蓮の呼び声

こま

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7章 青の町

7_⑥

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 家に帰る時は、なんとなく遠回りして行く。道場前の小島から食堂の方に渡ればすぐ家だが、一通り懐かしい景色を見ることにした。
 着物を売る店に近い岸を見ると、染め物の工房がある。添花の浅葱色の着物も、ここで染めたものだ。隣の島の雑貨屋では、歳の近い娘達が買い物をしていた。関わりがなくなって久しいので、特に声はかけない。そこから左手の島を越えると食堂がある。向こうの、一本の木が生えるだけの小さな島を気にしてから、添花は自宅のある島に戻った。
(木のある場所で、何かあったっけ? 秘密基地は外の畑の方。ここでは……うーん、思い出せないや)
 故郷に思いを馳せないように旅してきたのだから、当然と言えば当然だ。心にかかる靄を瞬きで振り払って、玄関を開ける。
 布団を畳んだ寝室の戸を開け放ち、縁側に座って蓮の様子を眺めることにした。早い花は既に開いていい時期なのに、やはり水面を隠すのは一面の緑色。花芽がかくれんぼでもしているようだ。裸足の指に風を感じながらぼんやりしていると、隣の島から添花を見付け、紅龍が走ってきた。
「添花! 具合どうだ、大丈夫か?」
「ごめん、心配かけて。今はもう元気だよ」
 普段通りの体調になりつつあるのが気味悪い。そう思いつつ、添花は微笑んだ。心配性を煽るようなことはしたくなかった。
「病院には行ったか?」
「うん、何でもないらしいよ。疲れが溜まってたんじゃないかって」
(本当かな?)
 口には出さなかった疑問が、下手な笑みから透けて見えたらしい。紅龍の顔に不安が浮かぶ。
「……病は気から、って言うだろ。変に考え込まないで、のんびりすればいいよ」
 やけに深刻な様子で、無理に明るい言葉を選んだ言い方をするから可笑しい。顔と言葉が噛み合っていないと指摘して、添花は小さく吹き出した。
「ふ、そうだね。そうする」
 それから、紅龍の提案で食堂へ昼食をとりに行った。昨日からまともに食事をしていない添花は、食堂のおばさんの厚意で、品書きにない粥を出してもらった。細かく刻んだ蓮根を甘辛く炒めたふりかけが添えてあって、砂糖が多めの味付けを懐かしむ。
「あのさ」
 添花よりも食事が進まない様子で、紅龍は止まった箸の先を見下ろしている。少し間を置いて、言いにくそうに切り出す。
「親父が、添花が大丈夫なら、墓参りに行ったらどうかって。でも、確か添花は墓参り、嫌いだよな」
 卓の向かいに座る添花にだけ聞こえる、小さな声だ。食堂に行こうと言う時にも、この話をするか迷っていたのかもしれない。
「うん。でも行くよ。そうするのが道理だもんね」
「……そうか」
 紅龍の箸が再び動き出した。

 道場に挨拶しに行った後、紅龍は貸し馬屋に行っていたらしい。蓮橋のような大きな町には馬屋があり、長距離移動をする際に貸してくれる。添花に無理をさせないように、という紅龍の配慮だった。それぞれ馬の背に揺られながら、なんとなく言葉を交わす。
「あ、紅。ありがと」
「何が?」
「昨日、ずっと居てくれたでしょ」
 前方を見たままぶっきらぼうに言うのは、機を逃した今更の礼だからだ。きっと紅龍は昨晩寝ていない。悪いと思いつつも、添花は上手く謝れなかった。
「いいよ、気にすんな。他に、何もできなかっただけだ」
「それこそ、気にする事じゃないよ……助かったんだから」
 みなまで言わずとも、紅龍はわかっている。だから添花はいつもより少し、素直になれた。
「へへっ」
 いつもと違うのが、今の紅龍にとっては不安らしい。照れたにしては低い声で笑い、話を変えた。
「それにしても、久しぶりだな。墓地は」
「私も。ああ、笹熊の所までは来たか」
「隣じゃないか。そこまで来て、なんで」
 出掛かった紅龍の疑問符は喉に留まる。除霊に伴って墓地に行ったのは想像できた。
「土の下に、魂はない。空っぽなのに、何を祈ればいいのか……分からないから」
 他に会話を聞いているのは馬だけの道だから、添花は正直に答えた。墓にあるのは死者の体で、魂は埋まっていない。手を合わせることに意味を見いだせなかった。添花にとって、少なくとも両親の墓は誰もいない場所なのだ。疑問が解け、紅龍は考え込んでいるようだったが、そうこうするうちに共同墓地に着く。
 埋葬前の儀を行う台を中心に、放射状に墓地が区画分けされている。それぞれ町の方向を正面として、故人の名が刻まれた墓石が並ぶ。区画の境には低い塀があるが、ぐるりを囲んではいない。長い年月を経て、徐々に墓地は拡張しているようだ。
 添花は腿までの高さで並ぶ墓石の間を縫うように歩き、両親の墓を探した。久しぶりでも、位置は足が覚えていた。
「桂清……茎琉。ここだね」
 ふたりは同じ墓石の下に埋葬されている。紅龍と並んでその前に立つ。手には、墓地の周辺に咲いていた透かし百合がある。供えるために摘んできたものだ。
 添花はしゃがんで花を墓石の前に置き、墓石の平らな天面に掌を滑らせた。それから指先で、刻まれた両親の名を、確かめるようになでる。彼女が手を合わせて黙祷を捧げるのに合わせて、紅龍も膝を折って左右の掌を合わせる。互いに何を思ってそうしているのか、分からなかった。
「墓参りなんかして良い子ぶっちゃって。そこに誰がいるかも、知らないくせに!」
 突然、背後から布越しの声がして、添花と紅龍は同時に立ち上がる。
「霖!」
 声の主を呼び、すぐに身構えた。相変わらず頭巾で顔を隠した霖は、唯一露出している目で不快感を訴えた。いつも理由も言わずに攻撃してくる彼女の手には、針ではなく一輪の花があった。蛍袋だ。
 ゆっくりと、墓石の隙間を縫って歩いてくる霖から、紅龍は一瞬目を逸らした。
(霖が見てるのは……この墓か)
 ふたりの間を素通りして、添花の両親が眠る隣の墓石に、手から落とすように花を手向ける霖。しゃがんで墓石の天面をなでると、指先を名前へと動かす。墓石に刻まれた名は、青士。彼女が手を合わせ黙祷する間、紅龍は既視感に眉をひそめていた。
「紅は、知ってるんでしょうけど」
 冷ややかな口調で刺されて、ぞくりとした。無意識のうちに、片足が後ろに下がる。紅龍をその愛称で呼ぶ人間は、ごく限られている。
「やっぱり……先生が、言った通りなのか」
「紅、何か知ってるの?」
 添花の問いに紅龍は答えなかった。布越しの落ち着いた声と添花の声、彼には両者が、恐ろしく似て聞こえていた。冷や汗を浮かべる顔を見て満足げに目を細め、霖が立ち上がる。乱暴に結び目を解き、頭巾をはぎ取った。
「どういうこと……」
 添花の声が震える。初めて露になった霖の顔は、添花そのものだった。服装は違うし、長く伸ばして束ねているが、藍鼠色の髪は間違いなく添花の癖っ毛だ。
「ふん、紅に聞いたところで何も答えられやしないわよ」
 目の前にいる私と話をしろと言われているようだった。添花は息をのんで、霖の目を真っ直ぐに見る。こんな機会を待っていたはずだ。
「添花はどうせ、この墓を見ても何とも思わないんでしょ」
 霖が指差す、「青士」の墓。両親の墓石と並ぶのはなぜか。彼は、誰なのか。黙す添花を心配そうに見る紅龍の中では、点と点が繋がっていた。彼もまた言葉を発せずに時間が過ぎ、霖の笑い声が沈黙を破る。
「ふふ、まあいいわ。私は、あんたに降り続く霖だと言った。この意味も、まだ分からないんでしょ」
「霖ってのは、あんたの名前じゃない。それだけは分かる。どういうつもりで、あんたは自分を霖に例えたの?」
 数日間降り続く長雨、天候の名が霖だった。添花は努めて冷静に、霖との対話を試みる。売り言葉に買い言葉、反発だけだった関係を変えられれば、何か分かることがありそうだ。
「雨に打たれても傷は負わないわ。なのに、あんたは傘を広げたまま。本当は私を知っているのに、傘の下で見ない振りをするの」
 まともに言葉を交わすのは初めてなのだが、霖の話は心の奥に染み込んでくる。正面で聞いていると、鏡に向かって話していると錯覚しそうだ。
「傘を閉じれば、あんたのことがわかるし、霖も止むってこと?」
「閉じられれば、ね。私は、あんたを消すためにこの話をしたのよ。もっと詳しく話してあげてもいいけど……」
「ま、待ってくれ」
 今まで黙って話を聞いていた紅龍が、慌てて遮る。ふたりの青い目に見つめられ、一筋の汗が彼の背中を伝った。
「話して、どうなるんだ?」
「は、あんたには関係ないわ。全部知ってるくせに、何も言えないあんたには!」
 顎を上げ、紅龍を見下して笑う。愉快そうな様子から察するに、予想通りの横やりだったのだろう。
 霖はひとしきり笑い声を立てて唐突に真顔に戻ると、紅龍から添花に目線を移す。
「あとは、紅に話してもらおうかしら。明日まで待ってあげる。また会いましょう」
 試すような言葉を残し、霖は黒い煙となる。日が傾いた共同墓地には、重い沈黙だけが残された。
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