顔面最強、戦力最弱男は今日も戦わず逃げ出したい〜容姿に全振りした僕が、なぜか最強扱いされています〜

小林一咲

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第1話 血煙の戦場で、彼は立っていた

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 敗北の匂いが、戦場を満たしていた。
 
 鉄と血、焼け落ちる木材、魔法が焦がした地面。それらが混ざり合った空気を吸い込むたび、肺が軋む。

「第三小隊、左翼を捨てなさい! 負傷者を優先、後退――!」

 叫んだ直後、喉の奥に血の味が広がった。
 私は副団長、マルタ・オシュデ・トゥルスリエ。
 ……否。もう、その肩書きに意味はない。

 団長は、先ほど戦死した。

 魔族の放った重魔法が直撃し、あの人は城壁と共に消えた。
 遺体すら、見つかっていない。

 指揮系統は崩れ、乙女騎士団は瓦解寸前だった。

「副団長! 敵騎兵が――!」

「分かっています!」

 振り返った瞬間、視界が白く弾けた。
 衝撃。地面に叩きつけられ、肺の空気が一気に抜ける。

 立ち上がろうとして、気づいた。
 左脚が、動かない。

 ……折れている。

 それでも剣を支えに立ち上がり、私は歯を食いしばった。

 負ける。
 このままでは、ダブリン公国は――。

 その時だった。

 撤退路を確認するため、炎と煙の向こうへ視線を向けた、次の瞬間。

 私は、見てしまった。

 ――彼を。

 瓦礫の散乱する通りの中央。
 血に濡れた兵士たちが逃げ惑う中で。

 ただ一人、立っている男。

 剣も持たず、鎧も着ていない。
 戦場に似つかわしくない、あまりにも整った顔立ち。

 炎を背にした逆光の中で、
 彼は、微動だにせず、そこにいた。

 ……なぜ?

 なぜ、この地獄の真ん中で、あの人は立っている?

 逃げない。
 叫ばない。
 祈りもしない。

 まるで――
 この結末を、最初から知っていたかのように。

 胸の奥が、ざわついた。

 ありえない。
 そんなはずはない。

 けれど。

 団長を失い、希望を失い、仲間たちの目から光が消えかけていたこの瞬間に。

 私は、確かに“何か”を見てしまった。

 ――この人なら。

 根拠など、なかった。
 理屈も、証拠も。

 ただ、直感だけが叫んでいた。

 この人は、前に立つために、ここにいる。

「……っ!」

 気づけば、私は剣を地面に突き立てていた。
 砕けた石畳に膝をつき、頭を垂れる。

 自分でも、何をしているのか分からなかった。

 それでも、言葉は自然と口をついて出た。

「乙女騎士団副団長、マルタ・オシュデ・トゥルスリエ」

 声が、震えないように。

「この命――あなたに、お預けします」

 ざわり、と周囲の空気が変わった。

 視線が、私に集まる。
 そして、次に――彼へ。

「……え?」

 彼は、明らかに動揺していた。
 困惑し、怯えたように、目を見開いている。

 ――怒りを抑えている。
 私は、そう解釈した。

 あまりにも理不尽な戦場に。
 あまりにも無惨な現実に。

 だから、この人は――静かに立っているのだと。

「副団長が跪いた……?」

 魔法師団長イリナが、低く呟く。

「合理的、ですね。今この場で、象徴が必要です」

 理屈で、補強されていく。

「主が決まった」

 重装歩兵団長アダライスが、盾を鳴らした。

 ……止まらない。

 私は分かっていた。
 今さら、引き返せないことを。

 彼が、必死に口を開く。

「ち、違っ……僕は……」

 その声は、戦場の轟音にかき消されかけた。

 代わりに、はっきりと届いたのは、次の言葉だった。

「……死なないで。
 無理は、しないでほしい」

 その瞬間。

 胸の奥が、熱くなった。

 ああ、そうか。
 この人は――。

 私たちを、見ている。

 勝利よりも、命を。
 栄光よりも、生還を。

「……団長」

 私は、そう呼んでいた。

「ご命令を」

 彼は、泣きそうな顔で、ただ一度、頷いた。

 それで十分だった。

 ――乙女騎士団は、まだ終わらない。

 この人が、前にいる限り。




 おかしい。

 撤退戦のはずだった。
 死に物狂いで生き延びるだけの、防戦一方の戦いのはずだった。

 それなのに――。

「押し返している……?」

 誰かが、呆然と呟いた。

 私も、同じ気持ちだった。

 乙女騎士団は、確かに前進している。
 数刻前まで瓦解寸前だった隊列が、今は整い、盾が噛み合い、剣が迷いなく振るわれている。

 理由は、分かっていた。
 分かりたくなくても、否定しようがなくても。

 ――団長だ。

 ロイク・リュエット。
 あの人は、戦っていない。

 剣を振るわず、魔法を放たず、命令すらほとんど出していない。
 ただ、後方の少し高い瓦礫の上に立ち、戦場を見ているだけだ。

 それだけなのに。

「……見られてる」

 前線の騎士が、呟いた。

 敵ではない。
 恐怖でもない。

 ――団長に。

 剣を振るうたび、盾で受け止めるたび、
 誰もが一瞬だけ、視線を後方へ向ける。

 そして、あの人を見る。

 血と煙に染まった戦場の中で、
 あまりにも場違いなほど整った顔。

 乱れぬ姿勢。
 不安げなのに、どこか優しい眼差し。

 ……気づいていないのだろう。
 自分が、どんな顔で見られているのかを。

「……見苦しい戦いは、したくない」

 誰かが、そう呟いた。

 別の誰かが、続ける。

「団長の前だぞ」

 それは、命令でも規律でもなかった。

 ただの――だ。

 あの人に、情けない姿を見せたくない。
 あの人に、誇れる戦いを見せたい。

 たった、それだけ。

 それだけの理由で、
 人は、ここまで強くなれるのか。

 信じられなかった。

「……っ!」

 私の前で、若い騎士が敵の剣を弾き返す。
 動きが、速い。
 いや――迷いが、ない。

 普段なら、守りに入る場面だ。
 それを、彼女は踏み込んだ。

 なぜか。

 答えは、単純だった。

 彼女の視線の先に、団長がいたからだ。

 ロイク・リュエットは、こちらを見ていた。
 心配そうに。
 祈るように。

 ……それだけで。

 剣が、軽くなる。

 恐怖が、遠のく。

「……団長」

 私は、小さく呟いた。

 あなたは、何もしていない。
 本当に、何も。

 けれど――。

 あなたの存在そのものが、
 この戦場を変えている。

 敵兵が、怯み始めているのが分かる。

「なんだ、あの後ろの男は……」

「将か? なぜ前に出ない……」

 彼らには理解できないのだろう。
 前に出ない指揮官が、なぜここまで兵を奮い立たせるのか。

 理解できるはずがない。

 あれは、戦術でも魔法でもない。

 ――感情だ。

 誰かに、見られたい。
 誰かに、認められたい。

 そして、できるなら――褒められたい。

 それだけの想いが、剣を強くし、足を前へ進ませている。

 私は、はっきりと悟った。

 この人は、前に立って戦う者ではない。

 人を、戦わせてしまう存在だ。

 ……それが、どれほど恐ろしいことか。

 ロイク・リュエットは、まだ知らない。

 自分が、どれほど罪深い容姿をしているのかを。
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