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9章 傘を閉じて
9_②
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朝目覚めると、重い空は今にも雨を落としそうになっていた。雲をどけるように腕を伸ばし、添花は伸びをする。縁側から外に出て、蓮の葉が繁る池の水で顔を洗う。自分の頬を叩き、気合いを入れた。家に戻って着替えると、秘密基地へ向かうことにする。玄関で靴を履き、目に入った傘に手を伸ばしかける。
(いらないか)
埃まみれの傘を、持っていくのはやめた。霖から添花への要求は、傘を閉じること。霖という言葉は数日続く長雨を示すもので、彼女自身の名前ではない。添花と接するにあたり、霖は自らを雨に喩えたのだ。だから、添花は覚悟を態度で示そうと思った。
家を出て決意の足取りで歩く添花を、向かいの家から紅龍が見ていた。
(やっぱり、自分でけりを着けたいんだな)
揺れる帯が、「ひとりで行く」と言っている。傍で見守りたい気持ちは制された。
(きっと大丈夫さ、あいつなら。でも……)
漠然とした不安が拭えない。紅龍はじっとしていられず、気を紛らすため散歩に出た。
昔、青士と歩いた道程を辿る。家のある島から、町の入り口に近い方へ渡り、北に方向を変えると食堂のある島を渡って道場の前を通る。染め物屋を右手に見て歩き、雑貨屋のある所から小島を渡って食堂の方に戻る。そして、木が生えているだけの島に行く。地面のほとんどが根で覆われ、でこぼこしているので普段は誰もいない。なぜだか、ここがお決まりの休憩場所だった。
(不思議と、居心地よかったんだよな。もうひとつの秘密基地みたいで)
記憶の情景を重ねて橋を渡ると、木の小島には先客がいた。
「あいつは?」
紅龍を待っていたのか、顔も見ずに問いかける。今日は頭巾を被っていない、霖だった。仮の名前を呼びそうになる口から、寸での所で声を出さずに堪えた紅龍は、一呼吸置く。
「……お前を、待ってる。聞かなくても知ってるんだろ」
平静を装ったつもりでも、強張った表情を横目で見た霖に鼻で笑われた。
「なんだよ」
「ふふ、別に」
霖が座っているのは、かつて休憩の時に添花がいた定位置だ。試されているような気がして、紅龍は自分の定位置につく。あとは青士さえいれば、昔よく見た景色。笑いの絶えなかった頃と違って、今は沈黙が続くばかりだ。
「……なあ」
添花とふたりなら、黙っていても気兼ねはないはずなのに、耐えられず口を開いた。
「お前は、あいつに何を話すつもりだったんだ?」
「全部よ」
青士のこと、落蕾のこと。それでは足りないというのか。どこまで話したかを見透かされている。
「やっぱり紅は、いつまで経っても紅だわ。私を添花だと思えないんでしょ? お前とか言って白々しい」
昔のままだと、悪い意味で心を刺す。紅龍にとって特に痛い台詞だった。霖と呼ばないための苦肉の策、細かな考えを察しているのが彼女が添花だという証拠だ。それでも紅龍は、なかなか霖を受け入れられずにいる。
彼には、落蕾よりも封印したい過去があった。そこには霖が添花として存在していた。
「わかって……る」
頭では。と、声にせずとも伝わっているらしい。霖はいきなり立ち上がると、厳しい目で紅龍を見下ろした。
「好きなだけ、そうやってウジウジしているといいわ。あいつはここに帰さない。ふふっ……私は自由になる!」
笑い声と共に、霖は黒い煙に姿を変える。
(秘密基地に、行くんだろうな)
やはり、頭でだけわかっている紅龍は、立ち上がる素振りもなかった。本当は添花のことが心配で心配で、畑の枯れ木の所まで走っていきたい。
(でも、行ったところで何が出来るって?)
耳元でそよぐ風が、まだ紅龍を嘲っていた。
(いらないか)
埃まみれの傘を、持っていくのはやめた。霖から添花への要求は、傘を閉じること。霖という言葉は数日続く長雨を示すもので、彼女自身の名前ではない。添花と接するにあたり、霖は自らを雨に喩えたのだ。だから、添花は覚悟を態度で示そうと思った。
家を出て決意の足取りで歩く添花を、向かいの家から紅龍が見ていた。
(やっぱり、自分でけりを着けたいんだな)
揺れる帯が、「ひとりで行く」と言っている。傍で見守りたい気持ちは制された。
(きっと大丈夫さ、あいつなら。でも……)
漠然とした不安が拭えない。紅龍はじっとしていられず、気を紛らすため散歩に出た。
昔、青士と歩いた道程を辿る。家のある島から、町の入り口に近い方へ渡り、北に方向を変えると食堂のある島を渡って道場の前を通る。染め物屋を右手に見て歩き、雑貨屋のある所から小島を渡って食堂の方に戻る。そして、木が生えているだけの島に行く。地面のほとんどが根で覆われ、でこぼこしているので普段は誰もいない。なぜだか、ここがお決まりの休憩場所だった。
(不思議と、居心地よかったんだよな。もうひとつの秘密基地みたいで)
記憶の情景を重ねて橋を渡ると、木の小島には先客がいた。
「あいつは?」
紅龍を待っていたのか、顔も見ずに問いかける。今日は頭巾を被っていない、霖だった。仮の名前を呼びそうになる口から、寸での所で声を出さずに堪えた紅龍は、一呼吸置く。
「……お前を、待ってる。聞かなくても知ってるんだろ」
平静を装ったつもりでも、強張った表情を横目で見た霖に鼻で笑われた。
「なんだよ」
「ふふ、別に」
霖が座っているのは、かつて休憩の時に添花がいた定位置だ。試されているような気がして、紅龍は自分の定位置につく。あとは青士さえいれば、昔よく見た景色。笑いの絶えなかった頃と違って、今は沈黙が続くばかりだ。
「……なあ」
添花とふたりなら、黙っていても気兼ねはないはずなのに、耐えられず口を開いた。
「お前は、あいつに何を話すつもりだったんだ?」
「全部よ」
青士のこと、落蕾のこと。それでは足りないというのか。どこまで話したかを見透かされている。
「やっぱり紅は、いつまで経っても紅だわ。私を添花だと思えないんでしょ? お前とか言って白々しい」
昔のままだと、悪い意味で心を刺す。紅龍にとって特に痛い台詞だった。霖と呼ばないための苦肉の策、細かな考えを察しているのが彼女が添花だという証拠だ。それでも紅龍は、なかなか霖を受け入れられずにいる。
彼には、落蕾よりも封印したい過去があった。そこには霖が添花として存在していた。
「わかって……る」
頭では。と、声にせずとも伝わっているらしい。霖はいきなり立ち上がると、厳しい目で紅龍を見下ろした。
「好きなだけ、そうやってウジウジしているといいわ。あいつはここに帰さない。ふふっ……私は自由になる!」
笑い声と共に、霖は黒い煙に姿を変える。
(秘密基地に、行くんだろうな)
やはり、頭でだけわかっている紅龍は、立ち上がる素振りもなかった。本当は添花のことが心配で心配で、畑の枯れ木の所まで走っていきたい。
(でも、行ったところで何が出来るって?)
耳元でそよぐ風が、まだ紅龍を嘲っていた。
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