彼らはニアズ・マリアーノ・マティアスを英雄だと思っている 〜悪役貴族に転生したが、なぜか誰も見捨ててくれない〜

小林一咲

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 ニアズ・マリアーノ・マティアスは、朝から嫌な予感しかしなかった。

「……絶対、今日は何か起きる」

 根拠はない。だが、この世界に来てからというもの、嫌な予感だけは外さない。

 窓の外を見ると、空は妙に明るい。雲は多いが、光の差し方が不自然だ。

(虹、出るなよ……)

 そう願いながら、ニアズは部屋を出た。

 廊下を歩いていると、やけに慌ただしい。

 使用人たちが小走りで行き交い、騎士見習いたちが何やら集まって話し込んでいる。

「……何だ?」

 ニアズが声をかけると、全員が一斉に振り向いた。

「ニアズ様!」

 声が揃った。

(やめろ)

「何が起きてる?」

 一瞬の沈黙。

 そして、誰かが慎重に口を開いた。

「……街で、小さな騒ぎが」

「詳細は?」

「倉庫街で、揉め事が……武装した男たちが」

 ニアズは、反射的に言った。

「騎士団に任せろ」

 至極真っ当な判断だ。

 だが。

「……!」

 なぜか、周囲がざわついた。

「ニアズ様は……」

「騎士団が動く前に、我々で抑えろ、と……?」

(言ってない)

 ニアズは、即座に訂正しようとした。

「違う、俺は——」

 だが、その声は聞き流された。

「なるほど……時間稼ぎですね」

「騎士団到着まで、被害を最小限に……!」

「さすがです……」

(さすがじゃない)

 ニアズは、胃が痛くなるのを感じた。

「……俺は、行かないぞ」

 はっきり言った。

 これは重要だ。逃げる意思表示だ。

 しかし。

「もちろんです!」

 レオンが即答した。

「ニアズ様が前線に出るなど、考えられません!」

(それは正しい)

「後方で全体を見ていただくだけで……!」

(それは違う)

 だが、もう流れは止まらなかった。

 気づけば、ニアズはなぜか現場に向かう一行の中心にいた。

「……おかしい……」

 倉庫街は、確かに騒がしかった。

 数人の荒くれ者が、商人と揉めている。武器も持っているが、訓練された様子はない。

(完全に騎士団案件だろ……)

 ニアズは、距離を取って様子を見る。

 すると、背後で小声が聞こえた。

「……ニアズ様、どう見ます?」

「……軽率に踏み込むな」

 適当に言った。

 すると。

「やはり……誘い出すつもりはない、と」

「相手の出方を見極める……!」

(違う)

 荒くれ者の一人が、こちらに気づいた。

「……あ?」

 視線が、ニアズに向く。

 周囲が、一瞬で緊張した。

(やめろ、見るな)

 だが、その男は訝しげに首を傾げた。

「……なんだ、ガキじゃねぇか」

 ニアズは、心底ほっとした。

(よし、舐められた)

 これは理想的だ。

 だが、背後が違った。

「……ニアズ様が、あえて前に出て……」

「挑発している……?」

(してない)

 荒くれ者が、吐き捨てるように言った。

「チッ、貴族かよ」

 そして。

「おい、撤収だ。面倒なのが来る前にな」

(え?)

 男たちは、あっさり引いた。

 騒ぎは、終わった。

 完全に。

 沈黙。

 そして。

「……さすがです」

 誰かが、呟いた。

(何がだ)

「戦わずして、退かせた……」

「被害ゼロ……」

(俺、立ってただけだぞ)

 ニアズは、呆然と立ち尽くした。

 何もしていない。
 命令もしていない。
 策もない。

 ただ、そこにいただけだ。

 だが結果だけ見れば、最善だった。

(最悪だ……)

 その瞬間。

 空が、きらりと光った。

「……っ」

 誰かが空を指差す。

「虹……?」

 雲の隙間から、ほんの一瞬、色が差した。

 ニアズの中で、何かが軋む。

(来るな……!)

 だが、虹はすぐに消えた。

 何も起きない。

 ……はずだった。

「……今のは……」

 レオンが、確信に満ちた声で言う。

「ニアズ様の覚悟が、世界に応えたのでは……」

 屋敷に戻る道すがら。

 ニアズは、一人で呟いた。

「……英雄って、何なんだ……」

 弱い。
 何もしていない。
 逃げたい。

 それなのに。

 世界だけが、彼を英雄だと思っている。

 そしてそれは、もう後戻りできない段階に入りつつあった。

◇◆◇◆

 倉庫街の小競り合いは、あまりにも静かに終わった。

 血は流れていない。
 建物も壊れていない。
 怪我人もいない。

 それにもかかわらず、情報の伝播速度だけは異様に早かった。

「聞いたか?」

「何がだ」

「マティアス家の若様が出てきて、揉め事を収めたらしい」

 街の酒場。
 昼間から人の集まる場所では、すでに話題になっていた。

「剣も抜かずに?」

「ああ。相手が勝手に引いたって」

「意味わからんな」

「でも事実だ。倉庫街の連中が言ってる」

 噂は、尾ひれをつけない。
 むしろ、淡々としている。

 それが逆に、真実味を帯びさせていた。

 そしてその情報は、街の守りを担う者たちの耳にも届く。

 王都第七騎士団・詰所。

「……報告は以上です」

 若い団員の報告を受け、団長代理は顎に手を当てた。

「マティアス家の……ニアズ、だったな?」

「はい。現場に居合わせただけで、命令も介入もなし」

「だが、武装した者たちは撤退した」

「はい」

 団長代理は、しばし黙考した。

「……妙だな」

「私もそう思います」

 報告した団員は、正直に言った。

「威圧感があったわけでもない。ただ、立っていたと」

「立っていただけ、か」

「はい」

 詰所内に、沈黙が落ちる。

 しばらくして、団長代理は言った。

「記録に残せ」

「どのように?」

「事実だけだ。余計な評価は不要」

 だが。

 事実だけでも、十分すぎた。

 ――マティアス家当主の息子が現場に姿を見せた直後、騒乱は沈静化。

 それは、文章として並ぶと、どうしても意味を持ってしまう。

 一方その頃。

 マティアス家の屋敷では、微妙な空気が漂っていた。

「騎士団から、照会が来ています」

 執事の報告に、ニアズは顔をしかめた。

「照会?」

「はい。昨日の件について、事実確認を」

「……事実しかないだろ」

「ええ。その通りでございます」

 問題は、事実しかないことだった。

 執事は、慎重に言葉を選ぶ。

「ニアズ様が“何もしなかった”という事実が」

「?」

「非常に、扱いづらいのです」

 ニアズは、意味がわからないという顔をした。

「何もしなかったなら、それでいいだろ」

「普通は、そうなのですが」

 執事は、遠回しに言った。

「何もしなかった結果、最良の結末になった場合……」

「……」

「周囲は、理由を探します」

 その日の夕方。

 ニアズは、騎士団詰所へ呼び出された。

 公式なものではない。
 あくまで「顔合わせ」という名目だ。

「……行かないって言えなかったのか」

「残念ながら」

 執事は即答した。

「既に、向こうが“配慮”している状態です」

「配慮?」

「正式な事情聴取ではなく、雑談という形で」

 ニアズは、嫌な予感しかしなかった。

 詰所は、思ったよりも落ち着いた雰囲気だった。

 団長代理は、温和な人物だった。

「堅苦しい場ではない。楽にしてくれ」

「……はあ」

「昨日の件だが」

 団長代理は、単刀直入に言った。

「君は、何を考えて現場に立っていた?」

「何も考えていない」

 即答だった。

 一瞬、空気が止まる。

 だが団長代理は、頷いた。

「なるほど」

「……?」

「余計な判断をしなかった、と」

「いや、だから……」

「若いのに、冷静だ」

 ニアズは、それ以上何も言わなかった。

 言えば言うほど、ズレる気がしたからだ。

 結果として。

 騎士団は、ニアズを「要注意人物」に分類した。

 危険人物ではない。
 問題人物でもない。

 だが。

 判断を誤らせない人物。
 場の流れを変える存在。

 そういう枠に。

 その夜。

 屋敷に戻ったニアズは、疲れ切っていた。

 何もしていないのに、神経だけが削られていく。

 窓の外を見る。

 雲の向こうで、光が揺れている。

 虹は、まだ出ない。

 だが。

 世界の方が、先に準備を終えつつあった。

 ニアズ・マリアーノ・マティアスという存在を、
 「英雄候補」として扱う準備を。

 本人の意思とは、無関係に。
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