ドラフト7位で入団して

青海啓輔

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0〜1年目 スタート地点から

第4話 1年目5月と日雇いコーチ

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五月になると、新入団選手で開幕一軍に入った三人が、それぞれプロの壁にぶつかった。
 ドラフト1位の杉澤投手は開幕から三連勝して、期待通りの出だしだったが、四試合目で三回を五失点で負け投手になり、つい先日の試合でも四回途中、四失点で二敗目を喫した。
 多彩な球種と針の穴を通すような制球力が持ち味の投手だが、プロの打者はボール一個分甘く入っても見逃さない。
 僕が到底打てそうにないと思った球が、いとも簡単に弾き返されるのを見ると、そのレベルの高さに圧倒される。
 またドラフト6位の飯島投手もプロの壁にぶつかっていた。
 元々点差が開いた試合に登板することが多かったが、ここ三試合は連続でホームランを打たれていた。
 飯島投手はアンダースローであり、球速がない分、バットに当てられると飛ぶ。
 最初は独特のフォームからの不規則に変化する球にプロの打者も戸惑っていたが、慣れてくると、打ち頃の球に見えるようだ。
 そして新入団の打者の中で唯一、一軍に残り、開幕から一番に定着していた竹下外野手もプロの壁にぶち当たっていた。
 開幕戦で三安打を打ち、次の試合でも五打席でヒット一本と四球二個で三度出塁し、盗塁も決め、順調なスタートを切ったように思えたが、すぐに弱点が露呈してしまった。
 速球に極めて弱いのだ。
 百四十キロ台の半速球や変化球にはバットが当たるものの、百五十キロを超える球にはからっきしバットが当たらなかった。
 更に一番打者としては選球眼もあまり良くなく、早いカウントで難しい球に手を出し凡打したり、三振する場面が目立つようになった。
 また走塁面でも課題が見えてきた。
 ベースランニングは速いのだが、トップスピードに乗るのが速くなく、よく考えると自主トレでの五十メートル走でも、最後は突き放されたが、最初は僕の方がむしろ速いくらいだった。
 つまり一二塁間の走塁ではトップスピードに乗る前に終わってしまい、俊足を活かせないのだ。
 そしてスライディングにも課題があった。
 だから開幕してから、二十試合目までは一番打者として、毎試合先発出場していたが、打率は二割そこそこで、盗塁成功率も六割程度ということで、次第にスタメンで出ることが減っていた。
 そして守備範囲は必ずしも広くなく、肩も強くはなかった。
 そうなると守備固めという使い方も難しく、最近は代走として出場することが多くなった。
 五月に入り、久しぶりに九番レフトとしてスタメンの機会を得たが、四打席四三振に倒れると、その翌日、二軍落ちした。
 久しぶりに練習場で会った竹下選手は、明らかに不機嫌そうで、僕が挨拶しても、無視された。
 だが二軍ではさすがに格の違いを見せ、最初の試合は五打数三安打、その後も安定して打ち、二週間でまた一軍に戻っていった。
 そして飯島投手が二軍に落ちてきた。
 九試合に登板し、1勝0敗、防御率は13.50だった。
 勝ちは5対7のビハインドの場面で登板した試合で、1回を無失点で抑えたその裏、味方が逆転してくれた時についたものだ。
 最初のうちは良く抑えていたが、やがて打たれるようになり、昨日の登板では3対7のビハインドの場面でワンアウトも取れずに4失点し、一軍登録を抹消された。
 飯島投手は新入団選手の中では一番年上であったが、自主トレでも明るく、僕ら高校卒とは年が十歳も離れていたが、気さくに声をかけてくれた。
 だが二軍に落ちてきた飯島投手は見るからに意気消沈しており、僕も声をかけづらかった。
 だが練習場で僕の姿を見ると、やや弱々しくも手を上げて近づいてきてくれた。
「お久しぶりです。」
「よお、頑張っているか。やっぱり一軍は凄いな。全然通用しなかった。」
「でも最初は良く抑えていましたよね。」
「まあ打ち損じてたんだろう。最後はどこに投げても打たれるような気しかしなかった。」
「やはり一軍の打者は凄いですか。」
「凄いな。苦手なコースから少しでも外れると、簡単に芯に当てられる。」
 実際、飯島投手はこれまで千試合近くに出場しながら通算ホームランが0本だった選手に、プロ初ホームランを献上していた。
「針の穴を通すようなコントロールを身につけなきゃ、上では通用しないな。まあもう一度、やり直すさ。」と飯島投手は自分に言い聞かせるように言った。

 二軍には守備走塁コーチが内野と外野に一人ずついる。
 僕は高校時代はショートを守っていたが、プロに入ってからはセカンドも練習するように指示された。
 セカンドとショートは隣あわせのポジションだが、飛んでくる打球の速度も内野ゴロの時のバックアップの位置も異なる。
 一塁にゴロが飛んだ時は、一塁ベースに入らなければならず、中々タイミングが難しい。
 内野の守備走塁コーチの山城コーチは、現役時代は内野の控えだった時期が長かった選手で、規定打席には一度も到達したことがない。
 引退してから十年ほど球界から離れていたが、昨シーズンから二軍のコーチに就任した。
 噂では田中大二郎監督と現役時代仲が良く、その伝手で呼ばれたようだ。
 そのせいか、常に二軍監督の顔を伺うような姿が見られ、一軍クラスである程度実績がある選手や、ドラフト上位指名の有望な若手には熱心に指導するが、それ以外の選手には冷たいと評判だった。
 僕の何が気に食わないのかわからないが、僕に対してはとりわけ冷たかった。
 練習でのノックでも全体練習や二軍監督がいるときは、僕にもノックしてくれるが、そうでない時は頼んでも面倒くさそうに断られた。
 一昨年のドラフト1位の内沢選手には、つきっきりで熱心に指導する癖に。
 彼としてはコーチの実績が無いので、有望な若手を育てる事で、名を上げたいようだ。
 確かに内沢選手は高卒三年目ながら打撃は既に一軍レベルと言われており、二年目の昨年に一軍に上がり、終盤のわずか二十試合の出場で三本塁打を放った。
 だから守備が課題の彼を一軍レベルに育てることが出来れば、大きな実績になるのだろう。
 全体練習が終わると、僕は手の空いているチームスタッフ、例えばブルペン捕手や用具係の方にもお願いしてノックを打ってもらった。
 だが山城コーチのノックに競べると、残念ながら打球は緩く、あまり練習にならなかった。

 正直な所、入団した頃は高卒だし五年くらいは面倒を見てもらえると思っていた。
 だがある時、件の山城コーチの話を聞いて、改めて自分の考えが甘かったことを思い知らされた。
 それは寮の食堂での事だった。
 その日はちょっとした懇親会があり、ビールや酒も振る舞われた。
 もちろん未成年の僕やドラフト4位の三田村は酒を飲めず、もっぱらウーロン茶を飲んでいた。
(もっとも三田村は酒を飲まずとも酔っ払いのような発言が多いが。)
 するといい具合に酔っ払った山城コーチがビールグラスを持って近くを通りかかったので、僕は近くにあったビール瓶を取り、酌をした。
 すると山城コーチは注がれたビールを飲み干し、意地の悪そうな笑みを浮かべ、こう言った。
「これはこれは便利屋君。
 君は今度外野にも挑戦するんだってね。器用だね。」
「え、聞いていませんけど。」
「そうか、まだオフレコだったな。」
「僕は外野はほとんどやったことないですよ。何かの間違いじゃないですか。」
「そんな事はどうだっていいんだよ。だって便利屋君は人数合わせでの指名で、端から戦力として計算されていないんだから。」
 僕はムッとした。
「それはどういう意味ですか?」
「いいか、プロ野球では二軍も試合をしなければならない。
 試合をするためには、各ポジションに選手を張らなくてはならない。
 ところが一軍で怪我人が出たりすると、どうしても二軍ではポジションによっては足りなくなる。
 だからお前みたいな器用貧乏なのを、ドラフト下位で取って、二軍のユーティリティとして育てるのさ。
 つまり二軍のバックアップ要員。
 ほら谷口を見てみろ、あいつは将来のレギュラー候補だから同じポジションでじっくりと育てようとしているだろう。」
 その谷口はこの会に出ていない。
 調整のために二軍落ちした、一軍の主力選手と食事に行った。
 最近、谷口は寮の食事よりも先輩選手との外食が多く、夜の自主練習にも参加しないことが多い。
 そして確かに周りの態度が谷口と僕では全く違う気がする。
 先輩選手も谷口には良く声をかけるが、僕にはあまりかけてこないし、食事に誘われたことも無い。
「まあ、せいぜい頑張るんだな。」と山城コーチは高笑いしてビールが入ったグラスを持って行ってしまった。
 二軍のバックアップ要員?
 田中大二郎監督は、僕にも期待していると言っていたじゃないか。
 だけど良く考えると、僕の使われ方は将来の主力として期待されている感じがしない。
 二軍の試合でも出ても途中出場で、スタメンはまだ無い。
 そして悔しいが、全ての面で僕は一軍レベルに無く、近い将来に一軍で活躍出来るとは思えない。
 その晩、僕は悔しくて眠れなかった。
 そして目が冴えてしまい、シャワーでも浴びようと、1階に降りた。
 夜中の二時過ぎだというのに、トレーニング室には明かりが灯っていた。
 僕は窓から中を覗き込んだ。
 すると谷口が一心不乱に素振りをしていた。
 真剣な表情でその目つきは、今まで見たことが無いくらい鋭かった。
 正直、最近の谷口は先輩選手に誘われて、チャラチャラと遊んでいるのかと思っていた。
 だが彼の素振りを見ていると、鬼気迫るものがあり、そう思っていた自分を恥じた。
 彼はきっと先輩選手から色々な事を吸収するために、食事に一緒に行っているのだろう。
 そしてその時間、練習出来なかったのを埋めるために、こうして夜、一人で練習しているのだろう。
 彼のように溢れる才能があり、球団からファンからも大きな期待をされている選手が、人が見ていないところでこれだけ練習しているのだ。
 そんな人間に勝つには、ただの努力では足りないと、僕は思い知った。

 全体練習、夕食後の自主練習が終わると自由時間だが、翌日から外にランニングに行くことにした。
 いても立ってもいられないのだ。
 といっても一人でできる練習なんてたかが知れている。
 取りあえず近くの河川敷の欄干にボールを全速力でぶつけ、跳ね返ってくる球を取る練習をやってみた。
 地面はちょうど良いくらいに石が転がっており、跳ね返ってくる球は時々不規則に変化する。
 つまりイレギュラーへの対応能力がつくかも知れないと思ったのだ。
 小一時間たっただろうか。僕は後ろに人の気配を感じた。
 山城コーチだった。
 山城コーチは単身赴任なので、寮に住んでいる。コンビニからの帰りらしい。
 ぶら下げたビニール袋には発泡酒とつまみのポテトチップスが入っているのが見えた。
 相変わらず、嫌らしい笑みを浮かべて、「天才便利屋君が、壁を相手に何、遊んでいるんだ。余裕があっていいな。」
 僕は無視した。
「おい、無視するなよ。そうだ、ノックしてやろうか。」
 僕は思いがけない申し出に驚き、「是非、お願いします」と言った。
 山城コーチは嫌らしい笑みを浮かべて、「嘘だよ。今は時間外だ。まあ、せいぜい壁当て頑張るんだな。どんな効果があるか知れないが。」と通り過ぎようとした。
「時間外手当を払います。」
 僕は思わず叫んだ。
「はあ?、何言っているんだ。」
「だから時間外手当を出しますよ。だからノックをお願いします。」
 山城コーチの顔から笑みが消えていた。
「お前、バカにするなよ。俺はプロだぞ。端金で俺のノックを受けれると思うなよ。」
「十球一万円でどうです。」
 山城コーチの顔に動揺が走った。
「金額の問題じゃない。お前なんかにノックするなんて時間の無駄だ。」
「ふーん、自信がないんですか。」
「なんだと。」
「だって有望な若手を育てるのは、どんな無能なコーチでもできる。
 有能なコーチは、僕みたいな期待されていない人間を一軍レベルに育てることができるんじゃないですか。」
「ふん、そんな口車には乗らねえよ。」
「だから現役時代、二流で終わったんですね。」
 山城コーチの顔色が変わった。
「もう一度言ってみろ。」
「だから現役時代、二流で終わったんですね。」
「てめえ、誰に向かって口をきいているんだ。」
「選手として二流で、コーチとして三流の山城さんに対してですよ。人間としては四流ですか。」
 山城コーチは顔を赤くして近づいてきた。
「てめえ、喧嘩売ってんのか。お前なんて一軍に一度も上がれずに、二軍の便利屋で使われて、三年くらいで首切られて終わりだ。」
「それは分かっています。だから、何とかしたいんです。」
「無駄だ。才能が無い奴は、努力しても無駄。第一、お前なんて、最低年俸しかもらってねぇだろ。」
「その通りです。だから一日一万円だけ払います。残りは一軍に出れるようになったら払います。」
「お前な。そんなのを空手形って言うんだよ。お前なんかが一軍で活躍できるできる訳がないだろう。身の程をわきまえろ。」
 僕は土下座した。
「お願いします。俺、このままじゃコーチの言うように、二、三年で首になるんです。だから、お願いします。」
「ふん、馬鹿らしい。おめえみたいなの相手にしてらんねぇよ。」と山城コーチは、土下座している僕を尻目に去って行った。
 僕は惨めな思いを抱えたまま、ヨロヨロと立ち上がり、また壁当てを再開した。
 自然に悔し涙が浮かんだ。
 こんなことをしていても上手くなるわけはない。
 そんな事は自分でも良く分かっていた。
 だがどうすればいいのだ。
 山城コーチは選手としては大成は出来なかったが、ノックは名人である。
 球筋も鋭い上に、途中でわざとイレギュラーさせることもでき、良い練習になった。

 僕は意味ないとわかりつつも、壁当てを続けた。
 できるだけ早く投げる。そしてできるだけダッシュして取る。
 そんな事を繰り返した。
 そうしていると、「おい、便利屋見習い。」と言う声が後ろからした。
 山城コーチだった。
ふと見ると、左手にはノックバット、右手にはバケツ一杯の練習ボールが入っていた。
「お前の口車に乗ってやるよ。十球一万円。一万円以上は、一軍に上がって、年俸が上がってから払ってくれ。その代わり、一万円は現金払いだぞ。」
 僕は慌てて財布から一万円を出して渡した。
 財布には小銭しか残っていなかった。

 河川敷は街明かりや、所々の街灯でそれほど暗くは無いものの、ボールは見えづらかった。
 だから山城コーチのノックは昼間以上に見えづらい。
 更に所々石があり、意図せずともイレギュラーする。
 だからバケツの中の百球が終わる頃には、僕はヘトヘトになってしまった。
 百球中、まともに取れたのは三十球くらいだった。
「おい、それで終わりか。そんな事で一軍に上がれると思うか。」
 僕はフラフラと立ち上がり、ボールを拾い集めてバケツに入れた。
 その間、山城コーチはタバコを吹かして、街の灯りを見つめていた。
 
「もういっちょ、お願いします。」
 僕はバケツを山城コーチの足下に置いた。
「そうこなくちゃ。あれだけ俺にでかいことを言ったんだ。」
 それからまた百球。休む暇無く、ノックを受けた。
 バケツが再び空になった時、僕はハアハアといいながら、地面に這いつくばっていた。
「じゃあ、後片付けしておけよ。また明日な。」と山城コーチは去って行った。
「これで二百球だから十九万円の貸しだからな」というセリフを残して。

 明くる日も僕はノックバットとボールを持って、河川敷に向かった。
 山城コーチはタバコを吹かしながら、待っていた。
「よお、良く来たな。昨日でへばったと思っていた。じゃあまず、一万円。」
 僕は銀行から下ろした一万円を渡した。
 僕の年俸からすると一万円は大金だ。
 だが何もしなければ、二、三年後には戦力外になるだろう。
 そう考えると、惜しくはなかった。
 金が続く限り、山城コーチの個人レッスンを受けてやろう。
 ようやく山城コーチのノックに慣れた頃、月は早くも六月になっていた。

 
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