歪んだ日常の片隅で

暁基朋也

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音の主

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初めての一人暮らしにも、ようやく慣れてきた。
この部屋に越してきて、もう三ヶ月。
新生活は快適だけど、時々どうしようもなく、寂しくなる。

友達に相談すると「ペットでも飼えば?」と言われ、
その言葉に背中を押されて近所のペットショップに立ち寄った。

「この子、人懐っこくて、夜中もよく遊びますよ」

店員に勧められたのは、ふわふわした毛並みの小さなハムスターだった。
丸い目でこちらをじっと見上げている姿が、なぜだか胸に響いた。
私はその子を連れて帰り、**“チロ”**と名づけた。

それからの日々は、少しずつ明るくなった。
仕事で疲れて帰っても、チロがケージの中で回し車を回していたり、
おもちゃにじゃれていたりする姿に、自然と笑みがこぼれる。

夜行性だから、夜中にガサガサと音を立てるのは仕方ない。
最初の頃は眠れなかったけど、今ではすっかり慣れた。

――でも、ある夜、ふと違和感を覚えた。

いつものようにチロが動き回る音で目を覚ました。
だがその音が、いつもより少し重く、鈍いように感じたのだ。

「チロ?」

電気をつけてケージを見ると、チロはおもちゃをかじっている。
目を細めて、しばらく観察してみたけれど、特に異常はない。
音のせいか、疲れているのか、寝ぼけていたのか――
私はすぐに気にしないようにして、また眠りについた。

しかし、その夜を境に、私は時折“その音”を耳にするようになった。

ガサ……ガタッ……コト……
深夜になると、ケージの外――部屋のどこかから物音がする。
最初は風かと思った。でも窓は閉め切っている。
隣人の生活音かとも考えたが、壁越しには聞こえない角度だ。

ある夜、私は思い切ってスマホの録音アプリを使い、寝ている間の音を録音してみた。

翌朝、恐る恐る再生してみると――
ガタガタ……コト……ギィィ……

何かが、床を這うような音。

そして一瞬だけ、「パチン」という爪の音のような何かが入っていた。
それが何だったのかは、わからない。

怖くなって友人に泊まりに来てもらった日、音はまったく鳴らなかった。
チロも静かだった。

(ストレスか、疲れてるだけだよ。考えすぎ)
友人はそう言って笑っていたが、私はあの日から、チロの目を時々怖く感じるようになった。

まっすぐに、ケージの外――私の後ろを、見つめている気がしたのだ。

それでも毎日、同じように過ごした。
朝起きて、仕事に行き、帰ってきて、チロに餌をあげる。
何も変わらない日々のはずだった。

――けれど、つい昨日、決定的なことが起きた。

夜中の物音が、明らかに“近く”からした。
私は怖さを押し殺しながら、布団から手探りでスマホを取って、電気をつけた。

そこにいたのは、チロだった。
でも――チロのケージの中にも、チロはいた。

私は凍りついた。
二匹目なんて飼っていない。
……じゃあ、私が“チロ”だと思っていたのは、誰だったの?

その瞬間、もう一方のチロが、私の目の前で溶けるように消えた。

朝、恐る恐るケージを見ても、そこにはいつものチロがいる。
何も変わらない。

だけど、私は知ってしまった。
音の正体は、チロではなかった。

私は今、ケージのチロを見つめている。
あの目は、やっぱり何かを見ている。
……私の後ろか、それとも、“もう一匹の私”か。
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