蓮の呼び声

こま

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1章 声

1_②

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 添花の目を見ていたら、口からこぼれる言葉があった。
「三十七」
 霊は驚いて自分の手で口を塞いだ。忘れた名前を問われて、なぜ数字が出てきたのだろう。嫌な響きだ。
「ううん、生前のことは忘れたわ。故郷も、名前も、全部」
 そう聞いて、呼びにくいなと苦笑いした添花はしゃがむ。てきとうに拾った石で地面に文字を書いた。三十七。霊には不快な文字列を消すこともできないので、目を逸らした。
「……ミ、ツ、ナ」
「え?」
「当面の呼び名。三十七、一文字ずつどうにか名前っぽく読み替えてミツナ。ね」
 これで決まりとばかりに、添花は地面の文字を踏み消した。霊になって新たな名前を貰うとは思わなかったが、漂うばかりだった自分が形を得たようで嬉しい。数字の印象が少し変わり、ミツナは頷いた。
 添花という協力者を得て、ミツナの置かれた状況は変わった。澄詞が死んだばかりの町は? などと縁起の悪い話を、ずばり人に聞いてくれるのだ。慣れた様子にもしやと思ったら、添花は行く先々で霊の手助けをしているらしい。
「縁起でもないこと言うね、お前さん」
 町人に訝しげな顔を向けられても動じない。添花の薄い愛想笑いは無表情に近く、きりりとした眼光の強さを少し和らげる程度だ。
「詳しく知らないから、聞かなきゃどうしようもないんです。護衛した商人から、旅のついでに届けてほしいと頼まれて。澄詞の不幸に手向けるお供え、旅人に託すなんてどうなんでしょうね」
 竜神の声を聞く澄詞が支える地区だ。信心深い振りをした商人が、良い名を広めるために澄詞に奉じるという話はよくある。添花の言ったことは、他所から来た旅人が商人に使われたと思わせる出まかせだった。
(でも、女が商人の護衛をしたなんて信じるかしら)
 ミツナの心配は的中し、町人は口をへの字に曲げた。嘘をつけと責められはしなかったが、進展もなしだ。暮れてくるまで聞き込みをしても同じだった。
 宿をとり明かりを消した後の部屋で、ふたりはぽつぽつと話した。
「商人の護衛なんて、出まかせ言って雇われちゃったら大変よ」
「大丈夫。普段、路銀稼ぎにやってるから
 勇ましいことに、添花は古くからある拳法を習得しているそうだ。聞かれた以上には話さないので半信半疑だったが、本当なら頼もしい。
「明日は隣町に行ってみようか。ああ、何か思い出したら言ってね」
 欠伸交じりの言葉に裏はなさそうだが、ミツナの耳には妙に聞こえた。ただのお人好し、または世の中で稀に見る親切の塊にしては、添花の態度は無愛想だ。協力してくれるのは有り難いものの、違和感がある。
「ねえ、添花」
 どうして霊の手助けをするのか、聞いてみたい。喉まで出かかった問いは、やはり飲み込むことにした。ミツナの言葉を待つ添花の目は、昼間と違って深い闇色に見えた。出会ったばかりで、そこへ踏み込んではいけない気がしたのだ。
「……除霊の他にやりようがあるって、どうやって私を成仏させるつもりなの?」
「簡単に言うと、未練を晴らす。この世に留まるのは、心に引っかかる何かがあるからでしょ。それを何とかする」
 未練を含めて記憶のない霊を相手に、よくあっさり協力を決意したものだ。迷いのなさにミツナは戸惑った。こんな風に、まっすぐ生きられればよかった……ふいと頭を掠めた想いが、記憶の欠片に思えた。眠りの要らない身だから、これまでより真剣に、自分の生前を考えて朝を待った。
 翌朝になっても、記憶は相変わらずミツナの頭を留守にしていた。思い出したのは、添花の着物に染められた紋が、確かに高名な道場のある町のものだということくらいだ。ここから地区三つ分は離れている。今は日よけのために襟が立った丈の長い外套を着て、添花の紋も表情も見えない。隣町を目指す旅路は、商人に手間賃を払って道案内を頼んだから、ミツナは一応黙っていた。虚空と話していたら、添花が気味悪がられてしまう。
 じりじり照りつける太陽と、時折吹く風で舞い上がる赤い土。道中にちらほら見える岩場や樹木は死角になり得る。商人が護衛を雇うのは、そこに潜む柄の悪い者共を退けるためだった。
「右手の岩場に四、五人いる。あっちの木も、後ろに二人」
 歩きながら、添花が簡潔に言う。わざと大きめの声を出した感じだ。このまま進めば囲まれると、少し緊張した目つきで商人に伝えた。荷車を引く、連れの多い徒歩の旅だから、撒くのは難しい。
 ひとりだけ荷車を引いていないのが商人の長で、添花の言った内容を理解すると顔を引きつらせた。ぴたりと足を止めてしまうが、柄の悪い者共はもうすぐそこにいる。ミツナもつい、身構えた。
「ちょっと追い払うから、案内の手間賃ちゃらにしてくださいね」
 こともなげにそう言って進み出る添花の前に、居場所の割れた男達がぞろりと姿を現す。荷と金を狙う盗賊は、あくどい笑みとどすを携えている。添花はミツナよりは身長が高かったが、男と比べるとやはり小さい。武器もなしに、どうするのだろう。
「ね、あんたらの中で誰が一番強い? そいつに私が勝ったら退散してくれないかな」
(自信たっぷり。これ、かえって怒らせちゃうんじゃないかしら)
 上目遣いに睨みをきかせて笑う添花に対し、男達の怒気が高まっている。ミツナは恐くて、もとより見えない姿を荷車の陰に隠した。
「みんな大して変わらないなら、まとめて掛かってきてもいいよ」
 声にも笑いを含んで、明らかに挑発している。本当に、本当に大丈夫なんだろうか。心配になったが、様子を見に顔を出すのも嫌だ。
「このっ……ぶ」
 ぶ? 妙な声と共に、ごつんと鈍い音もした。
「てめえ、よくもべっ」
 べ? 汚い言葉は吐ききられる前に途切れる。何が起きているのか、ミツナはそろりと荷車の向こうを覗いた。
 添花は数人の男に囲まれている。どすを振りかざした、あるいは突き出したところを見計らい、ひらりとかわす。すると勢い余って、男同士は勝手に顔面からぶつかった。さすがに学習して、いったん切りかかる手を止める。恐らく添花はどすを避けただけなのに、男達の顔に瘤ができていた。何とも情けない。
「らぁーっ」
 やぶれかぶれとなり、気合を入れて全員でかかるも、添花は出遅れたひとりを見極め、素早い身のこなしで体当たりする。そのまますれ違うようにして腕を捻り挙げ、どすを奪うと、後ろから男の首筋に突きつけた。
「私、刃物の扱いは得意じゃないんだよね。今日は……これで勘弁してあげようか」
 ぐっと握り締めたどすは、人を傷つけることなく柄が割れて刃が落ちた。
(どすを、素手で壊した? ……気功も使う拳法だったのかしらね)
 添花が戦う女性だと知っていたミツナはともかく、いきなり恐ろしい力を目にした男達は縮み上がる。あっという間に、赤い土煙をあげて逃げていった。残りの道中は、商人たちも何となく添花を遠巻きにした。周囲の目が変わっても、添花はさっぱり気にしていないように見えた。
 隣町に着いたのは、暮れてもうすぐ星が出ようという頃合だった。商人は案内の手間賃に色をつけて添花に返し、誠に丁寧に礼を言って去る。次に会ったら、正式に護衛を依頼されるかもしれない。
 この刻限はひどく寒いし、聞き込みをする相手もわずか。ミツナ達はすぐに宿をとって休むことにした。部屋でふたりになると気兼ねしないでいいから、今晩も他愛のない話をする。
「昼間の立ち回り、格好よかったわ」
「そう? あいつらより、ミツナの方が根性あるね」
 星が綺麗だから、添花は暗い部屋の窓から空を眺めている。悪戯っぽく細めた目は、ミツナが盗賊を恐れて隠れていたことを見透かしていそうだ。
「地元では誰も格好いいなんて言わないよ。普通ならとうに道場を辞めてる頃合だし、あんなのに負けたら面汚しだし」
 ぺらぺらと言葉が続くのは、照れているからか。沈着な態度を崩した今なら、添花に思うことを聞ける気がした。ミツナは少し言い方を工夫する。
「いいわね、故郷があって。旅の合間に帰ることはあるの?」
 しまった、という顔をさせればしめたもの。全てを忘れたミツナに対し、悪いことを言ったと気負ったようだ。その上でなら、どんな問いにも答えてくれるだろう。遠まわしに旅の理由を尋ねる。
「ふふ、そんな顔しないで。あたしの生まれはこの地区でしょうし、気にしてないわ。添花は帰りたくないのかなって、思っただけよ」
 ミツナの笑い声と反対に添花はしゅんとして、星を見るのをやめた。窓べりに組んだ腕に顎をのせると、くぐもった声で切り出す。
「あんた、女らしい聞き方するね。……ま、いいや。本当の事言うと、私は帰りたくないから、こういう旅を続けてるんだ」
 添花の生まれ育った蓮橋の町は、霊を忌み嫌う性格があるそうだ。見えることを公にはできないし、もし露見すれば疎まれる。帰る場所を失う。道場を据え、心身を鍛える場であるから、形のない霊なるものを見る人間は異端なのだ。
「色々、都合がいいの。窮屈な故郷を出て、霊の呼び声を聞いて……私に、できることがある。帰らないほうが楽なんだよ」
「……ごめん、変なこと聞いて」
 今度は、ミツナがしまったという顔をすることになった。添花に言いにくいことを言わせたと思うのだ。ところが、添花はミツナの様子を笑う。それに続く表情を隠すように、傍に敷いてある布団に潜り込んだ。
「はっ、あんたが謝ることないよ。むしろ怒るところでしょ? 私は霊を可哀相と思うわけでも、善意で協力するわけでもないんだから」
(なんだ、それを気にしていたのね。そこらの霊媒師より良心的だわ)
 ミツナはちょっと笑った。彼女を見捨てた数々の霊媒師は、除霊の先にあるお金と向き合っていたが、添花は霊自身と向き合う。奥にどんな感情を秘めていても、その方がミツナは楽だ。女々しくこね回さない、さっぱりした物言いも小気味よい。踏み込んだことを話したのだって、悪いことをしたと思った分の義理だろう。
「怒らないわよ。あなたに会えて、あたしは運がよかった。だってね……」
 お返しに、とことん聞いてもらおう。添花がうとうとしだすまで、ミツナは憎き霊媒師達の話をした。霊になってからの記憶を遡っていくと、そのうち生前のことも思い出せるような気がした。
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