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4章 渡り鳥
4_⑤
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「私達、青藍龍の門下生だもん。泣いちゃだめだよ」
(あれ? 俺、今……これは、夢?)
落蕾よりずっと昔、添花が両親を亡くしたころの蓮橋に、紅龍はいた。見覚えのある狭い畳の部屋、道場の宿泊室だ。夢と気づいた途端、幼い自分へ意識が引き戻される。泣いてはだめだと言う添花は、彼の目の前で泣いていた。
「竜より強く、いなくちゃ。竜が、泣くわけ、ない」
必死でこらえても、どんどん涙は溢れてくる。悲しい、辛いという思いよりも、自分が泣いている状況に、添花は耐えられないようだった。泣き声にならぬよう、努めて普通に喋ろうとする姿が痛々しい。つられて、紅龍の目からも涙が流れた。「竜よりも強くあれ」という道場の教えが、今はひどく重い。
「泣きたくないのに~……」
添花が幼かったため、葬儀は紅龍の両親が代わって取り仕切った。遺体を運ぶ列を送り出し紅龍とふたりになると、今まで張り詰めていたものが急に切れたのだ。抱えた膝に顔を伏せ目を押さえる添花に、紅龍は何と声をかければいいのか迷った。
「……行こう」
どこへ? 添花が首を傾げる前に、紅龍は小さな手を取った。部屋を飛び出し、町の畑に向かう。畑の周辺には点々と木が生えていて、その一本の前で足を止める。木の中は空洞になっていた。もう葉が出ない枯れ木だが、木材や薪に変えようとしても扱いにくい形であるために、こうして放置されているのだろう。
「ここなら、竜だって師範だって気付くもんか」
幹の裂け目をまたいで紅龍と添花が空洞に入っても、空間にはもうひとり入れそうな余裕がある。
「泣いても、ばれなきゃいいんだよ」
どうしても涙が流れるなら、隠れて流せばいい。当時の紅龍にとって精一杯の提案で、添花の表情は少し緩んだ。
(はは、添花は泣くこと自体が嫌だったのに。俺の言ったこと、無茶苦茶だな)
幼い自分に苦笑して、紅龍の意識は現在に戻ってくる。あの場所は、秘密基地として何回も足を運んだ。大人になるにつれその習慣はなくなったが、今はどうなっているだろう。
考えていたら、ゆっくりと視界が明るくなっていった。
添花は紅龍より先に目が覚めて、腕の包帯を巻き直していた。昨日と比べると、少しは動かせるらしい。いつから起きていたのか、小さな焚き火で湯を沸かしている。
「おはよう。ちょっと待って、お茶いれる」
旅の荷物から小さな急須などを取り出し、慣れた様子で茶の準備をする。茶筒を手にして一瞬躊躇したのを見て、紅龍は「俺がやる」と手を差し出した。
「そう? ありがと」
右手を強く握ることができないらしく、添花は素直に茶筒を渡す。それから茶葉を蒸らす間、急須のふたを見るともなく見る紅龍の目を覗き込んだ。
「……ね、紅。昔の夢見てたでしょ」
「へ、なんで知ってるんだ?」
「寝言、言ってた」
微笑む添花だが、表情はすぐに曇る。
「なんだよ、お前こそ悪い夢でも見たのか?」
「まあね。落蕾の夢だった。すぐ目が覚めたから、落ちてる蕾しか見てないけどさ」
細い溜め息をついて、言葉の続きは口にしない。やはり、ふたりでいると自然に過去が思い出される。紅龍は穏やかな気持ちになれるが、添花にとっては違うのだ。
何気なく言葉を交わしつつ、一杯のお茶を飲むと、出発はすぐだった。まだ紅龍が心配そうな顔をするので、添花はできる限り明るく振る舞う。
「じゃ、またね。あいつには十分気を付けるから。分が悪いときはちゃんと逃げるし」
「おう」
向きを変え、しゃんとして進む添花の背中は、心なしか以前よりも華奢に見えた。
(俺が大きくなったから、そう見えるんだといいけどな)
霖から添花を守れたことが、小さな自信になっていた。もっと心身を鍛えれば、彼女が故郷での出来事を受け入れる時、支えになれると思う。
あっさりとした別れの後、竜鱗に取って返す。紅蓮の疲労を考えてゆっくり飛んだため、到着したときにはちょっとした騒ぎになっていた。大師範に呼び出され、応接室で事の次第を報告する羽目になる。
「ふむ、そうか」
髭をなでる大師範は、怒っていないようだった。少し拍子抜けしつつ、紅龍は丁寧に礼をする。
「黙って出たことは、反省しています」
「いや、構わん。お前の性格だ、幼馴染みの危機とあっては、動かずにいられまい。だが、命を狙われているというのに、ひとりで大丈夫なのか?」
「添花が言うには、奴は自分が不利なときには現れないということでした。暫くの間は、大丈夫でしょう」
「そうか……」
杼竜の格上げに霖が関わっていたことを知る大師範は、渋い顔をする。そうして話が切れたところに、雄人が顔を出した。
「ちょっと、いいっすか?」
「なんだ」
「手紙っす。紅龍に、蓮橋から。急ぎだってよ」
ほい、と渡される封筒はのり付けが雑で、本当に急いでしたためたのだとわかる。何か、嫌な感じがした。紅龍の表情の曇りを読み取って、大師範は膝を叩いた。
「とりあえず、昨晩何があったかは分かった。この場は解散としよう」
「はい」
今日もいつも通りの修練がある。準備を整えるために寝床のある部屋に戻った紅龍は、すぐ手紙の封を切る。懐かしい字が走っていた。
(親父からか。珍しいな)
「急ぎ伝えることがあり、筆をとった。蓮橋では睡蓮が満開を迎える季節だが、今年はなぜか花芽すら付いていない。気候や田畑は例年通り、睡蓮も葉の育ちは順調だった。落蕾の厄年以来の、嫌な気配だ。紅龍も蓮橋を出て二年経つ。帰郷を考えていたかもしれないが、何があるかわからん。帰郷は先に延ばすことをすすめる」
(落蕾の厄年、以来の)
筆跡に不安を感じ取ると、文面に反して帰らなくてはならないような気がした。今の自分なら、以前より力になれると思ったのだ。
花芽の出が遅過ぎる年。何かの予兆なのか、落蕾から過敏になった神経がそう感じさせるのか。
(でも俺は、二度とあんな思いをしないように……させないように、竜鱗での修行を選んだんだ)
紅龍は、近いうちに機を見て帰ろうと決めた。二年前とは違う自分を確かめるのだ。
「紅龍、急げー! 餌当番だろ、お前」
「おう!」
一層気を引き締めて竜鱗の日常に戻って行く紅龍の背中には、ぴんと張りつめた緊張感があった。
(あれ? 俺、今……これは、夢?)
落蕾よりずっと昔、添花が両親を亡くしたころの蓮橋に、紅龍はいた。見覚えのある狭い畳の部屋、道場の宿泊室だ。夢と気づいた途端、幼い自分へ意識が引き戻される。泣いてはだめだと言う添花は、彼の目の前で泣いていた。
「竜より強く、いなくちゃ。竜が、泣くわけ、ない」
必死でこらえても、どんどん涙は溢れてくる。悲しい、辛いという思いよりも、自分が泣いている状況に、添花は耐えられないようだった。泣き声にならぬよう、努めて普通に喋ろうとする姿が痛々しい。つられて、紅龍の目からも涙が流れた。「竜よりも強くあれ」という道場の教えが、今はひどく重い。
「泣きたくないのに~……」
添花が幼かったため、葬儀は紅龍の両親が代わって取り仕切った。遺体を運ぶ列を送り出し紅龍とふたりになると、今まで張り詰めていたものが急に切れたのだ。抱えた膝に顔を伏せ目を押さえる添花に、紅龍は何と声をかければいいのか迷った。
「……行こう」
どこへ? 添花が首を傾げる前に、紅龍は小さな手を取った。部屋を飛び出し、町の畑に向かう。畑の周辺には点々と木が生えていて、その一本の前で足を止める。木の中は空洞になっていた。もう葉が出ない枯れ木だが、木材や薪に変えようとしても扱いにくい形であるために、こうして放置されているのだろう。
「ここなら、竜だって師範だって気付くもんか」
幹の裂け目をまたいで紅龍と添花が空洞に入っても、空間にはもうひとり入れそうな余裕がある。
「泣いても、ばれなきゃいいんだよ」
どうしても涙が流れるなら、隠れて流せばいい。当時の紅龍にとって精一杯の提案で、添花の表情は少し緩んだ。
(はは、添花は泣くこと自体が嫌だったのに。俺の言ったこと、無茶苦茶だな)
幼い自分に苦笑して、紅龍の意識は現在に戻ってくる。あの場所は、秘密基地として何回も足を運んだ。大人になるにつれその習慣はなくなったが、今はどうなっているだろう。
考えていたら、ゆっくりと視界が明るくなっていった。
添花は紅龍より先に目が覚めて、腕の包帯を巻き直していた。昨日と比べると、少しは動かせるらしい。いつから起きていたのか、小さな焚き火で湯を沸かしている。
「おはよう。ちょっと待って、お茶いれる」
旅の荷物から小さな急須などを取り出し、慣れた様子で茶の準備をする。茶筒を手にして一瞬躊躇したのを見て、紅龍は「俺がやる」と手を差し出した。
「そう? ありがと」
右手を強く握ることができないらしく、添花は素直に茶筒を渡す。それから茶葉を蒸らす間、急須のふたを見るともなく見る紅龍の目を覗き込んだ。
「……ね、紅。昔の夢見てたでしょ」
「へ、なんで知ってるんだ?」
「寝言、言ってた」
微笑む添花だが、表情はすぐに曇る。
「なんだよ、お前こそ悪い夢でも見たのか?」
「まあね。落蕾の夢だった。すぐ目が覚めたから、落ちてる蕾しか見てないけどさ」
細い溜め息をついて、言葉の続きは口にしない。やはり、ふたりでいると自然に過去が思い出される。紅龍は穏やかな気持ちになれるが、添花にとっては違うのだ。
何気なく言葉を交わしつつ、一杯のお茶を飲むと、出発はすぐだった。まだ紅龍が心配そうな顔をするので、添花はできる限り明るく振る舞う。
「じゃ、またね。あいつには十分気を付けるから。分が悪いときはちゃんと逃げるし」
「おう」
向きを変え、しゃんとして進む添花の背中は、心なしか以前よりも華奢に見えた。
(俺が大きくなったから、そう見えるんだといいけどな)
霖から添花を守れたことが、小さな自信になっていた。もっと心身を鍛えれば、彼女が故郷での出来事を受け入れる時、支えになれると思う。
あっさりとした別れの後、竜鱗に取って返す。紅蓮の疲労を考えてゆっくり飛んだため、到着したときにはちょっとした騒ぎになっていた。大師範に呼び出され、応接室で事の次第を報告する羽目になる。
「ふむ、そうか」
髭をなでる大師範は、怒っていないようだった。少し拍子抜けしつつ、紅龍は丁寧に礼をする。
「黙って出たことは、反省しています」
「いや、構わん。お前の性格だ、幼馴染みの危機とあっては、動かずにいられまい。だが、命を狙われているというのに、ひとりで大丈夫なのか?」
「添花が言うには、奴は自分が不利なときには現れないということでした。暫くの間は、大丈夫でしょう」
「そうか……」
杼竜の格上げに霖が関わっていたことを知る大師範は、渋い顔をする。そうして話が切れたところに、雄人が顔を出した。
「ちょっと、いいっすか?」
「なんだ」
「手紙っす。紅龍に、蓮橋から。急ぎだってよ」
ほい、と渡される封筒はのり付けが雑で、本当に急いでしたためたのだとわかる。何か、嫌な感じがした。紅龍の表情の曇りを読み取って、大師範は膝を叩いた。
「とりあえず、昨晩何があったかは分かった。この場は解散としよう」
「はい」
今日もいつも通りの修練がある。準備を整えるために寝床のある部屋に戻った紅龍は、すぐ手紙の封を切る。懐かしい字が走っていた。
(親父からか。珍しいな)
「急ぎ伝えることがあり、筆をとった。蓮橋では睡蓮が満開を迎える季節だが、今年はなぜか花芽すら付いていない。気候や田畑は例年通り、睡蓮も葉の育ちは順調だった。落蕾の厄年以来の、嫌な気配だ。紅龍も蓮橋を出て二年経つ。帰郷を考えていたかもしれないが、何があるかわからん。帰郷は先に延ばすことをすすめる」
(落蕾の厄年、以来の)
筆跡に不安を感じ取ると、文面に反して帰らなくてはならないような気がした。今の自分なら、以前より力になれると思ったのだ。
花芽の出が遅過ぎる年。何かの予兆なのか、落蕾から過敏になった神経がそう感じさせるのか。
(でも俺は、二度とあんな思いをしないように……させないように、竜鱗での修行を選んだんだ)
紅龍は、近いうちに機を見て帰ろうと決めた。二年前とは違う自分を確かめるのだ。
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