顔面最強、戦力最弱男は今日も戦わず逃げ出したい〜容姿に全振りした僕が、なぜか最強扱いされています〜

小林一咲

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第6話 紅の便箋

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 団長室の机に並べられた書類は、正直なところ、どれも似たような顔をしていた。補給、訓練計画、駐屯地の修繕要望。文字を追っても頭に残らず、指で紙の端をなぞっては、また最初に戻る。その繰り返しだった。

 僕は団長という椅子に座っているが、こういう仕事に向いているとは思えない。向いていないから逃げたい、というより、どう正解を出せばいいのか分からない。間違えたら誰かが困る、あるいは傷つく。その責任だけが、じわじわと重くのしかかってくる。

 扉をノックする音がして、顔を上げた。

 副団長のマルタが入ってきた。いつもと同じ制服、同じ姿勢。ただ、視線がいつもより硬い。

「団長。少し、お時間を」

「どうぞ」

 答えながら、胸の奥が落ち着かなくなるのを感じた。彼女がこういう顔をする時は、たいてい厄介な話だ。

「本日、来客があります」

「来客?」

「私の婚約者です」

 一瞬、言葉の意味を考えるのに時間がかかった。婚約者。そういえば、そういう話は聞いたことがあった気がする。貴族同士の取り決めで、本人の意思とは関係なく決まった縁談だとか。

「……ここに?」

「ええ。正式な挨拶、という形になります」

 胸の中で、小さくため息が漏れた。自分が原因でないことは分かっている。それでも、嫌な予感しかしなかった。

「分かりました。失礼のないようにします」

 そう言うと、マルタは一瞬だけ視線を伏せた。

「……団長。もし、何か不快なことがあっても、あまりお気になさらないでください」

 その言い方が、すでに不快なことが起きる前提だった。

 昼過ぎ、団長室に通された男は、整った身なりをしていた。背筋は伸び、動きに無駄がない。いかにも貴族、という雰囲気だ。

「初めまして。ケリス・H・ラズダンと申します」

「ロイクです。乙女騎士団の団長を務めています」

 握手を交わした瞬間、分かった。彼は僕を好いていない。理由は分からないが、確信だけはあった。

 彼の視線は、礼儀正しく僕を見ているようで、どこか測るようだった。値踏み、と言った方が近い。

「若いと聞いていましたが……想像以上ですね」

 それが褒め言葉なのかどうか、判断に困る。

「よく言われます」

 正直に答えると、彼は小さく笑った。

「失礼。ですが、乙女騎士団という歴史ある組織を率いるには、相応の力量が求められるでしょう。剣はお強いのですか」

 来た。こういう話になるとは思っていた。

「いえ。ほとんど振れません」

 間を置かずに答えると、彼の眉がわずかに動いた。

「では、戦場での功績は?」

「……あまり、実感がなくて」

 自分でも情けない答えだと思う。でも、嘘はつけない。

 沈黙が落ちた。重たい沈黙だった。

 その間に、彼の中で何かが整理されたのが、表情で分かった。納得、と言うより、結論を出した顔だった。

「なるほど」

 その一言には、明確な評価が含まれていた。低い評価だ。

 横に立つマルタが、少しだけ身じろぎした。

「団長は、剣の強さでこの立場にいるわけではありません」

 彼女の声は、いつもより硬かった。

「存じています。知略と名声、そして象徴性。そういったものも、時には力になる」

 彼は丁寧な口調のまま、僕を見た。

「ですが、それは非常に不安定な力です」

 反論すべきなのかもしれない。でも、何を言えばいいのか分からなかった。彼の言っていることは、ある意味では正しい。少なくとも、間違いだと切り捨てられるほど単純ではない。

 マルタが一歩前に出た。

「団長は、戦わずに戦局を変えました」

「それは偶然ですか? それとも再現性のある手腕ですか?」

 二人の会話は、僕を置き去りにして進んでいく。まるで、僕自身の価値を議論しているみたいだった。

 ケリスの視線が、再び僕に戻る。

「あなたは、自分がどれほど危うい立場にいるか、自覚していますか」

「……危うい?」

「好かれすぎている。称えられすぎている。それは、いつか必ず反動を生む」

 その言葉は忠告の形をしていたが、響きは冷たかった。

 場が解散したあと、廊下で彼と二人きりになる時間があった。意図したものではない。ただ、偶然だ。

「正直に言いましょう」

 彼は足を止め、振り返った。

「私は、あなたを団長として認めていません」

 胸が少しだけ、痛んだ。でも驚きはなかった。

「あなたは退くべきだ。乙女騎士団のためにも、そして……マルタのためにも」

 その名前が出た瞬間、分かった。この人は、騎士団のことなど本気では考えていない。

「僕は、争うつもりはありません」

 そう言うと、彼は薄く笑った。

「それが問題なのです。あなたは、戦わずに人を動かしてしまう。無自覚に」

 それ以上、彼は何も言わずに去っていった。

 団長室に戻ると、マルタが待っていた。

「……すみません」

 彼女が謝る理由はない。それでも、そう言わずにはいられない顔だった。

「大丈夫ですか」

「大丈夫では、ありません」

 即答だった。

「ですが、私は逃げません」

 その言葉は、強かった。副団長としてではなく、一人の人間として。

 僕は椅子に腰を下ろし、息を吐いた。

 敵意は、確かに存在している。しかもそれは、剣や軍勢ではなく、感情と立場で向けられるものだ。

 正直に言えば、怖い。

 でも、目を逸らせない。

 団長という席に座っている以上、逃げることは許されないのだと、ようやく理解し始めていた。

 それが、僕の選んだわけではないとしても。



 机に戻った直後、書類の束の中に一通だけ、質の違うものが混じっているのに気づいた。封は赤く、簡潔で、嫌なほど要点だけを突いている。開いた瞬間、胸の奥が冷えた。

 ヒガケー海付近で、魔物の大量発生。沿岸警備隊では対応が追いつかず、被害が拡大する恐れあり。

 文字を追うたびに、さっきまで頭を占めていた個人的な感情が、音を立てて押し流されていく。これは噂でも、政治的な駆け引きでもない。人が死ぬ。放っておけば、確実に。

 マルタが地図を広げ、淡々と状況を説明する。交易路、漁村、港。どれも、この国にとって欠かせない場所だった。僕は椅子に深く座り直す。団長としての判断を迫られている、とようやく実感した。

 そこへ、王城からの使者が来た。形式ばった言葉で、公王からの召喚を告げられる。討伐の正式依頼だという。

 逃げ場はなかった。けれど、不思議と迷いはなかった。

 僕は一度だけ息を整え、マルタを見る。

「……行きましょう」

 それは命令というより、覚悟の確認だった。マルタは短くうなずき、副団長の顔に戻る。

 内輪の問題に目を向けている暇は、もうない。団長として、やるべきことが目の前に来てしまったのだから。
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