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2章 霖
2_⑦
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六洞の入り口へと道を戻る。またひとりの霊を見送り、肩の荷が下りた添花の表情は穏やかだ。
成仏の手助けについて、見返りなどどうでもいいと断言したが、実のところ、見返りがあると添花は思っている。
光となって消える時、霊が浮かべる安らかな表情。それを見ると安心するのだ。自分がそこに居ることを、許されたと感じる。故郷では疎ましいだけの霊能力に意味を探して、添花は旅をするのかもしれない。
(さて。広場の変な目線と、水神の町で北を睨む霊。気になるし、もう少し調べてみよう……か、な?)
不意に足が止まり、横穴の店が並ぶ岩の通りで、添花は洞窟の壁面に寄りかかった。外套を着ているのに、背筋が寒い。頭がふらつく。しばし、その場でしゃがみこんで様子を見ることにした。
(何だろう、ちょっと頑張りすぎた?)
「旅の方、大丈夫ですか」
通行人が心配して声を掛けてきたので、添花はなるべく元気な声で、軽いめまいだから大丈夫だと答えた。
「そう……?」
顔色をじっと見て、通行人は首を傾げる。大丈夫と言う割には、添花の顔は蒼白だった。
一度強く瞬きして、頭を振る。視界が歪んでいないか、ふらつかないか、確認してから立ち上がる。さっと悪寒が引いたら、あとは何ともなかった。
「本当に、大丈夫ですよ。ご心配、ありがとうございます」
下手な愛想笑いを向けると、ますます首を傾げられたが、添花は気にせず歩き出した。足取りがしっかりしているので、通行人もほっとして、自分の用事を済ませに行く。
勢いで町の入り口まで戻ったので、添花の行き先は水神に決まった。六洞で感じた視線は、人間か霊かわからないものだ。多くの目撃証言がある噂の方が、追うには確実だ。
夕方から、霧雨の下で来た道を歩いたため、町と町の中間を行く頃には、かなり夜が深まっていた。
(疲れた。駄目で元々、宿の空き部屋を確かめればよかったな)
六洞は湯治場で人気がある。夕方になれば部屋はいっぱいだと踏んで、宿の所までは戻らなかった。野宿を覚悟で歩いたが、少し後悔している。
道に点在する屋根の下で雨宿りをしていると、何やら、嫌な気配が近付いてきた。吸い込んだ空気が溜息に変わろうとした時、添花はぴたりと動きを止めて、目線で空気を撫で斬りした。
(視線……さっきの?)
少し離れた所に、人影を見つけた。暗い上に霧雨はほとんど濃霧だ、その姿はぼやけている。
「……添花……」
名前を呼ぶやいなや、人影は地を蹴って添花に迫った。知り合いだろうかと考える間もなく、飛び退くことになる。
鋭い拳打を躱してみると、今度は蹴りが飛んでくる。
「ちょっと、何なの、あんた」
邪魔になる荷物を放り投げた添花は、多めに下がって距離をとった。屋根の外に出る形となり、細かい雨粒が頬に貼り付く。人影は頭巾を被っていて、見えるのは目元だけだ。人相はわからない。
「なんなの、ですって? 知らないの私を?」
嘲笑う様子が声から伝わってきた。添花と年の近い女性だが、旅の中で会った覚えのない人物だ。
「知るわけないでしょ。出会い頭に殴りかかるような奴なんか」
添花は、ため息でいくらか苛立ちを追い出す。
顔を隠しているが、人影の目から、声から憎悪がにじんでいる。
「そうね……あんたが分かるはずないか。いいわ、教えてあげる。言うなれば私は霖。添花に降り続く、雨」
言いながら距離を詰めようと走り出すまでの、ほんの一瞬。霖と名乗った人影が構えた型には、見覚えがある気がした。
(同門かな? まあいいか、乗ってあげるよ。ここまで喧嘩売られて、引き下がるかって)
袖も丈も長い外套は荷物と同じく邪魔だが、脱いでいる暇はない。もう霖は間近に迫っていた。
目が合う。
食いつきそう、どころか、食い殺す! というほどの、強い恨みの目。反対に添花の目は冷え切っていて、霖の神経を完全に逆撫でしたようだ。
次々と繰り出される拳の連撃を、添花はことごとく避け、あるいは受け流した。攻撃は単調でいなしやすいが、霖の身のこなしは素早い。頭に血が上っていても、隙が少ないのだった。
添花が突きを内側から払った瞬間、霖の手は外套の袖を掴んだ。
(速さは互角、外套の分は私の方が面倒だね……普通なら)
霖は二の腕が見える短い袖のぴったりした服装だ。手の甲側から袖を掴まれた添花は、片腕の自由を奪われて動きにくくなる、はずだった。一見、有利になったかに見えた霖の目が、驚きに見開かれる。
掴まれたのが袖だけであったのが幸いだった。添花は霖の手を軸に自分の腕を回りこませ、逆に霖の手首を掴んだ。そしてそのまま、すれ違うように歩を進めて捻りあげる。
後ろを取れば、自由な左手で反撃してくるのはわかっていた。掌底で肩を押さえ、右腕の捻りをきつくする。
「もう一度聞くよ。あんた、何なの?」
ようやく大人しくなった霖にもう一度問いかける。こうして拳を交えて、手ごたえがあるのに、どうも彼女は目の前に居る気がしない。
「……ふふ、言ったでしょ。私はあんたに降り続く、霖だって」
圧倒的に不利な形勢でも、霖の声には余裕があった。頭の中では仮に名のようにしているが、霖とは比喩であり名ではなかろう。何者かという問いの答えとしては不満だ。
不気味な奴だ。頭巾で隠れた頬を睨みつけていると、霖は首を回して添花を横目に笑う。
「覚悟なさい。次に会うときは容赦しないわ。あんたを消すことが私の目的なんだから」
「!」
言うなり、黒い煙になって消えた。それは渦を巻き、勢いで添花を吹き飛ばす。先ほど荷物を置いてきた雨宿り屋根の柱に、背中からぶつかる。想定外のことで受身を取りきれず、唇の端を切ってしまった。
既に、霖は気配もない。霊だったのだろうか。
(何あいつ? 嫌な感じ。勝手に現れて、勝手に喧嘩して、捨て台詞投げられてもさ)
口の端をなめて溜息をつくと、荷物を拾う。少しの動作の間に、添花は考え事でいっぱいになりそうな頭を整理した。「覚悟なさい」は、こっちの台詞だ。霖は、恐らく繰り返し姿を現すだろう。しつこい奴だと勘が訴えている。疑問はまた会った時に解けばいい。今は考えても仕方ない。
(ふん、いつでもかかって来いっての)
変な気合を入れて歩き出す。霧雨が粒を大きくし始めた中、霊の声が聞こえないか、耳を澄まして。……雨音ばかりだ。添花がこの地区にいる間に、とうとう雨は止まなかった。
成仏の手助けについて、見返りなどどうでもいいと断言したが、実のところ、見返りがあると添花は思っている。
光となって消える時、霊が浮かべる安らかな表情。それを見ると安心するのだ。自分がそこに居ることを、許されたと感じる。故郷では疎ましいだけの霊能力に意味を探して、添花は旅をするのかもしれない。
(さて。広場の変な目線と、水神の町で北を睨む霊。気になるし、もう少し調べてみよう……か、な?)
不意に足が止まり、横穴の店が並ぶ岩の通りで、添花は洞窟の壁面に寄りかかった。外套を着ているのに、背筋が寒い。頭がふらつく。しばし、その場でしゃがみこんで様子を見ることにした。
(何だろう、ちょっと頑張りすぎた?)
「旅の方、大丈夫ですか」
通行人が心配して声を掛けてきたので、添花はなるべく元気な声で、軽いめまいだから大丈夫だと答えた。
「そう……?」
顔色をじっと見て、通行人は首を傾げる。大丈夫と言う割には、添花の顔は蒼白だった。
一度強く瞬きして、頭を振る。視界が歪んでいないか、ふらつかないか、確認してから立ち上がる。さっと悪寒が引いたら、あとは何ともなかった。
「本当に、大丈夫ですよ。ご心配、ありがとうございます」
下手な愛想笑いを向けると、ますます首を傾げられたが、添花は気にせず歩き出した。足取りがしっかりしているので、通行人もほっとして、自分の用事を済ませに行く。
勢いで町の入り口まで戻ったので、添花の行き先は水神に決まった。六洞で感じた視線は、人間か霊かわからないものだ。多くの目撃証言がある噂の方が、追うには確実だ。
夕方から、霧雨の下で来た道を歩いたため、町と町の中間を行く頃には、かなり夜が深まっていた。
(疲れた。駄目で元々、宿の空き部屋を確かめればよかったな)
六洞は湯治場で人気がある。夕方になれば部屋はいっぱいだと踏んで、宿の所までは戻らなかった。野宿を覚悟で歩いたが、少し後悔している。
道に点在する屋根の下で雨宿りをしていると、何やら、嫌な気配が近付いてきた。吸い込んだ空気が溜息に変わろうとした時、添花はぴたりと動きを止めて、目線で空気を撫で斬りした。
(視線……さっきの?)
少し離れた所に、人影を見つけた。暗い上に霧雨はほとんど濃霧だ、その姿はぼやけている。
「……添花……」
名前を呼ぶやいなや、人影は地を蹴って添花に迫った。知り合いだろうかと考える間もなく、飛び退くことになる。
鋭い拳打を躱してみると、今度は蹴りが飛んでくる。
「ちょっと、何なの、あんた」
邪魔になる荷物を放り投げた添花は、多めに下がって距離をとった。屋根の外に出る形となり、細かい雨粒が頬に貼り付く。人影は頭巾を被っていて、見えるのは目元だけだ。人相はわからない。
「なんなの、ですって? 知らないの私を?」
嘲笑う様子が声から伝わってきた。添花と年の近い女性だが、旅の中で会った覚えのない人物だ。
「知るわけないでしょ。出会い頭に殴りかかるような奴なんか」
添花は、ため息でいくらか苛立ちを追い出す。
顔を隠しているが、人影の目から、声から憎悪がにじんでいる。
「そうね……あんたが分かるはずないか。いいわ、教えてあげる。言うなれば私は霖。添花に降り続く、雨」
言いながら距離を詰めようと走り出すまでの、ほんの一瞬。霖と名乗った人影が構えた型には、見覚えがある気がした。
(同門かな? まあいいか、乗ってあげるよ。ここまで喧嘩売られて、引き下がるかって)
袖も丈も長い外套は荷物と同じく邪魔だが、脱いでいる暇はない。もう霖は間近に迫っていた。
目が合う。
食いつきそう、どころか、食い殺す! というほどの、強い恨みの目。反対に添花の目は冷え切っていて、霖の神経を完全に逆撫でしたようだ。
次々と繰り出される拳の連撃を、添花はことごとく避け、あるいは受け流した。攻撃は単調でいなしやすいが、霖の身のこなしは素早い。頭に血が上っていても、隙が少ないのだった。
添花が突きを内側から払った瞬間、霖の手は外套の袖を掴んだ。
(速さは互角、外套の分は私の方が面倒だね……普通なら)
霖は二の腕が見える短い袖のぴったりした服装だ。手の甲側から袖を掴まれた添花は、片腕の自由を奪われて動きにくくなる、はずだった。一見、有利になったかに見えた霖の目が、驚きに見開かれる。
掴まれたのが袖だけであったのが幸いだった。添花は霖の手を軸に自分の腕を回りこませ、逆に霖の手首を掴んだ。そしてそのまま、すれ違うように歩を進めて捻りあげる。
後ろを取れば、自由な左手で反撃してくるのはわかっていた。掌底で肩を押さえ、右腕の捻りをきつくする。
「もう一度聞くよ。あんた、何なの?」
ようやく大人しくなった霖にもう一度問いかける。こうして拳を交えて、手ごたえがあるのに、どうも彼女は目の前に居る気がしない。
「……ふふ、言ったでしょ。私はあんたに降り続く、霖だって」
圧倒的に不利な形勢でも、霖の声には余裕があった。頭の中では仮に名のようにしているが、霖とは比喩であり名ではなかろう。何者かという問いの答えとしては不満だ。
不気味な奴だ。頭巾で隠れた頬を睨みつけていると、霖は首を回して添花を横目に笑う。
「覚悟なさい。次に会うときは容赦しないわ。あんたを消すことが私の目的なんだから」
「!」
言うなり、黒い煙になって消えた。それは渦を巻き、勢いで添花を吹き飛ばす。先ほど荷物を置いてきた雨宿り屋根の柱に、背中からぶつかる。想定外のことで受身を取りきれず、唇の端を切ってしまった。
既に、霖は気配もない。霊だったのだろうか。
(何あいつ? 嫌な感じ。勝手に現れて、勝手に喧嘩して、捨て台詞投げられてもさ)
口の端をなめて溜息をつくと、荷物を拾う。少しの動作の間に、添花は考え事でいっぱいになりそうな頭を整理した。「覚悟なさい」は、こっちの台詞だ。霖は、恐らく繰り返し姿を現すだろう。しつこい奴だと勘が訴えている。疑問はまた会った時に解けばいい。今は考えても仕方ない。
(ふん、いつでもかかって来いっての)
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