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21話 妖物になったのは

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 城の広間は火事場のように大騒ぎだった。
 城の衛兵、鎧姿の兵士、黒い制服の警護団が入り混じり、口々に何か叫んでいる。
 みんなの顔が恐怖と恐慌で歪んでいる。
 こんな様子を見たのはこの世界に来て初めてだ。
 いったい何事が起こったんだろう。
 キリウスに手を取られ、広間に到着すると、みんなが一斉に私を見た。
「警護団長、これは何事か」
 キリウスの鋭い声でざわめきが静まり、黒い制服の塊の中から年配の男性が歩み出て私とキリウスの前に立った。
 他の制服とは少し違うデザインだ。この男性が警護団の団長。実直そうな顔に焦りと狼狽の色が浮かんでいる。
「キリウス公。町に妖物が出ました」
 キリウスの体に緊張が走ったのが、そばにいた私にも伝わった。キリウスはギリッと歯噛みすると、獰猛とも聞こえる声で
「だれが、なった」
 だれが・・・誰が?って、いったい、なに!?
 団長が苦虫でも噛んだような顔をして「ナビス・デ・ローマリウス公です」と答えた。
 え?なに?ナビス?ナビスが、どうしたの?
 クソッ、と呻いたキリウスは怒鳴るようにサラさんを呼んだ。鋼鉄の侍女の顔に焦りと怯えの色が浮かんでいるのを、私は驚愕の思いで見た。
「サラは衛兵と共に姫を守れ」サラさんに短く命令すると「俺は町に向かう。警護団は民人の避難にあたれ。兵士は武器を取れ、妖物を城に近づかせるな」
「キリウス様!いったい何が起こったのですか」
 オロオロと私はキリウスの服の袖を引いた。
 わけがわからない。なにが、いったいどうなっているのか。
「ナビスが妖物になったのなら、ヤツの狙いは姫しか有り得ない。姫はサラと城の安全な場所に避難してくれ」
 キリウスにそう言われても事態がまったく把握できない私はうろたえるだけだ。ただ、なにかとてつもなく大変なことが起こってるんだってことだけは分かる。そして、キリウスが危険なところに向かおうとしているんだっていうことも。
「キリウス様!!」私はキリウスの袖をさらに力を込めて強く引いた。
 好きな人を危険な場所には行かせられない。行かせたくない。まだプロポーズの返事だってしてないし。
 キスだってしてないじゃん。
  イヤイヤをするように首を振る私の髪を優しく撫でてキリウスは言った。
「俺なら大丈夫だ。必ず姫の元に帰ってくると約束する」
 はっ!!
 そのセリフって。物語では鉄板の
「死亡フラグじゃないの!!」私は最大限の声で叫んだ。
 私の声が大広間に反響する。まるで水を打ったように人々が静まった。
「・・・姫。混乱するのはわかるが・・・」 
『死亡フラグ』などと、不可解な言葉を吐いた私をキリウスが少し憐みを込めたような目で見ている。
 どうやらパニックになった私の頭の中身を心配してくれているようだ。
 大丈夫。私は正気だから。
 キリウスの困惑は置いといて、シンと静まり返った広間で私は怒れる天使のような顔と声で叫んだ。
「誰か、私に分かるように説明してちょうだい。何が起こってるの」
 固まった人たちの中で1番最初に動いたのは、警護団の団長だった。私に一礼すると
「私がご説明申し上げます。カルトサル刑務城に投獄中だったローマリウス公が妖物と化して脱獄をしたのです。妖物の狙いは王女かと思われます。町で民人を取り込みながら城に向かっております」
 説明されても私にはまったくわからない。想像もできなかった。
「レーナ様」サラさんが控えめに口を添えた。
「ローマリウス公は取り込まれたのです。狂気と憎悪を糧とする妖しのモノに」
 やっぱりわからない、いったい、どういうモノなのか、妖しってなんなのか。
 もっと分かりやすく説明してくれる人を求めて周りを見渡したけど、みんな、忙しそうに自分の役割に戻っていった。
 噛んで含むように説明してくれそうな人はいない。
「姫、もう時間がない。俺は町に向かわないと」
 キリウスが私の手を振りほどこうとした。
 その時。
 「大変です!」広間の入口に兵士が立った。ゼイゼイと肩で息をしながら、かすれた声で「妖物が城の城門前まで!」
「速いな」と、キリウスが言ったと同時に私は走り出していた。城門に向かって。
 百聞は一見に如かず!見にいくのが早い。
 後ろでキリウスが私の名を叫ぶが聞こえた。


 立ちすくむっていうのは、こういうことだろう。
 城門を出たところで、私は身動きができなくなった。あまりの異様さに息をするのも忘れて見入ってしまった。
 これが・・・妖物?
『妖物』と言われるものが、私の目の前にいる。
 コールタールのように粘りのある巨大な黒い塊。少し透明度があるから、黒いスライムと言ったほうが正しいだろうか。
 ナメクジのツノのように触手があちこちから出たり引っ込んだりしている。
 異様なのは、その黒い塊から人間の手足がオブジェのように突き出ていること。男、女、子供、何本もの手足が。
 ぞわり、と全身が総毛だった。人を取り込んで、ってこういう意味だったのか。
 人の手足は動いている。苦しそうにもがいている。
 まだ生きているんだ、あの中で。
 触手が伸びて、兵士の体を捕えようとする。まるで、カメレオンが長い舌で獲物を捕らえるみたいに。
 触手が剣で切られた、でも、まるで痛手など感じさせずにそこから再生する。
 あんなの、どうやって倒すの?そもそも人間が倒せるものなの?
 私は侍女のサラさんが言ってたことを思い出した。確か、他の国では魔法使いに退治を依頼したって。
 魔法でなら倒せるのだろうか。
 コールタールのスライムが向きを変えて、こっちに這いずってくる。その速度は見かけよりずっと速い。
 見つかった。
 顔もない妖物なのに視線を感じた。凍るような冷たい視線を。
 近づくにつれて臭気が鼻についた。悪意に匂いがあるというのならそのものだと思う臭気だった。
 素早い動きで私に向かって触手が伸びた。
 けれどその細長い触手の黒い手は私の体に届かないうちに先端を切断されて落ちた。
「姫、はやく、城へ」キリウスが私の前に立ってる。その手には長剣が握られていた。
 地面で、まるで切られたトカゲのしっぽみたいにウネウネと動いている触手の先端を見ながら
「キリウス様、なに、あれは」
「ナビスだ」
 アレがナビス?だってアレは人じゃないよ。
 キリウスが私の手を取って、城内へ走り出す。走りながら
「あの中の核がナビスだ。いや、もうナビスとは呼べない。妖物に喰われて意識はないだろう。意識があるとしたら姫に対する憎しみと執着だけだ」
 だから、私を殺しにきたの?
「アレは倒せないの?」
「魔法でなら。だが、もう間に合わない。魔法使いが来る前にナビスは死ぬ。中にいる人間も。取り込んだ人間の命を吸い尽くせは、ヤツは消える」
 逃げ続けて、誰も取り込まれなければ、消えるの?でも今、中にいる人たちはみんな命を吸われて死んでしまう。
「なにか、助ける方法はないの!?」私は悲鳴のように叫んだ。
「あるよ」
 白い閃光が走った。私を追って伸びた触手がすべて切り落とされて、地面に落ちた。
 私の目の前に、まるで天使の羽のような純白のローブに包まれた黒髪の美しい少年が立っていた。
「リュシエール!」
「別件で来たんだけどね」言いながらもリュシエールの手のひらからは摩訶不思議な文様が浮かび、それが白い閃光となって触手を切り落としていく。
 輝くような美しさで断罪を執行する天使のようだったが、今は見惚れている余裕はなかった。
「なんか、すごいことになってるじゃん?」少年の口調は軽かった。まるでゲームを楽しむかのように。
「リュシエール!」キリウスが噛みつきそうな勢いで少年に詰め寄る「倒せるか?アレを」
「あ、僕ではムリ。せいぜい、足止めが精いっぱい。アレは特級魔法使いクラスじゃなきゃ、ムリ」少年は面白くなさそうに言う。
「でも方法があるって、言ったじゃない」
「あるよ」
「さっさとその方法を教えろ」
 つかみかかりそうなキリウスを一瞥して、リュシエールは私に向かって言った。 
「核になってる人間に話かければいい」
「え?」
「核になってる人間が正気に戻ったら、妖物は憑いていられない。アレは人間の狂気に憑りつくモノだからね」
 そうなんだ、そんな方法でいいんだ。だったら
「じゃ、私、話かける」私が勢い込んで、妖物に向かおうとしたら、キリウスが慌てて私を抱きとめる。
「狂気の原因が行ってどうする!喰われたいのか!」
 え?あ、そうか。
「そうそ、誰が話しかけてもいいってもんじゃないんだよ。核になってる人間の精神まで声が届く人じゃないとね。つまり、その人の1番大切な人」
 大切な?ナビスの?
「姫、逃げるぞ」キリウスが私の手を取る。
 ナビスの1番大切な・・・人って・・・。大切な・・・
 そうだよ、思い出を話してくれたじゃん。・・・大切な人との思い出。
 そうだ、彼しかいない!
 私はキリウスの手を振り払って駆けだした。
 駆けながら後ろに向かって叫ぶ「リュシエール!足止めお願い!誰も取り込ませないで」
「それは、正式な魔法の依頼?」
「依頼!」
 りょーかい、と、少年の声を背中で聞いて、私は一目散に城の中に走った。
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