蓮の呼び声

こま

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6章 望郷

6_④

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 規白の成仏は、ろうそくを吹き消すほどのあっさりしたものだった。誰もいなくなった虚空を見つめて、添花と松成はしばらく言葉が出てこない。
 松成は深く息をついて、背もたれに寄りかかった。疲れた、しかし安心したような複雑な顔をしている。
「添花、といったか」
「はい」
「ありがとう。彼と話せて、よかった」
 少し笑った目尻に皺が寄る。
「恨みを背負い、苦しみながら生きるのが、私にできる償いだと思っている。自らの命で責任を取ることも考えたが、死んで楽になるよりも、生きることが罰になるだろうと……こうしていれば、墓守のように話す機会もあるかもしれないな。この道に、僅かだが自信が持てたよ」
 添花にも組織の目が向くことを懸念してか、松成はこれだけ言い残して席を立つ。幾分気が抜けて、周囲への警戒が甘くなっているように見えた。
「松成さん」
 心配になり、添花は腰を浮かせて声をかける。
「道中、気をつけてくださいね。これから暑くなりますから」
「ああ、添花も」
 どこにでもある言葉で気の緩みに気付いてくれればと、祈るような気持ちで松成を見送った。
(ああ……ほっとした。悪霊になりかけた霊も成仏できるんだね)
 ひとりになって、ようやく脱力する。座布団がふかりと沈み、伸ばしていた背が座椅子にくっつく。
 本職の霊能者ならば、強制的に霊を成仏させられるという。規白も、彼らにかかれば松成に会わせることなくあの世に行ったのだろう。添花はそういう風にはしたくなかった。
(その方法も知らないし。手伝うなら、わだかまりは無くして成仏してほしい。よかったんだよね……これで)
 何か、引っかかる。添花の頭の中には再び、悪霊に似た存在と感じる霖が想起されていた。彼女は出会った時から、真っ直ぐに添花を恨んでいる。
(墓守は、恨み続けることに疲れたって言った。誰でもそう? 霖も、いつかは疲れるんだろうか)
 人なのかそうでないのか、分からない存在。売られた喧嘩は買うし、追い払うことばかり考えて相対してきた。それは、反射的な行動だった。
(悪霊みたいな奴。もう少し話を聞いてみた方がいいのかも)
 気持ちに区切りがついて、添花は席を立った。ひとりで談話室にいるのも妙なものだ。この宿は大きく人手があるので、いつものように何か手伝う必要もない。部屋に戻ってゆっくりしようと決めた。

 早い時間に休んだ添花は普段通りの時間に目を覚まし、良く眠ったと伸びをした。寝起きにしては、随分と頭が冴えている気がする。
(何……? 胸騒ぎがする)
 僅かな寒気が背筋を撫でてすぐに去り、体調の変化ではない何かを添花に伝えた。耳を澄ませると、人ごみの音がした。宿の中らしいが、添花の部屋からは離れている。
 手早く身支度を整え、部屋から出る。人が集まっているのは二階だ。階段を上ると、人だかりが見えた。何階でも人気がないという、水芭蕉があまり見えない側、長い廊下の中程だ。
(……まさか)
 一瞬、息が苦しくなる。不吉な想像を消したくて、添花は野次馬に近付いた。ざっと見た中に松成の姿は無い。
(まさか。当たり前だよ、騒ぎの見物なんかしてる場合じゃない。こんな状況じゃあ、簡単に刺される)
 やけに喉が乾く。一度深呼吸をして、近くにいた人に問いかけてみた。
「何かあったんですか?」
「ああいやだ、人死にだよ。そこの部屋に泊まってた男の人」
(まさか、ね)
 遺体はまだ部屋にあるらしい。人の輪の外から爪先立ちで覗き込むと、中で数名の従業員が困った横顔を見せていた。添花の位置から、死人の姿は見えない。祈るような気持ちで人を掻き分け、少し進む。
(あ……まさか、だ)
「松成、さん」
 心拍が痛い。名を呼ぶ声に吐息が混じって震えた。寒気がした時から、こんな光景を見る事になると、心のどこかで知っていた。
「この方を、ご存知なのですか?」
「ええ……少し」
 添花が従業員の問いに答えると、野次馬の半分は散った。部屋に足を踏み入れ、松成のそばに膝をつく。布団の上に座って、物思いに耽っていたのだろうか。彼は寝間着に着替えておらず、掛け布団の上に倒れている。窓が割れて、冷たく湿った風が入ってくる。松成の背から胸に、一本の矢が貫通していた。ほとんど即死だろう。助けを呼んだところで、助かる傷ではない。ついに、組織の追手が彼を捉えたのだ。
 せっかく、自らの行く道に少し自信が持てたと言っていたのに。未練はなかったのだろうか。
(松成さん……松成さん! まだこの世にいる? 姿を見せて。思い残したことがあるなら、私が聴く!)
 動かない瞼に心で呼びかけても、答えは返ってこない。もし魂が留まっていたとしても、松成は添花から隠れる気がした。自らの業を、重ねて背負わせることを嫌うだろう。
 近い部屋の客が、明け方に窓が割れる音を聞いた。従業員が鍵を開けて様子を見ると、こうなっていたらしい。宿の方針としては、故郷に遺体を届けたい。
 従業員の話の内容は耳に入ったが、添花はしばらく青白い顔から目を離せずに黙っていた。
「この方の故郷は、どちらでしょうか?」
 松成のこけた頬に指先で触れ、添花は目を閉じた。
(冷たいね。気配も見つからない。もういないのかな、松成さん)
 追手を躱しながら、彼はどこを目指していたのだろう。添花と同じように、目的地はなかったのかもしれない。目を開くと、霧ごしの柔らかな朝日が松成の顔に影を作っていた。なんだか哀しげに見える。
「……岩龍地区とだけ、聞きました。町までは知りません」
 従業員達から、ああ、と溜め息に似た声がこぼれる。岩龍地区は霧の深い地区で、巨竜の足跡と呼ばれる大地の大陥没の中にあった。
 以前、添花が鷸族の老人から聞いた話では、四方のうち三方が崖らしい。この華浪地区の側はかなりの断崖で、ずっと向こうに進んで回り込まないと入って行けない。陥没に入って地区まで、町を特定して送り届けるまで、何日かかるか。短く見積もっても七日はかかるだろう。初夏の今、それでは遺体の腐敗が進んでしまう。諦めの空気が漂う。
(でも松成さんは……きっと帰りたかった)
 禁忌を破って復讐に行くほど、大切な友人がいた町だ。竜殺しはひとりでしたことだし、竜に追われて地区を出たのだから、町の人は彼がいなくなった理由を知らない。たとえ遺体でも、帰りを待つ人がいるだろう。何か早く運べる方法は?
「そうだ! 竜鱗の飛竜なら」
 従業員のひとりが、はたと閃く。竜鱗の町では、飛竜を使った手紙や荷物の運搬を請け負っていた。
「うーん、次の配達が来るのは五日後だろ? 確かに竜は速いが、それじゃあ歩いて運ぶのと大差ないよ」
「竜鱗に行って、直接お願いすれば……」
「ここから竜鱗までは四日の道程だ。水仙で馬を借りても、そんなには」
 知恵を絞っても、状況はあまり変わらなかった。話を聞いていて、添花は首を傾げる。
(ん? 竜鱗まで四日って、補給で町に寄る計算だよね。この町に貸し馬がないとしても……最短距離なら、たぶん二日で行けないかな)
 竜鱗を出た添花は、二日かけて森沿いの道で華浪地区に来た。その水仙の町で商人親子の護衛を請け負い、冬夏への道程は丸一日。白扇に来るまでも似たような距離感だ。道はずっと森を回り込むように続いていた。足場の悪さや獣に遭う危険を無視して突っ切れば、竜鱗まではそう遠くない。速い竜は一日あれば白扇を経由し岩龍地区まで行ける。だから、最短は三日。
「竜鱗には私が行きます」
 急に口を開いた宿泊客に注目が集まる。声に宿る覚悟が従業員達の背筋を硬くさせた。
「二日だけ待ってください。三日目に竜を間に合わせられなかったら、諦めます」
「いやあ……お客様に、そのようなことを」
「いいんです。私が行きたいだけですし」
 やると決めた添花の目は、揺るぎなき深い青。松成の霊を見てはいないし、故郷に帰して彼のためになるかも分からない。それでも行こうと思ったのだ。
(不思議。私、帰りたかっただろうなんて想像で動く奴だったかな。故郷を出て長い松成さんに自分を重ねてる、とか?……いやいや、気のせい。余計なことを考えないの)
 自分も帰りたいのかもしれない。思いつきは置いておき、心をまっすぐ竜鱗に向ける。
「行ったこともありますし、知人もいるんです。今すぐにでも発ちますから」
「……わかりました。お願いします」
 食い下がる添花に、宿側が折れる形となった。宿の対応を助ける客に、早めの朝食と道中の食料を用意してくれた。
 さっさと準備を済ませると、背筋を伸ばす水芭蕉を見る暇もなく、添花は竜鱗への最短距離を走り出した。
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