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1章 声
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ふと気付くと、周りの景色が変わっている。ミツナは瞬間、身を固くしたが、すぐ袖を翻して辺りをきょろきょろと見た。隣にいたはずの添花の姿がない。
(記憶が戻って、成仏した……わけじゃなさそうね。この場所、覚えがある)
通路の両側、等間隔に並んだろうそくが照らす薄暗い場所。その先に見える祭壇の周りには、人がしゃがめば入れるほどの甕がたくさん並んでいる。黒光りする甕のうち、いくつかの蓋には赤い紙で封がしてある。そこには白い文字が書いてある。死後、火葬された澄詞の名前……一から三十七までの数だ。
いつの間にか霊廟に来たのだと察すると、ミツナは滑るようにひとつの甕に近寄った。今は霊廟に誰もいないから、霊を見るであろう澄詞を気にすることはない。
(三十七代目、澄詞。そうなる前は……何て呼ばれていたっけ)
自分が眠る甕の前に座り込んで、取り戻せずにいる記憶のひとかけらを探した。いくら記憶を手繰っても、目に入る三十七の文字が封をしてしまう。ならばと生家の造作や家族の顔を思い浮かべてみたところで、思い出せないのは同じだ。甕を封する赤い紙を破り捨てたら、どんなにすっきりするだろう。向こうの透ける掌を睨んだ。
(ああ、もう、ミツナと呼ばれるのも嫌だわ。あたしは、誰だった?)
自ら死を選んだ彼女の心残りは、かつて捨てた名前だった。
どのくらい、甕の前にいただろう。もとより薄暗い場所だが、更に暗く感じるということは、陽が傾いたか沈んだか。不意に霊気の動きを感じて、ミツナは咄嗟に甕の後ろに身を潜めた。無駄な抵抗かもしれないが、霊が見える澄詞に見つかり、成仏させられるのはごめんだ。今の気持ちをあの世に連れていくのは嫌だった。
(添花はあたしに、辛いんだねって言った。魂だけになっても、この世にいるんだから終わりじゃない。辛いままなのを分かってくれた)
できれば、ここまで付き合ってくれた添花の前で、笑って成仏したい。
潜めた足音が祭壇に向かってくる。誰だろう。澄詞ならミツナが見つかるのは時間の問題。そうなる前に、急いでここを離れた方がよさそうだ。
(どうやって? 来た時は、この場所での事を思い浮かべていたけど)
添花の所へ戻ろうにも、どこにいるやら。逡巡しているうちに、足音はかなり近くまで来た。
「……いた。やっと見つけた」
覚えのある声がして、ミツナはしばし言葉を返せなかった。甕の間から顔を出しているのは、添花だった。町から町へ行く道中と同じ丈の長い外套を着ていて、ほっとしたように薄く笑った。
「ど、どうしてここに? 霊廟に入れるのは、澄詞と墓守しか」
「大変だったよ。今の澄詞まで話を伝えて、ここに通してもらったの。あんた、前代未聞の澄詞になるかもね」
忽然と姿を消したミツナを追って、添花は町の各所を訪ねた。巡回する墓守をつかまえて情報を仕入れるとミツナの生家へ行き、いないとなれば霊廟を目指して、より位の高い墓守に掛け合ってみた。予想はしていたが、部外者が入れる場所ではないとの返答。そこで、今の澄詞に許されれば何とかなると考えた。
「まあ、過程は省くとして。あの人達には事情を話したよ」
片眉を上げて、添花の目線と意識が背後に向いた。霊廟の入り口から、墓守と澄詞がこちらを見ていた。強い警戒の目をしている。普通、今日町に来た旅人がおいそれと会える存在ではないから、添花はちょっと手荒い手段で澄詞に話を通したのかもしれない。
「彩明(さいめい)」
「え?」
添花が、普段の口調に似合わず丁寧に発した音を、懐かしく感じる。不思議な感覚だった。
「これが未練かは分からないけど。名前が見つかった。……あんたの名前は、彩明」
虹を思わせる、綺麗な名前。そう、そうだ。町では高い方の霊力を持って生まれたために、いつか失うかもしれないから……せめて、名乗れる間は気に入るような、美しい名前をと両親が考えてくれた。
「あたしは……彩明」
「うん」
名を噛み締める彩明に頷くと、添花はおもむろに懐から筆を取り出した。旅の共にする筆記用具は小さく、霊廟の入り口にいる澄詞達からは見えない。小瓶の墨を付けてどうするのかと思ったら、甕の封をする紙の端に筆を滑らせた。
──彩明、ここに眠る。
三十七の文字と比べると、随分小さい。それでも捨てた名を墓に記した唯一の澄詞は、胸のつかえが取れた。何日も続いた砂嵐が終わって、久しぶりに青い晴天を拝んだ時の気持ちと似ている。
「ありがとう、添花」
もう、成仏できると思った。視界が少しずつ白く染まっていき、その光を発しているのが自分だと気付く頃には、彩明は抗い難い眠気に襲われていた。何も見えなくなる最後、下手な愛想笑いと違う、添花の笑顔を見た気がした。
彩明が成仏した日、土器地区には珍しく大雨が降った。一夜明けて朝には上がり、濡れた空にくっきりと虹が浮かぶ。
蒸し暑い中で、虹を見上げる旅人がいた。女性にしては短い髪は癖が強いのか、くるりとはねている。荷物をまとめた添花だ。
「……元気でね」
朝の虹は大雨の兆候だと言うけれど、これからしばらく雨は降らない気がした。誰にも聞こえない呟きを落とし、他の地区へと歩みだす。彼女の故郷、帰ることをためらった蓮橋に近付く方角だった。
(記憶が戻って、成仏した……わけじゃなさそうね。この場所、覚えがある)
通路の両側、等間隔に並んだろうそくが照らす薄暗い場所。その先に見える祭壇の周りには、人がしゃがめば入れるほどの甕がたくさん並んでいる。黒光りする甕のうち、いくつかの蓋には赤い紙で封がしてある。そこには白い文字が書いてある。死後、火葬された澄詞の名前……一から三十七までの数だ。
いつの間にか霊廟に来たのだと察すると、ミツナは滑るようにひとつの甕に近寄った。今は霊廟に誰もいないから、霊を見るであろう澄詞を気にすることはない。
(三十七代目、澄詞。そうなる前は……何て呼ばれていたっけ)
自分が眠る甕の前に座り込んで、取り戻せずにいる記憶のひとかけらを探した。いくら記憶を手繰っても、目に入る三十七の文字が封をしてしまう。ならばと生家の造作や家族の顔を思い浮かべてみたところで、思い出せないのは同じだ。甕を封する赤い紙を破り捨てたら、どんなにすっきりするだろう。向こうの透ける掌を睨んだ。
(ああ、もう、ミツナと呼ばれるのも嫌だわ。あたしは、誰だった?)
自ら死を選んだ彼女の心残りは、かつて捨てた名前だった。
どのくらい、甕の前にいただろう。もとより薄暗い場所だが、更に暗く感じるということは、陽が傾いたか沈んだか。不意に霊気の動きを感じて、ミツナは咄嗟に甕の後ろに身を潜めた。無駄な抵抗かもしれないが、霊が見える澄詞に見つかり、成仏させられるのはごめんだ。今の気持ちをあの世に連れていくのは嫌だった。
(添花はあたしに、辛いんだねって言った。魂だけになっても、この世にいるんだから終わりじゃない。辛いままなのを分かってくれた)
できれば、ここまで付き合ってくれた添花の前で、笑って成仏したい。
潜めた足音が祭壇に向かってくる。誰だろう。澄詞ならミツナが見つかるのは時間の問題。そうなる前に、急いでここを離れた方がよさそうだ。
(どうやって? 来た時は、この場所での事を思い浮かべていたけど)
添花の所へ戻ろうにも、どこにいるやら。逡巡しているうちに、足音はかなり近くまで来た。
「……いた。やっと見つけた」
覚えのある声がして、ミツナはしばし言葉を返せなかった。甕の間から顔を出しているのは、添花だった。町から町へ行く道中と同じ丈の長い外套を着ていて、ほっとしたように薄く笑った。
「ど、どうしてここに? 霊廟に入れるのは、澄詞と墓守しか」
「大変だったよ。今の澄詞まで話を伝えて、ここに通してもらったの。あんた、前代未聞の澄詞になるかもね」
忽然と姿を消したミツナを追って、添花は町の各所を訪ねた。巡回する墓守をつかまえて情報を仕入れるとミツナの生家へ行き、いないとなれば霊廟を目指して、より位の高い墓守に掛け合ってみた。予想はしていたが、部外者が入れる場所ではないとの返答。そこで、今の澄詞に許されれば何とかなると考えた。
「まあ、過程は省くとして。あの人達には事情を話したよ」
片眉を上げて、添花の目線と意識が背後に向いた。霊廟の入り口から、墓守と澄詞がこちらを見ていた。強い警戒の目をしている。普通、今日町に来た旅人がおいそれと会える存在ではないから、添花はちょっと手荒い手段で澄詞に話を通したのかもしれない。
「彩明(さいめい)」
「え?」
添花が、普段の口調に似合わず丁寧に発した音を、懐かしく感じる。不思議な感覚だった。
「これが未練かは分からないけど。名前が見つかった。……あんたの名前は、彩明」
虹を思わせる、綺麗な名前。そう、そうだ。町では高い方の霊力を持って生まれたために、いつか失うかもしれないから……せめて、名乗れる間は気に入るような、美しい名前をと両親が考えてくれた。
「あたしは……彩明」
「うん」
名を噛み締める彩明に頷くと、添花はおもむろに懐から筆を取り出した。旅の共にする筆記用具は小さく、霊廟の入り口にいる澄詞達からは見えない。小瓶の墨を付けてどうするのかと思ったら、甕の封をする紙の端に筆を滑らせた。
──彩明、ここに眠る。
三十七の文字と比べると、随分小さい。それでも捨てた名を墓に記した唯一の澄詞は、胸のつかえが取れた。何日も続いた砂嵐が終わって、久しぶりに青い晴天を拝んだ時の気持ちと似ている。
「ありがとう、添花」
もう、成仏できると思った。視界が少しずつ白く染まっていき、その光を発しているのが自分だと気付く頃には、彩明は抗い難い眠気に襲われていた。何も見えなくなる最後、下手な愛想笑いと違う、添花の笑顔を見た気がした。
彩明が成仏した日、土器地区には珍しく大雨が降った。一夜明けて朝には上がり、濡れた空にくっきりと虹が浮かぶ。
蒸し暑い中で、虹を見上げる旅人がいた。女性にしては短い髪は癖が強いのか、くるりとはねている。荷物をまとめた添花だ。
「……元気でね」
朝の虹は大雨の兆候だと言うけれど、これからしばらく雨は降らない気がした。誰にも聞こえない呟きを落とし、他の地区へと歩みだす。彼女の故郷、帰ることをためらった蓮橋に近付く方角だった。
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