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第9話 砕かれた理想と、繋がる心
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ヴァイスの冷酷な声がホールに響き渡る。「感情は弱さ」と断じるその思想は、リオスの胸中に激しい怒りの炎を燃え上がらせた。目の前の武力部門統括官グレイは、ヴァイスの声に呼応し、禍々しい黒いオーラを噴き出しながらさらに巨大化していく。全身の装甲が肥大し、不規則なノイズを撒き散らすその姿は、まるで暴走したプログラムそのものだった。
「感情は弱さだと!? そんなのは、お前の勝手な言い分だ!」
リオスは大剣を構え、右の手の甲に浮かぶ異晶(イショウ)が、彼の怒りに呼応するように青白い光を放ち、脈動する。ミオはすでにグレイの生み出した触手群の中へ飛び込み、双剣の二刀流スキル『クロス・スラッシュ』で迫るデータの実体を切り裂いていた。ソラは後方で治癒魔法(ヒール)スキル『魂の共鳴』の光をグレイの肉体へ集中させ、その異晶の力を攪乱しようと試みる。そしてアデルは、半透明な眼鏡の奥の瞳を光らせ、周囲のシステムデータを冷静に分析し、活路を探っていた。彼の視界には、グレイの防御パラメータが刻々と変動する様子が映し出されていた。
グレイの太い触手に弾き飛ばされ、全身に激痛が走るリオス。壁に叩きつけられ、思わず呻き声が漏れる。心が折れそうになる瞬間、彼の視界に、必死に戦う仲間たちの姿が映った。ミオの電光石火の動き、ソラの献身的な光、そしてアデルの揺るぎない分析。彼らとの温かい絆が、全身を襲う恐怖と痛みを打ち消していく。
「そうだ、俺は一人じゃない。この感情、この絆こそが、お前がいくら偽物だと罵ろうとも、俺たちの『本物』だ!」
リオスはふらつきながらも立ち上がり、大剣を強く握り直した。もしここで倒れたら、仲間たちがヴァイスの企む「完璧な秩序」の犠牲になる。その恐怖が、絶対に許さないという、燃えるような決意に変った。彼の視界に、自らのステータスを示す《HP:低下》《状態異常:疲労(重)》の文字が点滅するが、彼はそれを無視した。
「ソラ! ミオ! アデル! 俺は絶対に負けない! みんなを、この世界を、ヴァイスの好きにはさせない!」
リオスの叫びに、ミオが獰猛な笑みを浮かべ応じる。彼女はグレイの触手を弾くと、稲妻のような速さで振り返り、瞳に確かな闘志を宿す。
「当たり前じゃん! あんただけには、私たちの仲間は傷つけさせないからね! かかってこいよ、デブ野郎!」
ミオは叫び、機動スキル『電光石火(ライトニング・フラッシュ)』を最大に発動させ、加速してグレイに斬りかかる。ソラもリオスを真っ直ぐ見つめ、静かに力強く頷いた。その瞳は、決意の光で満ちている。
「はい、リオスさん! 私も、絶対に諦めません。みんなで、一緒に、きっと帰りましょうね! エーテルニアに…私たちの『現実』に!」
ソラの治癒魔法スキル『魂の共鳴(ソウル・レゾナンス)』の光が、リオスの全身を優しく包む。それは彼らの心の繋がりを強固にする温かい光であり、《能力値上昇:全属性》というメッセージがリオスの視界に現れた。アデルは一瞬、その光景を横目で捉えると、口元に微かな、しかし確かな笑みが浮かべた。
「無駄なデータ計算は不要か。感情という変数は、時に最も効率的な解を導き出すな。ならば…その『効率』、最大限に引き出してやろう」
アデルはそう呟くと、再びモニターに向き直り、ホールのシステムに新たな指令を送った。彼の視界には、グレイの全身の防御システムに微細なエラーを示すポイントが複数表示されていた。
リオスの右腕の異晶が、彼の「守りたい」という感情に呼応して全身を駆け巡る。剣術熟練度ERRORが規格外の輝きを放ち始めた。大剣を握る手に力が漲る。
「やるぞ、グレイ! 剣技:絶影(ゼツエイ)!」
リオスが叫ぶと同時に、大剣から青白いオーラが噴出した。ミオがグレイの腕の上を駆け上がり、その巨体の上で跳ね回り、注意を引きつける。ソラはグレイの体に異晶の光を集中させ、そのシステムを攪乱する。アデルの演算補助スキル『真理の導器(ロゴス・デバイス)』が、グレイの右脚のエラーポイントを正確に指し示した。《ターゲット・ロックオン:右脚接合部(脆弱性:高)》
「そこだ、リオス!」
アデルの冷静な声が響く。
リオスは、ミオとソラの連携、アデルの精密な指示を完璧に活かす。全身の異晶を大剣に集中させ、青白い光の刃を作り出す。「これが…俺たちの『本物』の力だ!」渾身の一撃を、グレイの右脚のエラーポイントに叩き込んだ。
リオスの刃がグレイの装甲を貫いた瞬間、グレイの巨体から激しい「歪み」のノイズが迸った。黒いオーラが霧散し、装甲の表面がひび割れていく。
「ぐっ…! 馬鹿な……この私が…痛…み!? なぜだ…感情なきはずの私が…」
グレイは苦痛に呻き、その存在は光の粒子となって虚空へと霧散した。ホールの重苦しい「歪み」が晴れ渡る。クリアになった視界に、《グレイを討伐しました!》の文字が浮かび上がった。
激しい戦いの後、リオスは荒い息を繰り返した。全身が鉛のように重い。だが、顔には確かな喜びが浮かんでいた。ソラが駆け寄り、治癒魔法を施す。ミオも安堵の息を吐き、双剣の刃についたデータ残骸を払い落とした。アデルはグレイの消滅データを確認し、静かに頷く。
「やったね、リオスさん……! みんなで、勝ったんだ……!」
ソラが瞳を潤ませながら、リオスの腕をそっと支える。
「へへっ、さすがリオスだね! やるときゃやるじゃん!」
ミオが屈託のない笑顔で、リオスの肩を軽く叩く。
リオスは仲間たちを見回した。彼らの瞳に宿る絆の輝きこそが、この「偽りの世界」で得た、かけがえのない「本物」だった。
しかし、戦いはまだ終わっていない。ホールの巨大モニターに映し出されたヴァイスの顔は、グレイが消滅した瞬間も、全く動じることのない無表情を保っていた。彼の瞳には、何の感情も宿しておらず、ただ冷徹な光が宿るばかり。
ヴァイスは、一切の言葉を発することなく、ゆっくりと手を上げた。次の瞬間、足元から地響きが起こり、これまで閉ざされていた巨大な扉が、重々しい音を立てて開かれ始めた。その奥からは、これまで感じたことのない、強大で、しかしどこか懐かしい「歪み」の波動が押し寄せてくる。それは、ヴァイス自身の支配領域へと通じる、システム的な結界の扉だった。
扉の向こうに現れたのは、白く、無機質なほどに整然とした通路だった。そして、その奥から、静かに、しかし確かな存在感を放ちながら、一体の存在が姿を現した。
それは、純白の衣を身に纏い、背には光り輝く巨大な翼を持つ、神聖な「天使」のようだった。だが、その姿は見る者の心を凍らせるほどに不気味だ。顔には表情を読み取れるパーツが一切なく、瞳の代わりに冷たい青白い光が規則的に明滅している。翼は金属の刃で構成され、手には常に微細な「歪み」の粒子を零す杖を握っていた。
その天使のような存在の登場と同時に、ホールのモニターに映るヴァイスの声が、静かに響き渡った。
「無駄だ。どのような感情を力に変えようと、所詮、貴様らは『バグ』。プログラムの外に存在する異常値に過ぎない。私は、すべての『歪み』を、そして感情という『ノイズ』を排除し、このエーテルニアを完璧なシステムへと再構築する。これは、私にとっての必然であり、計算された結果だ。」
ヴァイスの冷徹な言葉が、リオスたちの心を直接凍らせようとする。彼が送り出した新たな「完璧」な兵器――『純律の天使(ピュリティ・エンジェル)』――は、彼らの感情を、そして存在そのものを否定するかのようだった。
リオスたちは、一瞬、その不気味な「天使」の姿と、ヴァイスの感情を持たない声に、背筋が凍るような恐怖を覚えた。しかし、恐怖は一瞬だった。リオスは、自身の右腕に宿る異晶の温かな脈動を感じた。仲間たちとの絆が、その恐怖を打ち消すように、熱い力を再び全身に漲らせる。
「……ッ!」
リオスは唇を噛み締め、大剣を再び構え直した。その刃先が、不気味な天使を真っ直ぐに捉える。
「確かに、俺たちは『バグ』かもしれない。でも、その『ノイズ』が、お前の『完璧』をぶち壊す!」
叫ぶと同時に、リオスは地面を蹴りつけ、まっすぐに『純律の天使』へと斬りかかった。ミオが側面へ回り込み、ソラは回復魔法の詠唱を開始する。アデルは、天使の動きの法則性を探るように、その瞳を凝らしていた。彼の視界には、《純律の天使:攻撃パターン解析中…》の文字が表示される。
リオスの大剣は、青白い異晶のオーラをまとったまま、『純律の天使』の白い衣を裂くように振り下ろされたが、目に見えない壁に阻まれたかのように、不自然に空間が歪み、刃先が逸れた。《攻撃:無効》の表示。キィン、という耳障りな電子音がホールの冷たい空気を震わせる。
天使は、リオスの攻撃を受け流しながらも、表情を変えず、静かに杖を掲げた。杖の先端に光の球を形成し、そこから無数の細い光の糸が射出された。その光の糸は、ホールの壁や床に触れるとデータが崩壊し消滅する。
「ッ、避けろ! 『純律の天使』の攻撃は、物理的なダメージだけでなく、知覚システムそのものに『歪み』を与える!」
アデルの声が響くと同時に、光の糸の一本がリオスの頬を掠めた。皮膚が粟立ち、一瞬、視界が乱れるような感覚に襲われる。それは、物理的なダメージだけでなく、リオスの知覚そのものを「歪ませよう」とする攻撃だった。
しかし、リオスの瞳は、乱れる視界の奥で、確かな光を捉えていた。この「歪み」の攻撃…自分の右腕に宿る異晶の力もまた、システムの「歪み」を利用する能力だ。
「この『歪み』……相殺できる! 異晶スキル:歪み増幅(ディストーション・ブースト)!」
リオスは直感的に叫んだ。大剣を地面に突き刺すと、右腕の異晶を最大まで発動させた。腕から発せられる青白い光が、周囲の空間をまるで蜃気楼のように揺らがせる。彼の視界には、《スキル発動:歪み増幅》《周囲の歪みと共鳴開始》のメッセージが表示された。
天使の杖から放たれる光の糸が、リオスの全身を狙って殺到する。しかし、光の糸がリオスの身体に触れる直前、彼の周囲の空間がまるで鏡のようにヒビ割れ、天使の放った光の糸を寸分違わず弾き返した! 全身に痛みが走り、右腕の異晶が激しく脈動するが、その顔には、確かな手応えを感じた喜びが浮かんでいた。
リオスの反撃を受け、『純律の天使』の顔に、ごく微かな変化が起きた。瞳の明滅が不規則に揺らぎ、全身から電子音が響き渡る。純白の衣が波打ち、無数のワイヤーが伸長していく。背中の金属の刃でできた翼が、巨大な機械の腕に変形し、先端には鋭利な鉤爪が形成される。体中から太いケーブルのようなものが無数に伸び、異形の姿へと変貌した。その姿は、もはや「天使」とは呼べない、おぞましい「化け物」だった。
ホールの巨大モニターに映るヴァイスの口元が、冷酷な愉悦を含んだ笑みで吊り上がる。
「良い……。その『歪み』は、私が求める『データ』を生成する。貴様らの足掻きは、全てこのエーテルニアの糧となる。存分に苦しむがいい、異物よ」
天使の変貌とヴァイスの不気味な微笑みが、リオスたちをさらに追い詰める。変貌した『純律の天使』は、予測不能な猛攻を仕掛けてきた。巨大な鉤爪は空間をねじ曲げ、衝撃波がホールに響き渡る。
「くっ、速い! さっきよりも桁違いだ! 機動スキル:残像回避(アフターイメージ)!」
ミオが叫び、ワイヤーを切り裂くが、瞬時に再生し増えていく。リオスは空間の歪みを相殺しようとするが、光の糸による知覚の歪み、鉤爪による物理破壊、ワイヤーによる拘束が複雑に絡み合い、彼らを襲う。《状態異常:知覚ノイズ》《HP:危険》
「リオスさん、危ない! 治癒魔法(ヒール):範囲回復(エリア・ヒール)!」
ソラが治癒魔法を唱えるが、周囲の歪みで阻害される。
「なっ、魔法が…うまく展開できない! この歪みが邪魔してる…!」
天使の無数の瞳がアデルを捉え、彼の演算補助スキル『真理の導器(ロゴス・デバイス)』のモニターにノイズが走り、解析データが意味不明な記号へと変質し始めた。
「くそっ、情報が…処理できない! 奴の攻撃は、認識そのものを破壊しようとしている…!」
リオスは大剣で鉤爪の一撃を受け止めたが、衝撃で吹き飛ばされ、全身を激痛が貫く。右腕の異晶は限界を迎え、青白い光が不安定に明滅する。意識が朦朧とする。《異晶:オーバーロード寸前》の警告。ミオもワイヤーに絡めとられ、身動きが取れない。ソラも結界を張る間もない。
『純律の天使』は、不気味な機械の腕をゆっくりとリオスの頭上へと振り上げていく。
「これで…終わりか…?」
リオスの脳裏に、仲間たちの笑顔が駆け巡った。
その時、アデルの口から、掠れた声で、しかし明確な命令が発せられた。彼の視界には、狂乱するデータの中から、天使の「完璧な」形態変化と攻撃パターンの中に存在する、唯一の「予測外」の要素――ヴァイスが感情の否定を突き詰めた結果、逆に生み出してしまった、不完全な「感情の残滓」が解析されていた。
「…リオス! その…『歪み』を…自分自身に…集中させろ…! 今だ、ミオ! ワイヤーは無視しろ! ソラ、回復魔法は中断して、全員の感覚リンクを最大に! 『魂の共鳴(ソウル・レゾナンス)』で、意識と痛みを共有するんだ!」
アデルの的確な指示に、ミオは拘束を振りほどき、全身の力を集中させる。ソラは自身の異晶『魂の共鳴』の力を、リオス、ミオ、アデル自身に最大限に同調させた。《感覚リンク:最大化》《痛覚共有:オン》
「リオスさん、行きます! みんなで、一緒に!」
ソラの同調が、朦朧としていたリオスの意識をクリアにする。彼の脳裏に、アデルからの《ターゲット・ロックオン:天使左腕付け根(感情の残滓)》の指示が閃いた。
「アデル、信じるぞ!」
リオスは、痛みで震える右腕を自身の胸に向けた。先ほど天使の攻撃を相殺するために使った「歪み」の力が、彼の体全体を包み込み始める。それは、彼自身の存在に逆流させるかのような、危険な行為だった。《スキル:セルフ・ディストーション発動中》
リオスの身体を包み込んだ青白い「歪み」の光は、彼自身の存在を不安定にさせるかのように激しく明滅し始めた。想像を絶する激痛がリオスを襲うが、ソラの感覚リンクがその痛みを仲間たちと共有することで、リオスは意識を保つ。ミオもアデルも、歯を食いしばり、痛みに耐える。
「ぐっ……あああああああッ!」
リオスの叫びがホールに響き渡る。それは、苦痛だけではない、根源的な「変革」の叫びだった。『純律の天使』は、リオスの「歪み」に気を取られ、動きを止める。
「今だ、ミオ! 天使の左腕の瞳を狙え!」
アデルの冷静な声が響く。アデルの解析は、天使の動きの「予測外」のパターンを瞬時に読み解いていた。
ミオはワイヤーの拘束を振りほどき、高速移動の異晶が限界を超えて加速する。彼女の狙いは、アデルが示した、天使の左腕の付け根にある「瞳」――「感情の残滓」が最も強く現れる脆弱なポイントだった。
「うおおおおおっ! あんたの完璧、ぶっ壊してやる!」
ミオは叫び、双剣を逆手に構え、天使の左腕に肉薄する。《クリティカル・ヒット!》
その瞬間、リオスの全身を包んでいた「歪み」の光が、彼の右腕に集中した。剣術熟練度ERRORの紋様が複雑な光のパターンを描き、大剣の刃に吸い込まれていく。大剣は、青白い「歪み」そのもので構成された、異質な刃へと変貌した。
「これが…俺の…『剣術熟練度ERROR』の…真の力だ! 異晶スキル:崩壊剣(デストロイ・ブレード)!」
リオスは、天使の注意がミオに向いている隙を突き、地面を蹴った。全身の痛みを無視し、変貌した大剣を、天使の変形した右翼の付け根へと振り上げた。アデルの解析が示した、もう一つの「感情の残滓」のポイント。《ターゲット・ロックオン:天使右翼付け根(脆弱性:高)》
二つの「歪み」が、同時に、完璧なシステムであるはずの『純律の天使』の深層へと突き刺さる。
キィィィィィンッ!
ホール全体を揺るがすような、耳を劈く電子音が響き渡る。純粋なデータが、その根源から引き裂かれるかのような、異質な悲鳴だった。
『純律の天使』の全身から、激しい「歪み」の光が噴出した。白い衣は焼け焦げ、ワイヤーは千切れ飛び、金属の翼は不規則に崩壊していく。顔の仮面はひび割れ、その奥から、一瞬だけ人間の瞳のようなものが現れたかと思えば、すぐに光の粒子となって霧散した。
「ありえない……! この私に……『感情の残滓』だと……!? バグどもが…!」
天使の口から、驚愕と苦痛に満ちた「感情」を伴った声が漏れた。ヴァイスの「完璧な秩序」の象徴であったはずの天使が、彼ら自身の「感情」によって、その根源を揺るがされている。
天使の巨体が、ゆっくりと、しかし確実に崩れ落ちていく。その存在は虚空へと完全に消滅した。《純律の天使を討伐しました!》の表示が、リオスの視界を明るく照らした。
激しい光とノイズが収まった後、ホールには静寂が訪れた。リオスは、変貌した大剣を地面に突き刺し、荒い息を繰り返す。彼の右腕の異晶は、微かな光を放つのみで、その輝きは疲労を物語っていた。ミオも膝をつき、全身の疲労と異晶の反動に耐えていた。ソラが駆け寄り、懸命に治癒魔法を施し始める。
「やった……勝ったんだ……!」
ソラが安堵と喜びに声を震わせる。
「へへっ、さすがリオスだね! やるときゃやるじゃん!」
ミオが屈託のない笑顔で、リオスの肩を軽く叩く。
リオスは、仲間の顔を見回した。彼らの瞳には、恐怖も痛みも超えた、確かな絆の輝きがあった。この「不完全」な感情を持つ仲間たちとだからこそ、自分は「完璧」を目指すヴァイスに立ち向かえる。この「偽りの世界」で得た、かけがえのない「本物」の繋がりが、彼にとっての全てだった。
しかし、戦いはまだ終わっていない。ホールの巨大モニターに映し出されたヴァイスの顔は、グレイが消滅した瞬間も、『純律の天使』が消滅した瞬間も、全く動じることのない無表情を保っていた。彼の瞳には、何の感情も宿しておらず、ただ冷徹な光が宿るばかり。
ヴァイスは、一切の言葉を発することなく、ゆっくりと手を上げた。次の瞬間、足元から地響きが起こり、これまで閉ざされていた巨大な扉が、重々しい音を立てて開かれ始めた。その奥からは、これまで感じたことのない、強大で、しかしどこか懐かしい「歪み」の波動が押し寄せてくる。それは、ヴァイス自身の支配領域へと通じる、システム的な結界の扉だった。
リオスは、仲間たちと顔を見合わせた。彼らの顔には、疲労の色は濃いものの、瞳には確かな決意と、未来への希望が宿っていた。ヴァイスの動揺は、彼らが正しい道を歩んでいる証だった。
「行くぞ、みんな……。あいつに、決着をつけるんだ」
リオスは、最後の力を振り絞り、大剣を握り直した。開かれた扉の奥に、ヴァイスの真の姿、そして彼の支配の核心があると確信していた。
「感情は弱さだと!? そんなのは、お前の勝手な言い分だ!」
リオスは大剣を構え、右の手の甲に浮かぶ異晶(イショウ)が、彼の怒りに呼応するように青白い光を放ち、脈動する。ミオはすでにグレイの生み出した触手群の中へ飛び込み、双剣の二刀流スキル『クロス・スラッシュ』で迫るデータの実体を切り裂いていた。ソラは後方で治癒魔法(ヒール)スキル『魂の共鳴』の光をグレイの肉体へ集中させ、その異晶の力を攪乱しようと試みる。そしてアデルは、半透明な眼鏡の奥の瞳を光らせ、周囲のシステムデータを冷静に分析し、活路を探っていた。彼の視界には、グレイの防御パラメータが刻々と変動する様子が映し出されていた。
グレイの太い触手に弾き飛ばされ、全身に激痛が走るリオス。壁に叩きつけられ、思わず呻き声が漏れる。心が折れそうになる瞬間、彼の視界に、必死に戦う仲間たちの姿が映った。ミオの電光石火の動き、ソラの献身的な光、そしてアデルの揺るぎない分析。彼らとの温かい絆が、全身を襲う恐怖と痛みを打ち消していく。
「そうだ、俺は一人じゃない。この感情、この絆こそが、お前がいくら偽物だと罵ろうとも、俺たちの『本物』だ!」
リオスはふらつきながらも立ち上がり、大剣を強く握り直した。もしここで倒れたら、仲間たちがヴァイスの企む「完璧な秩序」の犠牲になる。その恐怖が、絶対に許さないという、燃えるような決意に変った。彼の視界に、自らのステータスを示す《HP:低下》《状態異常:疲労(重)》の文字が点滅するが、彼はそれを無視した。
「ソラ! ミオ! アデル! 俺は絶対に負けない! みんなを、この世界を、ヴァイスの好きにはさせない!」
リオスの叫びに、ミオが獰猛な笑みを浮かべ応じる。彼女はグレイの触手を弾くと、稲妻のような速さで振り返り、瞳に確かな闘志を宿す。
「当たり前じゃん! あんただけには、私たちの仲間は傷つけさせないからね! かかってこいよ、デブ野郎!」
ミオは叫び、機動スキル『電光石火(ライトニング・フラッシュ)』を最大に発動させ、加速してグレイに斬りかかる。ソラもリオスを真っ直ぐ見つめ、静かに力強く頷いた。その瞳は、決意の光で満ちている。
「はい、リオスさん! 私も、絶対に諦めません。みんなで、一緒に、きっと帰りましょうね! エーテルニアに…私たちの『現実』に!」
ソラの治癒魔法スキル『魂の共鳴(ソウル・レゾナンス)』の光が、リオスの全身を優しく包む。それは彼らの心の繋がりを強固にする温かい光であり、《能力値上昇:全属性》というメッセージがリオスの視界に現れた。アデルは一瞬、その光景を横目で捉えると、口元に微かな、しかし確かな笑みが浮かべた。
「無駄なデータ計算は不要か。感情という変数は、時に最も効率的な解を導き出すな。ならば…その『効率』、最大限に引き出してやろう」
アデルはそう呟くと、再びモニターに向き直り、ホールのシステムに新たな指令を送った。彼の視界には、グレイの全身の防御システムに微細なエラーを示すポイントが複数表示されていた。
リオスの右腕の異晶が、彼の「守りたい」という感情に呼応して全身を駆け巡る。剣術熟練度ERRORが規格外の輝きを放ち始めた。大剣を握る手に力が漲る。
「やるぞ、グレイ! 剣技:絶影(ゼツエイ)!」
リオスが叫ぶと同時に、大剣から青白いオーラが噴出した。ミオがグレイの腕の上を駆け上がり、その巨体の上で跳ね回り、注意を引きつける。ソラはグレイの体に異晶の光を集中させ、そのシステムを攪乱する。アデルの演算補助スキル『真理の導器(ロゴス・デバイス)』が、グレイの右脚のエラーポイントを正確に指し示した。《ターゲット・ロックオン:右脚接合部(脆弱性:高)》
「そこだ、リオス!」
アデルの冷静な声が響く。
リオスは、ミオとソラの連携、アデルの精密な指示を完璧に活かす。全身の異晶を大剣に集中させ、青白い光の刃を作り出す。「これが…俺たちの『本物』の力だ!」渾身の一撃を、グレイの右脚のエラーポイントに叩き込んだ。
リオスの刃がグレイの装甲を貫いた瞬間、グレイの巨体から激しい「歪み」のノイズが迸った。黒いオーラが霧散し、装甲の表面がひび割れていく。
「ぐっ…! 馬鹿な……この私が…痛…み!? なぜだ…感情なきはずの私が…」
グレイは苦痛に呻き、その存在は光の粒子となって虚空へと霧散した。ホールの重苦しい「歪み」が晴れ渡る。クリアになった視界に、《グレイを討伐しました!》の文字が浮かび上がった。
激しい戦いの後、リオスは荒い息を繰り返した。全身が鉛のように重い。だが、顔には確かな喜びが浮かんでいた。ソラが駆け寄り、治癒魔法を施す。ミオも安堵の息を吐き、双剣の刃についたデータ残骸を払い落とした。アデルはグレイの消滅データを確認し、静かに頷く。
「やったね、リオスさん……! みんなで、勝ったんだ……!」
ソラが瞳を潤ませながら、リオスの腕をそっと支える。
「へへっ、さすがリオスだね! やるときゃやるじゃん!」
ミオが屈託のない笑顔で、リオスの肩を軽く叩く。
リオスは仲間たちを見回した。彼らの瞳に宿る絆の輝きこそが、この「偽りの世界」で得た、かけがえのない「本物」だった。
しかし、戦いはまだ終わっていない。ホールの巨大モニターに映し出されたヴァイスの顔は、グレイが消滅した瞬間も、全く動じることのない無表情を保っていた。彼の瞳には、何の感情も宿しておらず、ただ冷徹な光が宿るばかり。
ヴァイスは、一切の言葉を発することなく、ゆっくりと手を上げた。次の瞬間、足元から地響きが起こり、これまで閉ざされていた巨大な扉が、重々しい音を立てて開かれ始めた。その奥からは、これまで感じたことのない、強大で、しかしどこか懐かしい「歪み」の波動が押し寄せてくる。それは、ヴァイス自身の支配領域へと通じる、システム的な結界の扉だった。
扉の向こうに現れたのは、白く、無機質なほどに整然とした通路だった。そして、その奥から、静かに、しかし確かな存在感を放ちながら、一体の存在が姿を現した。
それは、純白の衣を身に纏い、背には光り輝く巨大な翼を持つ、神聖な「天使」のようだった。だが、その姿は見る者の心を凍らせるほどに不気味だ。顔には表情を読み取れるパーツが一切なく、瞳の代わりに冷たい青白い光が規則的に明滅している。翼は金属の刃で構成され、手には常に微細な「歪み」の粒子を零す杖を握っていた。
その天使のような存在の登場と同時に、ホールのモニターに映るヴァイスの声が、静かに響き渡った。
「無駄だ。どのような感情を力に変えようと、所詮、貴様らは『バグ』。プログラムの外に存在する異常値に過ぎない。私は、すべての『歪み』を、そして感情という『ノイズ』を排除し、このエーテルニアを完璧なシステムへと再構築する。これは、私にとっての必然であり、計算された結果だ。」
ヴァイスの冷徹な言葉が、リオスたちの心を直接凍らせようとする。彼が送り出した新たな「完璧」な兵器――『純律の天使(ピュリティ・エンジェル)』――は、彼らの感情を、そして存在そのものを否定するかのようだった。
リオスたちは、一瞬、その不気味な「天使」の姿と、ヴァイスの感情を持たない声に、背筋が凍るような恐怖を覚えた。しかし、恐怖は一瞬だった。リオスは、自身の右腕に宿る異晶の温かな脈動を感じた。仲間たちとの絆が、その恐怖を打ち消すように、熱い力を再び全身に漲らせる。
「……ッ!」
リオスは唇を噛み締め、大剣を再び構え直した。その刃先が、不気味な天使を真っ直ぐに捉える。
「確かに、俺たちは『バグ』かもしれない。でも、その『ノイズ』が、お前の『完璧』をぶち壊す!」
叫ぶと同時に、リオスは地面を蹴りつけ、まっすぐに『純律の天使』へと斬りかかった。ミオが側面へ回り込み、ソラは回復魔法の詠唱を開始する。アデルは、天使の動きの法則性を探るように、その瞳を凝らしていた。彼の視界には、《純律の天使:攻撃パターン解析中…》の文字が表示される。
リオスの大剣は、青白い異晶のオーラをまとったまま、『純律の天使』の白い衣を裂くように振り下ろされたが、目に見えない壁に阻まれたかのように、不自然に空間が歪み、刃先が逸れた。《攻撃:無効》の表示。キィン、という耳障りな電子音がホールの冷たい空気を震わせる。
天使は、リオスの攻撃を受け流しながらも、表情を変えず、静かに杖を掲げた。杖の先端に光の球を形成し、そこから無数の細い光の糸が射出された。その光の糸は、ホールの壁や床に触れるとデータが崩壊し消滅する。
「ッ、避けろ! 『純律の天使』の攻撃は、物理的なダメージだけでなく、知覚システムそのものに『歪み』を与える!」
アデルの声が響くと同時に、光の糸の一本がリオスの頬を掠めた。皮膚が粟立ち、一瞬、視界が乱れるような感覚に襲われる。それは、物理的なダメージだけでなく、リオスの知覚そのものを「歪ませよう」とする攻撃だった。
しかし、リオスの瞳は、乱れる視界の奥で、確かな光を捉えていた。この「歪み」の攻撃…自分の右腕に宿る異晶の力もまた、システムの「歪み」を利用する能力だ。
「この『歪み』……相殺できる! 異晶スキル:歪み増幅(ディストーション・ブースト)!」
リオスは直感的に叫んだ。大剣を地面に突き刺すと、右腕の異晶を最大まで発動させた。腕から発せられる青白い光が、周囲の空間をまるで蜃気楼のように揺らがせる。彼の視界には、《スキル発動:歪み増幅》《周囲の歪みと共鳴開始》のメッセージが表示された。
天使の杖から放たれる光の糸が、リオスの全身を狙って殺到する。しかし、光の糸がリオスの身体に触れる直前、彼の周囲の空間がまるで鏡のようにヒビ割れ、天使の放った光の糸を寸分違わず弾き返した! 全身に痛みが走り、右腕の異晶が激しく脈動するが、その顔には、確かな手応えを感じた喜びが浮かんでいた。
リオスの反撃を受け、『純律の天使』の顔に、ごく微かな変化が起きた。瞳の明滅が不規則に揺らぎ、全身から電子音が響き渡る。純白の衣が波打ち、無数のワイヤーが伸長していく。背中の金属の刃でできた翼が、巨大な機械の腕に変形し、先端には鋭利な鉤爪が形成される。体中から太いケーブルのようなものが無数に伸び、異形の姿へと変貌した。その姿は、もはや「天使」とは呼べない、おぞましい「化け物」だった。
ホールの巨大モニターに映るヴァイスの口元が、冷酷な愉悦を含んだ笑みで吊り上がる。
「良い……。その『歪み』は、私が求める『データ』を生成する。貴様らの足掻きは、全てこのエーテルニアの糧となる。存分に苦しむがいい、異物よ」
天使の変貌とヴァイスの不気味な微笑みが、リオスたちをさらに追い詰める。変貌した『純律の天使』は、予測不能な猛攻を仕掛けてきた。巨大な鉤爪は空間をねじ曲げ、衝撃波がホールに響き渡る。
「くっ、速い! さっきよりも桁違いだ! 機動スキル:残像回避(アフターイメージ)!」
ミオが叫び、ワイヤーを切り裂くが、瞬時に再生し増えていく。リオスは空間の歪みを相殺しようとするが、光の糸による知覚の歪み、鉤爪による物理破壊、ワイヤーによる拘束が複雑に絡み合い、彼らを襲う。《状態異常:知覚ノイズ》《HP:危険》
「リオスさん、危ない! 治癒魔法(ヒール):範囲回復(エリア・ヒール)!」
ソラが治癒魔法を唱えるが、周囲の歪みで阻害される。
「なっ、魔法が…うまく展開できない! この歪みが邪魔してる…!」
天使の無数の瞳がアデルを捉え、彼の演算補助スキル『真理の導器(ロゴス・デバイス)』のモニターにノイズが走り、解析データが意味不明な記号へと変質し始めた。
「くそっ、情報が…処理できない! 奴の攻撃は、認識そのものを破壊しようとしている…!」
リオスは大剣で鉤爪の一撃を受け止めたが、衝撃で吹き飛ばされ、全身を激痛が貫く。右腕の異晶は限界を迎え、青白い光が不安定に明滅する。意識が朦朧とする。《異晶:オーバーロード寸前》の警告。ミオもワイヤーに絡めとられ、身動きが取れない。ソラも結界を張る間もない。
『純律の天使』は、不気味な機械の腕をゆっくりとリオスの頭上へと振り上げていく。
「これで…終わりか…?」
リオスの脳裏に、仲間たちの笑顔が駆け巡った。
その時、アデルの口から、掠れた声で、しかし明確な命令が発せられた。彼の視界には、狂乱するデータの中から、天使の「完璧な」形態変化と攻撃パターンの中に存在する、唯一の「予測外」の要素――ヴァイスが感情の否定を突き詰めた結果、逆に生み出してしまった、不完全な「感情の残滓」が解析されていた。
「…リオス! その…『歪み』を…自分自身に…集中させろ…! 今だ、ミオ! ワイヤーは無視しろ! ソラ、回復魔法は中断して、全員の感覚リンクを最大に! 『魂の共鳴(ソウル・レゾナンス)』で、意識と痛みを共有するんだ!」
アデルの的確な指示に、ミオは拘束を振りほどき、全身の力を集中させる。ソラは自身の異晶『魂の共鳴』の力を、リオス、ミオ、アデル自身に最大限に同調させた。《感覚リンク:最大化》《痛覚共有:オン》
「リオスさん、行きます! みんなで、一緒に!」
ソラの同調が、朦朧としていたリオスの意識をクリアにする。彼の脳裏に、アデルからの《ターゲット・ロックオン:天使左腕付け根(感情の残滓)》の指示が閃いた。
「アデル、信じるぞ!」
リオスは、痛みで震える右腕を自身の胸に向けた。先ほど天使の攻撃を相殺するために使った「歪み」の力が、彼の体全体を包み込み始める。それは、彼自身の存在に逆流させるかのような、危険な行為だった。《スキル:セルフ・ディストーション発動中》
リオスの身体を包み込んだ青白い「歪み」の光は、彼自身の存在を不安定にさせるかのように激しく明滅し始めた。想像を絶する激痛がリオスを襲うが、ソラの感覚リンクがその痛みを仲間たちと共有することで、リオスは意識を保つ。ミオもアデルも、歯を食いしばり、痛みに耐える。
「ぐっ……あああああああッ!」
リオスの叫びがホールに響き渡る。それは、苦痛だけではない、根源的な「変革」の叫びだった。『純律の天使』は、リオスの「歪み」に気を取られ、動きを止める。
「今だ、ミオ! 天使の左腕の瞳を狙え!」
アデルの冷静な声が響く。アデルの解析は、天使の動きの「予測外」のパターンを瞬時に読み解いていた。
ミオはワイヤーの拘束を振りほどき、高速移動の異晶が限界を超えて加速する。彼女の狙いは、アデルが示した、天使の左腕の付け根にある「瞳」――「感情の残滓」が最も強く現れる脆弱なポイントだった。
「うおおおおおっ! あんたの完璧、ぶっ壊してやる!」
ミオは叫び、双剣を逆手に構え、天使の左腕に肉薄する。《クリティカル・ヒット!》
その瞬間、リオスの全身を包んでいた「歪み」の光が、彼の右腕に集中した。剣術熟練度ERRORの紋様が複雑な光のパターンを描き、大剣の刃に吸い込まれていく。大剣は、青白い「歪み」そのもので構成された、異質な刃へと変貌した。
「これが…俺の…『剣術熟練度ERROR』の…真の力だ! 異晶スキル:崩壊剣(デストロイ・ブレード)!」
リオスは、天使の注意がミオに向いている隙を突き、地面を蹴った。全身の痛みを無視し、変貌した大剣を、天使の変形した右翼の付け根へと振り上げた。アデルの解析が示した、もう一つの「感情の残滓」のポイント。《ターゲット・ロックオン:天使右翼付け根(脆弱性:高)》
二つの「歪み」が、同時に、完璧なシステムであるはずの『純律の天使』の深層へと突き刺さる。
キィィィィィンッ!
ホール全体を揺るがすような、耳を劈く電子音が響き渡る。純粋なデータが、その根源から引き裂かれるかのような、異質な悲鳴だった。
『純律の天使』の全身から、激しい「歪み」の光が噴出した。白い衣は焼け焦げ、ワイヤーは千切れ飛び、金属の翼は不規則に崩壊していく。顔の仮面はひび割れ、その奥から、一瞬だけ人間の瞳のようなものが現れたかと思えば、すぐに光の粒子となって霧散した。
「ありえない……! この私に……『感情の残滓』だと……!? バグどもが…!」
天使の口から、驚愕と苦痛に満ちた「感情」を伴った声が漏れた。ヴァイスの「完璧な秩序」の象徴であったはずの天使が、彼ら自身の「感情」によって、その根源を揺るがされている。
天使の巨体が、ゆっくりと、しかし確実に崩れ落ちていく。その存在は虚空へと完全に消滅した。《純律の天使を討伐しました!》の表示が、リオスの視界を明るく照らした。
激しい光とノイズが収まった後、ホールには静寂が訪れた。リオスは、変貌した大剣を地面に突き刺し、荒い息を繰り返す。彼の右腕の異晶は、微かな光を放つのみで、その輝きは疲労を物語っていた。ミオも膝をつき、全身の疲労と異晶の反動に耐えていた。ソラが駆け寄り、懸命に治癒魔法を施し始める。
「やった……勝ったんだ……!」
ソラが安堵と喜びに声を震わせる。
「へへっ、さすがリオスだね! やるときゃやるじゃん!」
ミオが屈託のない笑顔で、リオスの肩を軽く叩く。
リオスは、仲間の顔を見回した。彼らの瞳には、恐怖も痛みも超えた、確かな絆の輝きがあった。この「不完全」な感情を持つ仲間たちとだからこそ、自分は「完璧」を目指すヴァイスに立ち向かえる。この「偽りの世界」で得た、かけがえのない「本物」の繋がりが、彼にとっての全てだった。
しかし、戦いはまだ終わっていない。ホールの巨大モニターに映し出されたヴァイスの顔は、グレイが消滅した瞬間も、『純律の天使』が消滅した瞬間も、全く動じることのない無表情を保っていた。彼の瞳には、何の感情も宿しておらず、ただ冷徹な光が宿るばかり。
ヴァイスは、一切の言葉を発することなく、ゆっくりと手を上げた。次の瞬間、足元から地響きが起こり、これまで閉ざされていた巨大な扉が、重々しい音を立てて開かれ始めた。その奥からは、これまで感じたことのない、強大で、しかしどこか懐かしい「歪み」の波動が押し寄せてくる。それは、ヴァイス自身の支配領域へと通じる、システム的な結界の扉だった。
リオスは、仲間たちと顔を見合わせた。彼らの顔には、疲労の色は濃いものの、瞳には確かな決意と、未来への希望が宿っていた。ヴァイスの動揺は、彼らが正しい道を歩んでいる証だった。
「行くぞ、みんな……。あいつに、決着をつけるんだ」
リオスは、最後の力を振り絞り、大剣を握り直した。開かれた扉の奥に、ヴァイスの真の姿、そして彼の支配の核心があると確信していた。
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