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星追うふたり

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 この空間に似つかわしくない中年の男がふたり。ひとりは大柄でレンズに色のついた派手なメガネをかけている。

(間違いない。紅楊こうよう会の矢木島やぎしまかつみだ。その隣の奴は誰だろう)

 もうひとりは細身で猫背ぎみ。東アジア系の顔立ちで肌は浅黒い。エラが張っていて顎はがっしりとしていた。太くて濃い眉毛が印象的だった。

(海外マフィアかな。矢木島を監視するだけのはずが、意外なものを目撃しちゃったよ。てことは、それなりに大きな情報を得られるかも)

 ナプキンスタンドの背面には盗聴器を、ハワイアンリースには隠しカメラを仕込んでおいた。こんなところで暴力団幹部が違法ドラッグの取引について話をするとは思えないが、ここは招待制のパーティー会場。万が一のことも考えられる。

 バーテンダーは客に尋ねるわけでもなく、灰皿をカウンターに用意して世間話に愛想笑いを返していた。接客の様子から、彼らは何度か顔を合わせていることが分かる。

 夏鈴はターゲットから目を離し、バーテンダーに惚れた女性客の役に戻った。

「見過ぎ」

 作業台に戻ってきたバーテンダーが照れたように笑う。ウィスキーのロックを男たちに振る舞うと、バーテンダーは当然のように夏鈴の前に立った。

「あの人たちコワモテだね」
「だろ? いや実際、怖い人なんだけど」
「あの人たちがこのパーティーの主催者だなんて、全然想像もつかないな。愛人でも探してるのかな」
「ちょっと、声が大きいって。理由なんか知らないよ。俺はここのホテルに雇われてるだけで、あの人たちに雇われてるわけじゃないから。けど、まぁ、不思議だよな。七月にも二回やって、今日で三回目だ。なにが目的なんだろうな」
「おにーさんは、これまでのパーティーでもお店に立ってたの?」
「たまたま、な」
「ふぅん。一回目と二回目もこんな感じだった?」
「知りたい?」

 夏鈴は一瞬目を丸めた。
 あ、と思った。主導権を握られたと気づいたときには遅く、目には見えないが、確実に間合いを詰められていた。
 
「二十三時半にここ閉められるからさ、そのあと、どう? 夏鈴さえよければ、部屋でゆっくり教えてあげるけど。次回のパーティーは主催者が代わるらしいから、もし参加したいなら力になれるかも」
「次回の主催者とも知り合いなの?」
「その辺も教えてあげるよ、ふたりきりのときに」

 情報屋として、こんな好機はない。
 組織から夏鈴に課せられた任務は、矢木島が開くこのパーティーの真の目的を探ること。"ボス"やマトリの見立てでは、招待客相手に違法ドラッグの売買が行われている可能性があるとのこと。だが、今のところ売買行為は見ていないし、言動のおかしな奴も見ていない。

(証拠を掴めないんじゃ、情報としての価値はない。次回のパーティーにマトリが潜入できるよう手配するほうが、マトリと良い取引ができるかもしれないな。でも……)

 この男が、矢木島とどの程度の仲なのか現段階では計りかねる。なんの情報も持っていない可能性がある一方で、違法ドラッグを持っているかもしれない。それを奪えればマトリに渡せるが、無理やり服用させられたら自分が危険だ。情報か、それとも安全か。

 夏鈴はカウンターに両手をついてゆっくりと身体を持ち上げ、バーテンダーを見定めるようにじっと見つめた。
 バーテンダーに頬を撫でられ、肌が粟立つ。
 夏鈴は最後まで逡巡しゅんじゅんした。握り込んだ指が手の中で震える。

(わたしならやれる。今までだって、うまくやってきたし。切り抜け方ならいくらでもある。だいじょぶ)
 
 本能が危険だと警鐘を鳴らすのを無視して、強ばる唇を引き上げて笑みを作り、意を決して身を乗り出した。
 バーテンダーが夏鈴にキスをしようと上体を近づけた――そのときだった。


「はい、そこまで」


 突然のことに心臓が大きく跳ねた。
 夏鈴の背後から声がかかり、振り返る間もなく視界を手のひらで遮られる。
 聴き慣れた低い声。こうして会うのは実に三ヶ月ぶりだろうか。にしては珍しく香水をつけているらしい。手首からふんわりと甘ったるい匂いが香る。

(あぁ、最悪。よりにもよってこの人に見られるなんて……)

 夏鈴はため息こそこぼさなかったが、犯罪行為がバレた犯人のように諦め混じりに目を閉じた。

「アンタ、誰?」

 バーテンダーの剣呑な声に、男は平然と答えた。

「誰かなんて聞かないほうがいいよ。聞いたらきっとビックリさせるだろうから」

 夏鈴は苦笑いを浮かべた。
 確かに、正体を聞けば驚くに違いない。招待制のいわくつきのパーティーに、まさか刑事が紛れ込んでいるとは思いもしないだろう。

「はぁ? 夏鈴、この人と知り合い?」

 夏鈴は視界を遮ってくる大きな手に触れた。大きな手は温かく、優しく、夏鈴を安心させるものだった。

(なんでいつも、ひとが腹をくくったときに限って現れるのかなぁ……ほんと、やめてよね)

 心のなかで悪態をつくけれど、阻まれたことに安堵している自分がいた。
 そっと手を下ろさせて、開けた視界の先にいるバーテンダーを見返した。

「ごめんね。に見つかっちゃった」
「おにいちゃん?」

 夏鈴の投げやりな冗談に、バーテンダーはいぶかしげに夏鈴と夏鈴の背後にいる男の顔を見た。赤の他人を見比べたところで「似ている」という判断にはならないだろう。

「これ以上はご迷惑になるからやめなさい」

 男は夏鈴に覆いかぶさるようカウンターに両手をつき、夏鈴の耳朶に唇をそっと寄せた。

「お座り」
「っ……!」

 ゾクッと背中に甘い痺れが走り、冷えていた肌に熱が広がる。味わったことのない感覚に、腰の力が抜けてカウンターチェアにすとんとお尻を落とした。

「シャーリーテンプルをひとつ」
「申し訳ございません。ラストオーダーのお時間が過ぎましたので」
「おや。これは失礼」

 バーテンダーは興醒めだと言わんばかりの視線を投げて、もう二度と夏鈴の前に留まることはなかった。
 夏鈴は唇を尖らせて、ふんと鼻を鳴らした。

「ねぇ、営業妨害って言葉知ってる?」

 頭を巡らせて男の姿を目にした夏鈴は、目をまん丸にして口をポカンと開けた。そして、堪らず吹き出した。

「ぷっ、あはは! ねぇ、なにその髪型! 罰ゲームかなにかなの?」

 夏鈴はカウンターチェアをクルリと回転させ、男の頭に手を伸ばした。
 三ヶ月前は確かにストレートヘアーだったはずだ――パーマのかかった黒髪を指先で弄んだあとは、左耳に光るシルバーピアスとカフスに触れる。どうやらマグネットピアスのようだ。
 正直、すごく格好いいし、ドキドキする。

「罰ゲームとはひどいね。これでも仲間内では評価がよかったんだけど」
「へぇ……それはそれは。ふふっ、女の子にモテモテだ? あーやだやだ、色気づいちゃって」

 男――警視庁捜査第一課、もり一心いっしん警部補は嫌がるわけでもなく、されるがままになっていた。
 三十路を迎えたとは思えないほどの若々しさ。二十代半ばと言われても、すこしも疑われないだろう。すっと通った鼻梁に、精悍せいかんさと甘さが同居した美貌。シャツをまとわぬ上半身は、しなやかで引き締まった筋肉がついていた。
 一心の素肌をさらした肉体に目を奪われる。

「あ、そうだ、一心さん。わたしに触ってもいいよ」
「さて、それはいったいどういう意味だろう」
を見るなら、ロマンチックに女の肩を抱きながらのほうが良いでしょう?」
「お気遣いどうも」

 一心は意味深に微笑んで、矢木島たちを監視できる位置に移動する。
 その動きに合わせて、夏鈴は一心のほうへと向くようカウンターチェアを回した。

(一課の刑事がここにいるってことは、このパーティーの主催者側に内通者エスがいるのか、あるいは招待されていた客に協力者がいるってことなのか……。どっちにしろ、あのふたりは一課が担当している事件に絡んでいるわけか。……えっ?)

 そこで夏鈴の思考が途切れた。
 ふいに一心に頬を撫でられて目を瞬く。拭うような手つきにますますキョトンとしてしまう。

「アルコール消毒したい」
「ちょっと、もうやめてよ。玉のお肌が荒れちゃうじゃない」
「だったら、もう二度とあんな真似はしないこと。返事は?」

 やっぱり全部見られていた。
 胃の辺りがキリリと痛む。なんでこんな気持ちにならなくちゃいけないのか。これではまるで、大人に怒られる子供のようではないか。
 夏鈴は咎めてくる視線から逃れるようにカクテルグラスを引き寄せて、グラスについた水滴を人差し指でつついた。

「ここで素直に返事をするような奴なら、こんなところに居ないよ。わたしがどんな奴なのか、五年前から知っているでしょう?」
「人は変われると思うけどね」
「そうだね。でも、わたしはほら、変わろうとしないほうの人間だから」

 自虐的に笑う夏鈴に対して、一心は理解に苦しむのか、呆れ返った顔に冷たい目をした。夏鈴の耳元に横顔を寄せると、静かな怒りを込めた声でささやいた。
 
「あんなやり方で手に入れた情報になんの価値がある? 極めて無駄な行為だと思わない?」

 キリリ、キリリと腹の底が痛む。

「……るさいな……」

 情報屋をしている以上、ハニートラップを仕掛けることと無縁ではいられない。
 価値ある情報を掴むため。
 犯罪者たちを刑務所に送るため。
 正義のため。組織のため。目的のため。
 自分の行為が意味あることなのだと納得させるために、いくつもの理由を作ってこなしてきた。組織にいる限り、嫌でもやらなくてはいけないのだ。

「身体を使って情報を集めるようになったんじゃ、情報屋としての力量なんて知れてる。いいかげん辞めて、まっとうな人生を歩んだら?」
「また始まった」

 夏鈴はうんざりして一心の身体を押し返した。
 五年前から変わらず、会うたびに情報屋を辞めさせようと説教をしてくる。
 刑事が持つ正義感なのか、哀れな若者を救いたいという同情なのかは知らないが、そんなものを向けられても不愉快なだけだ。

「なにか勘違いしてない? わたしはただ、欲求不満を解消したかっただけだから」

 ささくれ立った情動に突き動かされ、思ってもいない言葉が次々に飛び出していく。

「せっかく良い雰囲気になってたのに、一心さんのせいで台無しになっちゃったわけだけど」

 一心の視線は、夏鈴と矢木島たちを行ったり来たりしている。そのことが余計に癪に触った。

「そんなにホシを見たかったら、お連れさんと並んで眺めていればいいじゃない。後ろでずっと待ちぼうけくらってるよ?」

 部下と思われる女が若い男に絡まれ、さっきから一心に助けを求める視線を送っていた。
 わざと気づかないふりをしていたが、視界の隅にチラついてイライラしてくる。イラつきの正体が罪悪感だということも、夏鈴をいっそう腹立たせた。

「さっさと助けてあげなよ。アンタのバディなんでしょ」

 夏鈴が唸るように言えば、一心はため息をついた。

「部屋の番号は?」

 思わぬ問いかけに、夏鈴は顔をしかめた。

「宿泊客なんでしょ? ほら、番号」
「……言わない」
「お詫びに欲求不満の解消を手伝ってあげようと思ったのに」

 胸がドキッと熱く高鳴った。まさか一心の口からそんなセリフが出てくるとは思わなかった。

「そういう口実で部屋に来て、説教の続きをするんでしょう? あーなるほど。試してるわけか。男を部屋に上げる度胸もないなら、ハニトラなんてやめとけってことでしょう? いいよ。ゴム、ちゃんと持って来たら部屋に入れてあげる。耳貸して」

 部屋番号を伝えると「じゃあまたあとで」と一心は後ろ髪を引かれることもなく、すっぱりと気持ちを切り替えて去っていった。

 夏鈴は盛大にため息をついて、カクテルをあおった。
 言ってしまった。完全に勢いで言ってしまった。後悔したところでもう遅いのだが、後悔せずにはいられない。

(なんでいつもこうなんだろ。どうでもいい奴の前なら甘えた声も甘えた態度も取れるのに……一心さんの前だと性格の悪い自分が出ちゃう。そもそも、意識されてないって分かってるのに、なんでこんなに好きなんだろ。五年も片想いなんかしちゃってバカみたい)

 夏鈴が情報屋の組織に入ったのは十八歳のときだった。初めての仕事は一課の刑事に情報を売ること。そして、売りつける相手に選んだのが、たまたま出会った一心だった。

『そんなもの要らない。なんでって……はっ、俺はそんなものに頼る無能じゃないから。以上』

 冷たく一蹴され、初仕事は失敗に終わった。一心との付き合いはそれからずっと続いている。
 一心は夏鈴が組織から抜けられなくなる前にと、情報屋を辞めさせようと説得を続けてきた。結果は今のとおりで、互いに譲らなかった。
 そうやって関わっていくうちに、夏鈴は一心に惚れてしまっていた。絶対に相容れない立場だというのに。刑事が情報屋を恋人にするわけないのに、不毛な恋をやめられなかった。
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