凡夫転生〜異世界行ったらあまりにも普通すぎた件〜

小林一咲

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王都・近衛騎士団編

第82話 虚構の中の真実

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 大地が裂け、奈落に落ちるような感覚とともに目を覚ますと、世界の色が変わっていた。  
 空は鈍く濁った赤に染まり、地平線は歪み、黒い稲光が不規則に走る。大地は乾ききった亀裂に覆われ、熱を孕んだ風が絶え間なく吹き荒れていた。  

 僕たちは四方を見回し、無意識に武器を構えた。  

「……ここは、魔界だ」  
 イシュクルテが低く呟いた。  

 ブルワーも顔をしかめ、戦斧を肩に担いだ。  
「地獄の観光なんて趣味じゃねえんだがな」  

 シェスカは魔導書を抱きしめ、小さく首を振った。  
「“神の欠片”の……結晶が、見当たらない……」  

 その瞬間、背後から落ち着いた男の声が響いた。  

「お探しのものなら、もうここにはない」  

 振り返ると、漆黒の燕尾服を纏い、白手袋をはめた長身の男が悠然と立っていた。銀髪をきちんと撫でつけ、口元には穏やかな微笑み。  

「……ユーグ・ドリシャン」  
 僕はその名を呼んだ。  
 かつて僕に「魔族へ寝返らないか」と囁いた魔族。あの時と変わらぬ、紳士的な口調だった。  

「お久しぶりだ、バルト殿。こうして再びお会いできて、光栄の至りだ」  

 イシュクルテが即座に一歩踏み出し、剣先を向けた。  
「近づくな。あんたと話すことなんてない」  

「おや、随分な歓迎だな。俺としては、害する意図など毛頭ないんだが」  
 ユーグは軽く会釈し、何事もないかのように歩を進めた。その足取りは、この荒廃した大地の上でも一切乱れなかった。  

「“神の欠片”……あれは俺たちが用意した“誘い”に過ぎない」  

「誘い?」  
 リノが眉をひそめた。  

「そうだ。あなた方をこちら側へ招くための罠だ。結晶は囮であり、封印などとっくに解かれている」  

 僕が無意識に拳を握った。  
「じゃあ、俺たちは……まんまと釣られたってことか」  

「おや、釣られたなどと。俺はただ、お話をするためにお招きしただけだ」  

 イシュクルテがさらに間合いを詰めた。  
「嘘だろ。魔族が人間を“お話”のために呼ぶ? 笑わせないでくれ」  

 その鋭い視線にも、ユーグは微笑を崩さなかった。  

「では、こう言おう。あなた方が信じている“王国と魔族の歴史”は、虚構に過ぎない」  

「……虚構?」  
 シェスカが息を呑んだ。  

「王国は魔族を敵として掲げることで、民をまとめ、己の権力を正当化してきた。だが本当の俺たちは、王国と長きにわたり“取引”をしてきたんだ」  

 その言葉に、ブルワーが低く唸った。  
「取引……?」  

 ユーグはゆっくりと片手を上げ、遠くの大地を指した。そこには、黒い城のような影が霞んで見えていた。  
「戦争は茶番だった。互いに損害を抑えつつ、“魔界の資源”と“人間の技術”を交換するための口実に過ぎない」  

 僕が言葉を失った。  

 リノが小さく笑った。  
「……だから戦争は終わらなかったわけだ」  

「その通りだ」  
 ユーグは満足そうに頷いた。  
「では、なぜ今こうして俺たちが直接動くか。理由は単純――王国内部に、新たな勢力が現れたからだ」  

 イシュクルテが剣を握り直した。  
「新たな……勢力?」  

「そうだ」  
 ユーグは、まるで面白い小説の一節を読み上げるかのように、ゆっくりと言葉を紡いだ。  
「インヒター王国の第一王子、ユーア・リッチ・インヒター殿下。彼は王国と魔族の均衡を破り、“真の支配”を望んでいる」  

 僕の心臓が一拍遅れて跳ねた。  
「……第一王子が、黒幕……?」  

「そうだ。殿下はすでに俺たちの一部を手懐け、別の一部を抹殺し始めている。王国も魔族も、もはや彼の掌の上だ」  

 ユーグは穏やかな笑みを浮かべたまま、帽子のつばに指をかけた。  
「さて――この真実を知ったあなた方が、どう動くのか。それが、実に楽しみでな」  

 赤黒い空に稲光が走り、大地が再び震え始めた。  
 イシュクルテが低く息を吐き、剣先をわずかに上げた。  
「楽しみ、だと? ……笑わせないでくれ」  

 ユーグはその挑発を、まるで上等な茶を味わうように受け流し、背を向けた。  
「また会おう、バルト殿。次は……選択の時だ」  

 その背中が歪む空間に溶けると、魔界の熱風が一層強く吹きつけた。  
 僕たちは互いに顔を見合わせ、ただ一つ確かなことを悟った。  

 ――もう、後戻りはできない。
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