食事はひとりで、もしくは君と

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dolce. 過剰発酵恋心-1

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 初夏の風と共に入ってきた恋人は、デカいビニール袋を抱えていた。

「なにそれ? プレゼント?」
「いや、自分用」

 お邪魔します、と靴を脱ぐるたくんは相変わらずマイペースで、何を考えているかよくわからない。けれど、この部屋に彼の私物が増えていくことは単純にうれしい。好きな人に手料理を食べてもらう悦びと似ている。じわじわと内側から同じ色に馴染んでいくような恍惚、なんて思っていることを知られたら、引かれるだろうか。

 袋の中身はアザラシのぬいぐるみだった。糸のように細い目元が、こちらの力を抜けさせる。るたくんは無造作に取り出した抱き枕をかわいがるでもなく、無造作にベッドに置いた。

「かわいいね」

 手に吸い付くような布に覆われたビーズクッションは、もちもちとして気持ちいい。何かのキャラクターなんだろうか?
 がさがさ袋を畳んでいる恋人を横目に、スマホを取り出す。最近新調したばかりの最新機種は機能がありすぎて、覚えるだけで一苦労だった。よたよたと画像検索を試してみると、どうやら本来の用途は抱き枕らしい。写真だけでネット検索できる機能に満足する。どこの郷土料理だ、みたいな一品も、効率的に探せるようになるのは助かる。

 ぬたんとした表情が変わるのをおもしろがって、ついこねくり回していると「ここに置いていい?」と聞かれた。インテリアにこだわりはないし、断る理由もなく「別にいいけど」と答える。

「寝づらかった? やっぱり客用布団、出した方がいいかな」

 お金がなくていまだにセミダブルのままのベッドを見つめる。あれやこれやのときはその狭さが個人的に好きだったけど、本来の用途として使う時はさすがに狭い。まあ、毎日のことじゃないからと思っていたのだけど、耐えがたかっただろうか。
 るたくんは「そういうわけじゃないんだけど」と言って、それからちょっと黙った。

「るたくん?」
「いや、寝るときに便利かなって思って」

 どこか歯切れの悪い答えに、違和感はあった。でも、食事して、シャワーを浴びて、熱くて気持ちの良いことをして、またシャワーを浴びて、眠りにつく頃には、なんでもいいか、という気になった。彼がこれからもこの部屋に来てくれることは確実になったわけだし、アザラシを抱いて眠る横顔は、思わずキスしてしまうくらいには可愛かったので。



 なんてうつつを抜かしていた自分が恨めしい。
 次のお泊りの日、部屋の電気を消して、いつも通りに先にベッドに入ったるたくんの隣に入り込み、手を伸ばして触れたのは、もちもちの感触だった。

 え。

 何度か揉んで確かめる。やわらかくて心地はいいけど、欲しい熱はどこにもない。
 俺はゆっくりと手を引っ込めて仰向けになり、天井を見つめた。状況を整理しよう。つまり俺たちはいま、壁際から、るたくん、アザラシ、俺の順で川の字に並んでいる。そう、そういうことだ。家族三人川の字で。いや、家族じゃないけど。

 これって、お触りNGってことっすか?

 身体を起こして、アザラシを跨いで、こちらに背を向けて眠るるたくんの肩をゆする度胸はなかった。首をねじってアザラシ越しに彼を見つめる。もちもちの抱き枕からは、当然何の返事も返ってこない。
 悶々としながら迎えた翌朝は月曜日で、るたくんは朝食も食べずにそそくさと出て行った。特に不機嫌そうでもなく、むしろどこかすっきりとした顔をしていて、だからますます聞けなかった。

 るたくんって、もしかして俺とのセックス、嫌い?

 未練たらしくオートロックを抜けた先のエントランスまで見送って、しばし呆然とした。いや、多少、やりすぎている自覚はあった。だってようやく両想いになったわけだし。でもお互い働いていて、休みはなかなか合わないし。

 ちょっとでも時間が合えば夕食に誘い、腹が満ちればうちに呼んだ。風呂を貸してふわふわのタオルで包んで、そのまま抱いた。あれ、よく考えたら、昼間のデートをしたのって、付き合う前が最後じゃないか? 思わず座り込んでしまう。身体目当てと謗られたって、否定できない。

 でも、るたくんは一度だって断らなかった。なし崩しではあったけれど、毎回確認はしていたつもりだったのだ。キスをしちゃえば止まれないから、その前に必ず。るたくんは一度も「嫌だ」とか「だめ」とか言わなかった。ああでも、「いいよ」以外は全部だめってやつ? でも、でもさあ。

 悶々としながら、ついクセで集合ポストを確認すると、ハガキが来ていた。母親からだ。去年の干支の、どう見ても年賀はがき(五月になっても届くらしい)に、『生きてる?』の文字。

『電話繋がらないのでハガキ出しました。この日までに電話してこなかったら、警察行く』

 やばい。

 慌てて部屋に戻ると、ハガキにあった番号を押す。早朝にも関わらず、母はすぐに電話口に出た。

「もしもし、俺だけど」
『おれおれ詐欺はいまどき流行らないよ』
「春人ですけど!」

 実の親なら声で分かれよ、と言ったら「甘えんな」と一蹴されるのだろう。

『ああ、生きてたの』
「なんだよあのハガキ」
『何度電話しても無視してたのはそっちでしょうが』
「だからってあんな脅迫状みたいなもの書かなくたっていいだろ!」

 しかも余った年賀状という手抜きっぷり。

『心配で焦っちゃってさ』

 飄々と答えているけど、たぶん本音なのだろう。だから、それ以上何も言えなかった。

「スマホ壊しちゃって、代替機もなかなか届かなかったんだよ」

 ちょうど二週間前くらいのことだ。買い物帰りにポケットから取り出そうとしたら手がすべって、転がり落ちた先は道路だった。大型のダンプカーは、割れたクッキーもここまで粉々にならない、というくらい見事に俺のスマホを粉砕して行った。

『あんたは元気なの?』
「大丈夫」
『ちゃんとご飯食べてる?』
「食べてるよ。冷食も多いけど」
『そう』

 半年以上前、一度だけ地元に帰った。そのときも、実家には帰らなかった。それから東京に戻ってきて、叔父さんの家を出ようと思った。引っ越し祝いに叔父さんがくれた避妊具は、その日のうちにゴミに出した。

 保証人は母が請け負ってくれた。それからこうして、月に二、三度くらい電話を掛けてくる。五分にも満たない、短い電話にいつも緊張した。十七年かけて凝結したわだかまりが、五分の一にも満たない時間で溶けるわけもない。
 緊張するのに、電話を取らないという選択肢がないことも、不思議だった。

『冷食じゃないけど、この間、丸さんがスープの詰め合わせ送ってくれたよ』
「はっ?」

 一気に心拍数があがる。じわりと手汗がにじんで、もうすぐ返すべき代替機を取り落としそうになる。

『なんだっけ、東京スープバーってとこのレトルトの。美味しかったって伝えてくれる?』
「いや、え? なんで……どういうこと?」
『半年前のお礼ですって。あの日も手土産貰っちゃったのに、マメだよね』

 のんびりと話す母に動揺は見られなかった。なにしてんだ、あの人。佑とのことを、母に伝えたことはなかった。「友人とケンカした」としか言っておらず、仲直りしたことも、恋人同士になったことももちろん伝えていない。

『なんだかよく分かんないけど、仲直りしたの? あんたたち』
「仲直りっていうか、いやまあ、うん」

 うろうろとスマホを持ったまま部屋の中を歩き回る。さっきまで同じベッドで寝てましたけど、とはさすがに言えない。

『そう。まあよかったよ。あんたに、頼れる人ができて』

 低温で煮出したスープのように、その声はしみじみと胸に広がった。何度も電話してくる母は、一度だって「いつでも戻ってきていいよ」とは言わない。それはたぶん、高校を辞めてまで飛び出した息子の気持ちを、推し量った故なのだろう。合わない器から逃げ出した息子のことを、しずかに尊重してくれる姿はありがたい。

 ありがたくて、そしていまはほんの少しだけ、胸が寒くなる。

 電話を切ると、両手で頬を叩いた。いまさら、遊園地ではぐれた子どもみたいな気分になってどうする。佑との関係がどうなろうと、それはそれ、これはこれだ。失恋して夢も叶えられなくて、ズタボロで実家に逃げ帰る、なんてことにはなりたくない。

 手を洗って湯を沸かす。コーヒーを淹れる準備をしてから、冷蔵庫の中のボウルを取り出す。るたくんに食べてもらおうと、真っ白でふわふわな丸パンの生地を、昨日の夜から低温発酵させていた。

 冷たい庫内で、白くもちもちした生地はご機嫌に膨らみ、あふれていた。風呂桶いっぱいに溜められた湯のように、盛大にこぼれた生地に理解が遅れた。ドライイーストを入れ過ぎたらしい。だらだらこぼれる冷気が顔に当たって、我に返って手を伸ばす。

 かき集めた生地を両手で持って、途方にくれる。発酵に使ったボウルはこの家で一番大きい器だった。到底皿にはおさまらない、膨らみ過ぎた未熟な食べ物を手に、しばらく立ち尽くしていた。
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