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9章 傘を閉じて
9_①
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話を終えた紅龍が帰って、添花は自宅にひとりとなる。茶碗や急須を座卓に置いたまま、奥の寝室で布団を均すと、その上に座り込む。
兄が居た過去を聞いた後、飲んだ茶は味がしなかった。幼馴染みを見送る頃から、耳の奥で音でない音が鳴っている。また昨晩のようになるのかと緊張する添花だが、そうなる原因を知ったため幾分落ち着いていられた。
予想した通り、異常な悪寒と動悸が添花を襲う。膝を抱えて小さくなり、深呼吸を繰り返す。
(大丈夫、明日には、きっと……こんなこと、なくなる)
魂が明日まで無事という保証はない。それでも、不調に不安を煽られることはなかった。きっと今頃は、霖もこうして苦しんでいる。添花が紅龍達に介抱されている間も、彼女は半分だけの魂でずっと耐えていたのだ。自分が耐えられなくてどうする。
(あいつに代わって、私は何か背負ってきたのかな)
熱っぽい頭には何も思い浮かばず、全ての重荷を霖に押し付けてしまったように思う。
(そりゃ、恨むよね。紅の口ぶりでわかった、兄さんがどんな存在なのか)
両親を失って、唯一の肉親だった兄。幼かった添花にとって、彼は母であり父であった。絆が強いほどに亡くした哀しみは大きく、兄弟同然の紅龍でさえもその傷を癒すことは出来なかった。
(だからって、忘れるなんて!)
弱い自分に対する怒りが湧き上がる。握った手に爪が食い込んだ。
「ごめん……」
霖に向けてか兄に向けてか、罪の意識を口にするとひどく薄っぺらく感じた。添花に助けを求めては掻き消され、追うことのできなかった呼び声の中に、兄のそれがあったのかもしれないのだ。霊としてまだこの世にいるなら、誰よりも成仏を助けたい魂ではないか。
「兄さん……」
思わず、兄を呼ぶ声が零れた時、町のどこかで霊の気配が動いた。悪寒や頭痛が続いていても、反射的に背筋が伸びる。蓮橋では霊がいること自体が珍しいので、添花は懸命に気配の位置を探った。見かける霊と言えば縁の無い浮遊霊、というこの町にあって、その気配は町の者であると確信できた。
(きっと兄さんだ。ここに近付いてる)
抱えた膝に顔を伏せ、添花は記憶の穴に飛び込むようにして兄の姿を思い出そうとした。合わせる顔がないという感情が、まだ邪魔をしている。
「おかえり。やっと帰ってきたね、添花」
溜め息まじりに微笑む声。同時に優しく頭を撫でる掌は、人間の感触とは違う。
「にい、さん?」
伏せたまま尋ねると、彼は頷いたようだ。今、顔を上げれば青士の霊がいる。認めざるを得ない事実がそこにあった。添花は思い切って兄に顔を向ける。明日、霖と向き合うことと同じくらい、青士と向き合うことが重要だ。下を向こうとする気持ちはねじ伏せた。
「ただいま……兄さん」
自分と同じ藍鼠色の髪、父と同じ納戸色の目。さらりと真っ直ぐな髪の質は母と同じ。傍にいるのは間違いなく兄である。穏やかな表情には少し哀愁が漂っていて、添花が続けようとする言葉を白紙に戻す。先に口を開いたのは青士だった。
「ごめんね」
「え?」
目を合わせて話をするのは、本当に久しぶり。言葉が途切れるのは青士も同じで、ひとこと謝ったきり黙ってしまった。記憶はまだ戻らないが、添花の琴線がざわめきだす。
(兄さんはきっと、私に記憶がないのを知ってる。それでも来てくれた……謝るのは私のほう)
口を動かせ。喉を震わせるのだ。自分の弱さを認めなければ。添花は大きく息を吸い込んだ。
「ごめん兄さん、私……私が、もっと強ければ、兄さんは成仏できたでしょう?」
真っ黒な記憶の穴を、言葉が埋め始めた。道場や紅龍一家に見守られ、兄妹で助け合いながら育ってきたのだ。
「強いつもりでいただけ。昔のままだった。そんな奴を置いて、いけないよね」
伏し目がちになった添花の心には、落蕾の当時に抱いた感情が鮮明に蘇ってくる。
金のために町を襲う奴らなんか、価値がない。どうなったって構うものか──でも命を奪ってはいけない。そのための力ではない。
兄がいたから生きてこられた。たったひとりの家族がいたから──兄が居なければ添花はひとりだ。はじめからひとりなら、もっと楽だったのかもしれない。
ずっと一緒にいたかった。兄の死など信じたくない、信じない──成仏は、きっと魂の安息。兄は成仏できたのだろうか。
幾つもの想いが、反発しながら記憶を象っていく。
「私は、自分と戦ってばかりだった。全然分かってなかったんだ、自分の気持ちを」
魂が割れた理由を、添花は自ら導き出していた。
「何でも、はっきり白黒付けるものだって思ってたから……答えの半分を捨ててきたから。兄さんに、こうして心配かけてる」
自分との戦いは、同時に逃げでもあった。気持ちの半分をねじ伏せ、封印することで、嫌な自分を見ないようにしていたのだ。
気付きによって、妹は成長したらしい。弱いままではいないぞと、決意した目は凛々しい。青士はにっこりと笑った。
「それが分かったなら、大丈夫だね」
頷く添花の頭を撫でた最後に、両手で頬を包むようにしてから、青士はふいと姿を消した。気配を辿らなくても、霖の所へ行ったと分かる。
悪寒が引き始めて、添花は枕元に置いた着物に手を触れ、もう一度頷いた。蓮橋の紋に、強く在ることを誓う。
明日のために、それぞれが眠りについた頃、涼しい風が鈍色の雲を運んできた。空気は重さを増したけれど、夜の間に月が隠れることはなかった。
兄が居た過去を聞いた後、飲んだ茶は味がしなかった。幼馴染みを見送る頃から、耳の奥で音でない音が鳴っている。また昨晩のようになるのかと緊張する添花だが、そうなる原因を知ったため幾分落ち着いていられた。
予想した通り、異常な悪寒と動悸が添花を襲う。膝を抱えて小さくなり、深呼吸を繰り返す。
(大丈夫、明日には、きっと……こんなこと、なくなる)
魂が明日まで無事という保証はない。それでも、不調に不安を煽られることはなかった。きっと今頃は、霖もこうして苦しんでいる。添花が紅龍達に介抱されている間も、彼女は半分だけの魂でずっと耐えていたのだ。自分が耐えられなくてどうする。
(あいつに代わって、私は何か背負ってきたのかな)
熱っぽい頭には何も思い浮かばず、全ての重荷を霖に押し付けてしまったように思う。
(そりゃ、恨むよね。紅の口ぶりでわかった、兄さんがどんな存在なのか)
両親を失って、唯一の肉親だった兄。幼かった添花にとって、彼は母であり父であった。絆が強いほどに亡くした哀しみは大きく、兄弟同然の紅龍でさえもその傷を癒すことは出来なかった。
(だからって、忘れるなんて!)
弱い自分に対する怒りが湧き上がる。握った手に爪が食い込んだ。
「ごめん……」
霖に向けてか兄に向けてか、罪の意識を口にするとひどく薄っぺらく感じた。添花に助けを求めては掻き消され、追うことのできなかった呼び声の中に、兄のそれがあったのかもしれないのだ。霊としてまだこの世にいるなら、誰よりも成仏を助けたい魂ではないか。
「兄さん……」
思わず、兄を呼ぶ声が零れた時、町のどこかで霊の気配が動いた。悪寒や頭痛が続いていても、反射的に背筋が伸びる。蓮橋では霊がいること自体が珍しいので、添花は懸命に気配の位置を探った。見かける霊と言えば縁の無い浮遊霊、というこの町にあって、その気配は町の者であると確信できた。
(きっと兄さんだ。ここに近付いてる)
抱えた膝に顔を伏せ、添花は記憶の穴に飛び込むようにして兄の姿を思い出そうとした。合わせる顔がないという感情が、まだ邪魔をしている。
「おかえり。やっと帰ってきたね、添花」
溜め息まじりに微笑む声。同時に優しく頭を撫でる掌は、人間の感触とは違う。
「にい、さん?」
伏せたまま尋ねると、彼は頷いたようだ。今、顔を上げれば青士の霊がいる。認めざるを得ない事実がそこにあった。添花は思い切って兄に顔を向ける。明日、霖と向き合うことと同じくらい、青士と向き合うことが重要だ。下を向こうとする気持ちはねじ伏せた。
「ただいま……兄さん」
自分と同じ藍鼠色の髪、父と同じ納戸色の目。さらりと真っ直ぐな髪の質は母と同じ。傍にいるのは間違いなく兄である。穏やかな表情には少し哀愁が漂っていて、添花が続けようとする言葉を白紙に戻す。先に口を開いたのは青士だった。
「ごめんね」
「え?」
目を合わせて話をするのは、本当に久しぶり。言葉が途切れるのは青士も同じで、ひとこと謝ったきり黙ってしまった。記憶はまだ戻らないが、添花の琴線がざわめきだす。
(兄さんはきっと、私に記憶がないのを知ってる。それでも来てくれた……謝るのは私のほう)
口を動かせ。喉を震わせるのだ。自分の弱さを認めなければ。添花は大きく息を吸い込んだ。
「ごめん兄さん、私……私が、もっと強ければ、兄さんは成仏できたでしょう?」
真っ黒な記憶の穴を、言葉が埋め始めた。道場や紅龍一家に見守られ、兄妹で助け合いながら育ってきたのだ。
「強いつもりでいただけ。昔のままだった。そんな奴を置いて、いけないよね」
伏し目がちになった添花の心には、落蕾の当時に抱いた感情が鮮明に蘇ってくる。
金のために町を襲う奴らなんか、価値がない。どうなったって構うものか──でも命を奪ってはいけない。そのための力ではない。
兄がいたから生きてこられた。たったひとりの家族がいたから──兄が居なければ添花はひとりだ。はじめからひとりなら、もっと楽だったのかもしれない。
ずっと一緒にいたかった。兄の死など信じたくない、信じない──成仏は、きっと魂の安息。兄は成仏できたのだろうか。
幾つもの想いが、反発しながら記憶を象っていく。
「私は、自分と戦ってばかりだった。全然分かってなかったんだ、自分の気持ちを」
魂が割れた理由を、添花は自ら導き出していた。
「何でも、はっきり白黒付けるものだって思ってたから……答えの半分を捨ててきたから。兄さんに、こうして心配かけてる」
自分との戦いは、同時に逃げでもあった。気持ちの半分をねじ伏せ、封印することで、嫌な自分を見ないようにしていたのだ。
気付きによって、妹は成長したらしい。弱いままではいないぞと、決意した目は凛々しい。青士はにっこりと笑った。
「それが分かったなら、大丈夫だね」
頷く添花の頭を撫でた最後に、両手で頬を包むようにしてから、青士はふいと姿を消した。気配を辿らなくても、霖の所へ行ったと分かる。
悪寒が引き始めて、添花は枕元に置いた着物に手を触れ、もう一度頷いた。蓮橋の紋に、強く在ることを誓う。
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