蓮の呼び声

こま

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7章 青の町

7_④

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 一度の野宿を経て、日が傾き始める頃には蓮橋が見えてきた。初夏のこの時期は、体を動かしていると汗ばむ温かさだ。添花は少し寒いらしく、荷物から外套を引っ張り出す。
「寒いのか?」
「うん……もう陽がなくなるし、一応腕は冷やさないようにしようと思って」
 町の入り口に立つと、ふたりは一旦足を止める。目の前にある風景は、花がないことを除けば見慣れた町並みと同じだ。畑に囲まれた池の中は幾つもの島があって、橋で繋がるそれらの上に、家屋が立ち並ぶ。水面の多くを隠す蓮の葉は元気がよく、家々の屋根瓦は相変わらずの深い青色だ。
「懐かしい……帰って来てみると、やっぱり落ち着くね」
 感慨深く町を眺めていると、水汲みに出てきた町人がふたりに気付く。
「あら?……やっぱり、紅龍と添花だよね。まぁ、久しぶりだわあ」
 添花達の実家がある隣の島に住む、おばさんだった。食堂を営んでいて、添花はそこを手伝ったこともある。
「花芽が出なくておかしな年だけど、こりゃ、みんな喜ぶねえ」
 にこにこして言いながら水でいっぱいにした桶は、随分重そうだ。紅龍はさりげなく桶を持ち、家まで運ぶと申し出る。変わってないねと目を細めるおばさん。照れたように笑う紅龍。それを見て、添花は懐かしさを噛みしめた。本当に、蓮橋に帰ってきたのだ。
 同時に、ひんやりとした空気が駆け抜けた。夕方の風にしては冷たすぎる気がして、前を歩くおばさんや紅龍を見る。
(寒いのは私だけ、か。嫌な感じ……また森の時みたいになるの?)
 襟の立った外套に首をうずめ、直に風を受けるうなじを隠した。体調が思わしくないのは、気のせいだといい。
「さて、と。まずはどこに顔出せばいいかな」
 手紙も出さずに来たため、事前にふたりの帰郷を知る者はいなかった。
「まずは道場かな。おじさん、おばさんにも挨拶したいし」
 このひとことだけで、紅龍は添花の変化に気付く。何か、声に力がないように聞こえた。
「ん、やっぱりお前、調子が悪いんだろ。さっきから、何か……」
 自分と添花の額に掌を当て、温度の違いを確かめる。
「ほら、熱っぽいぞ。休むのが先だ、挨拶は明日にしよう」
「大丈夫だよ、少し疲れただけ……それに、家は埃だらけだろうから、今日は道場に泊めてもらうつもりだったんだ。どっちにしろ、道場は行くんだから」
 紅龍の手をどけながら言うが、添花の手は冷たい。相変わらず頼ろうとしない幼馴染みに溜め息をつき、紅龍は右手を宙にさまよわせた。
「添花の家、お袋が手入れしててくれたらしいぞ。いつ帰ってきてもいいように」
「えっ、そうなの?」
 添花の両親が早くに他界したので、紅龍の両親は添花を我が子のように見守ってきた。急に姿を眩ましても変わらない優しさに、添花は何だか胸が苦しくなる。その感覚は暖かくもあって、遠い記憶にじんわりと染みていく。呼び覚まされそうな色々な出来事は、紅龍の頷きで一旦引っ込んだ。
「ああ。だから、挨拶とかは明日にして、今日はもう休めよ。じき夜になるし、誰も文句言わないよ」
「……わかった。でも、おばさんにお礼言いに寄らせて。家、向かいなんだからさ」
 言ったそばから、もう歩き出している。本当にふたりの家は目の前なので、紅龍は実家まで一緒に行く事にしたが、遅い歩みが気になる。少しふらついていることを彼女はわかっているだろうか。気遣うと添花は強がる。紅龍は、いつでも支えられるように傍を歩いた。
 ふたりの姿を窓から見つけたのか、紅龍の母親は玄関で待っていた。
「ただいま」
「紅龍! おかえりなさい」
 丸い頬にいっぱいの笑顔を浮かべ、息子を迎えるとすぐ後ろの居間を振り向く。
「ほおら、やっぱり帰ってきたわ、見間違いじゃなかったでしょ!」
「映、そんなでっけぇ声じゃなくても聞こえるぞ……ん、本当に紅龍だぁ」
 父親ののんびりした口調ととぼけた台詞に笑いつつ、紅龍は二度目のただいまを言った。
 居間から玄関に来た紅龍の父親は、息子の後ろに藍鼠色の癖っ毛を見つけて目を丸くする。遅れて気付いた母親・映も、笑顔が更に大きくなる。
「おぉ。添花も帰ってきたのか!」
「まあ、元気だった? 何も言わずに出て行っちゃったから、どうしてるのかって、ずっと」
 映は添花の頬に触れ、そこにいると確かめるとほっとした表情になる。いつも手が温かいから、添花の熱っぽさには気付かなかったようだ。
「ごめんなさい、心配かけて。紅から家のこと聞いたの、待っててくれて、ありがとう」
深く頭を下げる添花の正面で、映は腰をかがめて笑う。
「いいの。添花だって、うちの子みたいなものよ。だから、ほら、おかえりなさい」
 ほっこりとした気持ちで、添花はふたりめの母に「ただいま」と言おうとした。だが、顔が上がらない。背中がぞくぞくとして、自分の呼吸の音がくぐもって聞こえる。
(あれ? 私……今、立ってる?)
 目に見えるものが、音が、曖昧になっていく。膝に力が入らないような、足の裏の感覚が消えていくような。
「添花?」
 様子がおかしいと気付いた紅龍の呼びかけは、耳鳴りのせいで添花には聞こえなかった。彼女が喉から絞り出せたのは声ではなく、微かな呻きだ。そして、その場に倒れ込んでしまう。
「おっと!」
 玄関のかまちにぶつかる前に、どうにか体を受け止めた紅龍も、何が起こったのか分からない。
(少し疲れただけって、これが? どうしたんだよ添花!)
 虚ろな目には、添花を抱き起こす紅龍の顔が映るばかりだ。
「お、俺、医者! 医者呼んでくるぞぉ!」
 最初に動き出したのは紅龍の父親だった。靴も履かずに外へ飛び出す。医者が常駐する病院は、道場のすぐ隣だ。
「えっと、えっと、寝かせるなら添花の家が早いわ。今日、布団干したままだった」
 あたふたしながら、向かいの家へと映も走る。添花を抱えた紅龍も後を追った。
 ぐったりした添花の顔色は、更に悪くなって青い。とにかく早く安静にさせなくては。映が寝室で整えた布団に寝かせると、どこか痛むのか、表情が苦しそうに歪む。横向きになって丸くなり、固く握った手は震えていた。着物の合わせが皺になっている。紅龍は背中をさすってやるくらいしかできない。
「先生、こっちだ!」
 添花の家の玄関先に灯された明かりに気付き、紅龍の父親が医者を連れてくる。
「ああ、先生! 添花が急に、倒れて」
 ばたばたと上がってくる医者は、紅龍も小さい頃から世話になっている。良く知る顔を見て、少し安心した。
「大体の事は聞いた。紅龍、一緒に帰ってきたんだろう。何か変わった所はなかったか?」
「町に着いた時には、熱っぽかったんだ。竜鱗に来る前はひとりで旅してて、俺が知らない所で……無茶して疲れてたのかも」
 蓮橋のことに気を取られて、添花が白扇と竜鱗を往復した期間を考えていなかった。普通なら、もっと日数がかかる道程だ。知人の遺体を故郷に帰すための強行軍、他にも除霊のために動いていたことは想像に難くない。
(だから休めって言ったのに)
 歯噛みしても時は戻らない。一通り状況を伝えると、添花と医者を寝室に残し、紅龍一家は居間で待機する。
「どうしたんだか、なぁ?」
「ねえ。添花って、そんなに風邪もこじらせない子でしょう。昔から丈夫よね……」
 今と昔を重ねて首を傾げる両親と違い、紅龍が思い出すのは最近の添花だった。再会してからの彼女は、どこかおかしい。久しぶりに谷で会った時は、近くに行くまで添花だと気付かなかった。杼竜にひとりで立ち向かうなど、命知らずの無謀な喧嘩だ。彼女はいつも冷静で、霊のためとはいえ、そこまで無茶をするのはらしくないことだった。
 森で霖に会った時、もっと強く引きとめていれば。竜鱗に戻ってきた時、疲れは表に見えていた。せめて一日、余裕を取れば。
(俺、全然ダメだ。もっと、ずっとしっかりしないと! 添花も昔と同じじゃないんだから)
 人生の大半を一緒に過ごした幼馴染みのことだ。今、感じる責任は大きいだろう。険しい顔で黙す息子を見て、両親はどちらからともなく席を外した。計ったように襖が開き、医者が居間に出てくる。彼が持ってきたろうそくで、ほぼ真っ暗だった部屋がぼんやり照らされた。
「添花は、大丈夫なんですか?」
「わからない、診たことのない症状だ。もしかすると……」
 話す声色は暗い。語尾を濁し、少しためらってから、医者は再び口を開いた。ろうそくの火が揺れる。
「添花に、抜け落ちた記憶があること。紅龍は知っているな?」
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