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3章 暁の杼竜
3_①
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もう嫌だ、雨なんかたくさん。いくら考え事を追いやっても、この地区では霖のことがやたらと思い出される。添花は西方面へ進路をとった。
水神、六洞などの属する水芳地区の西方には、断崖絶壁の深い谷がある。平地にいきなり現れる大地の裂け目を眺めてみようと、軽い気持ちで谷を目指した。
「おー……」
周りに誰もいなくても、つい感嘆の声が漏れた。渡ることを許さぬかのようにぱっくりと裂けた大地は、覗き込むと切り立った崖だった。こちら側は平地だが、谷の向こう側は赤みを帯びた岩山になっている。何体か飛竜の姿が見えるが、ごうごうと聞こえる音は彼らの鳴き声ではない。谷で吹く風が、岩に当たってうなっているのだ。壮観な景色である。
「だれか……我の、声を……」
風の中に言葉を拾って、添花は少しだけ嫌な顔をした。霊と思しき呼び声は、谷底から聞こえていた。それに、いつも聞くものとは雰囲気が違う。霊か、悪霊か、はたまた別の何かなのか。
(でも、行くしかないんだろうね。そこらで霊媒師とか除霊師とか名乗ってる奴ら、こんなの降りられっこないし)
普通の霊という可能性もある。添花は虚ろな呟きを繰り返す霊の所へ行くことにした。
慎重に足場を選びながら、時には手の力だけを頼りにして崖を降りる。慣れないことをすると思った以上に疲れるものなので、そこは冷静に、休み休み行く。添花は、並を大きく上回る力を持つだけに、こういう思い切った行動に出てしまうことがある。
(ちょっと、悪い癖かもね)
休憩中に空を見上げて溜息をつき、小さな後悔を吐き出した。もう中ほどまで降りて来ている。谷底に行くのは無事に済みそうだ。
ただ、戻る時はどうするか。登りきる寸前で谷底に落ちれば、怪我では済まないだろう。添花はこの辺りの地理には詳しくないが、谷底を南下していけば登る必要はないと見当をつけていた。赤い岩山の向こうに抜けられるはずだ。問題は、この読みが外れたら、崖を登らなくてはならないということ。
谷底に足を着ける頃には、ほとんど夜になっていた。霊の呼び声は相変わらず風に混じって聞こえるが、今、無理をするのはよくない。あの呼び声は正体が不明瞭だ。
特に猛獣の気配はなし。疲れた体を休めて、翌朝から霊を探せばいい。落石を避けるため、地面にある安定した大岩のそばで、添花は外套にくるまり丸くなった。
「ふぅ……」
深く息をつくと気が抜けて、また霖のことが脳裏をよぎる。彼女は添花のことが嫌いで、添花も霖のことが嫌い。そんな第一印象だった。本当は腹が立つから忘れてやりたい。しかし、心の深くに残って離れない。
(よく見えなかったのにさ。しつこく残っちゃって。印象が最悪な分、存在感が濃いからね。うんざり……)
長い旅で、浅い眠りには慣れている。苛立ちを抱えたまま、添花は目を閉じた。
ふと気付くと、眩しいほどの明るさの中にいた。太陽が谷底まで照らす、正午の頃まで眠っていたのかと錯覚した。
「うわ」
暗いうちには気付かなかった相貌と目が合い、すぐに起き上がる。物言わぬ頭骸骨と面を突き合わせていたのだ。
(あれ、昼とは違うな。後ろの方で光って……何だろ)
空はまだ暗く明け方のようだ。光の出所は添花の背後で、谷底がぐっと狭くなっている。いつからあるのか、古びた小さな祠が建っていた。その前の地面に突き立てられた剣が、まばゆい光を放っているのだ。これのせいで、辺りにごろごろしている白骨が照らされたらしい。
添花は骸骨と対面したことには大して動じなかったが、状況に何か違和感を覚えた。
(この骨。新しいのも古いのもある、でも……霊は?)
霊は肉体から離れた存在だから、苦労して岩を伝って行かなくても、谷を出られる。骨の主がここにいないのは当然だ。何が引っかかるのか考えていると、昨日から耳に届いている呼び声が添花を見つけた。
「……人間か?」
祠の方へ踏み出しかけていた足の向きを変え、添花は呼び声に近付いていった。大きく空間が開けた場所だ。平らな地面と、天を衝く左右の断崖は、谷底というより大地の陥没といった印象だ。
「あんたは?」
話をするには少し遠い位置で立ち止まり、添花は短く問い返した。ここまでは剣の光が届かず、夜明けの空気は薄暗い。朱の装束をまとった男性らしき霊の姿は、やけに不鮮明だった。たとえ真っ暗でも、彼らの姿はよく見えるはずなのに。強い念は感じるが、未練や無念とは違う気がした。
「この谷の町、竜鱗の者だ」
「ふうん……で、透けてるけど、霊なの?」
相手の正体を探るため、添花は率直に聞いてみる。しばらく話に乗っていれば、何かほころびが出てくるだろう。
「そうなのだろうな。死して尚、このような所に留まっているのだから。……お前は、蓮橋の者だろう。霊を信じるのか」
目鼻立ちもはっきりしない顔が添花を見つめる。服の紋様から、添花の出身を推察した素振りだ。
「だって、目の前にいるし。見えるものを疑ってもね」
気のない風に言って、旅の中、霊を成仏させて回っていることは伏せた。ぼやけた霊の姿は添花より背が高いが、もっとずっと上からの視線を感じる。やはり、普通の霊ではなさそうだった。
「そうか……」
霊の声に、岩が崩れるような低い音が重なる。
(ほら、この威圧感。これは、まずいのに引っ掛かったなあ……空気がぴりぴりする)
咄嗟に目を閉じて、空気の動きに集中した。今は視覚が役に立たない。ひとまず霊から離れるため、できるだけ大きく飛び退く。
すると、つま先をかすって地面がえぐられた。人ひとりがすっぽり入るほどの穴ができてしまった。
添花は大袈裟に避けたつもりだったので、着地と共に開いた目を丸くする。今も霊は朱の装束の男だが、これは仮の姿なのだ。おそらくは、かなり大物の竜。
ただ、腑に落ちないところもある。なぜ、竜が人間霊の姿を借り、姿を隠していられるのか。他者の助力があると仮定しても、何のための行動なのか。
「失敗、か……役立たずね」
(霖! どこだ? ……崖の上か。あいつが?)
一言吐き捨てると、霖の気配はさっさとどこかに消えた。すると、今まで見えなかった竜の姿が現れる。
顔だけで、そこそこ裕福な一軒家ほどの大きさだ。口には馬が何頭入るだろう。
幸い添花が逃れたのは谷の狭い方向だ。竜が入って来られない幅の、奥へ奥へと走っていく。崖と崖の間に鼻先を突っ込んで、竜は届かなくなった牙をカシカシ鳴らした。
(うっわ、食う気だよ。あの馬力じゃ、崖が崩れるのは時間の問題だね)
突然に現れ、いなくなった霖のことは気になるが、まず、現状を何とかしなくては。祠がある、より狭い奥へ向かいながら、添花の脳裏にさっき見た竜の姿がよぎった。
血走った目の向こう、竜の背中には翼があった。飛竜なのだ。では、なぜこんな所で飢えているのだろう。
きっと単純に、飛べないからだ。祠の前に突き立てられた剣に、結論が示してあった。青白く光る刀身に、より強い光の文字が浮かび上がっている。
忌むべき竜の翼を、我、ここに封ず
添花は少し息を呑んだ。銀色なのに、この剣は透明感がある。美しい刃はすらりと長く、同じく普通より長い柄が、竜鱗の刀工による作だと物語っていた。鍔には町の紋も刻まれている。
「竜と共生する町の者に、封じられるなんて」
率直な感想がこぼれたらすっと息が吸えて、幼少期に伝え聞いたことを思い出した。添花が生まれた頃、竜鱗の門下達が巨竜と戦ったそうだ。
「久々の……食料だ……っ」
巷を騒がす暴れ竜だったのだろう。ここへ追い込んで、名剣とその使い手の力で封じるのが精一杯であったか。
久しぶりに現れた餌に牙を、爪を伸ばす竜の目は、正気とは言いがたい。迷い込む生き物で細々と食いつないできたから、大きな口には飴玉ほどの大きさになる添花でも、今はご馳走に見えている。
「ちょっと、届きもしないくせに食糧扱い?」
竜に向き直り、添花はわざと薄笑みを浮かべた。祠を守るため、谷の狭いところには結界が張ってあるようだった。あの爪が添花に届くことはない。挑発して喋らせれば、強大な相手でも対処法が見えてくると思った。
「お前こそ……この崖は登れぬであろう。諦めて、我が糧となるがいい。魂までも、食ろうてやるわ!」
竜が吼える。魂までも、というのが引っかかった。ちょうど、谷底に転がる白骨を見た時と同じ違和感だ。
「あんた……まさか、人の魂を」
「ふん、霊魂など生身ほどは足しにならんが。ないよりはましだ」
添花の喉が震えた。きゅっと拳を握って、地面を踏みしめる。霊の気配を探すとき、空気を撫で斬りにする瞳は、真っ直ぐに竜を射抜いていた。
(食べることを悪いとはいわない、けど、こいつはふざけてる!)
体がなくなっても、魂には成仏という安息がある。そう思うからこそ、添花は旅の中で霊に関わるのだ。でなくては、何のために霊は成仏するのだ。
ここで竜に殺された人達は、霊魂まで食われたようだ。竜は、実体のないものまで吸収するらしい。あの白骨の主達は、思い残したことがあるまま、二度も殺された。
(そんなことしておいて、ないよりはましだなんて、よく言える。あいつの腹は、霊の無念でいっぱいだよ!)
どれだけ霊の気配を探しても、竜の腹の中には見つからない。残留思念なのか、ぼやけた唸りだけが耳に届く。悲鳴にも似たそれは、助けを待っているように聞こえた。
何とかしたい……が、岩のような皮膚や鱗が、添花の力で砕けるはずがない。一歩、二歩と竜に近付きながら、添花は深く息を吸い、できるだけ時間をかけて吐き出した。ここで冷静さを欠けば、竜の腹に収まるのが落ちだ。心を鎮めて、できることを考える。
(気功術なら。力では圧倒的に不利だ、狙うべきは弱いところ)
あと少しで結界の外に出る。足には自信があるので、走り回って弱点を見つけるつもりだ。
また一歩、竜に近付いた時。上から声が降ってきた。
「おい、こんな所で何してる!」
驚いて見上げると、飛竜が降下してきた。背中に人が乗っている。
(……って、何であんたがここにいるの?)
口を開いたが、添花はすぐに言葉が出ない。竜に乗った青年に覚えがあったのだ。
「紅龍(こうりゅう)?」
「て、添花?」
互いの名を呼んで、しばし固まる。飛竜は着地し、紅龍を背に乗せたままじろりと添花を見た。
「何でお前がここにいるんだ?」
ついさっき、自分も浮かべた言葉を言われて状況を思い出す。瞬間、巨大な竜に目をやってから、紅龍を見上げる。
「話すと、長くなるよ」
「だよな、とりあえず乗れ!」
差し伸べられた手を掴むと、紅龍は添花を軽々引き上げて飛竜の背に乗せた。ひとまずこの場を離脱することになる。
羽ばたきの音とともに、どんどん地面が離れていく。添花は、ああ、どうしてあんな苦労をして崖を降りたんだろう……と、場違いなことを思った。
水神、六洞などの属する水芳地区の西方には、断崖絶壁の深い谷がある。平地にいきなり現れる大地の裂け目を眺めてみようと、軽い気持ちで谷を目指した。
「おー……」
周りに誰もいなくても、つい感嘆の声が漏れた。渡ることを許さぬかのようにぱっくりと裂けた大地は、覗き込むと切り立った崖だった。こちら側は平地だが、谷の向こう側は赤みを帯びた岩山になっている。何体か飛竜の姿が見えるが、ごうごうと聞こえる音は彼らの鳴き声ではない。谷で吹く風が、岩に当たってうなっているのだ。壮観な景色である。
「だれか……我の、声を……」
風の中に言葉を拾って、添花は少しだけ嫌な顔をした。霊と思しき呼び声は、谷底から聞こえていた。それに、いつも聞くものとは雰囲気が違う。霊か、悪霊か、はたまた別の何かなのか。
(でも、行くしかないんだろうね。そこらで霊媒師とか除霊師とか名乗ってる奴ら、こんなの降りられっこないし)
普通の霊という可能性もある。添花は虚ろな呟きを繰り返す霊の所へ行くことにした。
慎重に足場を選びながら、時には手の力だけを頼りにして崖を降りる。慣れないことをすると思った以上に疲れるものなので、そこは冷静に、休み休み行く。添花は、並を大きく上回る力を持つだけに、こういう思い切った行動に出てしまうことがある。
(ちょっと、悪い癖かもね)
休憩中に空を見上げて溜息をつき、小さな後悔を吐き出した。もう中ほどまで降りて来ている。谷底に行くのは無事に済みそうだ。
ただ、戻る時はどうするか。登りきる寸前で谷底に落ちれば、怪我では済まないだろう。添花はこの辺りの地理には詳しくないが、谷底を南下していけば登る必要はないと見当をつけていた。赤い岩山の向こうに抜けられるはずだ。問題は、この読みが外れたら、崖を登らなくてはならないということ。
谷底に足を着ける頃には、ほとんど夜になっていた。霊の呼び声は相変わらず風に混じって聞こえるが、今、無理をするのはよくない。あの呼び声は正体が不明瞭だ。
特に猛獣の気配はなし。疲れた体を休めて、翌朝から霊を探せばいい。落石を避けるため、地面にある安定した大岩のそばで、添花は外套にくるまり丸くなった。
「ふぅ……」
深く息をつくと気が抜けて、また霖のことが脳裏をよぎる。彼女は添花のことが嫌いで、添花も霖のことが嫌い。そんな第一印象だった。本当は腹が立つから忘れてやりたい。しかし、心の深くに残って離れない。
(よく見えなかったのにさ。しつこく残っちゃって。印象が最悪な分、存在感が濃いからね。うんざり……)
長い旅で、浅い眠りには慣れている。苛立ちを抱えたまま、添花は目を閉じた。
ふと気付くと、眩しいほどの明るさの中にいた。太陽が谷底まで照らす、正午の頃まで眠っていたのかと錯覚した。
「うわ」
暗いうちには気付かなかった相貌と目が合い、すぐに起き上がる。物言わぬ頭骸骨と面を突き合わせていたのだ。
(あれ、昼とは違うな。後ろの方で光って……何だろ)
空はまだ暗く明け方のようだ。光の出所は添花の背後で、谷底がぐっと狭くなっている。いつからあるのか、古びた小さな祠が建っていた。その前の地面に突き立てられた剣が、まばゆい光を放っているのだ。これのせいで、辺りにごろごろしている白骨が照らされたらしい。
添花は骸骨と対面したことには大して動じなかったが、状況に何か違和感を覚えた。
(この骨。新しいのも古いのもある、でも……霊は?)
霊は肉体から離れた存在だから、苦労して岩を伝って行かなくても、谷を出られる。骨の主がここにいないのは当然だ。何が引っかかるのか考えていると、昨日から耳に届いている呼び声が添花を見つけた。
「……人間か?」
祠の方へ踏み出しかけていた足の向きを変え、添花は呼び声に近付いていった。大きく空間が開けた場所だ。平らな地面と、天を衝く左右の断崖は、谷底というより大地の陥没といった印象だ。
「あんたは?」
話をするには少し遠い位置で立ち止まり、添花は短く問い返した。ここまでは剣の光が届かず、夜明けの空気は薄暗い。朱の装束をまとった男性らしき霊の姿は、やけに不鮮明だった。たとえ真っ暗でも、彼らの姿はよく見えるはずなのに。強い念は感じるが、未練や無念とは違う気がした。
「この谷の町、竜鱗の者だ」
「ふうん……で、透けてるけど、霊なの?」
相手の正体を探るため、添花は率直に聞いてみる。しばらく話に乗っていれば、何かほころびが出てくるだろう。
「そうなのだろうな。死して尚、このような所に留まっているのだから。……お前は、蓮橋の者だろう。霊を信じるのか」
目鼻立ちもはっきりしない顔が添花を見つめる。服の紋様から、添花の出身を推察した素振りだ。
「だって、目の前にいるし。見えるものを疑ってもね」
気のない風に言って、旅の中、霊を成仏させて回っていることは伏せた。ぼやけた霊の姿は添花より背が高いが、もっとずっと上からの視線を感じる。やはり、普通の霊ではなさそうだった。
「そうか……」
霊の声に、岩が崩れるような低い音が重なる。
(ほら、この威圧感。これは、まずいのに引っ掛かったなあ……空気がぴりぴりする)
咄嗟に目を閉じて、空気の動きに集中した。今は視覚が役に立たない。ひとまず霊から離れるため、できるだけ大きく飛び退く。
すると、つま先をかすって地面がえぐられた。人ひとりがすっぽり入るほどの穴ができてしまった。
添花は大袈裟に避けたつもりだったので、着地と共に開いた目を丸くする。今も霊は朱の装束の男だが、これは仮の姿なのだ。おそらくは、かなり大物の竜。
ただ、腑に落ちないところもある。なぜ、竜が人間霊の姿を借り、姿を隠していられるのか。他者の助力があると仮定しても、何のための行動なのか。
「失敗、か……役立たずね」
(霖! どこだ? ……崖の上か。あいつが?)
一言吐き捨てると、霖の気配はさっさとどこかに消えた。すると、今まで見えなかった竜の姿が現れる。
顔だけで、そこそこ裕福な一軒家ほどの大きさだ。口には馬が何頭入るだろう。
幸い添花が逃れたのは谷の狭い方向だ。竜が入って来られない幅の、奥へ奥へと走っていく。崖と崖の間に鼻先を突っ込んで、竜は届かなくなった牙をカシカシ鳴らした。
(うっわ、食う気だよ。あの馬力じゃ、崖が崩れるのは時間の問題だね)
突然に現れ、いなくなった霖のことは気になるが、まず、現状を何とかしなくては。祠がある、より狭い奥へ向かいながら、添花の脳裏にさっき見た竜の姿がよぎった。
血走った目の向こう、竜の背中には翼があった。飛竜なのだ。では、なぜこんな所で飢えているのだろう。
きっと単純に、飛べないからだ。祠の前に突き立てられた剣に、結論が示してあった。青白く光る刀身に、より強い光の文字が浮かび上がっている。
忌むべき竜の翼を、我、ここに封ず
添花は少し息を呑んだ。銀色なのに、この剣は透明感がある。美しい刃はすらりと長く、同じく普通より長い柄が、竜鱗の刀工による作だと物語っていた。鍔には町の紋も刻まれている。
「竜と共生する町の者に、封じられるなんて」
率直な感想がこぼれたらすっと息が吸えて、幼少期に伝え聞いたことを思い出した。添花が生まれた頃、竜鱗の門下達が巨竜と戦ったそうだ。
「久々の……食料だ……っ」
巷を騒がす暴れ竜だったのだろう。ここへ追い込んで、名剣とその使い手の力で封じるのが精一杯であったか。
久しぶりに現れた餌に牙を、爪を伸ばす竜の目は、正気とは言いがたい。迷い込む生き物で細々と食いつないできたから、大きな口には飴玉ほどの大きさになる添花でも、今はご馳走に見えている。
「ちょっと、届きもしないくせに食糧扱い?」
竜に向き直り、添花はわざと薄笑みを浮かべた。祠を守るため、谷の狭いところには結界が張ってあるようだった。あの爪が添花に届くことはない。挑発して喋らせれば、強大な相手でも対処法が見えてくると思った。
「お前こそ……この崖は登れぬであろう。諦めて、我が糧となるがいい。魂までも、食ろうてやるわ!」
竜が吼える。魂までも、というのが引っかかった。ちょうど、谷底に転がる白骨を見た時と同じ違和感だ。
「あんた……まさか、人の魂を」
「ふん、霊魂など生身ほどは足しにならんが。ないよりはましだ」
添花の喉が震えた。きゅっと拳を握って、地面を踏みしめる。霊の気配を探すとき、空気を撫で斬りにする瞳は、真っ直ぐに竜を射抜いていた。
(食べることを悪いとはいわない、けど、こいつはふざけてる!)
体がなくなっても、魂には成仏という安息がある。そう思うからこそ、添花は旅の中で霊に関わるのだ。でなくては、何のために霊は成仏するのだ。
ここで竜に殺された人達は、霊魂まで食われたようだ。竜は、実体のないものまで吸収するらしい。あの白骨の主達は、思い残したことがあるまま、二度も殺された。
(そんなことしておいて、ないよりはましだなんて、よく言える。あいつの腹は、霊の無念でいっぱいだよ!)
どれだけ霊の気配を探しても、竜の腹の中には見つからない。残留思念なのか、ぼやけた唸りだけが耳に届く。悲鳴にも似たそれは、助けを待っているように聞こえた。
何とかしたい……が、岩のような皮膚や鱗が、添花の力で砕けるはずがない。一歩、二歩と竜に近付きながら、添花は深く息を吸い、できるだけ時間をかけて吐き出した。ここで冷静さを欠けば、竜の腹に収まるのが落ちだ。心を鎮めて、できることを考える。
(気功術なら。力では圧倒的に不利だ、狙うべきは弱いところ)
あと少しで結界の外に出る。足には自信があるので、走り回って弱点を見つけるつもりだ。
また一歩、竜に近付いた時。上から声が降ってきた。
「おい、こんな所で何してる!」
驚いて見上げると、飛竜が降下してきた。背中に人が乗っている。
(……って、何であんたがここにいるの?)
口を開いたが、添花はすぐに言葉が出ない。竜に乗った青年に覚えがあったのだ。
「紅龍(こうりゅう)?」
「て、添花?」
互いの名を呼んで、しばし固まる。飛竜は着地し、紅龍を背に乗せたままじろりと添花を見た。
「何でお前がここにいるんだ?」
ついさっき、自分も浮かべた言葉を言われて状況を思い出す。瞬間、巨大な竜に目をやってから、紅龍を見上げる。
「話すと、長くなるよ」
「だよな、とりあえず乗れ!」
差し伸べられた手を掴むと、紅龍は添花を軽々引き上げて飛竜の背に乗せた。ひとまずこの場を離脱することになる。
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