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2章 霖
2_②
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本当は、笹熊の墓地には行きたくない。添花は心の内を押し隠していた。正確には、同じ駆龍地区に属する蓮橋の墓地に近付きたくないのだ。気まぐれに故郷の近くに来たのは失敗だった。
勝手に期限を悪くした旅人はどんどん歩く。少し後ろを阿美が付いていく。道中で交わした言葉は数えるほどだった。目的地が近付くにつれ添花の気が重くなり、阿美の緊張が高まっていったからだ。
山を降り森を抜けると、岩場に続いて竹林の道になった。人の歩く場所とはいえ、常に往来があるわけではない。ここは野生動物にも通り道だ。茂みの中では熊や虎が縄張りを争っている。
もうすぐ竹林は終わり、あとは笹熊を通り過ぎれば墓地へと続く広野。というところで、ここまで順調だった歩みが止まる。添花の耳に何かの足音が届いていた。
足音の主が茂みを割って出てくる時、添花は既にその場所を見据えていた。馬ほどの大きさの地走り竜と睨みあう。地を蹴る強健な後ろ足と鋭い牙、対照的に小さな前足をもつ肉食の爬虫類は、この地区に多く生息している。動きが早く知能も高いため、熊や虎も彼らを避けて行動する。本来、人間が太刀打ちできる相手ではない。
しかし、添花は竜の目を見て立ったままだ。いつでも動けるよう、手足に僅かに力が入った、隙のない姿勢でいる。
静まり返る竹林の中、遠くでカラスが羽ばたいた。その音を合図に目を背けたのは竜の方だった。向きを変え、茂みの中へ戻っていく。
(にらみ合いで竜を退散させるなんて……何者なの?)
言葉も出ない阿美をよそに、添花はさっさと歩みを再開した。
それからは平穏な道程だった。野生の猛獣が現れないことについて阿美は疑問を浮かべたが、霊と一緒にいるからだとはぐらかされた。
「動物は人間より敏感でしょ。竜が逃げたら近寄ってくるやつなんかいない」
とうとう、阿美が旅人の名前を尋ねそびれたまま、笹熊の墓地に着いた。墓石群を回ると、やがて阿美の名が刻まれた石を見つけた。立ててから間もない、新しいものだ。文字もはっきりしている。
「阿、美……確かに、私の墓なのね」
自らの墓を見るというのは、複雑な気分らしい。魂はここに存在しているのに、墓を参る人たちは石の下の阿美に心を向ける。
添花は墓石の傍に首飾りを置いて、立ち尽くす阿美を見守っていた。
少し下がると、隣り合ういくつかの墓と比べて綺麗に磨かれているのがわかった。供えた花もまだ生きている。
(最近、墓参りに来たんだ。ってことは、旦那さん、今でも……)
恐らくこれは、年に一度の大掃除ではない。
阿美の姿が薄くなってきた。消える前に振り向いて、微笑む。
「ありがとう。たくさん、助けられちゃったわね」
わだかまりが解消して、成仏するのだ。
「ああ、その胸の紋。隣町の人だったのね。今更だけど、あなたの名前を聞きたいわ」
これから魂が行く先はわからないが、いつかまた会えることがあるなら、その名を覚えておきたいと思ったのだ。
「添花」
短く答えると、案外やわらかく微笑む。その表情を見るか見ないかの内に、一瞬の光をまとって阿美の姿は消えた。同時に添花の足は墓地の外へと向く。
まだ日が高い。彼女にとってもとより行きたくなかった場所だから、次の目的地は歩きながら考える。故郷に関わる全てに今は触れずにおきたい。自分の名前にある花という字も、そこに群生する蓮の花を想起させて気に入らない。再び始まる添花のひとり旅は、風下に向かって進んでいった。
勝手に期限を悪くした旅人はどんどん歩く。少し後ろを阿美が付いていく。道中で交わした言葉は数えるほどだった。目的地が近付くにつれ添花の気が重くなり、阿美の緊張が高まっていったからだ。
山を降り森を抜けると、岩場に続いて竹林の道になった。人の歩く場所とはいえ、常に往来があるわけではない。ここは野生動物にも通り道だ。茂みの中では熊や虎が縄張りを争っている。
もうすぐ竹林は終わり、あとは笹熊を通り過ぎれば墓地へと続く広野。というところで、ここまで順調だった歩みが止まる。添花の耳に何かの足音が届いていた。
足音の主が茂みを割って出てくる時、添花は既にその場所を見据えていた。馬ほどの大きさの地走り竜と睨みあう。地を蹴る強健な後ろ足と鋭い牙、対照的に小さな前足をもつ肉食の爬虫類は、この地区に多く生息している。動きが早く知能も高いため、熊や虎も彼らを避けて行動する。本来、人間が太刀打ちできる相手ではない。
しかし、添花は竜の目を見て立ったままだ。いつでも動けるよう、手足に僅かに力が入った、隙のない姿勢でいる。
静まり返る竹林の中、遠くでカラスが羽ばたいた。その音を合図に目を背けたのは竜の方だった。向きを変え、茂みの中へ戻っていく。
(にらみ合いで竜を退散させるなんて……何者なの?)
言葉も出ない阿美をよそに、添花はさっさと歩みを再開した。
それからは平穏な道程だった。野生の猛獣が現れないことについて阿美は疑問を浮かべたが、霊と一緒にいるからだとはぐらかされた。
「動物は人間より敏感でしょ。竜が逃げたら近寄ってくるやつなんかいない」
とうとう、阿美が旅人の名前を尋ねそびれたまま、笹熊の墓地に着いた。墓石群を回ると、やがて阿美の名が刻まれた石を見つけた。立ててから間もない、新しいものだ。文字もはっきりしている。
「阿、美……確かに、私の墓なのね」
自らの墓を見るというのは、複雑な気分らしい。魂はここに存在しているのに、墓を参る人たちは石の下の阿美に心を向ける。
添花は墓石の傍に首飾りを置いて、立ち尽くす阿美を見守っていた。
少し下がると、隣り合ういくつかの墓と比べて綺麗に磨かれているのがわかった。供えた花もまだ生きている。
(最近、墓参りに来たんだ。ってことは、旦那さん、今でも……)
恐らくこれは、年に一度の大掃除ではない。
阿美の姿が薄くなってきた。消える前に振り向いて、微笑む。
「ありがとう。たくさん、助けられちゃったわね」
わだかまりが解消して、成仏するのだ。
「ああ、その胸の紋。隣町の人だったのね。今更だけど、あなたの名前を聞きたいわ」
これから魂が行く先はわからないが、いつかまた会えることがあるなら、その名を覚えておきたいと思ったのだ。
「添花」
短く答えると、案外やわらかく微笑む。その表情を見るか見ないかの内に、一瞬の光をまとって阿美の姿は消えた。同時に添花の足は墓地の外へと向く。
まだ日が高い。彼女にとってもとより行きたくなかった場所だから、次の目的地は歩きながら考える。故郷に関わる全てに今は触れずにおきたい。自分の名前にある花という字も、そこに群生する蓮の花を想起させて気に入らない。再び始まる添花のひとり旅は、風下に向かって進んでいった。
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