蓮の呼び声

こま

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4章 渡り鳥

4_③

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 ふっと行き過ぎた風で、くすぶっていた焚き火は完全に消えた。一面が紺色に染まった視界の端に、漆黒の煙がちらつく。
(来た)
 燃えくずを越え、老人がいた石に跳び乗る。同時に、後ろで拳が空を切る音がした。現れたのは霖だと確信を持ち、追撃を避けるために再び跳ぶ。ひねりを加えた宙返りで敵に向き直ると、うっかり力が入ってしまった右腕に痛みが走る。歯を食いしばっている隙に、霖は石に跳び移っていた。そこから更に跳ねて、かかと落としを仕掛けてくる。大技は威力が高い分、速さに欠ける。おかげで、数歩下がれば避けられた。
「ちっ」
(はあ、舌打ちしたいのはこっちだよ。竜鱗を離れることばっかりで、こいつのこと全然考えてなかった)
 今の右腕では、攻撃どころか防御も難しい。実力の半分を発揮できるかどうか、という不利な現実にもかかわらず、添花に逃げる気はさらさらないようだ。
 霖が態勢を立て直す前にと、着地した足でそのまま横へ跳び、勢いを流すようにして中段蹴りをする。いつもの添花であれば当てることができたのだろうが、右腕をかばってとなると、やはり動き全体に影響が出てしまう。
 蹴りは前転で躱され、すぐに霖の反撃の拳が飛んできた。水芳地区のときと同じように、手数で攻めて来る。避けるにせよ受けるにせよ、添花は後退せざるを得ない。
(この前と同じような隙じゃ、今は足りない。思ったより分が悪いな)
 いつしか、暗い森の方へと退路を誘導されている。せっかく空が明るくなり始めたのに、森に入っては視界も足場も悪い。今は、霖が戦いの主導権を握っている。
「片腕が使えないくせに、しぶといわね」
 頭巾越しの呟きには、嘲笑が含まれている。反撃できない状況に加えて、神経を逆撫でる口調が添花を苛立たせた。不慣れな片腕での戦いは、いつもの何倍も集中力が要る。除霊で消耗していたせいか、時に普段の感覚で腕を使ってしまう。痛みが走るたびに動きは鈍り、隙ができた。暗さが霖に味方し、凶器に気づくのが遅れる。
「!」
 咄嗟に前に出した左腕に、予期しない一撃が掠る。
(これは……針?)
 今までの行動から、霖は武器を持っていないと思っていた。意表をつくために隠していたのだろうか。
 反射的に空いている右手で反撃に出ようとすると、手首から上腕まで、一直線に激しい痛みが駆け抜ける。瞬間、添花は動けなかった。
「あ……っ」
 再び構えられた霖の針は、この好機に添花の右肩を捉える。
 だがそれは、添花にとっての好機であった。針を持つ霖の手首を左手で掴み、引き寄せるようにして腹に膝蹴りをお見舞いする。蹴りを当てる時に手を離し、そのまま肩の針を抜く。
「くっ」
 みぞおちは外したが、見事に入った蹴りだ。態勢が崩れた霖は多めに退がり、広い間合いができた。添花は冷静さを取り戻し、考える。
(針を使うってことは、岩龍地区の? だったら恨まれる理由なんて尚更わかんない。青藍龍と、ほとんど関わりはない)
 針の扱い方はそれなりに手についているし、霖がこの戦法を修行した可能性は高い。青藍龍、赤暁龍と並ぶ、三大龍派。白緑龍は、針が武器だと聞いたことがあった。
「ふふ……」
 蹴られた直後だというのに、霖は堪えきれないといった風に笑い出す。今まで以上に、余裕の感じられる態度だ。
(何? 気味の悪い奴)
「あはははは!」
 愉快そうに声を立てて、新たな針を構える。どんなつもりかわからないが、添花は怪訝な顔で隙を探すしかなかった。
「私の勝ちよ」
 指の間に針を挟んで、拳を突き出した霖。攻撃を躱した添花と至近距離で目が合う。
「は? 何を言っ」
 添花の言葉は途中で詰まり、目を見開く。腕の他に具合が悪かった覚えはないのに、足がもつれる。
 針の刺さった傷は軽く、痛みもさほどではない。戦いの緊張の中にあって、幾らか疲労感も薄らいでいる。だが、次第に霖の攻撃に対応するのが難しくなってくる。手足が痺れ、少しずつ関節に力が入らなくなっていた。踏ん張りの利かない足は、霖に導かれるまま退路を進む。
「うわっ」
 やがて、隆起した木の根につまずいて転んでしまう。お陰で蹴りを回避したことも、運がいいとは言えない。木の幹に背中からぶつかると、膝の力が抜けてずるずると座り込む。
 青藍龍は、白緑龍との交流がなさすぎた。針の戦術と知っていても、それが青藍龍と趣の異なる気功術であることは、一般に知られていないのだ。巨竜の生態を調査するために、研究者達が編み出した術。一時的に麻痺や睡眠を強制する毒針が武器なのである。動かせない右腕が麻痺の開始点だったために、気付くのが遅れた。
「ふふ、尻尾を巻いて逃げればよかったのに。利き腕が使えないくせに、喧嘩を買うなんてバカね」
(まずい……けど、だからこそ、霖は油断してるはず)
 ゆっくりと伸びてくる手に首を掴まれても、添花は冷静だった。決して怯まぬ眼光には、余裕のあった霖も身構え手の力を強める。
「諦めなさい、ここには誰も来ないわ」
(ふん、通りすがりなんか、頼りにするかって! 左手が動けば……)
 抵抗しようとする添花の苦しみに歪んだ顔を見て、霖は口元だけで笑う。その目は恍惚と、木の葉に覆われた夜空を向いた。
「ああ……私はね。この時を……待っていたのよ!」
 揺らぐ視界に、木々を縫ってきた月光の反射が映る。針は、添花の心臓に狙いを定めていた。
 これまでかと思ったとき、脳裏に幼馴染みの姿が浮かぶ。紅龍は大きくなった。身長だけではない、精神の面で蓮橋にいた頃とは違った。故郷から離れ、たくさんの壁を乗り越えながら成長してきたのだろう。少しの変化が強く添花の心に響く。
(こんな所で、こんな奴相手に、何をしてるの? 私は!)
 負けている場合じゃない。力も入らないはずの、手が動いた。光をまとった左手が、針に触れる。途端、光は青色に変わり、パン、という破裂音とともに針を砕いた。
「何……っ」
 驚いた霖の手が首から離れ、冷たい空気が喉を通る。
「ごほっ! う……っ、はあ、はぁ……」
 幹に寄りかかって座り込んだ体は、もう動かせない。添花から数歩の距離を取ってしばらく、落ち着きを取り戻した霖は間を詰めてくる。
「この土壇場で、気功掌とはね」
 闇と頭巾で見えないはずの彼女の表情が、添花には分かる気がした。
「そこまでして生きていたいの? 見返りのない除霊なんか続けて……割に合わないとか、思わないわけ?」
「見返り、なんか……どうだって、いいんだよ」
 荒い呼吸を繰り返しながら、霊に問われた時と同じ答えを返す。頭巾の下から、歯ぎしりの音がした。霖は黙れと言う代わりに、再び手を添花の首へと伸ばす。
「は、善良ぶらないでよ! あんたはそんなに出来た人間じゃない。……わかってるんだから」
(何がわかるの。私は蓮橋を避けるために、除霊をしているだけ。この旅は、もとより善行でも何でもない)
 新たな針を構え喉を塞ぐ霖を睨むが、添花の気力は尽きかけている。木の根に絡めとられたかのように、全身が重かった。
「もういいわ……さよなら」
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