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出会いと別れ編
インシデント 4
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切り替えると簡単に言うものの、その後は目も当てられない散々なものだった。
ペンを走らせれば床に落とし、ナースコールに対応すればカートにぶつかって派手な音を立てる。
「すみません!!」
今日の日勤スタッフは、一体何度雛子の謝罪を聞いたか分からないほどだった。
「あ~あ……雨ちゃん大丈夫かな? なんかめちゃくちゃ空回りしてるけど」
「桜井さんにガツンと言われたのがよっぽどショックだったんじゃない?」
「まぁ最近目に見えて色んな事に気が散ってるし……しょうがないよ」
ステーションでは雛子を後目にヒソヒソと先輩スタッフが言葉を交わしていた。
カクテルパーティ効果。こういう言葉は、何故だかはっきりと聞こえてしまうものだ。すでにあらかたのケアは終えラウンドも済ませたところだが、雛子は記録を後回しにして翔太の病室へ向かう。
この雰囲気の中でパソコンに向かっても、とても集中出来そうになかったからだ。
「ごめんね、あまりゆっくり来られなくて」
病室のドアを軽くノックし、雛子は部屋の中へ入る。部屋の主は頭まで毛布を被って横になっており、雛子の声に少しだけ身動ぎをした。
「体調どう? 今日は微熱もあるし、しんどいかな?」
我ながら分かりきった質問だ。
入職したての頃、患者との会話は雑談ではなく、全てが情報収集であると教えられた。患者が話す事全ては療養上に必要な情報であり、医療者の質問ももちろんその上で行われるべきだと。
とはいえ、実際にそれを実行するのは難しい。
「……別にいいよ。担当だからって用もないのに来なくて」
案の定、体調の悪い翔太は不機嫌そうな目を毛布の隙間から覗かせていた。
「あ、用はあるよ! 一応もう一回熱を測ろうと思ったの」
「……」
雛子が差し出した体温計を、翔太は無言のまま緩慢な動作で受け取って脇に挟む。
測定を知らせる電子音が鳴るまでが、いつもより長く感じる。
「……今日はミスしまくって桜井さんにもたくさん怒られててさぁ。参っちゃうよね」
沈黙がもたらす居心地の悪さに、思わず口が滑ってしまった。職場内の愚痴を入院患者に、それも未成年の翔太に言うべきではなかったとすぐに後悔する。
しかし飛び出した言葉は今更引っ込められない。雛子はすぐさま話題を変える。
「辛かったら氷枕持ってこようか? 冷やすだけでも少しはすっきり……」
「いらない」
食い気味に断られ、再び沈黙が訪れる。次に繋げる糸口が見つからず押し黙った雛子に、翔太から深い溜息が漏れる。
「……あのさ、恭平さんに怒られた? それで不貞腐れて、ステーションにいるのが嫌でここに来たわけ?」
「ち、ちがっ……」
心臓がドキリとした。
もちろん翔太の様子が気になっていた事に違いはないが、半分は彼の指摘通りだったからだ。
動揺を見せた雛子を、翔太は見逃さなかった。
「なぁ……良いよな、そうやって嫌な事から逃げられるお前はさ」
翔太は吐き捨てるようにそう言った。
「ミスしたってさ、こうやって俺と話して仕事してるフリすりゃ先輩からの心象も良くなんだろ?」
「そんな事ないよ……」
翔太は続ける。
「俺みたいな死にかけの子どもの担当になって、正直面倒くさいだろ?」
「……そんな事思ってない」
(耐えろ……耐えるんだ……相手は患者だ……)
雛子は固く拳を握る。
「……お前は違うかと思ってたけど。やっぱり他の奴らと一緒か」
再び聞こえる深い溜息。
「やっぱりお前も、俺の事腫れ物に触るように扱うんだな……俺が末期患者だからってさ」
「っ……!」
咄嗟に否定する事が出来なかった。『耐えろ』と自分に命令していた時点で、翔太の言う通りだ。
「何で年下の俺にここまで言われてキレないわけ? そんなのおかしいだろ?」
「それはっ……」
(あなたが、患者だから)
指摘された事を認めるのが怖くて、口に出す事ができない。
(何でなの私……? 篠原さんには言い返した事もあったのに……)
以前、舞に口答えした事を思い出す。それと同じ事を、何故だか翔太にはする事が出来ない。
それは翔太の言う通り、紛れもなく彼が『末期患者』という位置付けにいるからなのかもしれない。
「……」
「……チッ」
何も喋らなくなった雛子に、翔太は悔しそうに舌打ちをして体温計を投げつけた。
「……良いから、もう出てけよ……」
それっきり、翔太は背中を向けたまま喋らなくなった。雛子もまた、言葉を発する事が出来ないまま逃げるようにして病室をあとにした。
ペンを走らせれば床に落とし、ナースコールに対応すればカートにぶつかって派手な音を立てる。
「すみません!!」
今日の日勤スタッフは、一体何度雛子の謝罪を聞いたか分からないほどだった。
「あ~あ……雨ちゃん大丈夫かな? なんかめちゃくちゃ空回りしてるけど」
「桜井さんにガツンと言われたのがよっぽどショックだったんじゃない?」
「まぁ最近目に見えて色んな事に気が散ってるし……しょうがないよ」
ステーションでは雛子を後目にヒソヒソと先輩スタッフが言葉を交わしていた。
カクテルパーティ効果。こういう言葉は、何故だかはっきりと聞こえてしまうものだ。すでにあらかたのケアは終えラウンドも済ませたところだが、雛子は記録を後回しにして翔太の病室へ向かう。
この雰囲気の中でパソコンに向かっても、とても集中出来そうになかったからだ。
「ごめんね、あまりゆっくり来られなくて」
病室のドアを軽くノックし、雛子は部屋の中へ入る。部屋の主は頭まで毛布を被って横になっており、雛子の声に少しだけ身動ぎをした。
「体調どう? 今日は微熱もあるし、しんどいかな?」
我ながら分かりきった質問だ。
入職したての頃、患者との会話は雑談ではなく、全てが情報収集であると教えられた。患者が話す事全ては療養上に必要な情報であり、医療者の質問ももちろんその上で行われるべきだと。
とはいえ、実際にそれを実行するのは難しい。
「……別にいいよ。担当だからって用もないのに来なくて」
案の定、体調の悪い翔太は不機嫌そうな目を毛布の隙間から覗かせていた。
「あ、用はあるよ! 一応もう一回熱を測ろうと思ったの」
「……」
雛子が差し出した体温計を、翔太は無言のまま緩慢な動作で受け取って脇に挟む。
測定を知らせる電子音が鳴るまでが、いつもより長く感じる。
「……今日はミスしまくって桜井さんにもたくさん怒られててさぁ。参っちゃうよね」
沈黙がもたらす居心地の悪さに、思わず口が滑ってしまった。職場内の愚痴を入院患者に、それも未成年の翔太に言うべきではなかったとすぐに後悔する。
しかし飛び出した言葉は今更引っ込められない。雛子はすぐさま話題を変える。
「辛かったら氷枕持ってこようか? 冷やすだけでも少しはすっきり……」
「いらない」
食い気味に断られ、再び沈黙が訪れる。次に繋げる糸口が見つからず押し黙った雛子に、翔太から深い溜息が漏れる。
「……あのさ、恭平さんに怒られた? それで不貞腐れて、ステーションにいるのが嫌でここに来たわけ?」
「ち、ちがっ……」
心臓がドキリとした。
もちろん翔太の様子が気になっていた事に違いはないが、半分は彼の指摘通りだったからだ。
動揺を見せた雛子を、翔太は見逃さなかった。
「なぁ……良いよな、そうやって嫌な事から逃げられるお前はさ」
翔太は吐き捨てるようにそう言った。
「ミスしたってさ、こうやって俺と話して仕事してるフリすりゃ先輩からの心象も良くなんだろ?」
「そんな事ないよ……」
翔太は続ける。
「俺みたいな死にかけの子どもの担当になって、正直面倒くさいだろ?」
「……そんな事思ってない」
(耐えろ……耐えるんだ……相手は患者だ……)
雛子は固く拳を握る。
「……お前は違うかと思ってたけど。やっぱり他の奴らと一緒か」
再び聞こえる深い溜息。
「やっぱりお前も、俺の事腫れ物に触るように扱うんだな……俺が末期患者だからってさ」
「っ……!」
咄嗟に否定する事が出来なかった。『耐えろ』と自分に命令していた時点で、翔太の言う通りだ。
「何で年下の俺にここまで言われてキレないわけ? そんなのおかしいだろ?」
「それはっ……」
(あなたが、患者だから)
指摘された事を認めるのが怖くて、口に出す事ができない。
(何でなの私……? 篠原さんには言い返した事もあったのに……)
以前、舞に口答えした事を思い出す。それと同じ事を、何故だか翔太にはする事が出来ない。
それは翔太の言う通り、紛れもなく彼が『末期患者』という位置付けにいるからなのかもしれない。
「……」
「……チッ」
何も喋らなくなった雛子に、翔太は悔しそうに舌打ちをして体温計を投げつけた。
「……良いから、もう出てけよ……」
それっきり、翔太は背中を向けたまま喋らなくなった。雛子もまた、言葉を発する事が出来ないまま逃げるようにして病室をあとにした。
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