86 / 89
第三章
20.
しおりを挟む
「俺の花嫁だってのに。リリアスも離れろ」
カルが私を引き剥がす。
「だって可愛いいんだもん」
「可愛いのは見かけだけだからな?」
尻尾をぱたぱたしている姿は、慣れてしまうと恐いというより可愛いし、あと毛皮がふわふわで気持ちいいんだけどな。
「それが、例の幻獣ですか」
ディキールが近づいて話しかけて来た。
「幻というわりには存在感ありすぎるがな。まあ、まともな生き物ではないな」
「酷い言い草だ。人間たちが短命なだけだというのに」
一人と一匹が応酬している。獣がいつから存在しているのかわからないが、確かに私も今のいままでこの古の生き物がまだいるとは思っていなかった。
「私も初めてお目にかかりました。話には聞いていましたが。姫さま、大丈夫でしたか?」
ヴィルマが剣を収めてやってきた。教会の重たい扉は開かれ、捕らえられた敵兵と怪我をした近衛兵が外に連れ出され始めていた。
「私は大丈夫よ。ヴィルマは平気?」
聞いてはみたが「大丈夫」という返事を待つまでもなかった。彼女は衣服を乱してさえいない。やはり、この頼りになる人がいなくなるのは、不安だし寂しいわ。
「この獣といい、争いといい、王妃様にはご同情とともにお詫びを申し上げます」
ディキールのその言葉に、同情というのもおかしなものだと思ったが、一応心配してくれた事への礼を述べておく。
「せっかくの結婚式が散々だとは流石に俺も思ってはいるぞ。うん」
カルが私のほうを向いてなんだかよくわからない感想を述べる。
「それって悪かったって言うことなのかしら」「うーん、そうは思うがなんともし難い。どれも俺は招待した覚えはないしなあ」
確かにそれはそうなんでしょうけど。でも白い獣に出会えたのはむしろ楽しかったわ。
そう伝えようとした時、カルの後ろで何かが光るのを目の端で捉えた。それが何かはっきりとはわからなかったが、考えるより早く危険を感じて悲鳴をあげそうになる。そして同時に隣でヴィルマが剣を抜いたのを感じた。
だがそのどれよりも早く反応したのは背後を狙われたはずのカル自身だった。
私が何が起きたか理解した時、彼の足元には短い剣が転がっており、カル自身の剣は抜き放たれて、その剣先はディキールに向かっていた。
「流石ですな」
剣を向けられたままディキールがカルに言った。
「まあな」
二人とも落ち着いている。
「兵が配置されていたことも気づきませんでした。たいしたものだ」
「どうも。相手が勝利に浮かれている時が一番の狙い目だと、お前に教わったからな」
ディキールは微笑んだ。
「いつから私だとわかりましたか?」
「俺の行動がわかる立場なんて限られる。まして思考から行動が読めるヤツなんて殆どいない」
「でしょうな」
「わかってて何故やめなかった」
「何故やったのか、とはお聞きにならないのですか?」
カルは真っ直ぐディキールを見ながら言葉をつづける。
「そんな事聞かなくてもわかっている。お前は元から俺を兄上の補佐役になるように教育していた。態度には出さなかったが、それが覆った時はさぞがっかりした事だろうよ。だが、今回はやり過ぎだ。何故わざわざ引っかかった?」
「立会人なんていう茶番じみた罠に、ですか?」
その言葉を受けてエイスが口を挟んだ。
「罠にするか救済にするか、あなたは選べたはずです」
「救済など始めからないのですよ」
ディキールは始終落ち着いていた。何もかも覚悟の上だったのだろう。
「エイス殿」
ディキールがエイスに顔を向けた。
「何か」
「貴方は賢いし、よい気質をお持ちだ。だが、まだ若い。その事を今暫くはお忘れなきよう」
「……覚えておきます」
ディキールは何処か楽しげにさえ見えた。
「では、参りましょうか。ここで首を刎ねる気はないでしょうから。縄をかけますか?」
「必要ないでしょう。後ほど別室でお聞きしたい事がいろいろあります、暫し近衛がお相手致します」
そうエイスが答えた。カルは己の剣を鞘に収めた。
「ディキール、心配しなくていいぞ。お前の家族や家督には手を出さない。葬式や墓を建てることも普通に許す」
言われた男は初めて険しい顔をした。
「敵に甘くするなと述べてきた筈ですが。覚えておいでではないのですかな」
「覚えているさ、心配しなくとも数日後にはお前は息せぬ体で裏門を運ばれるだろう」
カルの口元が笑いに歪む。
「では、何故」
「適切な褒賞の必要性を説いたのもお前だ、忘れたか?」
「褒賞?」
「そうだ。お前が最後にした事ではなく今までにした事に対してだ。お前は良き師だった、教わった事は今もまだ俺の中にある。俺はその事に報いねばならない」
カルの表情が緩む。
「……俺はあんたが好きだったよ、先生」
「…………」
暫しの沈黙を伴ってディキールの顔がゆっくりと歪んだ。そして力が抜けたように膝を折ると、苦しげな表情の下から呻くように呟いた。
「……それでも……それでも、貴方では駄目なのです……」
カルは黙ってかつて師であった者を見た。それから不意に視線を外すと、近衛隊長を呼んだ。
「リドゥエス!」
「ここに」
下がった所で待っていた彼が前に出る。カルは冷静な声で言った。
「連れて行け」
「かしこまりました」
リドゥエスがディキールの腕を掴んで立たせる。彼は抵抗することもなく、疲れ切ったような表情のまま歩き出した。
と、私の前に来ると彼は立ち止まった。ヴィルマが抜いたままだった剣を持つ手に力を入れるのが感じとれた。だが、私は彼が自分に何かしてくるとは少しも思えなかった。
私は彼に聞いた。カルは分かると言っても、私はわからなかったから。
「何故、ですか」
ディキールはそれには答えずに、私を穏やかな瞳で見つめた。
「ラヴェイラの美しき風の姫よ、どうか陛下をよろしくお願い致します」
そう言って胸に手をあて頭を下げる。
私はその姿に、答えのないという答えもあるのだということを知る。
「……どうぞ良い航海を」
私の言葉に彼は優しげな微笑みで返し、静かに連れ去られて行った。
カルが私を引き剥がす。
「だって可愛いいんだもん」
「可愛いのは見かけだけだからな?」
尻尾をぱたぱたしている姿は、慣れてしまうと恐いというより可愛いし、あと毛皮がふわふわで気持ちいいんだけどな。
「それが、例の幻獣ですか」
ディキールが近づいて話しかけて来た。
「幻というわりには存在感ありすぎるがな。まあ、まともな生き物ではないな」
「酷い言い草だ。人間たちが短命なだけだというのに」
一人と一匹が応酬している。獣がいつから存在しているのかわからないが、確かに私も今のいままでこの古の生き物がまだいるとは思っていなかった。
「私も初めてお目にかかりました。話には聞いていましたが。姫さま、大丈夫でしたか?」
ヴィルマが剣を収めてやってきた。教会の重たい扉は開かれ、捕らえられた敵兵と怪我をした近衛兵が外に連れ出され始めていた。
「私は大丈夫よ。ヴィルマは平気?」
聞いてはみたが「大丈夫」という返事を待つまでもなかった。彼女は衣服を乱してさえいない。やはり、この頼りになる人がいなくなるのは、不安だし寂しいわ。
「この獣といい、争いといい、王妃様にはご同情とともにお詫びを申し上げます」
ディキールのその言葉に、同情というのもおかしなものだと思ったが、一応心配してくれた事への礼を述べておく。
「せっかくの結婚式が散々だとは流石に俺も思ってはいるぞ。うん」
カルが私のほうを向いてなんだかよくわからない感想を述べる。
「それって悪かったって言うことなのかしら」「うーん、そうは思うがなんともし難い。どれも俺は招待した覚えはないしなあ」
確かにそれはそうなんでしょうけど。でも白い獣に出会えたのはむしろ楽しかったわ。
そう伝えようとした時、カルの後ろで何かが光るのを目の端で捉えた。それが何かはっきりとはわからなかったが、考えるより早く危険を感じて悲鳴をあげそうになる。そして同時に隣でヴィルマが剣を抜いたのを感じた。
だがそのどれよりも早く反応したのは背後を狙われたはずのカル自身だった。
私が何が起きたか理解した時、彼の足元には短い剣が転がっており、カル自身の剣は抜き放たれて、その剣先はディキールに向かっていた。
「流石ですな」
剣を向けられたままディキールがカルに言った。
「まあな」
二人とも落ち着いている。
「兵が配置されていたことも気づきませんでした。たいしたものだ」
「どうも。相手が勝利に浮かれている時が一番の狙い目だと、お前に教わったからな」
ディキールは微笑んだ。
「いつから私だとわかりましたか?」
「俺の行動がわかる立場なんて限られる。まして思考から行動が読めるヤツなんて殆どいない」
「でしょうな」
「わかってて何故やめなかった」
「何故やったのか、とはお聞きにならないのですか?」
カルは真っ直ぐディキールを見ながら言葉をつづける。
「そんな事聞かなくてもわかっている。お前は元から俺を兄上の補佐役になるように教育していた。態度には出さなかったが、それが覆った時はさぞがっかりした事だろうよ。だが、今回はやり過ぎだ。何故わざわざ引っかかった?」
「立会人なんていう茶番じみた罠に、ですか?」
その言葉を受けてエイスが口を挟んだ。
「罠にするか救済にするか、あなたは選べたはずです」
「救済など始めからないのですよ」
ディキールは始終落ち着いていた。何もかも覚悟の上だったのだろう。
「エイス殿」
ディキールがエイスに顔を向けた。
「何か」
「貴方は賢いし、よい気質をお持ちだ。だが、まだ若い。その事を今暫くはお忘れなきよう」
「……覚えておきます」
ディキールは何処か楽しげにさえ見えた。
「では、参りましょうか。ここで首を刎ねる気はないでしょうから。縄をかけますか?」
「必要ないでしょう。後ほど別室でお聞きしたい事がいろいろあります、暫し近衛がお相手致します」
そうエイスが答えた。カルは己の剣を鞘に収めた。
「ディキール、心配しなくていいぞ。お前の家族や家督には手を出さない。葬式や墓を建てることも普通に許す」
言われた男は初めて険しい顔をした。
「敵に甘くするなと述べてきた筈ですが。覚えておいでではないのですかな」
「覚えているさ、心配しなくとも数日後にはお前は息せぬ体で裏門を運ばれるだろう」
カルの口元が笑いに歪む。
「では、何故」
「適切な褒賞の必要性を説いたのもお前だ、忘れたか?」
「褒賞?」
「そうだ。お前が最後にした事ではなく今までにした事に対してだ。お前は良き師だった、教わった事は今もまだ俺の中にある。俺はその事に報いねばならない」
カルの表情が緩む。
「……俺はあんたが好きだったよ、先生」
「…………」
暫しの沈黙を伴ってディキールの顔がゆっくりと歪んだ。そして力が抜けたように膝を折ると、苦しげな表情の下から呻くように呟いた。
「……それでも……それでも、貴方では駄目なのです……」
カルは黙ってかつて師であった者を見た。それから不意に視線を外すと、近衛隊長を呼んだ。
「リドゥエス!」
「ここに」
下がった所で待っていた彼が前に出る。カルは冷静な声で言った。
「連れて行け」
「かしこまりました」
リドゥエスがディキールの腕を掴んで立たせる。彼は抵抗することもなく、疲れ切ったような表情のまま歩き出した。
と、私の前に来ると彼は立ち止まった。ヴィルマが抜いたままだった剣を持つ手に力を入れるのが感じとれた。だが、私は彼が自分に何かしてくるとは少しも思えなかった。
私は彼に聞いた。カルは分かると言っても、私はわからなかったから。
「何故、ですか」
ディキールはそれには答えずに、私を穏やかな瞳で見つめた。
「ラヴェイラの美しき風の姫よ、どうか陛下をよろしくお願い致します」
そう言って胸に手をあて頭を下げる。
私はその姿に、答えのないという答えもあるのだということを知る。
「……どうぞ良い航海を」
私の言葉に彼は優しげな微笑みで返し、静かに連れ去られて行った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
35
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる