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第5話
さわやかな朝、またしてもやってきた王子様にコーヒーを出す。元婚約者と二人きりなんて、何を話せばいいかわからない。視線を彷徨わせていると、自分の指に光るそれに気がついた。
「あ、そうだ。僕王子にもらった指輪を返すのを忘れていました。はい、これ。婚約指輪、お返しします」
僕は左手の薬指にはめていた金色の細い指輪を指から引き抜こうとした。でもおかしいな、抜けない。
(あれ? なんで抜けないのかな。もしかして太った?)
やばい。それはありえる。平民に堕とされ追放されてここにやってきてからというもの、くる日もくる日もぐぅたらして過ごしていた。買い出し以外で動くことはほとんどない。
おまけに大好きなキッチンを好きに使えることが嬉しくて、ケーキやクレープやパイを焼いて、それを食べて……。そういえば鏡もろくに見ていない。
「レオン様、ごめんなさい。僕太ってしまったみたいで指輪が抜けません。う、嘘じゃないです。痩せてからお返ししてもいいですか?」
顔が焼きたてのパンケーキのように熱くなる。よりにもよって一度は好きになった相手にこんな話、恥ずかしすぎる。太るのは構わないけど指輪を外してから太ればよかった。これじゃあ未練タラタラで返したくなくて嘘をついているみたいだ。
「いや、返す必要はない。それはお前にやったものだ、そこに嵌めておけ」
「でも……」
返さなければ正式に婚約を解消することができない。王家の指輪はそれほど重要な意味を持つ。今日からダイエットしなければ。
夜ご飯は糖質を控えて、運動して、と計画を練っていると、レオンが意外なことを言った。
「指輪は太ったから抜けないのではない。それは魔法で王家の血を引くものにしか抜けないようになっている」
「そうだったんですね。じゃあ王子、抜いていただけますか? お菓子作りする時にこんな高価な指輪があると邪魔だし、傷つくと大変なので」
華奢なデザインの金の指輪にはリピアと呼ばれる最高級の宝石が付いている。これをもらった時には『王子と同じ目の色の宝石だぁ! この指輪、死ぬまで大切にするね。ううん、死んでも大事にする。お墓の中まで持ってってい~い?』と、はしゃいでいたっけ。(あの時も喜びのあまり魔力暴走して部屋を無茶苦茶にした覚えがある)
前世のお金でいえば何億という価値のある代物だ。婚約者だったころならともかく、平民になった今の僕には相応しくない。
いや、違う。そうじゃない。そもそもこれは最初から僕が嵌めていいような指輪じゃなかった。
見目麗しく頭も良く運動もでき上位魔法を使いこなす完璧な王子に、我儘放題で性格が悪くすぐに魔力暴走を起こす悪役令息は相応しくなかった。
だから捨てられた。
あの日、捨てられた理由がすとんと腑に落ちた瞬間、前世の記憶が居座ったおかげでなんとか抑え込めていたものが……今まで彼を想ってきた切ない気持ちとドロドロした他人への嫉妬心とフラれた絶望が、堰を切って溢れ出した。
いつもならこういう時は必ずと言っていいほど魔力暴走が起こるのだけど、今の僕には魔力がない。魔力を放出する代わりに、目からボロボロと涙が溢れ、頬を濡らした。
どうすればいい? このやるせない気持ちを。指輪があると、あの日、あの時のバカな恋心を思い出す。
レオンのことが好きで好きで、彼が手に入るのなら他には何もいらない。だからどうか僕をあなたのお嫁さんにして! と心の底から願ったあの時の自分を思い出してしまう。
婚約は解消され、ゲームはもう終わったのに。
もうこんなもの一秒だってつけていたくない! 指が痛むのも構わず指輪を引っ張ったけど、どうしたって抜けない。ぐいぐいとめり込む自分の爪で血が滲むけど、それだけだ。
(そうだ、なんなら指ごと切っちゃってもいい)
僕は切れ味の良い果物ナイフを取り出し、高く振り上げる。それを指に向けて振り下ろすのに躊躇いはなかった。
「なっ、やめろルジア!」
レオンが体当たりしてきて僕の体は吹っ飛ばされ床に倒れた。だけど、体は痛くない。彼がなぜか僕の体と床の間に入ってクッションの役割を果たしている。ナイフは遠くに滑っていった。
僕を抱きしめるように倒れた彼を見て、首を傾げる。なんで止めるんだろう。意味がわからない。
これは返すべきもの。主人公であるセリスのものだ。恋焦がれた蒼い色は永遠に僕のものにはならないと、わかっている。
「離してください。今指輪をお返ししますから」
彼の腕から抜け出そうともがくけれど、力の差がありすぎてどうにもならない。後ろから僕を抱えたまま、彼は無言で僕の左手をとった。爪で傷ついたそこに柔らかいものが押し当てられ、僕は目を瞠る。
「え?」
ちゅっと指輪にキスされ、そのままべっとりとついた血を舐めとられた。その衝撃で、僕の荒々しく高ぶった気持ちはピタリと収まる。
なんでレオンがそんなことをしたのかわからずまだ混乱している僕に向かって、彼は言う。
「指輪は嵌めておけ」
「いえ、僕にはもう必要ないものなので、持って帰ってください」
必要ない、という言葉に反応したのか、レオンのこめかみがピクリと動く。
「これは命令だ。宝石が傷ついたって構わない。ずっと、身につけておくんだ。頼むから、言うことを聞いてくれ、ルジア」
「……わかりました」
命令と言いながら懇願するような彼に負けて、ついに頷いた。どちらにせよ平民の僕に王子様の命令に逆らう力はないし、腕力でも敵わない。それにこれ以上言い争う気力も残っていなかった。
レオンはコーヒーを飲み終えると、また来ると言い残して帰っていった。
「もう来ないでいいけど」
初めてのキス(しかも舐められた)に高鳴る心臓が、やたらとうるさい。僕たちはとっくに終わった関係。ドキドキしたって、何にもならないのに。
(おいしいコーヒーを飲んで落ち着こう)
窓辺の特等席に座って熱いコーヒーをちびちびと飲みながら、そのままつけておくことになった蒼い指輪を眺めた。
「あ、そうだ。僕王子にもらった指輪を返すのを忘れていました。はい、これ。婚約指輪、お返しします」
僕は左手の薬指にはめていた金色の細い指輪を指から引き抜こうとした。でもおかしいな、抜けない。
(あれ? なんで抜けないのかな。もしかして太った?)
やばい。それはありえる。平民に堕とされ追放されてここにやってきてからというもの、くる日もくる日もぐぅたらして過ごしていた。買い出し以外で動くことはほとんどない。
おまけに大好きなキッチンを好きに使えることが嬉しくて、ケーキやクレープやパイを焼いて、それを食べて……。そういえば鏡もろくに見ていない。
「レオン様、ごめんなさい。僕太ってしまったみたいで指輪が抜けません。う、嘘じゃないです。痩せてからお返ししてもいいですか?」
顔が焼きたてのパンケーキのように熱くなる。よりにもよって一度は好きになった相手にこんな話、恥ずかしすぎる。太るのは構わないけど指輪を外してから太ればよかった。これじゃあ未練タラタラで返したくなくて嘘をついているみたいだ。
「いや、返す必要はない。それはお前にやったものだ、そこに嵌めておけ」
「でも……」
返さなければ正式に婚約を解消することができない。王家の指輪はそれほど重要な意味を持つ。今日からダイエットしなければ。
夜ご飯は糖質を控えて、運動して、と計画を練っていると、レオンが意外なことを言った。
「指輪は太ったから抜けないのではない。それは魔法で王家の血を引くものにしか抜けないようになっている」
「そうだったんですね。じゃあ王子、抜いていただけますか? お菓子作りする時にこんな高価な指輪があると邪魔だし、傷つくと大変なので」
華奢なデザインの金の指輪にはリピアと呼ばれる最高級の宝石が付いている。これをもらった時には『王子と同じ目の色の宝石だぁ! この指輪、死ぬまで大切にするね。ううん、死んでも大事にする。お墓の中まで持ってってい~い?』と、はしゃいでいたっけ。(あの時も喜びのあまり魔力暴走して部屋を無茶苦茶にした覚えがある)
前世のお金でいえば何億という価値のある代物だ。婚約者だったころならともかく、平民になった今の僕には相応しくない。
いや、違う。そうじゃない。そもそもこれは最初から僕が嵌めていいような指輪じゃなかった。
見目麗しく頭も良く運動もでき上位魔法を使いこなす完璧な王子に、我儘放題で性格が悪くすぐに魔力暴走を起こす悪役令息は相応しくなかった。
だから捨てられた。
あの日、捨てられた理由がすとんと腑に落ちた瞬間、前世の記憶が居座ったおかげでなんとか抑え込めていたものが……今まで彼を想ってきた切ない気持ちとドロドロした他人への嫉妬心とフラれた絶望が、堰を切って溢れ出した。
いつもならこういう時は必ずと言っていいほど魔力暴走が起こるのだけど、今の僕には魔力がない。魔力を放出する代わりに、目からボロボロと涙が溢れ、頬を濡らした。
どうすればいい? このやるせない気持ちを。指輪があると、あの日、あの時のバカな恋心を思い出す。
レオンのことが好きで好きで、彼が手に入るのなら他には何もいらない。だからどうか僕をあなたのお嫁さんにして! と心の底から願ったあの時の自分を思い出してしまう。
婚約は解消され、ゲームはもう終わったのに。
もうこんなもの一秒だってつけていたくない! 指が痛むのも構わず指輪を引っ張ったけど、どうしたって抜けない。ぐいぐいとめり込む自分の爪で血が滲むけど、それだけだ。
(そうだ、なんなら指ごと切っちゃってもいい)
僕は切れ味の良い果物ナイフを取り出し、高く振り上げる。それを指に向けて振り下ろすのに躊躇いはなかった。
「なっ、やめろルジア!」
レオンが体当たりしてきて僕の体は吹っ飛ばされ床に倒れた。だけど、体は痛くない。彼がなぜか僕の体と床の間に入ってクッションの役割を果たしている。ナイフは遠くに滑っていった。
僕を抱きしめるように倒れた彼を見て、首を傾げる。なんで止めるんだろう。意味がわからない。
これは返すべきもの。主人公であるセリスのものだ。恋焦がれた蒼い色は永遠に僕のものにはならないと、わかっている。
「離してください。今指輪をお返ししますから」
彼の腕から抜け出そうともがくけれど、力の差がありすぎてどうにもならない。後ろから僕を抱えたまま、彼は無言で僕の左手をとった。爪で傷ついたそこに柔らかいものが押し当てられ、僕は目を瞠る。
「え?」
ちゅっと指輪にキスされ、そのままべっとりとついた血を舐めとられた。その衝撃で、僕の荒々しく高ぶった気持ちはピタリと収まる。
なんでレオンがそんなことをしたのかわからずまだ混乱している僕に向かって、彼は言う。
「指輪は嵌めておけ」
「いえ、僕にはもう必要ないものなので、持って帰ってください」
必要ない、という言葉に反応したのか、レオンのこめかみがピクリと動く。
「これは命令だ。宝石が傷ついたって構わない。ずっと、身につけておくんだ。頼むから、言うことを聞いてくれ、ルジア」
「……わかりました」
命令と言いながら懇願するような彼に負けて、ついに頷いた。どちらにせよ平民の僕に王子様の命令に逆らう力はないし、腕力でも敵わない。それにこれ以上言い争う気力も残っていなかった。
レオンはコーヒーを飲み終えると、また来ると言い残して帰っていった。
「もう来ないでいいけど」
初めてのキス(しかも舐められた)に高鳴る心臓が、やたらとうるさい。僕たちはとっくに終わった関係。ドキドキしたって、何にもならないのに。
(おいしいコーヒーを飲んで落ち着こう)
窓辺の特等席に座って熱いコーヒーをちびちびと飲みながら、そのままつけておくことになった蒼い指輪を眺めた。
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