蓮の呼び声

こま

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9章 傘を閉じて

9_③

 秘密基地の周辺は、ちょうど休耕の年らしく人気がない。雑草を手入れしたばかりなのだろう、広い畑は土の一色だ。添花が枯れ木の幹に触れた時、計ったように霖が現れた。添花の背後、数歩の所で黒い煙から人の形を成していく。
「来たわね」
「うん」
 振り向いて頷く添花の表情は穏やかだ。それに対し、笑みこそあれ霖は不穏を纏っている。
「ふうん、持って来なかったんだ、傘」
 針を手にして、先端ごしに添花を見つめる。
「魂を守る方法はわかったかしら?」
「うん。要は添花がひとりになればいいんでしょ。同じ奴がふたり居たらおかしいもんね……私は、消えるつもりないけど」
 添花の言葉を受け、霖の表情は更に険しさを増す。暗く燃える瞳は、映る添花を塗りつぶす程に闇を深めた。
(あんたを消すつもりもないよ)
 あえて伏せた所までは伝わらなかったようだ。霖は以前も今も、添花を殺して自分が唯一の添花になろうとしていた。
「薄っぺらい仮面の分際で、偉そうに!」
 霖が投げる針は、添花の頬を掠って秘密基地に突き刺さる。危機感を煽るための軌道は読んでいたから、添花は瞬きするのみで動じない。霖は激昂し、拳を強く握った。
「自分を殺すためのあんたに、自分を守るなんて出来ないわ!」
 地面に踏ん張った足の指にまで力が入っていると、靴を履いていてもわかった。
「善人ぶって、霊のために走り回って! あんたが成仏させたいのは、本当はたったのひとりでしょ?」
 添花は、黙って霖が並べ立てる言葉を聞いていた。これは自分の心の叫びなのだ。
「なんで離れようとするのよ……本当に、独りになっちゃうのに! たとえ霊だって、ずっと一緒にいればいいじゃない。その方が青士も幸せなはずよ」
 そう、きっとそうだと、霖は息を切らしながら頷く。自分の淋しさを癒やすために、兄を引き留めることを肯定する哀れな姿だ。
「それ。本気で言ってる?」
 静かで、柔らかな添花の一言に、霖はびくりと肩を震わせた。
「兄さんはお見通しだよ。こんなの駄々こねだって」
 添花の頬を伝っていく血は、顎から離れて地面に触れる前に、霧のように消えた。魂の刻限は、もうそこまで来ている。流れた血に留まらず、時間はやがて添花自身をも溶かし去ってしまうだろう。それでもゆっくり、諭すように語りかけた。
「兄さんと離れたら……淋しいのは私もわかってる。でもね」

(でも……)
「はあ」
 蓮橋では、紅龍が溜め息をついていた。この「でも」を、先刻から幾つ繰り返しているのか。紅龍はひとり、頭を抱えた。
 添花達の所へ行くべきか? でも、行ってどうなる。霖が添花なのはわかっている。でも、心がついてこない。もし青士が生きていれば……でも、現実、彼は死んでしまった。
「霖は、添花だ」
 声に出してみる。
「霖は……あの頃の添花だ」
 ずっと昔。両親を亡くして間もなかった添花は、すぐに怒りを露にし、歯に衣を着せず、ものにも人にも当たった。気に入らないなら壊せばいい。何かを解決する術は、力だけだった。今の霖と重なる姿。荒れることで涙をこらえ、どんな感情も暴力と悪態に変えてしまっていた。そんな彼女と距離をとっていたことを、紅龍は認めたくなかった。認めれば、青士との約束が揺らいでしまう気がするのだ。
(青士……俺、全然強くなれてないのかな? あいつが言う通り)
 紅はいつまで経っても紅だ、という言葉が頭の中をぐるぐる回る。赤暁龍に身を置き修行をし、功績をあげていただけに、悩み苦しむ今が辛かった。
「強くなったと僕が言えば、紅龍はそう思えるのかい?」
(ああ、青士ならそんな風に言うよな)
 想像の中とはいえ、結局は青士に助けを求めてしまう自分に嫌気がさす。口でまだまだと言って謙虚な振りをして、慢心しそうな自分を抑えていた、つもりにすぎない。
 かつて荒れた添花を立ち直らせたのは、青士と青藍龍だ。紅龍はそれを離れた場所から見ていた。感情を制御する力を育て、目覚ましい成長を遂げる添花の姿は、紅龍に大きな劣等感を抱かせた。
 添花より強くならなくては、支えるなんて出来やしない。まだまだ、全然、足りない。そう思っていたから、蓮橋から添花が消えた時、彼女を探す旅ではなく、赤暁龍への入門という道を選んだのだ。
(一体何をしてたんだ、俺は。竜鱗での修行は無駄だったのか? ただ添花から逃げただけ?)
 ぼんやりと泳がせていた視点が、地面に落ちる。と、紅龍の視界の端に、彼以外の足が映った。いつもの場所に青士がいれば、見える位置。
(えっ、まさか)
 恐る恐る、顔を上げる。
「……青士、なのか?」
 誰かがいる左に首を回せない。霊が見えない紅龍には、見えるはずがないからだ。向き合えばたちまち消える、幻ではないかと思った。ごく小さな声での問いかけに、答えは返ってくるだろうか。
「さっきからずっと、ここにいたよ」
 それは確かに青士の声。今際の時に「添花を頼む」と言った声より明瞭だ。ただ、肉声と何かが違う。耳の外から聞こえてくるのか、中から聞こえているのか分からない音だった。
 紅龍は、ゆっくりと首を左に回していく。まだ半信半疑で、目線が首に付いてこない。若緑の帯に景色が透けていると気付いた瞬間に、目も顔も青士の定位置に向いた。
「あ……」
 そこには、生前と同じ姿の青士がいた。さらりとした髪、納戸色の瞳。穏やかな表情、好んで着けていた若緑の帯。
「青……士」
 いざ目の前にすると、言葉が出てこない。名前を呼ぶのがやっとだ。やけに目や喉が渇いて、掌だけが汗をかいている。涙が溢れてこないのが不思議で、哀しい。会いたかった者が、会えるはずのなかった幼馴染みが、いるというのに。
「ありがとう、紅龍」
「え……俺、何もしてない。出来てないよ」
 再びうつむく紅龍に、青士がかける声は優しい。
「そうかな」
「うん。あいつと、初めて会った時。俺は添花を守れたって、正直、すごく嬉しかった。でも……」
 思い浮かべているのは、竜鱗の東の森で、霖に襲われた添花を助けた時のことだ。紅龍が投げた短刀の傷は、きっと今も霖の腕に残っている。
「添花を、傷つけてもいたんだな」
 今なら確信が持てる。添花が危ない、東へ行けと紅龍を導いた声は青士のものだった。彼は一部始終を知っているし、紅龍の考えも見通せる。初めて霖を添花と呼んでみた声を、どう聞くだろう。
(はは、違和感、すげえや)
 心の中で自分を嘲り、紅龍は更に深くうつむいた。
「ごめん、青士。俺、お前の代わりにはなれないのかな」
 諦めたわけではないが、どうしても弱音が出た。心の弱さを自覚している紅龍から見て、青士は誰より強い心を持った存在。彼を目の前にして、うまく強がることは出来なかった。
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