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第5章 罪の記憶

19 結界

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夢の時間が終わったのだと自覚すれば、必死に思い出さないようにしていたおぼろげだった今までの記憶が勝手に蘇ってくる。
魔族の姿を晒したオーレンの腕の中で、俺はぼんやりと涙をこぼした。

「泣くくらいなら連行すれば良かったのではないですか、人間の一人くらい。今から引き返して取りに戻りますか?」

自分から願って全ての人間の記憶からセオを消滅させた俺は、神力の使い過ぎで力尽きた。
何かの魔道具で抵抗したらしく、オーレンの記憶を消すことはできなかった。
それからは背中から黒い羽根を生やしたオーレンに抱き上げられて、紫色の夜空を飛んでいる。

この身体は魔臓なんてものがあるくせに魔王の時よりもかなりひ弱で、神力の行使には耐えられないのだ。
魔界は禍々しい魔力に満ちているが、無理をした身体はその内に死ぬだろう。いや、それよりも魔王の呪いで魔族になるのが先か。

「ま、ぞく…?それは…ぃやだな…」
「魔王様は魔族がお嫌いだから、城から出てしまわれたのですか?」
「…」
「そうですか…」

オーレンは傷ついただろうか。けれどその表情を確認する力ももうなかった。
オーレンは紺色だった目を赤茶色に戻して、痩せ型だった体も羽毛で覆われ、背中に羽根が生え、異様な逆三角形をした屈強なロイズバリド人…魔族そのものの体つきになっていた。

「…オ…レンも…、ころ…され…」
「本望ですね。我らを生み出したる魔王様とこうしてお近づきになれたのですから」

本望。
これと同じことをアークに言って怒鳴られたことがあったなと思い出す。誰かに妄執されて命を捧げられるというのは、気持ちのいいことではなかったなと反省した。
止めどなく涙がこぼれる。

「ご心配なさらずとも、五百年前にあなたが封じられてからは、魔族もめっきり数が減りましてね。寄ると触ると殺し合うので、今は魔族も小さなコロニーを点在させる程度になりましたよ」

そうか。やはりかつてのあの魔族たちは、殺し合いを続けていたのか。

「そぅ…」
「あなたが封じられた年の戦闘が一番酷かったと聞いています。私はまだ生まれていませんでしたが」
「…」
「はあ…本当に伝承の通り、不安材料ばかりですね、あなたは」




かつての神国ワイフィア聖城を、オーレンはロイズバリド魔王城と呼んだ。

魔族の羽根でロスディアから何日かほど飛んだのに、一度も魔物に襲われることはなかった。それも魔道具なのかと思ったが、わざわざ尋ねることはしなかった。
ロイズバリド魔王城は、暗闇と紫色の呪いの光に不気味に浮き上がっていた。
その内部に造られた、朽ちてなお荘厳な大聖堂。

昔よりも少なくなった屈強なロイズバリド人たち。その全てが、出会う前からオーレンに傅いて顔を伏せていた。
闇に閉ざされた広い礼拝堂を通り抜け、今は亡き神官たちの居室が並ぶ廊下を渡り、奥の階段を登る。

二階の聖堂のガラス張りの扉を出ると、外のテラスには、神に封じられた魔王…かつての俺がいた。




記憶よりも薄っすらとした虹色の神力で囲われた檻が天に伸びている。その中には、少し成長したのか、二十歳くらいに見える青白い顔をした性別不明の人形が浮かんでいた。
色褪せた金髪だけが不気味なほどに伸びきって、石畳の上に溜まっている。
オーレンは封じられて五百年と言っていたが、五百年分の髪なら少ない方か。

「美しい…」

脱力した俺を横抱きに抱えながらも、オーレンは思わずといった様子で呟いた。
俺は朦朧とする意識の中で、オーレンを嘲笑った。

何が美しいものか。
呪いと穢れを撒き散らし、死にもしない、この世界の猛毒だ。

「魔王様、どうかお身体にお戻りを。あなた様のお力で、滅びゆくこの世界とロイズバリドをお守りください」
「せかぃ…?なぜ…?」

ロイズバリドは滅びる運命ではあろうが、世界が滅びるとはどういうことだろうか。

オーレンは赤茶色の瞳で、俺を愛おしそうに見下ろして微笑んだ。
その瞳が怖くて、ヒクリと息を呑む。

「我らは魔王様のお力で長い命と強靭な体を授かりました。しかしあなた様のお力は神の力。この世界の力なのです。このまま魔族が、魔物が無用に殺し合えば、神力は尽き、神は滅び、世界は二度と命を抱けぬ不毛の地となる。どうかお身体にお戻りになり、かつての願いを取り消してください。そして再びこの地に、神の恩恵を齎してくださるよう、私と共に、祈ってください」

「取り…消す…?そんなこと、できるの…?」
「魔界の一角が浄化されたように、その力を神にお返しすればいいのです」
「なぜ、そんな…神が…自分で…」

自分の神力で世界を混沌に陥れたのに、その神力については未だわからないことだらけだった。
そもそも俺は神と会ったことすらない。
一方的に産み落とされ、捨てられ、怒られて、封じられただけだ。

「神は、あなたと同じだからですよ」
「同じ…?俺と…?」

オーレンは黒い羽毛に覆われた大きな手で、虹色の光の檻を愛おしそうに撫でた。

「哀しみと怨嗟の絶えないこの世界に、神は何とか希望を齎そうとした。そうして生み出されたのが、あなた様なのです。しかしその時に神力のほとんどを注ぎ込んでしまった。神はもう自らで奇跡を行使できる神力はほとんど残っていなかったのです」

「オーレン。お前は…神の声を…?」
「はい。神は悔いておられました。あなたに愛をお与えになれなかったことを」
「愛…」

「あなたがお望みになるのなら、私はいくらでもあなたを愛します。あなたをお迎えするために、私は生まれたのですから」
「オーレンが…?」
「はい」
「そう…」

オーレンが語る神は、確かに神力に振り回される俺と、同じような境遇にあるようにも思えた。
まるであの時雷鳴のようにしかりつけてきた存在とは別物のように。

しかし神に頼まれて与えられる愛というものは、酷く空虚に響いた。
きっとその愛とやらは、取り戻した記憶の中で出会ったナリスやジュリアスたちのような、自分を神子と称して傅く信徒たちの、一方的な信仰のことなのだろう。




オーレンから神の言葉を聞いた俺は、そのまま自分の身体に戻るように願った。

そうすれば、呆気ないほどにすんなりとセオの身体から魂が抜け、魔王の身体に戻っていった。

薄っすらと光る虹の檻の中で目を開けると、抜け殻のセオの身体を抱いたオーレンが、歓喜に震えたように涙を流して見上げていた。

俺は祈った。
あの丘の青空を。
優しく歌う鳥たちの歌を。
命に寄り添う大地の息吹を。
力なくも逞しく生きる人々の生活を。

そして、セオの家族や、魔導士たちの平穏を。


何より、アークの幸せを。


その時、五百年に渡り世界を隔てていた結界が消滅した。






「アーク管理官!また来たぞ!」

ヤルスの言葉に振り返ると、またもや魔物の群れが躍り出てきた。

すっかり変貌した境界門付近の魔界の様子を確認した俺は、装備を長期潜伏のものに整え直し、再び魔界に来ていた。

初めは総合司令部と特務管理部から調査隊を組織しようとしたが、フィリップとヘルシエフが名乗りを上げた。結局その二人とヤルスを含めた四人で、魔界の様子を探ることとなったのたが。

「げえ!?」
「ヘルシエフ!少し下がって!」
「『雷よ』!」

俺が同時に三本の雷を落とすと、全身赤い肌の大猫の魔物…ドーガルムが、飛びかかる勢いのまま、ドサドサと力尽きて緑の草原に転がり落ちていった。

「『旋風斬』!!」

視界の端ではヤルスが次々と大きなネズミ型のビスレトを魔剣で薙ぎ払っている。

「アーク!やっぱ四人じゃこれ以上は無理だよ!」
「では君だけ戻りなさい!まだ来ます!」
「げええ~!」

槍を振り回す医療官のヘルシエフは戦闘には不向きだが、失った記憶が不気味すぎると無理を押して調査隊に志願したのだ。
フィリップは魔法技術に長けた養成官だが、それでも腕力や体力の方に問題があった。

遠征三日目。
俺たちは緑の草原地帯から、境界門のようにくっきりと分かれた暗黒の森へ踏み込めずにいた。
俺もヤルスも範囲魔法を連発したが、魔力の回復が間に合わない。
境界の奥は魔物の数が多過ぎるのだ。それは俺が数年前に魔界に入った時の状況よりも、さらに悪化していた。

俺はヤルスと視線を交わして、一旦撤退することにした。
この先に進んでも、相変わらず魔界が広がるだけだろう。記憶の術者やオーレンがその先にいる保証もない。
やはり一度ロスディアまで戻って、エストバールの調査を命じた特務調査員と合流すべきだ。
仕込み杖でグラスモを撲殺しながらそう判断した時だった。


眩い虹色に輝く巨大な光の壁が、魔界の奥から突如として押し寄せてきたのだ。


その手前では半狂乱になって飛び回り、光に呑まれて溶けていく魔物たちが見えた。

「ヤルス!あれは何だ!?」
「わからん!ともかく逃げるぞ!!」

ヤルスはヘルシエフの襟首を掴むと自分の飛竜に放り投げ、ほぼ同時に自分も乗り込み飛び立った。
俺もフィリップを援護しながら飛竜を駆る。
ヘルシエフの飛竜は空のまま慌てて俺たちを追ってきた。

しかし虹の光はそれよりも素早く、次々と魔界を光の壁に閉じ込めてゆく。
すぐ背後に迫る光に、ヤルスが叫んだ。

「呑まれるぞ!祈れ!」

「あぁ~神さまお恨み申し上げます僕は可愛いお嫁さんが欲しかったできれば僕より小さくて素直で健気な幼妻…」
「思い残すことはありません…!私を救い育ててくださったコドル師父と魔導士会に感謝を」
「神よ…!創世の神ヘルネシウスよ…今一度我らに祝福を与え給え…!」

ヘルシエフが勝手な恨み言を宣い、フィリップが震える声で恩人に感謝を呟き、ヤルスは生真面目に祈りを捧げた。

俺は。

胸から下げた小さな指輪を、シャツの上から握りしめた。

「…セオ」

この気分は一体何だ。
今まさに正体不明の魔力に襲われている危機よりも、魔導士会に記憶操作の術者が潜入した恐ろしさよりも、十日前からずっと胸を締め付けている言い知れぬ焦燥感と虚無感で、押し潰されそうになる。


「セオ…!」


セオ・リズレイ。

名前しかわからないその存在に、俺はただ、無性に会いたかった。

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