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第3話 逃亡失敗
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夜だった。
村の明かりが一つ、また一つと消えていく中、僕は音を立てないように息を殺し、宿の裏口からそっと外へ出た。
「……今なら、まだ」
誰に言うでもなく、そう呟く。
領主がどうとか、英雄がどうとか、そんな話に巻き込まれて碌なことになった試しがない。ここは異世界だ。常識も価値観も違う。下手をすれば、面倒な役目を押し付けられるか、利用されるか、その両方だ。
どちらにしても、スローライフとは程遠い。
だから、逃げる。
必要最低限の荷物だけを背負い、村の外れへ向かう。夜風が冷たく、草原は昼間とは別の顔を見せていた。虫の音がやけに大きく聞こえる。
――あと少しで、村の外だ。
「……ゼン殿」
「うわっ!?」
心臓が跳ね上がった。
振り向くと、そこに立っていたのは村長だった。ランプを手に、困ったような、どこか納得したような表情でこちらを見ている。
「やっぱり、行こうとしておったか」
「……その、えっと」
言い訳を考えたが、どれも薄っぺらく感じて、口に出せなかった。
村長は怒るでもなく、静かに首を振った。
「夜は危険だ。この辺りはな、昼と夜でまるで違う顔を見せる」
「でも……」
「英雄であろうと、だ」
その言葉に、反論はできなかった。
「ワイバーンだけじゃない。夜行性の魔物も多い。明かりもない中を一人で歩くのは、自殺行為に近い」
正論だった。
悔しいほどに。
「出るなら、せめて明日の朝にしなさい。誰も止めはせん」
しばらく黙ったまま、僕は足元を見つめた。
今無理に出て、魔物に遭遇し、戦う羽目になったら?
それこそ本末転倒だ。
「……わかりました」
渋々そう答えると、村長はほっとしたように微笑んだ。
「それでいい。今夜は、しっかり休みなさい」
こうして、僕の逃亡計画は一晩で頓挫した。
――翌朝。
「きゃはは!」
「こっちだよー!」
元気な子どもたちの声で、僕は目を覚ました。
「……ん?」
窓から差し込む光が、やけに眩しい。
慌てて起き上がり、外を見る。
「……え、もうこんな時間?」
太陽はすでにかなり高い位置にあった。どうやら、思っていた以上に深く眠ってしまったらしい。
「しまった……朝一で出るつもりだったのに……」
頭を抱えつつ、服を整えて外へ出る。
村は、いつも通りの朝を迎えていた。畑に向かう人々、走り回る子どもたち、昨日の騒動が嘘のような穏やかさ。
それが逆に、不安を煽る。
井戸の前で桶を借り、冷たい水で顔を洗った。
「……よし」
頭が冴えてくる。
ステータスを確認するが、変化はない。レベル999のまま。少しだけ、胸を撫で下ろした。
その時だった。
――ドドドドッ。
地面を揺らす、規則正しい音。
「……まさか」
嫌な予感と共に顔を上げると、村の入り口から、鎧に身を包んだ一団が姿を現した。
昨日の兵士たちとは、明らかに違う。
統率の取れた動き。揃った装備。胸元に刻まれた紋章。
村人たちも、それを見て空気を変えた。
「りょ、領騎士団……」
誰かが小さく呟く。
一団は村の中央で止まり、その中の一人が前に出た。
「――我ら、ホランダー領騎士団である」
低く、よく通る声。
騎士は周囲を一瞥し、やがて僕の方を見据えた。
「英雄ゼン殿。領主様がお呼びだ」
「……ですよねー」
思わず、乾いた声が出た。
断れる雰囲気ではない。
というか、断る選択肢が存在しない。
「事情は、後ほど邸で説明される。同行願おう」
「……わかりました」
こうなることは、予想していた。
していたはずなのに、実際に突きつけられると、胃の辺りがきりきりと痛む。
準備のために一度宿へ戻ろうとすると、村長が近づいてきた。
「ゼン殿」
「はい?」
村長は、ためらうように一瞬視線を逸らし、それから僕の手を取った。
「これは……ワイバーンのお礼だ」
手のひらに、冷たい感触。
見下ろすと、そこには金貨が四枚、きっちりと重なっていた。
「え、ちょっ……多すぎます!」
「村の総意だ」
即座に言い切られる。
「あなたのおかげで、村は救われた。この程度で済むと思わんでほしい」
「でも……」
「受け取ってくれ。それで、少しでも気が楽になるのなら」
……ずるい。
そんな言い方をされたら、断れるわけがない。
「……ありがとうございます」
金貨を懐にしまうと、村長は満足そうに頷いた。
こうして僕は、村人たちに見送られながら、領騎士団と共に村を後にした。
子どもたちの憧れの眼差しが、やけに胸に刺さる。
「……これ、本当に表彰だけで済むのかな」
馬に挟まれながら、前方を見つめる。
領主邸のある街は、まだ見えない。
ただ一つ確かなのは――。
僕の目指す静かなスローライフが、また一歩、遠ざかったということだけだった。
◆
領騎士団に挟まれる形で進む道は、思っていたよりもずっと整備されていた。
踏み固められた街道。ところどころに立つ道標。道の脇には、魔物避けなのだろうか、見慣れない紋様が刻まれた杭が一定間隔で打ち込まれている。
「……ちゃんとした領地だな」
思わず、そんな感想が漏れた。
村の周辺は、良くも悪くも素朴だった。人の手は入っているが、自然と隣り合わせで、少し気を抜けば魔物が顔を出す。そんな場所だ。
それに比べて、この街道は“守られている”という印象が強い。
「この先が、ホランダーの街です」
前を行く騎士の一人が、振り返ってそう言った。
やがて視界が開け、遠くに石造りの城壁が見えてくる。想像していたよりも高く、そして広い。
「……でか」
素直な感想だった。
村の柵とは、比べ物にならない。これなら、並の魔物では近づくことすらできないだろう。
「商業と冒険者の街でして」
騎士は歩きながら説明してくれる。
「この領は、周囲に魔物が多い反面、資源にも恵まれております。魔物素材、鉱石、薬草……それらを求め、多くの冒険者や商人が集まるのです」
「なるほど……」
だから、城壁がしっかりしているのか。
門をくぐると、景色は一変した。
人、人、人。
行き交う人々の数が、村とは段違いだ。露店が並び、威勢のいい呼び声が飛び交う。鎧姿の冒険者、商人風の男、家族連れ、そして明らかに只者ではなさそうな人物までいる。
「……活気がすごい」
正直、圧倒された。
騎士の一人が苦笑する。
「初めて来られた方は、皆そう言われます。慣れるまで、少々騒がしいかもしれませんな」
「いえ……嫌いじゃないです」
嫌いじゃない、というより。
――落ち着かない。
人が多いということは、それだけ目立つ可能性も高いということだ。しかも僕は、今や“英雄”という不名誉な肩書きを背負っている。
視線を感じるたび、肩が強張る。
「この街では、冒険者ギルドを中心に経済が回っています。ワイバーンの素材なども、ここで取引されることが多い」
「……冒険者ギルド」
嫌な単語が聞こえた気がした。
冒険者。
魔物を倒す職業。
つまり、僕にとっては天敵だ。
「街の治安は、我々領騎士団と、ギルドの上級冒険者が協力して守っています」
なるほど。
だから、昨日の兵士たちよりも、今日の騎士団は明らかに練度が高かったのか。
そんな説明を受けているうちに、街の中心部へと差し掛かる。
そこにあったのは――。
「……領主邸?」
そうとしか言いようのない建物だった。
屋敷、というより、小さな城だ。高い塀に囲まれ、門構えも威圧感がある。
門が開き、敷地内へ入ると、すでに一人の人物が待っていた。
年の頃は四十前後だろうか。
整えられた髭、上質そうな服、そして背筋の伸びた立ち姿。
ただ立っているだけなのに、“上に立つ者”の雰囲気がある。
「――ネイサン・K・ホランダーである」
低く、落ち着いた声。
「この度は、我が領地の民を救っていただき、心から感謝する」
そう言って、彼は頭を下げた。
「えっ」
思わず、声が出た。
領主が、頭を下げる?
もっと、こう……偉そうなものだと思っていた。
「い、いえ……その……」
慌てて言葉を探す。
「僕は、ただ……成り行きで……」
「それでもだ」
ネイサンと名乗った領主は、顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見る。
「結果として、村は救われた。ワイバーンの群れは、決して侮れる存在ではない」
屋敷の中へ案内され、応接の間のような場所に通された。
豪華すぎず、しかし質素すぎもしない。実務家の部屋、という印象だ。
「報告は受けている」
領主は椅子に腰掛け、続ける。
「ワイバーンがあのまま放置されていれば、村は全滅していた可能性が高い。いや、それだけでは済まなかっただろう」
そこで、一度言葉を区切った。
「この街にも、多くの冒険者がいる。彼らが討伐に向かえば、死傷者が出ていた可能性もある」
……なるほど。
確かに、あの数とサイズだ。
不用意に挑めば、被害は避けられなかっただろう。
「よって、相応の報酬を用意させてもらった」
そう言って、彼は合図を送る。
控えていた使用人が、布に包まれた箱を差し出した。
「金貨十枚。それに、この領での滞在に必要な便宜を図ろう」
「えっ!?」
思わず立ち上がりかけた。
「い、いりません! そんな……!」
金貨四枚ですら、持て余しているのに。
これ以上増えたら、逆に怖い。
「辞退はできない」
即答だった。
「これは感謝であり、責任でもある。功績に対して正当な対価を支払わねば、領主としての示しがつかぬ」
……逃げ道、なし。
僕は、内心で頭を抱えた。
「それに――」
領主は、少しだけ表情を和らげた。
「君は旅人だと聞いている」
「……はい」
「であれば、提案がある」
嫌な予感がした。
「しばらく、この街に滞在してもらえないだろうか」
やっぱり。
「最近、魔物の出現が増えている。原因は不明だが、街の外縁部や街道で、小さな被害が続いている」
僕は、慎重に言葉を選ぶ。
「……それは、冒険者の仕事では?」
「もちろん、彼らも動いている」
領主は頷いた。
「だが、君のような実力者が居てくれるだけで、抑止力になる」
抑止力。
つまり、“いるだけで安心枠”。
戦わなくていいなら、まだマシか?
「強制ではない」
そう言いつつ、領主の目は逃がさない。
「だが、礼を尽くしたいというのが本音だ。滞在費はすべてこちらで持つ。宿も用意しよう」
……これは。
逃げても、追われるやつだ。
「……少し、考えさせてください」
精一杯の抵抗だった。
領主は、わずかに笑った。
「もちろんだ。今日のところは、疲れもあるだろう」
こうして僕は。
栄えた街に足を踏み入れ、
立派な領主に感謝され、
断りきれない報酬を提示され、
そして――。
「しばらく、ここに居てくれないか」
スローライフとは正反対の場所で、足止めを食らうことになった。
……いや。
“戦わなくていい”なら、まだ希望はある。
問題は、この街が、僕をそう簡単に放っておいてくれるかどうか、だ。
村の明かりが一つ、また一つと消えていく中、僕は音を立てないように息を殺し、宿の裏口からそっと外へ出た。
「……今なら、まだ」
誰に言うでもなく、そう呟く。
領主がどうとか、英雄がどうとか、そんな話に巻き込まれて碌なことになった試しがない。ここは異世界だ。常識も価値観も違う。下手をすれば、面倒な役目を押し付けられるか、利用されるか、その両方だ。
どちらにしても、スローライフとは程遠い。
だから、逃げる。
必要最低限の荷物だけを背負い、村の外れへ向かう。夜風が冷たく、草原は昼間とは別の顔を見せていた。虫の音がやけに大きく聞こえる。
――あと少しで、村の外だ。
「……ゼン殿」
「うわっ!?」
心臓が跳ね上がった。
振り向くと、そこに立っていたのは村長だった。ランプを手に、困ったような、どこか納得したような表情でこちらを見ている。
「やっぱり、行こうとしておったか」
「……その、えっと」
言い訳を考えたが、どれも薄っぺらく感じて、口に出せなかった。
村長は怒るでもなく、静かに首を振った。
「夜は危険だ。この辺りはな、昼と夜でまるで違う顔を見せる」
「でも……」
「英雄であろうと、だ」
その言葉に、反論はできなかった。
「ワイバーンだけじゃない。夜行性の魔物も多い。明かりもない中を一人で歩くのは、自殺行為に近い」
正論だった。
悔しいほどに。
「出るなら、せめて明日の朝にしなさい。誰も止めはせん」
しばらく黙ったまま、僕は足元を見つめた。
今無理に出て、魔物に遭遇し、戦う羽目になったら?
それこそ本末転倒だ。
「……わかりました」
渋々そう答えると、村長はほっとしたように微笑んだ。
「それでいい。今夜は、しっかり休みなさい」
こうして、僕の逃亡計画は一晩で頓挫した。
――翌朝。
「きゃはは!」
「こっちだよー!」
元気な子どもたちの声で、僕は目を覚ました。
「……ん?」
窓から差し込む光が、やけに眩しい。
慌てて起き上がり、外を見る。
「……え、もうこんな時間?」
太陽はすでにかなり高い位置にあった。どうやら、思っていた以上に深く眠ってしまったらしい。
「しまった……朝一で出るつもりだったのに……」
頭を抱えつつ、服を整えて外へ出る。
村は、いつも通りの朝を迎えていた。畑に向かう人々、走り回る子どもたち、昨日の騒動が嘘のような穏やかさ。
それが逆に、不安を煽る。
井戸の前で桶を借り、冷たい水で顔を洗った。
「……よし」
頭が冴えてくる。
ステータスを確認するが、変化はない。レベル999のまま。少しだけ、胸を撫で下ろした。
その時だった。
――ドドドドッ。
地面を揺らす、規則正しい音。
「……まさか」
嫌な予感と共に顔を上げると、村の入り口から、鎧に身を包んだ一団が姿を現した。
昨日の兵士たちとは、明らかに違う。
統率の取れた動き。揃った装備。胸元に刻まれた紋章。
村人たちも、それを見て空気を変えた。
「りょ、領騎士団……」
誰かが小さく呟く。
一団は村の中央で止まり、その中の一人が前に出た。
「――我ら、ホランダー領騎士団である」
低く、よく通る声。
騎士は周囲を一瞥し、やがて僕の方を見据えた。
「英雄ゼン殿。領主様がお呼びだ」
「……ですよねー」
思わず、乾いた声が出た。
断れる雰囲気ではない。
というか、断る選択肢が存在しない。
「事情は、後ほど邸で説明される。同行願おう」
「……わかりました」
こうなることは、予想していた。
していたはずなのに、実際に突きつけられると、胃の辺りがきりきりと痛む。
準備のために一度宿へ戻ろうとすると、村長が近づいてきた。
「ゼン殿」
「はい?」
村長は、ためらうように一瞬視線を逸らし、それから僕の手を取った。
「これは……ワイバーンのお礼だ」
手のひらに、冷たい感触。
見下ろすと、そこには金貨が四枚、きっちりと重なっていた。
「え、ちょっ……多すぎます!」
「村の総意だ」
即座に言い切られる。
「あなたのおかげで、村は救われた。この程度で済むと思わんでほしい」
「でも……」
「受け取ってくれ。それで、少しでも気が楽になるのなら」
……ずるい。
そんな言い方をされたら、断れるわけがない。
「……ありがとうございます」
金貨を懐にしまうと、村長は満足そうに頷いた。
こうして僕は、村人たちに見送られながら、領騎士団と共に村を後にした。
子どもたちの憧れの眼差しが、やけに胸に刺さる。
「……これ、本当に表彰だけで済むのかな」
馬に挟まれながら、前方を見つめる。
領主邸のある街は、まだ見えない。
ただ一つ確かなのは――。
僕の目指す静かなスローライフが、また一歩、遠ざかったということだけだった。
◆
領騎士団に挟まれる形で進む道は、思っていたよりもずっと整備されていた。
踏み固められた街道。ところどころに立つ道標。道の脇には、魔物避けなのだろうか、見慣れない紋様が刻まれた杭が一定間隔で打ち込まれている。
「……ちゃんとした領地だな」
思わず、そんな感想が漏れた。
村の周辺は、良くも悪くも素朴だった。人の手は入っているが、自然と隣り合わせで、少し気を抜けば魔物が顔を出す。そんな場所だ。
それに比べて、この街道は“守られている”という印象が強い。
「この先が、ホランダーの街です」
前を行く騎士の一人が、振り返ってそう言った。
やがて視界が開け、遠くに石造りの城壁が見えてくる。想像していたよりも高く、そして広い。
「……でか」
素直な感想だった。
村の柵とは、比べ物にならない。これなら、並の魔物では近づくことすらできないだろう。
「商業と冒険者の街でして」
騎士は歩きながら説明してくれる。
「この領は、周囲に魔物が多い反面、資源にも恵まれております。魔物素材、鉱石、薬草……それらを求め、多くの冒険者や商人が集まるのです」
「なるほど……」
だから、城壁がしっかりしているのか。
門をくぐると、景色は一変した。
人、人、人。
行き交う人々の数が、村とは段違いだ。露店が並び、威勢のいい呼び声が飛び交う。鎧姿の冒険者、商人風の男、家族連れ、そして明らかに只者ではなさそうな人物までいる。
「……活気がすごい」
正直、圧倒された。
騎士の一人が苦笑する。
「初めて来られた方は、皆そう言われます。慣れるまで、少々騒がしいかもしれませんな」
「いえ……嫌いじゃないです」
嫌いじゃない、というより。
――落ち着かない。
人が多いということは、それだけ目立つ可能性も高いということだ。しかも僕は、今や“英雄”という不名誉な肩書きを背負っている。
視線を感じるたび、肩が強張る。
「この街では、冒険者ギルドを中心に経済が回っています。ワイバーンの素材なども、ここで取引されることが多い」
「……冒険者ギルド」
嫌な単語が聞こえた気がした。
冒険者。
魔物を倒す職業。
つまり、僕にとっては天敵だ。
「街の治安は、我々領騎士団と、ギルドの上級冒険者が協力して守っています」
なるほど。
だから、昨日の兵士たちよりも、今日の騎士団は明らかに練度が高かったのか。
そんな説明を受けているうちに、街の中心部へと差し掛かる。
そこにあったのは――。
「……領主邸?」
そうとしか言いようのない建物だった。
屋敷、というより、小さな城だ。高い塀に囲まれ、門構えも威圧感がある。
門が開き、敷地内へ入ると、すでに一人の人物が待っていた。
年の頃は四十前後だろうか。
整えられた髭、上質そうな服、そして背筋の伸びた立ち姿。
ただ立っているだけなのに、“上に立つ者”の雰囲気がある。
「――ネイサン・K・ホランダーである」
低く、落ち着いた声。
「この度は、我が領地の民を救っていただき、心から感謝する」
そう言って、彼は頭を下げた。
「えっ」
思わず、声が出た。
領主が、頭を下げる?
もっと、こう……偉そうなものだと思っていた。
「い、いえ……その……」
慌てて言葉を探す。
「僕は、ただ……成り行きで……」
「それでもだ」
ネイサンと名乗った領主は、顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見る。
「結果として、村は救われた。ワイバーンの群れは、決して侮れる存在ではない」
屋敷の中へ案内され、応接の間のような場所に通された。
豪華すぎず、しかし質素すぎもしない。実務家の部屋、という印象だ。
「報告は受けている」
領主は椅子に腰掛け、続ける。
「ワイバーンがあのまま放置されていれば、村は全滅していた可能性が高い。いや、それだけでは済まなかっただろう」
そこで、一度言葉を区切った。
「この街にも、多くの冒険者がいる。彼らが討伐に向かえば、死傷者が出ていた可能性もある」
……なるほど。
確かに、あの数とサイズだ。
不用意に挑めば、被害は避けられなかっただろう。
「よって、相応の報酬を用意させてもらった」
そう言って、彼は合図を送る。
控えていた使用人が、布に包まれた箱を差し出した。
「金貨十枚。それに、この領での滞在に必要な便宜を図ろう」
「えっ!?」
思わず立ち上がりかけた。
「い、いりません! そんな……!」
金貨四枚ですら、持て余しているのに。
これ以上増えたら、逆に怖い。
「辞退はできない」
即答だった。
「これは感謝であり、責任でもある。功績に対して正当な対価を支払わねば、領主としての示しがつかぬ」
……逃げ道、なし。
僕は、内心で頭を抱えた。
「それに――」
領主は、少しだけ表情を和らげた。
「君は旅人だと聞いている」
「……はい」
「であれば、提案がある」
嫌な予感がした。
「しばらく、この街に滞在してもらえないだろうか」
やっぱり。
「最近、魔物の出現が増えている。原因は不明だが、街の外縁部や街道で、小さな被害が続いている」
僕は、慎重に言葉を選ぶ。
「……それは、冒険者の仕事では?」
「もちろん、彼らも動いている」
領主は頷いた。
「だが、君のような実力者が居てくれるだけで、抑止力になる」
抑止力。
つまり、“いるだけで安心枠”。
戦わなくていいなら、まだマシか?
「強制ではない」
そう言いつつ、領主の目は逃がさない。
「だが、礼を尽くしたいというのが本音だ。滞在費はすべてこちらで持つ。宿も用意しよう」
……これは。
逃げても、追われるやつだ。
「……少し、考えさせてください」
精一杯の抵抗だった。
領主は、わずかに笑った。
「もちろんだ。今日のところは、疲れもあるだろう」
こうして僕は。
栄えた街に足を踏み入れ、
立派な領主に感謝され、
断りきれない報酬を提示され、
そして――。
「しばらく、ここに居てくれないか」
スローライフとは正反対の場所で、足止めを食らうことになった。
……いや。
“戦わなくていい”なら、まだ希望はある。
問題は、この街が、僕をそう簡単に放っておいてくれるかどうか、だ。
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