3 / 3
彼女 後編
◇ ◇ ◇
「はい」
「ありがとう」
僕は淹れたてのコーヒーを、2人掛けのダイニングテーブルに向かい合わせに二つ置く。
「今日のコーヒーは……」
「ストップ!」
彼女が遮るように手を広げながら強い口調で言った。
「何だよ」
「蘊蓄いらないから。静かに飲ませてよ」
「知ってると違うだろ。知識増やせよ、そこは」
いらねーと、彼女は心底嫌そうに言いながら、やっぱりカップを手にする。
「嫌なら飲まなきゃいいだろ」
「なんでよ。美味しいもん。飲むに決まってるでしょ」
そう言って一口飲むと、満足そうににっこりとした。
「調子いいよな、いつも」
言いながら僕も満足して自分のコーヒーに口をつける。僕の好みで酸味より苦味が強い。
狭くて個性のないアパートが、コーヒーの香りに包まれる。
「あ、そろそろDVD返さなくっちゃ。それとも、もう一回見る?」
「いらん」
「えーいいのー?」
彼女の言い方はどこそこ意地悪だ。
「あんな、考察する必要もないB級の破綻したゾンビ映画なんて一回見れば……」
「そんな事言って」
彼女はにやにや笑いながら立ち上がって僕の方に来る。
「来るなよ」
「知ってるんだからね。君が半分くらい目をつぶって見てたの」
そう言って後ろから覗き込む。
「見てもしょうがないから寝てただけで……」
「またまたあ」
笑いながら彼女が腕で首を絞めるようなふりをする。
「やめろって」
僕は笑うのを我慢しながら振り払うようなふりをする。彼女は笑いながら僕に抱きつく。
その笑い声を耳元で聞きながら顔を上げると、安っぽいサッシの枠に切り取られた空の綺麗な青が目に入った。
あの空はいつだったか。
◇ ◇ ◇
「ごめんなさいね」
後方から声をかけられる。カップの取手に指が当たり、カチャンと音を立ててしまう。
「ああ、お母さん大丈夫だった?」
彼女は僕に微笑みながら席に戻る。
「ええ。大した事じゃなかったわ。母ったら探し物してたみたいで……。あら、アイス溶けちゃってる」
そう皿を見ながら言うと、半分溶けたバニラアイスのクリーム色の海に浸ったアップルパイを、器用に綺麗に口にする。
ふと、先程に比べて陽が傾いている気がした。腕時計に目をやると、まだ昼間といって良い時間ではあったが、秋は早く夕方を連れてくる。
「この後に観る映画だけど、前に話した恋愛ものでよかった?」
「ええ、もちろん。あなたの好きなものでいいのだけれど……。もしかして、時間が押してしまっているかしら?」
「そうだね、間に合わなかったらホラーの方に変えようか」
「え、それは」
彼女が視線を皿から僕に移す。可愛らしい丸っこい目がぱちぱち瞬きした。
僕はつい、笑いが溢れる。
「嘘だよ。ホラーなんて見ないさ。時間もまだ大丈夫。ゆっくり食べて」
彼女は、もうっ、と愛らしく不満を呟きながら、やはり笑顔を浮かべて紅茶を口にした。
そうして最後のパイに取り組む彼女を見ながら、僕は残った紅茶を飲もうとカップを手にする、が、口元まで持っていってそのまま飲まずにソーサーに戻した。
飲まれないままの透明なオレンジ色の液体がゆらゆら揺れる。
そうだな、夜、家に帰ったらコーヒーを入れよう。いつもと同じく自分一人のために。
僕は彼女の後方の大きな窓に目をやった。
窓の向こうは変わらず、青。
了
「はい」
「ありがとう」
僕は淹れたてのコーヒーを、2人掛けのダイニングテーブルに向かい合わせに二つ置く。
「今日のコーヒーは……」
「ストップ!」
彼女が遮るように手を広げながら強い口調で言った。
「何だよ」
「蘊蓄いらないから。静かに飲ませてよ」
「知ってると違うだろ。知識増やせよ、そこは」
いらねーと、彼女は心底嫌そうに言いながら、やっぱりカップを手にする。
「嫌なら飲まなきゃいいだろ」
「なんでよ。美味しいもん。飲むに決まってるでしょ」
そう言って一口飲むと、満足そうににっこりとした。
「調子いいよな、いつも」
言いながら僕も満足して自分のコーヒーに口をつける。僕の好みで酸味より苦味が強い。
狭くて個性のないアパートが、コーヒーの香りに包まれる。
「あ、そろそろDVD返さなくっちゃ。それとも、もう一回見る?」
「いらん」
「えーいいのー?」
彼女の言い方はどこそこ意地悪だ。
「あんな、考察する必要もないB級の破綻したゾンビ映画なんて一回見れば……」
「そんな事言って」
彼女はにやにや笑いながら立ち上がって僕の方に来る。
「来るなよ」
「知ってるんだからね。君が半分くらい目をつぶって見てたの」
そう言って後ろから覗き込む。
「見てもしょうがないから寝てただけで……」
「またまたあ」
笑いながら彼女が腕で首を絞めるようなふりをする。
「やめろって」
僕は笑うのを我慢しながら振り払うようなふりをする。彼女は笑いながら僕に抱きつく。
その笑い声を耳元で聞きながら顔を上げると、安っぽいサッシの枠に切り取られた空の綺麗な青が目に入った。
あの空はいつだったか。
◇ ◇ ◇
「ごめんなさいね」
後方から声をかけられる。カップの取手に指が当たり、カチャンと音を立ててしまう。
「ああ、お母さん大丈夫だった?」
彼女は僕に微笑みながら席に戻る。
「ええ。大した事じゃなかったわ。母ったら探し物してたみたいで……。あら、アイス溶けちゃってる」
そう皿を見ながら言うと、半分溶けたバニラアイスのクリーム色の海に浸ったアップルパイを、器用に綺麗に口にする。
ふと、先程に比べて陽が傾いている気がした。腕時計に目をやると、まだ昼間といって良い時間ではあったが、秋は早く夕方を連れてくる。
「この後に観る映画だけど、前に話した恋愛ものでよかった?」
「ええ、もちろん。あなたの好きなものでいいのだけれど……。もしかして、時間が押してしまっているかしら?」
「そうだね、間に合わなかったらホラーの方に変えようか」
「え、それは」
彼女が視線を皿から僕に移す。可愛らしい丸っこい目がぱちぱち瞬きした。
僕はつい、笑いが溢れる。
「嘘だよ。ホラーなんて見ないさ。時間もまだ大丈夫。ゆっくり食べて」
彼女は、もうっ、と愛らしく不満を呟きながら、やはり笑顔を浮かべて紅茶を口にした。
そうして最後のパイに取り組む彼女を見ながら、僕は残った紅茶を飲もうとカップを手にする、が、口元まで持っていってそのまま飲まずにソーサーに戻した。
飲まれないままの透明なオレンジ色の液体がゆらゆら揺れる。
そうだな、夜、家に帰ったらコーヒーを入れよう。いつもと同じく自分一人のために。
僕は彼女の後方の大きな窓に目をやった。
窓の向こうは変わらず、青。
了
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(3件)
あなたにおすすめの小説
雪の日に
藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。
親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。
大学卒業を控えた冬。
私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ――
※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。
白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。
早速拝読いたしました。お互いがまだ未練残っている感じですかね?
別れた理由は……!?
何だかもう少し先が気になる作品ですね。ありがとうございました!
早速読んで頂きありがとうございます!
続きはいまだに悩んでいますが、一応終わりにしちゃってます……。
感想までいただけて嬉しいです。ありがとうございました!!
拝読しました。
なんというのだろう、ほんのり切ない幕切れでした。
彼も彼女も、きっとお互いに未練を抱えているのでしょうが、掛け違えたボタンのように、ちょっとずつすれ違う心がこんな結果を生んだのだろうか、なんて。
別れたあともずっと好きだった人のことを思う気持ち、とてもよくわかります。
読んで頂いた上に感想まで!ありがとうございます!!
ここで幕切れにしても大丈夫かなあ、とずっと迷っているのですが、ほんのりとした切なさが伝わっているなら嬉しいです。
本当にありがとうございました。
ええ~、これで終わりなの??
ついったから飛んだから知ってたけど、ほんとにこれで終わり?笑
いや、わかる。
でもわからない。わからないとこがいいよね✨
切り取られた青空のように。
ありかなしかというより、もったいないことすんなあ、と思いましたよ笑
読んでくれてありがとうございます!!
嬉しいです!
もったいないかなあ。終わりにするかまだ迷ってて、完結にはしてないのですけど、うーん……。
感想、本当にありがとうございました!!!