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7章 青の町
7_①
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白扇を発った添花は休憩を取りながら進み、順調に道程を踏破していった。無理しすぎず、なるべく早く。それだけを考え、一日目の野宿をする時には見込み通り森の途中にいた。道とは呼べないが、天気の様子から昼間は太陽を確認できる。方向が分かれば行ける。
この森は危うく霖に殺されかけた場所だが、縁起の悪い記憶は気にならなかった。故郷に帰れず最期を迎えた松成を、何としても送り届けたいからだ。焚き火を眺めていると、隙間のできた頭に故郷がよぎる。
(随分長いこと留守にしてる。みんな元気かな?)
添花は今更ながら、落蕾以外のことであれば思い出しても平気だと気付いた。道場の面々、池に点在する島に並ぶ家屋と蓮の風景。
(私、情けないな。いつまで逃げるつもりなんだろう。落蕾だって厄だけじゃないのに……厄だけじゃないんだっけ? なんでそう思った? まあそれは置いといて、一度、帰ってみようか)
松成は、故郷というより、そこに住む人々に帰りたかったと見える。よく知る仲間の多い場所は、誰にとっても居心地が良いものだ。彼への共感によって、添花の心境は変わってきている。
霊を信じないという町人性を除けば、蓮橋の雰囲気が一番心地良いのだった。その町人性も、未練を残さない生き方を好むがゆえに出来上がったものである。漂う霊がほとんどいないため、息抜きをするには適した環境だ。
小さな焚き火をじっと見つめて、添花は頷いた。
(うん、帰ろう。竜鱗にいる紅も安心するでしょ)
幼馴染みは心配性だ。会うついでに、そこを区切りにしようと思った。後の事は、また考えればいい。逃げるのをやめて初めて、強くなれたか分かる。前を向いた添花を応援するように、星々が瞬いていた。
二日目の道は大半が森の中ということもあって速度が落ちたが、なかなか順調に進んでいた。昼の休憩からしばらく経ち、竜鱗へ上る坂の辺り、開けた景色が見えつつあった。
森を出て次の休憩か、と思った時だ。添花の視界がぐるんと回った。
(また、めまい?……うわっ)
走るのを止め、少し歩いてから休もうとしたのだが、木の根につまずいてしまった。咄嗟の声も出ない。崩れるように座ると、そのまま立てなくなる。甲高い耳鳴りがした。これまでも時々調子の悪いことがあったので、添花は今回も似たようなものだろうと思っていた。座ったまま呼吸を整え、耳鳴りが遠のくのを待つ。
「はあ……はあ」
楽になると考えて近くの木の幹に寄り掛かったものの、具合は一向に良くならない。それどころか、耳鳴りは痛みとなって頭を締め付ける。
(何これ……なんで? 今までより、ひどい)
脱力した姿勢が逆に辛くなり、耳を押さえるとうずくまる。こうなった原因に心当たりは全くない。白扇ではゆっくり休めたし、この移動で大した無茶はしていないはずだ。丈夫だという自負がある添花は、たったひとり森の中でこうしている状況に、大きな不安を覚えた。
それが引き金となってか、普段は閉じ込めている不安が噴き出してくる。蓮橋に帰った時、もし霊能が知れていたら。隠せていたとしても、落蕾の厄と向き合えていない弱い準師範は、破門されるのではないか。故郷に居場所を失うのではないか。
(いつか帰ると思うから、当てのない旅ができたんだ。帰れなくなったら、私はどこへ行けばいいの? それに、霖のことも……)
添花は固く目を閉じ、自分を抱きしめるように小さくなった。木の根が盛り上がった地面には木漏れ日が揺れているのに、冬の雨に打たれる錯覚を覚える。昨晩は頭を掠めもしなかった、霖との戦いの記憶がくり返し脳裏に浮かんだ。
(次、会ったとしたら……ちゃんと霖の話を聞ける? 上手く隙を突かれたら、今度こそ死ぬかも。ううん、追い詰められたら私だって何をするか。青藍龍は、竜から人を守る力。人を殺すなんて)
あってはならないことだ。その力は、人を殺めるためにない。決して許されない。考えるだけでも恐ろしいことだ。声でも言葉でもないはずの耳鳴りが、添花の不安をくり返し囁く。
──助けて……助けて。
「うる……さ、い。黙って……黙ってよ!」
幹を頼りに立ち上がり、添花はよろめきながら森の外を目指す。このままうずくまっていたら、気が変になりそうだった。
──情けない。青藍龍の教えは「竜よりも強くあれ」だというのに。
後ろを吹き抜ける風や、自分の足音がそんな声に聞こえる。激しい悪寒に背中を押され、滅茶苦茶に走った。
「は……っ、は……っ」
森を抜けると、足がもつれて前のめりに倒れる。荒い息を整えようと何度も深呼吸をするが、早く強い鼓動に邪魔され、なかなか上手くいかない。咳き込んで喉が痛む。倒れた時に口の中を切ったのか、血の味がした。
(苦しい。息が、うまく吸えない)
「落ち着いて」
ふわり、頭を撫でられる感触と共に、優しい声が聞こえた。霊の気配が背後を通る。
(え……誰?)
声がした方を振り向くと、既に姿はない。しかしその一言が、添花の混乱を和らげていた。胸につかえる空気を吐き出し、普通の呼吸を取り戻していった。耳鳴やめまいも徐々に治まる。
(私、何かの病気かな。でも治ってきたし、そんなに気にするものじゃ……ないか)
森を抜けて出た位置は、鷸族の老人に会った場所より、かなり竜鱗に近いらしい。まだ体調に不安を残しつつ、添花は再び竜鱗を目指して歩き出す。
(今は白扇でのことを伝えに行く途中なんだ。行こう。さすがに走る元気はないけど、どうにか夜の間に着けるはずだよね)
紅龍には具合を悪くしたことを黙っておこうと思いながら、先を急ぐ。きっと疲れているだけだ。故郷でゆっくりすればすぐに元気になれると、自分に言い聞かせた。
この森は危うく霖に殺されかけた場所だが、縁起の悪い記憶は気にならなかった。故郷に帰れず最期を迎えた松成を、何としても送り届けたいからだ。焚き火を眺めていると、隙間のできた頭に故郷がよぎる。
(随分長いこと留守にしてる。みんな元気かな?)
添花は今更ながら、落蕾以外のことであれば思い出しても平気だと気付いた。道場の面々、池に点在する島に並ぶ家屋と蓮の風景。
(私、情けないな。いつまで逃げるつもりなんだろう。落蕾だって厄だけじゃないのに……厄だけじゃないんだっけ? なんでそう思った? まあそれは置いといて、一度、帰ってみようか)
松成は、故郷というより、そこに住む人々に帰りたかったと見える。よく知る仲間の多い場所は、誰にとっても居心地が良いものだ。彼への共感によって、添花の心境は変わってきている。
霊を信じないという町人性を除けば、蓮橋の雰囲気が一番心地良いのだった。その町人性も、未練を残さない生き方を好むがゆえに出来上がったものである。漂う霊がほとんどいないため、息抜きをするには適した環境だ。
小さな焚き火をじっと見つめて、添花は頷いた。
(うん、帰ろう。竜鱗にいる紅も安心するでしょ)
幼馴染みは心配性だ。会うついでに、そこを区切りにしようと思った。後の事は、また考えればいい。逃げるのをやめて初めて、強くなれたか分かる。前を向いた添花を応援するように、星々が瞬いていた。
二日目の道は大半が森の中ということもあって速度が落ちたが、なかなか順調に進んでいた。昼の休憩からしばらく経ち、竜鱗へ上る坂の辺り、開けた景色が見えつつあった。
森を出て次の休憩か、と思った時だ。添花の視界がぐるんと回った。
(また、めまい?……うわっ)
走るのを止め、少し歩いてから休もうとしたのだが、木の根につまずいてしまった。咄嗟の声も出ない。崩れるように座ると、そのまま立てなくなる。甲高い耳鳴りがした。これまでも時々調子の悪いことがあったので、添花は今回も似たようなものだろうと思っていた。座ったまま呼吸を整え、耳鳴りが遠のくのを待つ。
「はあ……はあ」
楽になると考えて近くの木の幹に寄り掛かったものの、具合は一向に良くならない。それどころか、耳鳴りは痛みとなって頭を締め付ける。
(何これ……なんで? 今までより、ひどい)
脱力した姿勢が逆に辛くなり、耳を押さえるとうずくまる。こうなった原因に心当たりは全くない。白扇ではゆっくり休めたし、この移動で大した無茶はしていないはずだ。丈夫だという自負がある添花は、たったひとり森の中でこうしている状況に、大きな不安を覚えた。
それが引き金となってか、普段は閉じ込めている不安が噴き出してくる。蓮橋に帰った時、もし霊能が知れていたら。隠せていたとしても、落蕾の厄と向き合えていない弱い準師範は、破門されるのではないか。故郷に居場所を失うのではないか。
(いつか帰ると思うから、当てのない旅ができたんだ。帰れなくなったら、私はどこへ行けばいいの? それに、霖のことも……)
添花は固く目を閉じ、自分を抱きしめるように小さくなった。木の根が盛り上がった地面には木漏れ日が揺れているのに、冬の雨に打たれる錯覚を覚える。昨晩は頭を掠めもしなかった、霖との戦いの記憶がくり返し脳裏に浮かんだ。
(次、会ったとしたら……ちゃんと霖の話を聞ける? 上手く隙を突かれたら、今度こそ死ぬかも。ううん、追い詰められたら私だって何をするか。青藍龍は、竜から人を守る力。人を殺すなんて)
あってはならないことだ。その力は、人を殺めるためにない。決して許されない。考えるだけでも恐ろしいことだ。声でも言葉でもないはずの耳鳴りが、添花の不安をくり返し囁く。
──助けて……助けて。
「うる……さ、い。黙って……黙ってよ!」
幹を頼りに立ち上がり、添花はよろめきながら森の外を目指す。このままうずくまっていたら、気が変になりそうだった。
──情けない。青藍龍の教えは「竜よりも強くあれ」だというのに。
後ろを吹き抜ける風や、自分の足音がそんな声に聞こえる。激しい悪寒に背中を押され、滅茶苦茶に走った。
「は……っ、は……っ」
森を抜けると、足がもつれて前のめりに倒れる。荒い息を整えようと何度も深呼吸をするが、早く強い鼓動に邪魔され、なかなか上手くいかない。咳き込んで喉が痛む。倒れた時に口の中を切ったのか、血の味がした。
(苦しい。息が、うまく吸えない)
「落ち着いて」
ふわり、頭を撫でられる感触と共に、優しい声が聞こえた。霊の気配が背後を通る。
(え……誰?)
声がした方を振り向くと、既に姿はない。しかしその一言が、添花の混乱を和らげていた。胸につかえる空気を吐き出し、普通の呼吸を取り戻していった。耳鳴やめまいも徐々に治まる。
(私、何かの病気かな。でも治ってきたし、そんなに気にするものじゃ……ないか)
森を抜けて出た位置は、鷸族の老人に会った場所より、かなり竜鱗に近いらしい。まだ体調に不安を残しつつ、添花は再び竜鱗を目指して歩き出す。
(今は白扇でのことを伝えに行く途中なんだ。行こう。さすがに走る元気はないけど、どうにか夜の間に着けるはずだよね)
紅龍には具合を悪くしたことを黙っておこうと思いながら、先を急ぐ。きっと疲れているだけだ。故郷でゆっくりすればすぐに元気になれると、自分に言い聞かせた。
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