、どうやって謝ろうか。そればかり考えていた。あの頃もそうやってあれこれ考えているうちに、螢一君と疎遠になってしまった。
 同じ過ちは繰り返したくないって決めたんだ。

「螢一君、わたしから先に話してもいいかな」
「え、ああ。うん、構わないよ」

 螢一君が姿勢を正してくれる。
 わたしは震える手をぎゅっときつく握りしめ、深呼吸をひとつした。

「ずっと、謝りたかった。卒業式の日、連絡するねって言ったまま連絡せず勝手に終わらせて、ごめんなさい。
 それだけじゃない。受験勉強が本格的に始まって、螢一君と距離ができていくのを感じてた。
 あのとき、まだ螢一君のことが好きで、だから"もう終わりだね"って言われるのが怖くて、螢一君のことを避けてた。自分の気持ちばかり優先して、そのくせ逃げて、卑怯だよね。ひどいことして、本当にごめんなさい」

 深く頭を下げると、螢一君が身じろぎする気配が伝わってきた。
 顔を上げて、と静かに言われた。
 視線の先にいる螢一君の姿にわたしは目を瞬いた。彼は悲しそうに、辛そうに表情を歪めていた。

「勝手に終わらせたのは、俺も同じだよ。海央が俺に遠慮してたのはわかってた。志望校の合格ラインに達してないって焦ってた俺にいつも優しくて。"螢一君ならできるよ"って最後まで応援してくれて。
 部活を引退したあとデートする機会も増やせたのに、それも全部我慢してくれてさ……俺は、海央の優しさに甘えてたんだ。
 卒業したあとも、海央から連絡が来ればきっと元に戻る。そんなことを思って、自分から行動することを放棄していたんだ」
「ずっと、待っていてくれたの?」

 声が震える。ここで泣くのは卑怯だと喉を締めて懸命に堪えた。
 こくりと頷く螢一君の姿が滲んでいく。

「大学二年になったときかな。さすがに来ないかと諦めて、自棄になって電話番号を変えた。でも、変えてすぐに後悔した。今日は来なかったけど、明日もしかしたら奇跡が起こるかもって。そんなものに縋るなら、自分から連絡すればよかったんだ。けど、あの頃の俺は、海央から求められたいって変にこだわってた」

 もう、耐えられなかった。
 片手で顔を覆って、涙を見せないようにするのが精一杯だった。
 
「番号を変えて一ヶ月後くらいに、海央に電話をかけたことがあるんだ。あの日、留守番電話じゃなく海央の声を聞いていたら、俺たちはやり直せていたのかな」
「わ、たしが、いけないの。もっと早く、螢一君が番号を変える前に連絡すればよかった」
「海央、それじゃ」
「かけたよ」
「……っ、ありがとな。それ聞けて良かった」

 長い沈黙が落ちるなか、観覧車が頂点に辿り着こうとしていた。
 わたしは涙を引っ込めて、螢一君を真正面から見つめた。

「今日でちゃんと終わらせたいって思ってるんだ」

 螢一君はうん、と気持ちを受け止めてくれる。

「螢一君と一緒に過ごせてすごく楽しかった。幸せな初恋でした。本当にありがとう」
「こちらこそ。俺に恋を教えてくれてありがとう。これでようやく前に進める」
「そうだね」

 観覧車がすこしだけ揺れる。
 螢一君が移動してわたしの隣に座ったからだ。

「あの……?」
「俺、この前の同窓会で好きな子ができたんだ」

 たったいま、この恋を終わらせたはずなのに、どうして胸が苦しくなるんだろう。
 わたしで力になれるなら、その子と距離が縮まるように協力しなくちゃじゃない。
 螢一君は両手を擦り合わせて、ふっと気恥ずかしそうに笑った。

「昔のクラスメイトなのに、一目惚れみたいに心を奪われた。控えめに笑うところは変わってないのに可愛らしかった声は大人びていて、あと、すごく美人になってた。目が合うたびにドキドキして、左手の薬指に指輪がないことにすごく安心した」
「その人はじゃあ、独身ってこと?」
「らしい。恋人も好きな人もいないって言ってた」
「そうなんだ。連絡先は交換できたのかな」
「いいや。実はまだ」
「そんな! 次はいつ会えるかわかんないんだよ」
「だよな。自分でも馬鹿だと思うよ。けど、今日会う約束をしていたからいいんだ」
「会えるんだ。うん、よかった。あ、両想いになれるといいね。応援してる」

 螢一君は困ったように笑った。

「ほんと、自分のことには疎いんだから」
「え……?」
「俺の心を奪ったその人はすごく恥ずかしがり屋で、なのに天使のコスプレに挑戦してた」

 それってどう考えても、わたしのこと――。
 
「海央が元カノだから、未練があったからってわけじゃない。同窓会の会場で、受付を済ませて振り返った君に一目惚れをしたんだ。なんて綺麗な人だろうって」

 熱のこもった瞳で見つめられる。

「よかったら俺と、もう一度お付き合いしてもらえませんか」
 
 頬に触れた大きな手に自分の手を重ねた。

「はい」
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