蓮の呼び声

こま

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1章 声

1_③

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 ひとつ、分かったことがあった。名前を聞かれた折、ミツナが口走った数字のことだ。
「あたし、町で三十七代目の澄詞だったのよ」
 朝一番で思い出したことを告げるミツナは、ちっとも嬉しそうではない。
「死にかけのあたしに、数字で呼びかけても起き上がる気力なんかないわよ! 好きで澄詞になったんじゃないし!」
 ひとりで怒り始めたミツナが無意識に口走ったことを、記憶の糸口として添花は心に留めた。
「じゃあ、あんたが死んだのが最近なら、澄詞が三十八代目の町に行けばいいんだよね」
 肩をぽんと叩かれ、ミツナは我に返る。怒りがしぼんだ代わりに、じわじわと情けなさがこみ上げてきた。そのわけは、まだ添花に言えなかった。
(あたしは、死にたかったんだ。なのに何故……この世にいるの?)
 目を閉じると、瞼の裏に何本も並んだ杭が見えた。そのうち、一本だけが随分と深く打ち込まれて低い。ミツナは、その杭が自分なのだと思った。
(出る杭は打たれるというけど、低すぎても目立つのは同じだわ)
 深く打ち込まれた分、地面の中に出張っているのだ。
 澄詞が三十八代目を数える町を尋ねて歩いたら、地区内に六つある町のうち半数がそうとわかった。他も三十九とか四十とか、大差はない。澄詞の代の他に手がかりもなく、故郷を絞れずにいる。休憩に入った木陰で、ふたりそろって溜息をついた。
 本当は澄詞に頼れば強制的に成仏できると、ミツナは気付いている。いや、添花も気付いていて言わずにいるのかもしれない。
 記憶というのが正しいのか、ミツナの心には生前の感情が渦を巻いている。多くを占めるのは、他の澄詞に対する劣等感だった。
(こんな暑い所に添花を何日も引き止めるのは悪いわよね。死んでもあいつらの世話になんかなるかって、思っていたけど……)
 涼しい顔をしていても、温度を感じない霊と違って、添花は不慣れな気候に汗をかいている。何人もの霊媒師が見捨てた霊にここまで付き合ってくれる人ゆえに、いつまでも迷惑をかけたくない。気付いたことを言って、さっさと離れよう。言葉の通りにできるかは別として。
「ねえ添花、あたし、やっぱり他の澄詞に成仏させてもらおうと思うの。今までありがとうね……って、ちょっと?」
 ミツナの決意をよそに、添花は出会った時と同じように袖を掴んで、人気のない路地を目指してどんどん歩く。例によって大人しく引きずられるしかなく、路地裏で添花の顔を真正面から見ることになった。生まれて初めて胸倉を掴まれたのだ。
「私は嫌だ。あんたの思い残したこと、どうにもできてない。無理に成仏してから未練に気付いたら、遅いんじゃないの?」
 怒った口調と裏腹に、添花の目は底なし沼のような悲しみを湛えていた。深い藍色に溺れて、ミツナは何も言い返せない。
「関わった以上は、すっきり逝ってほしいと思うんだ。霊が気を晴らして成仏するのは、笑って死ねる最後の好機だろうから……それは、私のわがままなのかな」
(添花ったら、善意がないなんて嘘ね。優しさを隠そうとする天邪鬼)
 こんな風にまっすぐ向き合ってミツナを想ってくれる人など、生前はほとんどいなかった。
 澄詞になれば家族との縁は切れ、人と竜神を繋ぐ存在となる。代々の澄詞が眠り、霊力を蓄える霊廟と共に、墓守に守られて暮らす。重要なのは、竜神の声を正しく聞けるかどうか。澄詞は竜神の口だった。
 そうだ、しかと役目を務めるためにミツナは相当な努力をしていた。他の澄詞に追いつこうと霊力を高め、品格をもった振る舞いを心がけ……なぜだか、添花の目の奥から記憶が溢れてくる感じがする。
「規白って、代赭の町で墓守になったあいつか? まさか」
 そこに、思考を止める鋭い声が届いた。ひそひそ話だが驚いた響きだ。
「偉くなって曲がっちまったのかね。俺達には、霊廟の宝なんて縁がないからな」
 声は路地の入り口辺りから聞こえる。急にそっちを見て目を丸くしたミツナと同様、添花も胸倉を放して噂に聞き入る。どうやら、町を見回る下級の墓守が隣町のことを話しているようだ。
「うそ……規白、あいつが?」
 墓守が殺されたらしい。その名を知っていることに、ミツナは言ってから気付いた。真面目にすぎる堅物で、だからこそミツナの頑張りを認め、応援してくれていた。近くに仕えた墓守のひとりだ。
「あたし、代赭の澄詞だったんだ……」
 でも、信じられない。規白の死は、代々の澄詞に捧げられた宝の横流しを恨まれての、暗殺によるという。
「行こうか。代赭の町」
 呆然とする横顔に向かって添花がかける声に、ミツナはただ頷いた。
 隣町へ向かうと、少しずつ記憶が蘇ってきた。生前の立場や故郷を思い出すと、それを鍵にどんどん自分がはっきりしてくる。
「澄詞の中では、あたし、落ちこぼれだったの」

 乗り合いの馬車に乗れたので、つらつらと愚痴をこぼす。添花は車体の揺れる音に紛らせて、時々相槌を打った。
「町で一番に巫女の素養があっても、他の澄詞と並べれば凡人。あたし達の立場じゃ、普通の奴こそはみ出し者なのよ。澄詞なんか……くそくらえだわ」

 こんな汚い言葉も、人目をはばからない粗野な振る舞いも、自分に禁じて生きていた。澄詞が顔を揃える場ではけなされても、町では頼られる。どこにいる時も気を抜けず、ミツナは疲れていた。

「占いは当たったり外れたり。試しに自分の吉凶を占ったことが何回もあるわ。あの時は……なんだか当たりに思えて」
 何本もの棒に火をつけ、燃え残り方を見る占いだった。ミツナの行く末を示す棒は、ほとんど燃え残らなかった。お先真っ暗、ということだ。
「代赭に適任はいないから、他の町から新しい澄詞が来ているかもね。それでも、あたしよりはましでしょう……急に色々なことにうんざりして、ついに自分の命を捨てちゃった」
 添花は「辛いんだね」とだけ呟いた。言葉の意味がわからず、首を傾げるミツナを横目で見て、頬を指し示す。

(あ……霊でも涙が出るんだ)
 いつの間にか、顔で笑いながらミツナは泣いていた。死して尚、心の中に重たく残るわだかまりがある。代赭に着いて涙が止まっても、その正体はまだ見えなかった。

 故郷の土も、やはり赤い。蘇った記憶とぴたり重なる風景を前に、ミツナはしばし立ち尽くした。太陽の下、真っ直ぐ伸びる大通りに軒を連ねる店に覚えがあった。幼い頃に親がお菓子を買ってくれた店、澄詞となってからも訪れた食堂。そして路地を入っていけば、どこかに生家があるはずだ。

(あたしは、あたしとして死んだの? それとも、澄詞として死んだんだろうか)
 何だか不安になった。脳裏に浮かぶのは、墓守だった規白の顔だ。澄詞と限られた墓守だけが入ることを許される、代々の澄詞が眠る霊廟。そこは占いを行う場所であり、ミツナが自ら命を絶った場所だ。占い用の小刀で首筋に傷をつけ、ほとんど意識のなくなった彼女を抱き起こし、規白は叫んでいた。

「三十七代目!」

 わかっている。澄詞になるとき捨てた名を、規白が知るはずがない。だが、どうしても、自分を真っ直ぐに見て呼びかけてくれていても、その数字が憎らしかった。
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