僕の中のボクと君の中のキミが出逢ったら(完結保証)

せせらぎバッタ

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 徹も日々にハリがあり、訪問先でも『なんか、いいことあった?』と言われるようになっていた。
 遥香の会社では他人の振りをしている。いつものようにお茶を入れてくれ、徹は会釈した。顔をあげると、社長が遥香の後姿を目で追っていることに気づいた。
 欲情しているオスの目だ。

「ああ、いつもありがと」

 そう声をかけこちらに向き直った顔は、いつもと変わらない笑顔だった。徹の中で警告音が鳴る。この男は遥香に性的魅力を感じている。既婚者ばかりの職場でただ一人の独身者。愛人として囲いたくなるような、儚げで物憂げな表情。強引に迫られたらキッパリと拒絶できるだろうか。

 人の顔色を伺うのが習い性となっている遥香。雇い主である社長が言葉巧みに関係を強要してきたら。いや、すでに手がついているかもしれない。次に美央に会ったら確認してみた方が良さそうだ。

 事務所で取引先の決算書を作成していると遥香からLINEがきた。

 ―今日は残業で遅くなります―

 小さな会社のため事務員は3人で回している。戦力になってきた遥香は社長に期待されているようだ。
 嫌な予感がした。昼間の社長の目つきが気になってならない。

 ―遅くなると心配だから、会社まで迎えに行くよ―

 徹の心配をよそに遥香は、大丈夫よと、笑顔のスタンプを返してきた。
 仕事が手につかない。

 ―会社を出る時に連絡してね―
 返事はOKというスタンプだけだ。忙しいのはわかるが。ジリジリとした気持ちで返事を待ち、ついにパソコンを閉じた。仕事にならない。所長はもう帰宅している。徹も会社を出ることにした。時計は20時過ぎだ。デスクの上の砂時計をくるっとひっくり返した。

 電車に乗っているとLINEが入った。
 ―社長と食事して帰ることになりました―
 ―俺は帰宅途中だ。どこで食事するの?―

 いてもたってもいられない。

 ―遥香、結婚しよう。社長にそう報告してくれないか―
 返信までに間が空いた。確かにいきなりのプロポーズだ。

 ―はい、嬉しいです―
 良かった。さすがの社長もこれで手をだしてこないだろう。だが、まだまだ安心できなかった。
 ―俺も報告を兼ねて挨拶したいから、場所を教えてくれないか。これから向かう―

「暮林さん、お待たせ。助手席にどうぞ」

 返信をする前に愛車のVOLVOを回してきた社長が声をかけてきた。
 焦ったような性急な徹の申し出に、遥香の気持ちもさざ波が立ってきた。自分はもしかしたら社長と関係を持ったのかもしれない。今までに記憶をなくしたことがあっただろうか。
 記憶の糸を手繰る。あ、あった。最初に食事をした時だ。

「武蔵小杉に美味しい鰻の店があるんだ。今日はそこに行こう。暮林さんはお酒飲んでいいからね。帰りは家まで送るからさ」

 気持ちがざわざわしてくる。車を発進させた彼に一言断り、『武蔵小杉、鰻』と素早くLINEを送った。
「なあに、彼?そのせいかな?最近すごく色っぽくなってきたよね」
 運転席の社長の横顔を見るが、特に変わったところはない。これは昭和のオジサンの誉め言葉としてとらえた方がいいのか。

「いえ、そんなことないです」
「いや、顔色も良くなったし、身体もふっくらしてきた。彼でもできた」
 表情とは裏腹に言葉がねっとりしてきた。どう答えようかと迷っていると、車が信号待ちで止まった。
「あの、」
 徹との結婚を報告しなければならない。

 スッと手が伸びて膝をなでられた。そのまま脚を割り、上に伸びてくる。
「社長、やめてください」
 自分でも驚くほど大きな声がでた。

「ああ、びっくりするじゃないか。どうしたの?前はあんなに喜んでいたのに」
 やはり。遥香は愕然とした。記憶にないだけで自分はまちがいなくこの男に抱かれている。泣きたくなってきた。
 徹さんに知られたくない。淳さんにも知られたくない。なかったことにできないだろうか。

 信号が変わると手がハンドルに戻った。ほっと息をつく。
「引っ越ししたんだよね。部屋に行ってみたいな。どっちだっけ」
 身体がこわばってくる。
「社長、食事は結構ですので、そこらへんで下ろしてもらえませんか」
「何、遠慮してるの?いいじゃないか。知らぬ仲でもないし」
「わたし、婚約したんです」

 これは効いたようだ。わずかながらひるみブレーキがかけられた。後続車がクラクションを鳴らす。車は静かに路肩に止まり、続いてハザードランプが点滅した。

「そうか、それはおめでとう。最近のふるいつきたくなるような色気はそのせいか。やりまくっているのか。相手は誰?俺の知ってる人かな」

 会社では見たこともない男の顔に、遥香は困惑を覚える。こんな下司な言葉を吐くような男だったのか。男なんてみんなセックスが目当てなのか。尊敬していただけに裏切られたような気分だった。

「一ノ瀬、一ノ瀬徹さんです。会社にくる税理士事務所の方です」
 ほう、といい、身体を寄せてくる。遥香は逃げるようにドアを開けようとした。

「ロックされてるから、無駄だよ。オプションで取り付けてある。子供用につけたけど、こういう時にも役に立つね」
 社長の手がまた膝に伸びてくる。

「何をする気なんですか?おろしてください」
「まあ、そんな怖い顔しなくてもいいだろう。嫁さんにバレそうになっていったん関係を解消したのは悪かったと思っている。淋しかったんだろう。遥香の身体は男が好きだからな」
 遥香はヒッと息を呑む。生々しい現実に耳をふさぎたくなる。

「一ノ瀬くんは真面目だし、そのうち税理士になれるだろう。勤勉だからな」社長の手が顎にのびる。
「でも、退屈そうじゃないか。あいつのセックスじゃあ、満足できないだろう。なあ、手当もはずもうじゃないか」
「社長、止めてください。一ノ瀬さんは素晴らしい人です」
「断らないよな。俺とのことがバレたら、あの潔癖そうな男はどうでるかな。破談になっちゃうかもしれないよ。黙ってれば誰も困らない」
 スカートの中に手が伸びてくる。焦らすように円をかきながら太腿をなでまわしてくる。
「し、社長」
「もう濡れているだろう。俺のがいいって、あんなによがっていたのに」

 脅迫しようというのか。ここで社長の言いなりになれば、なかったことになるのか。力が抜けてくる。いつもそうだ。都合の悪いことが起きればなかったことにする。目を閉じ、耳をふさぎ、歯を食いしばる。受け入れられない現実に直面すると美央がでてくる。いや、美央に丸投げするだけなのだ。いつまでもそんな自分でいいのか。

「別れろとは言わないさ。俺も結婚してるし、彼は結婚相手としては申し分ないだろう。時々会ってセックスすれば遥香は退屈しないで済むし、お小遣いまで入る。八方丸く収まるじゃないか。悪い話じゃない」

 手はストッキング越しに性器をなぶりはじめた。「遥香はあの男じゃ満足できないだろう。冗談も言わないし、理屈だけで世の中渡れると思いこんでいる。つまらない男だ。毎日淡々と過ごしていそうじゃないか。そんな日々でいいのか?ここはそろそろ濡れて、俺のが欲しくてたまらないだろう」
 手が動き、パンティに指がかけられた。

「いや、やめて。お願いだから止めてください」
「バレてもいいのか」
 耳をかじられる。徹とも淳ともちがう舌の感触に寒気が走った。
 ああ、どうしよう。

『遥香ちゃん、頑張ってるよ。頑張って生きてきたよ。もう力を抜いていいんだよ。美央はあんなだけど、遥香ちゃんを守るために現れたんだから。俺や徹がついてるんだから。もう、一人で苦しまないで』

 唐突に淳の言葉が浮かんできた。
 今までのことはいい。頑張ってきたから。では、これからは?
 他の男とセックスすることよりも、自分が嫌悪を抱いている男に抱かれることの方が問題のような気がする。

 もう『なかったこと』にしたくない。これからは自分の行動に責任を持ちたい。そうしなければ淳や徹、そして美央に軽蔑されてしまう。いや、みんな弱い自分を受け入れ慰めてくれるかもしれない。でも、いつまでも甘えていちゃだめだ。

「もう観念しろよ。もっと脚を開いて。ああほら、濡れてる」
 指が性器を直接まさぐりはじめた。気持ち悪い。
「一ノ瀬くんのセックスよりも楽しませてやるさ。俺の方が数倍いい男だから」

 遥香は勢いをつけ起き上がり、男の首に腕をからませた。自分のことはいい。だが、淳や徹の悪口をいうのは許せない。自分を大切にし、愛してくれている男の尊厳を守れないなんて、自分で自分を許せない。美央、聞こえてる?大丈夫、何とかしてみるから。

「生理がきちゃったみたい。社長、ここでやっぱり下ろして。続きは今度たっぷり」
 気持ち悪さをこらえ、甘えてみた。

「じゃあ、その可愛いお口でしゃぶってもらおうかな」
 ああ、くらくらする。どうしよう。ロックはかかってるし。
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