白衣とブラックチョコレート

宇佐田琴美

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出会いと別れ編

さよなら 1

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 それは、突然。あまりにも呆気なかった。







「真理亜さん、カルテのこの部分が分からなくて……これで良いんでしょうか?」

「ええ、良いと思うわ。随分成長したわね、雛子ちゃん」

「あ、ありがとうございます!」

 真理亜に微笑まれると、女の雛子でも思わずうっとりしてしまうほど美しい。

「清瀬ー。ちょっとこっちで一緒に褥瘡見てくれる?」

「清瀬さん、委員会の事なんだけど」

「真理亜さーん、薬液のダブルチェックお願いできませんか?」

「真理亜ちゃん、痛みが強いから薬貰えないかね?」

「はぁい。今行きます」

 真理亜は至る所から声を掛けられ、その度に嫌な顔どころかまるで女神様のような微笑みを湛え、鈴の音を転がすような声で返事をしている。

「はぁ……真理亜さん今日も綺麗だなぁ。勉強も出来て優しくて美人で……」

 思わず記録の手を止め真理亜を目で追う雛子に、二年目の原と水嶋が同調して頷いた。

「本当にねぇ。8Aが他の病棟から羨ましがられる数少ない良いとこポイントは真理亜さんと桜井さんがいる事なんだよねぇ」

「二人とも有能だしね。8Aに置いとくのは勿体ないって人事異動の話も出てるらしいけど、師長が必死で阻止してるみたいよ」

 スタッフも患者も関係なく皆から頼られる存在の真理亜に、雛子はいつも感嘆の溜息を漏らしている。

「みんな清瀬さんの何がそんなに良いんですかねぇ。私には一ミクロンも理解できないんですが」

 突如降って湧いた胡散臭い笑みの男に、それまで真理亜で癒されていた場の空気は一瞬にして凍り付く。

「た、鷹峯先生、お疲れ様です……」

「原さんと水嶋さんの記録は目が滑ってほんっと疲れるんですよねぇ。お疲れ様です」

「……」

 鷹峯は冷えた空気など意にも介さず、電子カルテで病棟マップを確認すると自分の担当患者の元へ行ってしまった。

「……んもぅ~~本当にやだ! 本っっっ当にやだ!」

「分かるよ……つい語彙力を失ってしまうレベルの嫌さだよあれは」

「はぁ……」

 やり場のない怒りに身悶える原と水嶋、そして鷹峯登場から気配を消していた真理亜は頬に手を当てて物憂げに溜息を吐く。

「ま、真理亜さん、気にしない方が良いですよ」

 雛子は慌てて真理亜の顔色を伺う。面と向かって悪意ある言葉を掛けられれば、誰だって傷つくに決まっている。

「そうですよ! ここだけの話、鷹峯先生ってたぶん真理亜さんの事が好きだと思うんですよね」

 水嶋が声を潜めてそう宣う。

「ええっ? ちょっと未来ちゃん、冗談はやめてよ、鳥肌立ったわ……」

 真理亜は心底嫌そうに自身の肩を抱いた。

「いや、それ有り得る。だって鷹峯先生の真理亜さんに対する態度、明らかにウチらとは違うもん!」
 
 嫌よ嫌よも好きのうちという事なのだろうか? 雛子は鷹峯の真理亜に対する当たりのキツさに疑問を抱く。

(鷹峯先生、実は結構良い人なんだけどなぁ?)

 


 その時、滅多に鳴る事のない緊急用ナースコールがステーションに響いた。


 スタッフに緊張が走り、一斉にナースコールモニターに目をやる。

「……! すぐに救急カートとモニター!! 翔太君のところ!!! 」

「はいっ……!!」

 雛子は泣きそうになるのを堪えてカートを翔太の部屋に運び入れた。

 入室禁止を言い渡されてから、二週間後の事だった。

「翔太っ! 翔太ぁっ!!」

 部屋では恭平が血塗れの翔太を抱え、母親が懸命に翔太に声を掛けていた。

「桜井、状況はっ!?」

「トイレに行こうと立ち上がりかけたところで吐血、レベル低下してます」

 リーダーの大沢が素早く状況を確認しながら主治医に連絡し、原がモニターを装着していく。雛子は震える手を懸命に動かし、救急カートから取り出した酸素を取り付ける。

「翔太っ……ねぇ、聞こえる……? 翔太っ……今お父さんと紫織を呼んだから……すぐ来るって言ってたから……」

 母親はベッドに横たわった翔太の耳元で話しかける。

「翔太……よく、よく頑張ったねぇ……本当に偉かったねぇ……あなたは自慢の息子よ……」

「……」

 何も答えずぼんやりと天井を見ている翔太の髪を撫で、まるで小さな子どもに話しかけるように囁いていた。





『翔太の方針だが、DNR(もしもの時は蘇生措置を取らないこと)に決まった』

 雛子がサブを外されてからすぐに、病棟カンファレンスで恭平と主治医から治療方針の決定が伝えられていた。

 両親の意向で翔太には余命のことは伝えず、これからはなるべく苦痛を減らす治療に切り替えると説明していた。

 それでも聡い少年だったから、本人はある程度自分の身体の事を分かっているだろうと恭平は語っていた。
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