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8章 落蕾
8_①
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霖が黒い煙となって移動した先に、見覚えのある霊の姿があった。この場所に来るのを予想していたようだ。休耕の畑が広がる、蓮橋の町の外。枯れた大木の下に、哀しげな目の青年が立っている。
「このまま、霖として消えていくつもりかい?」
青士の姿を見ないように、霖は目を閉じて土の匂いを吸い込んだ。
「違う。あいつが消えるの。私は生きる」
「違うね。分かっているはずだ……君は本当の添花を忘れ」
「私が添花じゃないっていうなら!」
図星だったのか、霖は言葉を遮って語勢を強める。肩を震わせ青士を睨んだ。
「あいつも添花じゃない。そうでしょう?」
「ああ。だから言ったんだ、すべきことを見誤るなと」
青士は毅然として霖を諭そうとする。目を合わせては勝ち目がないと思い、霖はうつむいた。その口が小さく「どうして」と動く。
「どうして、わかってくれないの?」
ぽたり、つま先に雫が落ちた。
「あいつのせいで、私はずっと押え込まれてきた」
絞り出して言葉を繋いでいく霖の姿は、怒りの扱い方が拙くて涙する少女のようだ。
「あんたなんか、嫌い……それ以上に、大好きだったはずなのに! その気持ちは、全部、キレイに忘れた、あいつが持ってる!」
涙は次々に溢れ、地へと落ちる。青士ははっとした。
「青士を忘れて、落蕾から逃げた、弱いあいつを……憎いと思っちゃ、いけない?」
霖が頑なである原因が自分にもあるとわかり、問いかけに答えることができない。乱暴に涙を拭う手の甲を目で追いながら、青士は半透明の手を握りしめた。
「紅」
静まり返った墓地で、沈黙を破ったのは添花だった。声に感情はなく、霖が立っていた地面を見つめている。
「青士、って?」
紅龍は墓石の前にしゃがんで、青士の墓に手を合わせた。故人と相談でもしているつもりだろうか、しばらくそのまま黙っている。やがて意を決し立ち上がると、刻まれた名を見つめたまま掠れた声でぽつりと言った。
「お前の……兄貴」
添花の顔も見ずに、墓地の外で木に繋いでおいた馬の所へ歩き出す。その背には、はっきり迷いが見て取れた。添花は重ねて問うことはせず、紅龍と一緒に帰り道へ踏み出した。
馬の背に揺られて前を見ながら、添花を視界から追い出しそうになっていると気付き、紅龍は幾度か溜め息をついた。
(墓を見れば思い出すかもしれないなんて、甘かったな。やっぱり話さないと……色々。何から?)
考えている間に、添花が新たな疑問を口にする。霖の笑い声が耳に残って、妙な焦りが心中に芽生えていた。
「全部知ってるって、霖は言ってたね。あいつが何なのかも? いつから?」
「昨日の夜、先生から聞いた……可能性の話だったけど。もしかしたら、添花も聞いた話かもな」
それは、鷸族の語りにあった魂の話らしい。老人の霊に途中まで聞いていたものの全てを、紅龍は淡々と語った。
良きも悪しきも混在するのが、魂というもの。しかし、何を良きものとし、悪しきものとするかは、己の心で決めること。良は悪ともなり、悪は良ともなる。悪を強く否定すれば、それを良とする心が反発する。その逆も然り。
二面を抱えるが、魂のさだめ。強すぎる想いは、二面を分け、魂の崩壊を招く。分かたれた己の半心を、互いに受け入れなくては、魂が消え去る。刻限は短い。さだめを逃れし魂は、魂にあらず。
霖の容姿は添花そのもの。鷸族の語りが添花達のことを示すと、言われなくても理解できた。
「分たれた……私の半分が、霖ってこと」
「そう」
語りの一節が、添花の頭の中をぐるぐる回る。この所わけもなく体調を崩していたのも、故郷の近くを旅するようになったのも、それが理由ではないのか。無意識のうちに欠けた魂を求めているのだ。
このままでは近いうちに魂が消えてしまう。紅龍は事実を告げようとして、なかなか口を開けない。言えばすぐさま、添花が消えてしまうような気がして怖かった。
「刻限は短い、か」
添花が吐く息に乗せた呟きは、案外落ち着いて聞こえた。
「同じ顔してるし。明日より先まで、待つ気はなさそうだし。本当に魂がそういうものなら、あいつは私なんだね」
ひとつひとつ、現実を確かめる言葉を並べていく。
「魂が割れたのは、なんでだろう。うーん、あいつが私……いまいち、ぴんとこないな」
「俺だってそうだよ。でも、あいつは青士のことを知ってるみたいだった。添花は覚えてないだろ? 兄貴がいたこと」
添花は視点を宙にさまよわせて考えた。墓がある。青士は死んでいる。では、いつ、なぜ死んだのか? 答えは見つからない。
両親のものより墓石は新しかった。つまり、兄妹ふたりで過ごした時期があるはずだ。彼はどんな人物だったのか? 顔は、声は?
記憶の中にぽっかりと、黒く、深い穴が空いていた。こめかみを圧迫されるような痛みが起こる。
「どうして、死んだの」
紅龍の言う通り、添花は兄について何も思い出せなかった。問うことが答えになる。
「やっぱり覚えてないか」
ふたりは、霖が話そうとしたのは青士のことだと確信した。しかし今度は紅龍が言いよどむ。
「ごめん……少し、少しでいいんだ。時間をくれ。必ず、話すから」
奥歯を噛み締めたまま、何とかそれだけ言うと、息をつくとき紅龍の唇が震えた。青士は添花の兄で、添花と紅龍は幼馴染み。彼にとっても、青士の存在は大きいはずだ。失った衝撃も。
「うん」
直感的に、自分には時間があまりないと分かっている添花だが、紅龍の苦しげな様子を見て待つことにした。きっと話は落蕾に及ぶ。互いに覚悟を決める必要がある。
「このまま、霖として消えていくつもりかい?」
青士の姿を見ないように、霖は目を閉じて土の匂いを吸い込んだ。
「違う。あいつが消えるの。私は生きる」
「違うね。分かっているはずだ……君は本当の添花を忘れ」
「私が添花じゃないっていうなら!」
図星だったのか、霖は言葉を遮って語勢を強める。肩を震わせ青士を睨んだ。
「あいつも添花じゃない。そうでしょう?」
「ああ。だから言ったんだ、すべきことを見誤るなと」
青士は毅然として霖を諭そうとする。目を合わせては勝ち目がないと思い、霖はうつむいた。その口が小さく「どうして」と動く。
「どうして、わかってくれないの?」
ぽたり、つま先に雫が落ちた。
「あいつのせいで、私はずっと押え込まれてきた」
絞り出して言葉を繋いでいく霖の姿は、怒りの扱い方が拙くて涙する少女のようだ。
「あんたなんか、嫌い……それ以上に、大好きだったはずなのに! その気持ちは、全部、キレイに忘れた、あいつが持ってる!」
涙は次々に溢れ、地へと落ちる。青士ははっとした。
「青士を忘れて、落蕾から逃げた、弱いあいつを……憎いと思っちゃ、いけない?」
霖が頑なである原因が自分にもあるとわかり、問いかけに答えることができない。乱暴に涙を拭う手の甲を目で追いながら、青士は半透明の手を握りしめた。
「紅」
静まり返った墓地で、沈黙を破ったのは添花だった。声に感情はなく、霖が立っていた地面を見つめている。
「青士、って?」
紅龍は墓石の前にしゃがんで、青士の墓に手を合わせた。故人と相談でもしているつもりだろうか、しばらくそのまま黙っている。やがて意を決し立ち上がると、刻まれた名を見つめたまま掠れた声でぽつりと言った。
「お前の……兄貴」
添花の顔も見ずに、墓地の外で木に繋いでおいた馬の所へ歩き出す。その背には、はっきり迷いが見て取れた。添花は重ねて問うことはせず、紅龍と一緒に帰り道へ踏み出した。
馬の背に揺られて前を見ながら、添花を視界から追い出しそうになっていると気付き、紅龍は幾度か溜め息をついた。
(墓を見れば思い出すかもしれないなんて、甘かったな。やっぱり話さないと……色々。何から?)
考えている間に、添花が新たな疑問を口にする。霖の笑い声が耳に残って、妙な焦りが心中に芽生えていた。
「全部知ってるって、霖は言ってたね。あいつが何なのかも? いつから?」
「昨日の夜、先生から聞いた……可能性の話だったけど。もしかしたら、添花も聞いた話かもな」
それは、鷸族の語りにあった魂の話らしい。老人の霊に途中まで聞いていたものの全てを、紅龍は淡々と語った。
良きも悪しきも混在するのが、魂というもの。しかし、何を良きものとし、悪しきものとするかは、己の心で決めること。良は悪ともなり、悪は良ともなる。悪を強く否定すれば、それを良とする心が反発する。その逆も然り。
二面を抱えるが、魂のさだめ。強すぎる想いは、二面を分け、魂の崩壊を招く。分かたれた己の半心を、互いに受け入れなくては、魂が消え去る。刻限は短い。さだめを逃れし魂は、魂にあらず。
霖の容姿は添花そのもの。鷸族の語りが添花達のことを示すと、言われなくても理解できた。
「分たれた……私の半分が、霖ってこと」
「そう」
語りの一節が、添花の頭の中をぐるぐる回る。この所わけもなく体調を崩していたのも、故郷の近くを旅するようになったのも、それが理由ではないのか。無意識のうちに欠けた魂を求めているのだ。
このままでは近いうちに魂が消えてしまう。紅龍は事実を告げようとして、なかなか口を開けない。言えばすぐさま、添花が消えてしまうような気がして怖かった。
「刻限は短い、か」
添花が吐く息に乗せた呟きは、案外落ち着いて聞こえた。
「同じ顔してるし。明日より先まで、待つ気はなさそうだし。本当に魂がそういうものなら、あいつは私なんだね」
ひとつひとつ、現実を確かめる言葉を並べていく。
「魂が割れたのは、なんでだろう。うーん、あいつが私……いまいち、ぴんとこないな」
「俺だってそうだよ。でも、あいつは青士のことを知ってるみたいだった。添花は覚えてないだろ? 兄貴がいたこと」
添花は視点を宙にさまよわせて考えた。墓がある。青士は死んでいる。では、いつ、なぜ死んだのか? 答えは見つからない。
両親のものより墓石は新しかった。つまり、兄妹ふたりで過ごした時期があるはずだ。彼はどんな人物だったのか? 顔は、声は?
記憶の中にぽっかりと、黒く、深い穴が空いていた。こめかみを圧迫されるような痛みが起こる。
「どうして、死んだの」
紅龍の言う通り、添花は兄について何も思い出せなかった。問うことが答えになる。
「やっぱり覚えてないか」
ふたりは、霖が話そうとしたのは青士のことだと確信した。しかし今度は紅龍が言いよどむ。
「ごめん……少し、少しでいいんだ。時間をくれ。必ず、話すから」
奥歯を噛み締めたまま、何とかそれだけ言うと、息をつくとき紅龍の唇が震えた。青士は添花の兄で、添花と紅龍は幼馴染み。彼にとっても、青士の存在は大きいはずだ。失った衝撃も。
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