蓮の呼び声

こま

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5章 八重紬

5_①

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 頭を金槌で叩かれているかのようだ。それが痛いという感覚なのかどうか分からなくなる頃には、彼女は死んでいた。髪を短めに揃えた女性は、自分の体が入った棺をじいっと見つめる。
(いつかこの町を出て行ってやる、なんて思う時期があったな。これで私の体は外に出られるわけね)
 町の中から葬儀の列を見送り、風に揺れない髪を耳にかける。普段通り響き渡る機織りの音を聞き、感傷的に細める目つきは少し鋭い。
(当たり前だ。私が死んでも、職人はたくさんいる。仕事もある)
 この町をぐるりと囲む八重紬の木は、たくさんの蕾を付けている。桜のように、まず花だけが咲く木だ。実から採れる綿は、絹にも勝ると言われる布、八重紬の材料になる。木の名前が先か、布の名前が先かは分からない。真っ白な花はきれいで、夏の真っただ中に散る。花びらが雪さながらに積もる景色から、町の名は冬夏となった。
 このところ良い綿を収穫していたから、今年は少し質が落ちるだろうか。いや、今や自分には関係ない。そんなことを考えながら、木々に挨拶しようと女性は歩く。
(幽霊になった身じゃ人に見えないだろうけど、木には声が届くといいな。世話になったね、って)
 機織りの音に耳を傾けると、つい手を動かしそうになる。彼女は八重紬を織る職人だった。魂だけになっても音が聞こえることや、体に染み付いた感覚が残っていることに感心し、それからかぶりを振る。音がばらばらで、力具合がなっていない。自分が織る音とは違う。
 木々は、この町を見て何を思うのだろうか。「雲海を突き出る頂きの町」という別名は、花弁に囲まれた様を山頂に見立てたものだ。生産する美しい布が、どこのものより優れている自負も含まれているはずだ。
(偉そうな別名。冬夏の住人が付けたに決まってるわ。性格悪い、私もだけど。実際のところ、白い海に囲まれた絶海の孤島でしょ? 八重紬が上物だから、取引に来るだけ)
 暮らした場所を外から見ると、なんだか滑稽だ。鼻を鳴らして、また別の木に挨拶をする。そうして町を一周して来ると、荷車を引く馬と見覚えのある商人親子がいた。ひとり知らない姿があるのは、最近よく出る盗賊から品物を守るためか、道を知らない遠方からの旅人か。初夏だというのに丈の長い外套を羽織っているから、はっきりとは分からないが、用心棒というには線が細い。
「一時はどうなるかと思ったが、無事に着いたな」
「とりあえず、ひと安心かぁ」
 商人の口ぶりからすると、盗賊には遭ったようだ。
「そうですね」
(この声。あの人、女だったのね。どうりで細い……でも、ひとりで盗賊を追い払ったの?)
 旅人の体格に納得しつつ、その姿をまじまじと見てしまう。女性にしては少々背が高いが、武器らしい荷物はない。不意に目が合った気がして、霊は反射的に木の陰に隠れた。大きな青色の瞳は、その迫力で盗賊をも射すくめたのだろう。
「俺たちは取引に行ってくるから、姉ちゃんはそこいらで待っててくれるかい?」
「わかりました」
 この場は一度解散とし、商人は取引に行くらしい。暇のできた旅人は、織物や小物の店に興味を示すことなく、町を囲む木々の方へ足を向けた。
「ねえ」
 すぐ近くで声がしたので、霊は肩をびくりとさせ、辺りを見回した。
「無視しないでよ、あんたに話しかけたの」
「へ?」
 気の抜けた声を出して、霊になっても声が出せるのだと気付く。すぐ隣に立つ旅人は、まっすぐ霊に目を向けていた。
「私、幽霊なんだけど」
「見ればわかる」
 先程、目が合ったのは気のせいではなかった。一般的な女性よりずっと短い藍鼠色の髪は、霊媒師というには男勝りな印象だ。風変わりな旅人を、霊は訝しげに見る。
「死人に何の用?」
「うん、ちょっと質問……この辺に、あんた以外の霊は?」
「さあ、町から出てないから、外のことは知らない。町の中にはいないみたいね」
「そう。やっぱ、この町の奴じゃないんだ」
 頷いて、旅人は合点がいったらしいが、表情は険しい。ひそめた眉が離れる時、「放っておいてもいいか」と呟いたのが引っかかる。
「何、誰か探してるの?」
「悪霊になりかけた奴がいてさ。気になったけど、どっか行ったから今はいい」
 潔く気分を切り替えて、八重紬の花芽を見上げる横顔は凛々しい。
「へえ。霊媒師とか巫女って、そうしおらしくもないのね。女ひとりで旅して、盗賊も追い払っちゃうんでしょう。悪霊も一捻りにできそう」
 旅人は何者なのか、なぜか回りくどい聞き方になって、霊は自分に首を傾げる。思えば、まともに誰かと会話するのは久しぶりだ。
「ああ、私は霊媒師じゃないよ。霊の成仏を手伝うだけの旅人」
 妙な問いにさらりと答える。旅人はさすがに、霊との関わりに慣れているようだ。短く言葉を切って話すのは、見えない誰かとの会話を気取られぬため。木を眺める風を装うのも同じだ。
「手伝う……じゃあ、その悪霊の成仏も手伝うの?」
「そうだね、野放しにしちゃ危ないから」
「だったら言っておくわ。この町に滞在するのは勧めない」
 悪霊が現れたのがこの付近なら、旅人はここで待つことを考えるだろう。忠告が口をついた。
「どうして?」
「余所者を嫌う町なの。取引する商人の他は、だいたい盗人だと思ってるのよ」
 霊も冬夏の住人だ、余所者を嫌って生きていた。だが、旅人のさっぱりした態度は気持ちがいい。それに霊の成仏を助けて歩いているなど、中々のお人好しではないか。
「そっか。わざわざありがとう」
 ぎこちない笑みは、愛想良く振る舞うのが苦手なせいだろう。自分の笑い方と似ていると、霊は思った。人との関わりはどうにかやり過ごした。仕事が一番大事で、他はどうでもいい。笑い方なんて忘れていたのだ。
 職人としての腕を上げて、名声を得るにつれて、霊の孤立は確かなものとなっていった。八重紬を誰よりも美しく織り上げるために、ただひたすら手を動かした。友人などひとりもおらず、彼女の最期は風邪をこじらせた末のあっけないものだった。
(あー、もう。さっさと成仏して、すっきりしたいわ。さっきも思ったじゃない、やっとこんな町とさよならだって。どうして幽霊になって、得体の知れない余所者に好印象を抱いてるのよ? 私は、この世に未練なんか)
 ないはずだ。では、なぜ自分はここにいるのか。霊が腕組みすると、旅人は話を促すように、一瞬の目配せをした。
「あの、ちょっと聞くけど。未練がないのに幽霊になることって、あるのかしら」
「どうかな……時々、未練がわからないってひともいるよ。事故の場合が多い」
「そう。事故でもなし、死んだこともわかってて、なんで……こうなるかな」
 掌に目を落とすと、半透明の体の向こうに地面が透けていた。霊の口からこぼれた愚痴に「さあ」と投げやりな声が返ってきて、ふたりの間にしばしの沈黙が流れた。
 毎年見てきた八重紬の花を、最後にもう一度見たいのか? 違う。まだ布を織りたいのか? 木の幹をすり抜ける体が、機に触れられるわけがないのに?
「ねえ、とりあえず名前聞いていい? なんか話しにくい」
「あ、私? 真結」
「私は添花。じゃあ、真結。死ぬ寸前やりかけてたことは?」
 添花いわく、どんな些細なことでも未練になりうるのだそうだ。改めて考えると、真結は記憶が曖昧であることに気付く。高熱で朦朧としながら、何かをしていた。
「あ」
 急に機場が目に浮かんだ。耳には機の音がよみがえる。どうやら、ずっと仕事をしていたらしい。つい、自分に対する驚きが声になる。
「うそ、あのまま死んだの?」
「何か思い出した?」
「ええ……仕事してたみたい」
 口元を抑えた手をきゅっと握り、うつむく真結。体が勝手に動き、いつもの機を鳴らして布を織っていた事をはっきり思い出した。ただ、手元を見ていたというより、手を動かす自分を見ていたような、妙な感覚だ。意識が肉体ではなく機に乗り移っていたような気がする。周りの声も耳に入らず、一心不乱に機と過ごした最後の時間。生地の完成には、見覚えがなかった。
(私が死んだ時、あの生地も死んだのかな? だとしたら、何よりも大きな心残りだわ)
 確かめなくては。居ても立ってもいられなくなる。真結が働いていたのは町で一番大きな建物だ。
「機場に行ってみる」
 ふらり、そこへと向かう背中を添花の目が追っている。真結は扉をすり抜けた。
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