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第2章
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少し迷ったものの、エルリナと会ったことを、カラリナに伝えた。
最後まで黙ってジーグエの話を聞いた(彼女と知り合ってから初めてのことだ)カラリナは、ひとこと「そう」と述べると、疲れた笑みをみせた。表情こそ違えど、その顔はやっぱり娘と似ている。
「なんか悪かったね、親子喧嘩に巻き込んだみたいで」
「いや別に」
「あの子さあ、もう半年、家に帰ってきてないの」
え、と思わず声が漏れた。
「正確には、あたしと顔を合わせていない、だね。たまに服とか靴とか持ってってるみたいだし、あの子の部屋の物が移動してたりするから、あたしが仕事の間に帰ってきてはいるんだと思う。けどそんなんだから、もうずいぶんしゃべってない。紹介した仕事も辞めちゃって、どこで何してるのかもわかんないの」
カラリナが息を吐く。とたんに目の前の身体が小さくしぼんだように見えて、ジーグエはひそかにうろたえた。
予想外だった。昔、エルリナが基礎学校に通っていたころは、少しでも帰ってくるのがおそくなると、大騒ぎしては私的にワーゴを乗り回そうとしていた彼女が、まさか半年もそんなことを黙っていたなんて。
「さっさと衛兵に連絡して捕まえてもらえば」とも突き放せず、こういう時に限って緊急招集はないし、サボりを叱るエンユウも来ない。
「――あーもう!」
しばらくしずかに黙り込んでいたと思ったカラリナが、急に上体をかがめて叫んだから、うっかりその場で飛び跳ねるところだった。豊かな髪に両指を差し入れぐしゃぐしゃと掻きまわし、ばっと顔をあげる。
「ほんと何なの! こんな必死に働いてさあ! 全力で帰って飯作って、朝は夜明け前から洗濯して、休みには掃除して。全部やってあげてんのに、何様なわけ?!」
「お、おい」
「あげくに馬鹿な奴らにそそのかされて? うさんくさい奴らにたぶらかされそうになってるって? 何やってるの? 何に怒ってんのかせめて言いなさいよ! あーもう怒った。怒ったからね。絶対容赦しない、なんかやらかしたらあたしが捕まえて吐かせてやる」
イライラと足を踏み鳴らしながら眉を寄せる姿は、幼竜がなわばりに入ってきたときのリリューシェみたいにおっかない。
「そんなに怒るなら、入隊に反対しなけりゃよかっただろうが」
「あんたには関係ないでしょ」
「なら当たるなよ。そんなんじゃ飛べないぞ」
「うるさい」
言葉はまだ棘があるものの、さすがに頭が冷えたのか、最後の悪態には勢いがなかった。逆風飛行したあとみたいにぼさぼさになった髪もそのままに、カラリナは両手で顔を覆うと、深く息を吐く。
「ねえ、この場所で、あの子は嫌な思いをしないと思う?」
硬く厚い殻を剥いて現れた崩れやすい果実のような、震えた声だった。
「……楽しい思いばかりの場所なんて、あるわけないだろ」
「わかってるよ。あたしだって、それなりにいろいろ面倒もあった」
だけど、と両手を組み、額にくっつける。
「ミスミさん見て、怖くなった」
息を呑む。ジーグエは知らないが、前北部基地長の娘であるカラリナが雲の男と結ばれたときには、それはいろいろとあったらしい。それでも彼女は隊を辞めず、悪口も嘲笑も鼻で笑っていたという彼女が、怖くなる?
「あたしなんて、鼻で笑っちゃうような扱いだったんだって、わかった。陰でひそひそ笑われるくらい、宴席で下品な言葉を投げかけられるくらい、なんてことない。本物の悪意を見て、怖くなった」
うつむく彼女を複雑な気分で見つめた。
確かに愛娘を放り込むには向かない環境かもしれない。でもじゃあ、ミスミならいいのか?
「本物の悪意」ってのが怖いんなら、あんたが戦えばいいだろう。守ってやればいいだろう。おかしいって、バカなことをするなって、矢面に立って、変えていけばいいだろう。
言葉にならない不快感の出口をさがして視線をさまよわせ、ガラス窓に映った自分と目が合う。
おまえだって同じだろう。
そう指をさされた気がした。ミスミを取り巻く悪意に気づいていたくせに、守る立場にいないことを言い訳にして、何度、見ないふりをした? 気が向いたときだけ手を差し伸べて、救ってやったと優越感に浸らなかったと、そう言えるのか?
「数人集まっただけで、『何か企んでるんじゃないか』って言われたり、店の前でうろうろしただけで『盗むつもりか』って疑われたり、ねえ、そんなの挙げていったらさ、キリがないのよ。だからせめて、すこしだってもう、傷ついてほしくない。そう思うのはさ、間違ってるのかな」
深い緑の目がジーグエを射抜く。ジーグエは、何も答えられなかった。
結局、卵の出どころについて有力な情報は得られなかった。
「怪しい取引先はすべて洗いましたが、決定的な証拠はいまのところ見つかっていません」
エンユウの生真面目な声を聞き、トーラはあごを引いて口元に指をあてる。カラリナが報告書をめくりながら続ける。
「竜の斡旋場や貸し竜屋も念入りに調べてみたけど、不審な点はなかった。卵が竜士に届けられたって報告もここ最近はさっぱりみたい」
「運送屋や行商人の線は?」
「入れ替わりの激しいところだから、なんとも言えないけど、少なくとも変わったうわさなんかは流れてないみたいだね」
「そう」
常よりさらに言葉数を減らした隊長は、めずらしく眉間にシワをよせている。いつもよりきつい首元をいじりながら、ジーグエも同調した。
「繁華街のほうもいまひとつだな。いくつかきな臭い集まりはあるみたいだけど、活性化しているかと言われればそうでもなさそうだ」
「手詰まりですね」
いらだちを隠さず、エンユウがぐっと顔をしかめた。その熱心さに、若いねえ、なんて思いつつ、とはいえこれほどまでに出どころが辿れないのは気になる。
飛竜の手配。船体の準備。時に三か月にも及ぶ長期の飛行に備えた物品の手配と、綿密な航空計画の立案。大規模な逃亡は当然準備に時間も人手もかかる。
だから、ほとんどはそのどこかで情報がもれたり、衛兵に怪しまれて未然に阻止される。万一、飛びたてたとしてもその痕跡を追うのは簡単だ。問屋が口をつぐんでも、大口の物資は必ず運送屋の記録が残るし、貸し竜屋が知らぬ存ぜぬを突き通しても、飼料と糞尿の収支は餌屋と農家が知っている。
だから逆に、ここまで跡が残らないこと自体が、不審だ。
「ねえ、その格好うるさいんだけど」
じっくりと耽っていた思索をカラリナがぶち壊す。
「なんでだよ、似合ってるだろ?」
「顔が派手な人間が着ると、爆発した花瓶に飾られた花って感じになるんですね」
勉強になります、とエンユウまで目を眇めてくる。
「団の礼服だよ! 文句なら団長に言え」
左手首のカフスボタンを留める。黒地に銀糸で縫い取りがされた上着は、後ろの裾が尾のように左右に長く伸びていて、動くたびにひらひら揺れる。落ち着かない。
ジーグエ以外の第四部隊は、会場警備に駆り出されたらしく、少し遅れて出発するという。やりづらいことこの上ない。
「ていうか、そろそろ出発じゃないの?」
「待ってんだよ」
「誰を」
カラリナの言葉を待っていたかのように、ノックの後に扉が開く。
「お待たせしました」
あら、と小さくカラリナが息を呑んだのがわかった。いつもの白衣を脱ぎ、ジーグエと同じ黒を基調とした礼服に身を包んだミスミは、落ち着かない様子でしきりに首元を触っている。いつも雑に括られている髪は油で丁寧に撫でつけられて、気品ある緑の髪紐で右の耳元に結わえられていた。
「どうしたんだ、それ」
「基地長の奥様が、妙に張り切ってしまって」
お子さんが独立されて、さみしかったみたいですと苦笑しているが、たぶんおそらく違う理由だ。
これからの日程と帰ってくるまでの予定を確認し、「警備の手が足りなくなったらいつでも呼べよ」と片頬を上げたらどつかれた。まあ、要人が集まるとはいえ、何かを決める会議でもない交流目的の舞踏会だ。そうそう心配はないだろう。
隊長のとなりを通り過ぎるとき、そっと耳打ちをされた。
「気を付けて」
視線を流す。頭一つ低い位置から、年若い隊長はつよい光を瞳に宿してジーグエを見上げていた。
「この事件、たぶん裏に大きなつながりがある」
最後まで黙ってジーグエの話を聞いた(彼女と知り合ってから初めてのことだ)カラリナは、ひとこと「そう」と述べると、疲れた笑みをみせた。表情こそ違えど、その顔はやっぱり娘と似ている。
「なんか悪かったね、親子喧嘩に巻き込んだみたいで」
「いや別に」
「あの子さあ、もう半年、家に帰ってきてないの」
え、と思わず声が漏れた。
「正確には、あたしと顔を合わせていない、だね。たまに服とか靴とか持ってってるみたいだし、あの子の部屋の物が移動してたりするから、あたしが仕事の間に帰ってきてはいるんだと思う。けどそんなんだから、もうずいぶんしゃべってない。紹介した仕事も辞めちゃって、どこで何してるのかもわかんないの」
カラリナが息を吐く。とたんに目の前の身体が小さくしぼんだように見えて、ジーグエはひそかにうろたえた。
予想外だった。昔、エルリナが基礎学校に通っていたころは、少しでも帰ってくるのがおそくなると、大騒ぎしては私的にワーゴを乗り回そうとしていた彼女が、まさか半年もそんなことを黙っていたなんて。
「さっさと衛兵に連絡して捕まえてもらえば」とも突き放せず、こういう時に限って緊急招集はないし、サボりを叱るエンユウも来ない。
「――あーもう!」
しばらくしずかに黙り込んでいたと思ったカラリナが、急に上体をかがめて叫んだから、うっかりその場で飛び跳ねるところだった。豊かな髪に両指を差し入れぐしゃぐしゃと掻きまわし、ばっと顔をあげる。
「ほんと何なの! こんな必死に働いてさあ! 全力で帰って飯作って、朝は夜明け前から洗濯して、休みには掃除して。全部やってあげてんのに、何様なわけ?!」
「お、おい」
「あげくに馬鹿な奴らにそそのかされて? うさんくさい奴らにたぶらかされそうになってるって? 何やってるの? 何に怒ってんのかせめて言いなさいよ! あーもう怒った。怒ったからね。絶対容赦しない、なんかやらかしたらあたしが捕まえて吐かせてやる」
イライラと足を踏み鳴らしながら眉を寄せる姿は、幼竜がなわばりに入ってきたときのリリューシェみたいにおっかない。
「そんなに怒るなら、入隊に反対しなけりゃよかっただろうが」
「あんたには関係ないでしょ」
「なら当たるなよ。そんなんじゃ飛べないぞ」
「うるさい」
言葉はまだ棘があるものの、さすがに頭が冷えたのか、最後の悪態には勢いがなかった。逆風飛行したあとみたいにぼさぼさになった髪もそのままに、カラリナは両手で顔を覆うと、深く息を吐く。
「ねえ、この場所で、あの子は嫌な思いをしないと思う?」
硬く厚い殻を剥いて現れた崩れやすい果実のような、震えた声だった。
「……楽しい思いばかりの場所なんて、あるわけないだろ」
「わかってるよ。あたしだって、それなりにいろいろ面倒もあった」
だけど、と両手を組み、額にくっつける。
「ミスミさん見て、怖くなった」
息を呑む。ジーグエは知らないが、前北部基地長の娘であるカラリナが雲の男と結ばれたときには、それはいろいろとあったらしい。それでも彼女は隊を辞めず、悪口も嘲笑も鼻で笑っていたという彼女が、怖くなる?
「あたしなんて、鼻で笑っちゃうような扱いだったんだって、わかった。陰でひそひそ笑われるくらい、宴席で下品な言葉を投げかけられるくらい、なんてことない。本物の悪意を見て、怖くなった」
うつむく彼女を複雑な気分で見つめた。
確かに愛娘を放り込むには向かない環境かもしれない。でもじゃあ、ミスミならいいのか?
「本物の悪意」ってのが怖いんなら、あんたが戦えばいいだろう。守ってやればいいだろう。おかしいって、バカなことをするなって、矢面に立って、変えていけばいいだろう。
言葉にならない不快感の出口をさがして視線をさまよわせ、ガラス窓に映った自分と目が合う。
おまえだって同じだろう。
そう指をさされた気がした。ミスミを取り巻く悪意に気づいていたくせに、守る立場にいないことを言い訳にして、何度、見ないふりをした? 気が向いたときだけ手を差し伸べて、救ってやったと優越感に浸らなかったと、そう言えるのか?
「数人集まっただけで、『何か企んでるんじゃないか』って言われたり、店の前でうろうろしただけで『盗むつもりか』って疑われたり、ねえ、そんなの挙げていったらさ、キリがないのよ。だからせめて、すこしだってもう、傷ついてほしくない。そう思うのはさ、間違ってるのかな」
深い緑の目がジーグエを射抜く。ジーグエは、何も答えられなかった。
結局、卵の出どころについて有力な情報は得られなかった。
「怪しい取引先はすべて洗いましたが、決定的な証拠はいまのところ見つかっていません」
エンユウの生真面目な声を聞き、トーラはあごを引いて口元に指をあてる。カラリナが報告書をめくりながら続ける。
「竜の斡旋場や貸し竜屋も念入りに調べてみたけど、不審な点はなかった。卵が竜士に届けられたって報告もここ最近はさっぱりみたい」
「運送屋や行商人の線は?」
「入れ替わりの激しいところだから、なんとも言えないけど、少なくとも変わったうわさなんかは流れてないみたいだね」
「そう」
常よりさらに言葉数を減らした隊長は、めずらしく眉間にシワをよせている。いつもよりきつい首元をいじりながら、ジーグエも同調した。
「繁華街のほうもいまひとつだな。いくつかきな臭い集まりはあるみたいだけど、活性化しているかと言われればそうでもなさそうだ」
「手詰まりですね」
いらだちを隠さず、エンユウがぐっと顔をしかめた。その熱心さに、若いねえ、なんて思いつつ、とはいえこれほどまでに出どころが辿れないのは気になる。
飛竜の手配。船体の準備。時に三か月にも及ぶ長期の飛行に備えた物品の手配と、綿密な航空計画の立案。大規模な逃亡は当然準備に時間も人手もかかる。
だから、ほとんどはそのどこかで情報がもれたり、衛兵に怪しまれて未然に阻止される。万一、飛びたてたとしてもその痕跡を追うのは簡単だ。問屋が口をつぐんでも、大口の物資は必ず運送屋の記録が残るし、貸し竜屋が知らぬ存ぜぬを突き通しても、飼料と糞尿の収支は餌屋と農家が知っている。
だから逆に、ここまで跡が残らないこと自体が、不審だ。
「ねえ、その格好うるさいんだけど」
じっくりと耽っていた思索をカラリナがぶち壊す。
「なんでだよ、似合ってるだろ?」
「顔が派手な人間が着ると、爆発した花瓶に飾られた花って感じになるんですね」
勉強になります、とエンユウまで目を眇めてくる。
「団の礼服だよ! 文句なら団長に言え」
左手首のカフスボタンを留める。黒地に銀糸で縫い取りがされた上着は、後ろの裾が尾のように左右に長く伸びていて、動くたびにひらひら揺れる。落ち着かない。
ジーグエ以外の第四部隊は、会場警備に駆り出されたらしく、少し遅れて出発するという。やりづらいことこの上ない。
「ていうか、そろそろ出発じゃないの?」
「待ってんだよ」
「誰を」
カラリナの言葉を待っていたかのように、ノックの後に扉が開く。
「お待たせしました」
あら、と小さくカラリナが息を呑んだのがわかった。いつもの白衣を脱ぎ、ジーグエと同じ黒を基調とした礼服に身を包んだミスミは、落ち着かない様子でしきりに首元を触っている。いつも雑に括られている髪は油で丁寧に撫でつけられて、気品ある緑の髪紐で右の耳元に結わえられていた。
「どうしたんだ、それ」
「基地長の奥様が、妙に張り切ってしまって」
お子さんが独立されて、さみしかったみたいですと苦笑しているが、たぶんおそらく違う理由だ。
これからの日程と帰ってくるまでの予定を確認し、「警備の手が足りなくなったらいつでも呼べよ」と片頬を上げたらどつかれた。まあ、要人が集まるとはいえ、何かを決める会議でもない交流目的の舞踏会だ。そうそう心配はないだろう。
隊長のとなりを通り過ぎるとき、そっと耳打ちをされた。
「気を付けて」
視線を流す。頭一つ低い位置から、年若い隊長はつよい光を瞳に宿してジーグエを見上げていた。
「この事件、たぶん裏に大きなつながりがある」
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