闇の王

塔ノ沢渓一

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紅血族

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 王家の騎士団は雰囲気に呑まれたのか、一言も言葉を発しなくなった。
 モルガンの余裕はまるで戦闘力が見えているかのような、絶対的な優越を確信している者のそれである。
 確かに、どんなに弱く見積もってもエルマンの5倍は強いのだから、人間一人の力をそのくらいに見積もるのもわからなくはない。

 問題なのは、俺がエルマンの側についたとしても、王家の騎士団が向こうにつけば戦力差はさして変わらないというところである。
 王家の騎士ですら、狂王のふざけた言動には批判的な態度だった。
 しかし、だからと言ってエルマンの側に肩入れするとも思えない。
 いや、そうじゃない。そんなことは考えるまでもない。

 騎士が誓いを破ることなどありえないことなのだ。
 仕える意思もなく命など掛けられるものではないし、こいつらなら冒険者としても安定してやっていけるのだ。
 騎士の誓いをなんとも思ってないのなら、こんな狂王などとうに見捨てて、どこかに雲隠れするに決まってる。
 ここに居る騎士は、こんな狂王でも仕えるだけの理由があるとみるべきだ。

 そんな可能性を探している時点で、俺の頭は回っていない。
 ここは静かに事を治める以外の道などありはしない。
 戦ったところで勝ち目などないのだ。
 だが、すでにモルガンは血液の杭を何本も創り出して体の周りに浮かべている。
 あれは何の魔法だなどと騒いでいる連中がいるが、俺から見れば血界魔法で戦闘態勢を整えたことは明らかだった。

 とにかくエルマンに手を出させてはまずい。
 しかし、エルマンに引くような気配は微塵もなく、すでに背中から昆虫の足に鉤爪が付いた例の妖魔を生やし、戦闘態勢を整えている。
 どうすべきか腹の決まらない俺を、エリオットとヘンリエッタがしがみつく様にして抑えにかかった。
 二人は表情で必死に、この場で動けば皆殺しになると訴えてくる。

 その様子を見て、まさかエルマンはこの場で死ぬ気なのかと、察しの悪い俺でもやっと理解した。

「愚かな人間め。己の無力さを呪いながら死ね」

 先に動いたのはモルガンだった。
 顔には笑みを浮かべて勝利を確信し、浮かべた血液の杭に魔力をみなぎらせている。
 ここでエルマンが、いつか俺との戦いで見せた騎乗妖魔を呼び出せば、周りに実害が出て引くにひけなくなってしまう。
 広いホールとはいえ、エルマンの周りからは人が引ききっていないのだ。

 俺はエルマンを守るように奈落を呼び出した。
 この状況なら俺が呼び出したとはバレにくいはずだ。
 その奈落に向かって、モルガンが血液の杭を撃ちだす。
 撃ち出してすぐ、大きな炸裂音が響いて奈落に大穴が開いた。

 ぶつかったところから衝撃波でも広がっているのか、まるではじけ飛んだように穴が裂け広がっている。
 三発も受けたところで、奈落は実態を維持できずに掻き消えた。
 残りの二本も同じようにかき消されながらも、なんとかモルガンが空中に創り出していた血液の杭は全て受けきった。

 モルガンは驚いたような表情で周りを見回している。
 さすがにエルマンが呼び出したものではないとバレてしまっただろうか。
 しかし、魔力の動きを追う術でもなければ、俺がやったとは絶対にわからないはずである。
 その時、モルガンに生れた一瞬の隙をエルマンは見逃さなかった。
 背中に生えた鉤爪付きの足で地面を蹴り、まるで蜘蛛のように滑らかな動きで距離を詰めると、モルガンに向けて槍を振り下ろす。

 その槍をモルガンは素手で受け止めると、血液の刃をエルマンの胴体に向けて放った。
 素手というよりも粘土のように重さと粘度を増した血液によって受けたのだろうが、周りの目には素手で受けたようにしか見えない。
 エルマンは鉤爪の付いた昆虫の腕でそれを受けたが、何本も切り飛ばされて派手に吹き飛ばされた。
 吹き飛ばされたエルマンは、何人かの観衆を巻き込みながら壁際まで転がされる。

 悲鳴と喧騒がホールに広がった。
 こうなってしまっては、もう穏便に済ますことは不可能だ。
 あんな短時間で作り出した血液の刃でさえも、エルマンを吹き飛ばすだけの膂力が宿っている。
 この一撃で力の差は明らかであろう。
 エルマンには万が一にも勝ち目はない。

 それは誰の目にも明らかなのに、エルマンは背中に残っていた昆虫の腕を引き抜きながら立ち上がった。
 その目に宿す闘志は微塵も失われてはいない。
 エルマンは足元から冠鳥を呼び出すと、それに跨って一直線にモルガンを目指した。
 突っ込みながら、エルマンは崩壊の魔法を発動させる。
 モルガンは血界魔法の特性からか、危機意識が欠けていたのだろう。

 正面からエルマンの魔法を受けて、一瞬で顔が真っ赤に染まった。
 視界を失って焦ったのか、モルガンは針のように細い血液の杭を足元から周囲に向かって隙間もないほどに伸ばす。
 その攻撃の巻き添えを受けた者たちの悲鳴が上がる。
 その間にもエルマンは、広間全体を揺るがすような掛け声とともに距離を詰める。

 槍の攻撃がモルガンに通用するとも思えないが、骨を斬り離せば、いくら紅血族とてそう簡単に治せはしない。
 王家の騎士団が雰囲気に呑まれている今なら、誰にも邪魔されずにモルガンに一撃を入れることが可能だ。
 エルマンは冠鳥を盾にして突っ込むつもりなのか、まったく速度を落とさずにモルガンへと肉薄した。

 今なら視界を奪われたモルガンに、その攻撃をかわす術はないはずだった。
 モルガンは真っ赤な傘を広げるように、血液で盾とも壁ともつかないものを自分の前に創り出している。
 しかし、そんなものがエルマンに通用するはずもない。
 その盾をかわして攻撃を当てることくらいエルマンにとって訳もないことだろうと考える俺の前で、エルマンは急に方向を変えてモルガンの横を通り過ぎた。

 俺の位置からは、そのまま方向を少しだけ変えた冠鳥ごと、エルマンが壁に突っ込んだように見えた。
 血飛沫が舞い、何が起きたのか理解が追い付かない俺の前で、壁際の柱が一つ崩れ落ちた。
 そこで俺は、ついさっきまで陛下と呼ばれていた物の上半身が宙を舞っているのを見た。
 エルマンが使う槍の刃は十字になっており、その幅は優に人間の胴回りよりも長い。

 広間は一瞬だけ静寂に包まれ、国王の上半身がどさりと地面に落ちる音とともに混乱が広がった。
 壁気に激突した衝撃で冠鳥は消え去り、頭から血を流したエルマンが瓦礫を押しのけながら立ち上がる。

「打ち取ったり」

 と言って、エルマンは槍を頭上に掲げた。
 誰も何も言わない。
 王家の騎士団でさえ理解が追い付かないのか、言葉を失っている。
 当初の予定は狂王の暗殺だったことを俺は思い出した。
 だからこれで俺たちは目的を果たしたことになるのではないだろうか。

 静まり返ったホールの中でただ一人、怪我を治し終えたモルガンがゆらりと立ち上がった。
 エルマンは、崩壊の魔法により失ったモルガンの視力が戻るとは考えていないだろう。
 俺はもう一度奈落を呼び出してモルガンの体に巻きつかせる。
 ぐるぐる巻きにして、 そのまま握り潰せるほどの力を込めると、奈落の隙間から真っ赤な血液が水鉄砲のように勢い良く飛び出した。

 その血液の塊はエルマンにまとわりつくと、血飛沫を飛ばしながら不快な音を立て始める。
 あまりにも一瞬の出来事で、そうなってしまってからではもう俺にさえどうする事もできなかった。
 狂王は暗殺し、すべて終わったはずなのに、目の前の血の塊からはゴリゴリと骨の砕かれる音が響き渡る。
 おびただしい量の血が地面に広がり、もはや俺の神代魔法でも手遅れなのは明らかだった。

 俺はエルマンのあまりにも呆気ない幕引きに背筋が凍る。
 今日は人が死ぬのを見過ぎている。
 それでも人となりを知る者の死は、受け入れがたい感情を俺にもたらした。
 骨片が地面に転がり、赤の塊はモルガンの姿へと変わる。

「くそっ、人間風情がッ!!」

 体中に肉片を引っ付けながら、モルガンがそう吐き捨てた
 そして宙に浮かび上がると、何らかの妖魔を発生させる。
 モルガンが発生させた黒い霧のように見える何かは、蠅のような昆虫の群れだった。
 その黒いうごめきを見て、ルイスが何かの妖魔の名を叫んだ。
 その名前の意味を理解したのはエリオットだけのように見えた。

 黒い虫にたかられ、俺は慌てて口と鼻を両手で押さえる。
 口を鼻を押さえるのが遅れて、口の中に羽虫が一匹入り込んでしまった。
 羽が濡れた羽虫は飛べなくなって喉の奥に張り付いた。
 喉の異物感を吐き出そうと頑張っていたら息苦しくなってきて、俺は我慢できずに息を吸い込んだ。

 同時に羽虫が大量に口の中に入り込んできて、口の中が不快な感触に襲われる。
 なぜか口の中に入り込んだ羽虫は、灰のような感触のものに変わった。
 あまりの苦しさに吐き出そうとするが、何匹か確実に胃の中まで入り込まれてしまった。
 地面に転がって懸命に吐こうとしたが、毒なのかなんなのか異物感の周りにしびれるような感覚が広がっている。

 焦りで無駄に酸素を消費し、小さな羽虫が顔の周りに取り付いて息を吸うこともできない。
 地面を這いずるようにして呼吸できそうな場所を探すが、虫の方が追いかけてくるからそれすらも不可能だ。
 その時、ふっと視界が揺れたような気がして顔を上げると、いつの間にか虫はいなくなっていた。
 広間にはシャンデリアから眩いばかりの光があふれている。

 その景色を綺麗だなと思った瞬間、とてつもない恐怖に襲われて身がすくんだ。
 ふと視線を動かすと、隣に立っているローレルとアリシアの顔に、悪魔のようなおぞましい笑顔が重なって見えた気がした。
 いたいけな表情の裏にそんなものを隠していたのだとわかり逃げ出そうとするが地面を蹴ることができない。
 味方はいなかったのだと悟り、逃げ場のない恐怖に発狂しそうになる。

 体中から汗が噴き出してきて、目を開いているのさえ怖い。
 突然、心臓のあたりに痛みが走った。
 自分の体を見下ろすと、鎧の隙間から短剣の先が引き抜かれるところだった。
 俺に短剣を刺したのはエリオットだ。
 自分の体から噴き出す血液を眺めながら、自分もエルマンを殺した紅血族の一部だったんだ、という考えが沸き起こった。

 流れ出る血液を見ていたら、次第に頭が冷静さを取り戻すような感覚があった。
 目の前で苦しそうに表情をゆがめるエリオットが息を吸い込んだような気がした。
 飛び交う羽虫たちは消えてなどいなかった。
 いくらかその数は減らしているが、まだそこら中を飛び回っている。
 その時、俺はいつか誰かから聞かされた言葉を思い出す。

 それは、幻覚を見ている時、それが現実以外のものであるとは絶対に気が付かないものであるという言葉だった。
 エリオットに短剣で切り裂かれたのは幻ではない。
 べつに血中濃度をさげようと思ったわけではなかった。
 ただエリオットの意思を引き継がなくてはと思って、俺は自分の体の中から血液を流すため、傷口に手を突っ込んで開いたのだ。

 周りではローレルやアリシアが不安そうにオロオロしている。
 大丈夫かと声をかけたら、二人とも天をつんざくような悲鳴を上げて倒れ込んだ。
 おそらく、さっきまで俺が見ていたような幻覚を見ているのだろう。
 何を言ったとしても、彼女たちは今見ているものが幻覚だと知る術はない。
 誰も俺のように新しく血液を作り出して血中濃度を下げるなんて芸当は出来ないのだ。

 すでにエリオットもルイスも地面に倒れて、正気のない目で虚空を見つめている。
 ヘンリエッタやナタリヤも床に膝をついて何事かを呟いている。
 周りを見回せば、立っているのは俺だけになっていた。

「くそッ、せっかくの計画が台無しだ! おや、お前はなぜ立っていられるんだ」

 俺を見つけたモルガンがそんなことを言う。
 俺は立っているものがいなくなった広間を見渡し、魔法の炎で周りに漂う蟲を焼き殺した。
 さすがに倒れた者の顔に取り付いている虫は焼くことが出来ない。

「あの妖魔を呼び出して邪魔していたのはお前か。どうやったか知らないが、私の妖魔まで防ぐとはな。しかし、お前ひとり残ったところで意味はない」
「意味はある。なるほど。この羽虫で恐怖を与えて国王を操っていたのか。だけど、王家の騎士にまで攻撃を向けたのは失敗だったな」

 確かに国王はただの狂人というよりも、なにか恐怖に駆られた病人という印象だった。

「馬鹿が。お前のような小物が何をほざいている。状況がわかったところで何になるのだ。すでにこの国を支配しているのは私だぞ。頭が高いと知れ。そうだ、ひとつ面白いものを見せてやろう。せめて死に顔で私を楽しませるがいい。兵士たちは顔を上げよ! こいつを撃ち殺せ!」

 宙に浮いたモルガンの一声で、二階に隠されていた兵士が一斉に立ち上がり、俺に銃を向けて構える。
 そして、何のためらいもなく引き金が一斉に引かれた。
 しかし撃鉄の落ちる音がむなしく広間に響き渡っただけだった。
 発火の術式が組まれた機構は動作していない。
 それを見てモルガンが首をかしげる。

「俺に銃なんか無駄だよ」

 それはそうだろう。
 火の大精霊を操る俺の前で、俺の許可なく発火の魔術など発動するはずもない。
 俺は両の手のひらを合わせて無限を発動し、空になった魔力を満たした。
 二度も奈落を呼び出し、さらに大量の血を創り出して、精霊の力まで大規模に行使した俺はすっかり魔力を使い果たしていた。

「ここじゃ戦いにくいから外に出ろ。お前だって、ここにいる奴らを殺したくはないんだろ」

 俺は精一杯のはったりを込めてそう言った。
 こいつの魔法には流れ弾でも人を即死させるだけの力がある。
 モルガンが君主たちを利用する気でいるのはまず間違いないから、俺の提案には乗ってくるはずだ。
 俺は腰に吊るっていた魔導体で出来た短剣を引き抜いて、わざとモルガンに見せる。

 だが、モルガンは魔導体で出来たナイフを見せられても恐れたような様子がなかった。
 ただ怒りのこもった形相で俺を見ているだけで、その奥にある余裕は変わらない。
 真祖血界魔法には魔導体など効かないのか、それともブラフか。
 もしくは今までに一度も魔導体に触れた経験がないのか。
 なんだか切り札を否定されたようで、俺の中の自信が崩れそうだ。

 さっきまでの動きを見るに、こいつの血界魔法には重機なみの力がある。
 そんなものにちっぽけなナイフ一本で立ち向かおうとしている自分が、酷く滑稽なもののように感じられた。
 今の俺は本当にしらふなんだろうか。

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