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9章 傘を閉じて
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「紅がいるって言うんでしょ、どうせ。あんな奴、青士の代わりにならないのに」
添花の言葉を遮って、霖は忌々しそうに目を細めた。
「ちまちま心配ばかりして、あいつは私の弱さを探してる。全然、信じてくれないもの」
霖の言うことには添花も思い当たる節があった。確かに紅龍は、いつも添花を心配してばかりいる。竜鱗での杼竜討伐も、添花の勢いに負けて参加を認めながら、危険から遠ざけたいという本心が丸見えだった。気にかけてくれると言えば聞こえはいいが、長年、釈然としないところだ。添花は小さく息をついた。
「まあ、一理ある。あんたはこう思うんでしょ? 私はそんなに弱くない、って」
「案外、わかってるじゃない」
「あんたはわかってないけどね」
少し緩んだ霖の表情は、間髪なく発せられた添花のひとことで凍り付いた。口を開こうとしているが、霖は添花より先に言葉を見つけられない。
「私、弱いんだよ。いい加減、現実を見よう。兄さんの死を受け止めて、立っていられなかったから……魂は割れた。私達は、現実から逃げたの」
「ち……がう」
霖の足が半歩下がった。針を取り出し、血走った目で添花を睨む。意地でも片割れの言い分を否定したいようだ。
「私は、あんたとは違うの!」
針の先が震える。数歩踏み出せば届く間合い、先手を取らなければ我が身が危ない。なのに添花は構えもせず、真っ直ぐに霖の目を見ていた。そこから零れる雫も、落ちると光になって消えていく。
「違わない」
添花は頬に伝う血を手の甲で拭う。それもまた、雲間からの陽光と溶け合って消えた。落ち着き払った相手に隙を探す霖は、激しく首を横に振る。
「嫌! 違うの、私が強さで、あんたが弱さじゃなきゃ……そうじゃないと、私は、何だって言うの?」
この想いが、霖を意固地にしていた。やっと本心を聞けた。ほっとする添花に、針が向けられる。
「答えてよ!」
叫び、霖は前に踏み出した。添花の背中は秘密基地にぶつかる。それきり、辺りの音は風だけになった。
添花の心臓を狙った針の先に、木の幹の感触だけがある。霖は目を見開いた。霊を刺すように、針は添花の体を通り抜けている。手が布に触れているのはわかるが、着物を染める蓮橋の紋がよく見える。霖の手は透けていた。
朝もやの中にいるようなぼんやりした気分で、添花は霖の頭越しに自分の手を見た。指先から、空気に溶け始めている。
「同じだよ」
消える前に、両腕を霖の背中に回す。雲を掴むような儚い体は、ほんのり温かい。
「あんたにとっては、私が霖だったんだね……添花。助けて、って……言ってたよね。ずっと」
霖の手から針が落ち、木の根に弾かれて地面を転がった。自分を長雨に喩えてから、彼女は「添花」ではなくなっていった。紅龍も、兄の青士も、幼馴染みとして、また妹として見てくれないと感じた。そうして少しずつ自分を見失うにつれ、片割れへの憎悪が増していく。あいつがいなければ、自分が「添花」だったのに。感情に振り回されていると自覚しながら、誰かに名前を呼んでほしいと願い続けた。それが自分の声で叶った時、ふたりの添花は光に包まれた。
ぱたり、降り出す雨が空気を動かした。悩む幼馴染みを前に、青士は焦ったり、多くを語ったりすることはなかった。紅龍は色々なことを分かっていると確信があるからだ。必要なのは、彼の心が追いつくのを待つこと。雨粒を見ながら気持ちを整理しようともがく顔は下を向いていたが、少しずつ角度を変えて前を見る。
(今、俺に出来ることって何だ? 子供の頃や落蕾の時に何が出来たか、じゃない。たった今のこと)
しばらくかけてひとつ浮かんだのは、嘘のように簡単な答えだった。
「……青士、ありがとな」
これからどうするのか口に出して自分を追い込まなくても、紅龍の決意は固まっているようだ。すっきりした様子で立ち上がる。
「添花を迎えに行く」
「うん」
青士は微笑んだ。紅龍は軽い足取りで一度自宅に戻り、傘を手に走っていった。小島からその姿を見て、深く頷く。そう、添花と紅龍のふたりで入るなら、傘は一本で充分だ。
町を出て、休耕の畑へ。雨雲と追いつ追われつ、かつて秘密基地にしていた枯れ木のうろを目指した。
(あった、あの木だ)
久しぶりに訪れても、幹の形や枝振りは目に焼き付いているからすぐに見つけられた。ただ、秘密基地の周りに添花の姿はない。入り口に使う幹の割れ目から、紅龍は中を覗いた。
「添花……添花!」
遠くから、幼馴染みの声がする。添花は重たい瞼を持ち上げて、ゆっくりと瞬いた。すると、自分を呼ぶ声が急に近くなる。
「紅?」
添花は秘密基地の中に座っていた。紅龍の手に傘をみとめて、雨が降ってきたことを知る。
「ん……もしかして、私、寝てた?」
寝起きの感覚に似て、頭がぼうっとする。親指の付け根でこめかみを叩くと、徐々に意識が鮮明になってきた。
「そうらしいな」
とりあえず、添花が生きているとわかって紅龍は安堵した。ただ、彼女の右腕に巻かれた包帯に気付くと、申し訳なさそうに目を逸らす。以前、紅龍が投げた短刀による傷だ。
添花は鈍い痛みで目が覚めてきて、やっと、自身の魂が無事だと分かる。腕の刀傷は跡が残るかもしれないが、強くなろうという気持ちの原点になると思った。見下ろす両手を握ったり開いたりして、深呼吸する。あと少しの勇気が欲しくて、紅龍に顔を向けた。
「帰ろう、添花。青士が待ってる」
「うん」
差し伸べられる左手が、添花の支えになる。手をとり、秘密基地の外に出る時に、兄のもとへ帰る決心をした。
ふと、地に落ちた針が目に留まる。自然と拾いにいく添花を傘が追い、あとに紅龍も続いた。
「やっぱり、岩龍地区にいたのか?」
霖として過ごした日々のことを、紅龍は目の前の添花に問う。
「少しの間だけどね。まあ、改めて顔を出しに行ってもいいかな」
答える添花は微笑んでいる。あの凛とした表情が、穏やかさを足して戻っていた。
添花の言葉を遮って、霖は忌々しそうに目を細めた。
「ちまちま心配ばかりして、あいつは私の弱さを探してる。全然、信じてくれないもの」
霖の言うことには添花も思い当たる節があった。確かに紅龍は、いつも添花を心配してばかりいる。竜鱗での杼竜討伐も、添花の勢いに負けて参加を認めながら、危険から遠ざけたいという本心が丸見えだった。気にかけてくれると言えば聞こえはいいが、長年、釈然としないところだ。添花は小さく息をついた。
「まあ、一理ある。あんたはこう思うんでしょ? 私はそんなに弱くない、って」
「案外、わかってるじゃない」
「あんたはわかってないけどね」
少し緩んだ霖の表情は、間髪なく発せられた添花のひとことで凍り付いた。口を開こうとしているが、霖は添花より先に言葉を見つけられない。
「私、弱いんだよ。いい加減、現実を見よう。兄さんの死を受け止めて、立っていられなかったから……魂は割れた。私達は、現実から逃げたの」
「ち……がう」
霖の足が半歩下がった。針を取り出し、血走った目で添花を睨む。意地でも片割れの言い分を否定したいようだ。
「私は、あんたとは違うの!」
針の先が震える。数歩踏み出せば届く間合い、先手を取らなければ我が身が危ない。なのに添花は構えもせず、真っ直ぐに霖の目を見ていた。そこから零れる雫も、落ちると光になって消えていく。
「違わない」
添花は頬に伝う血を手の甲で拭う。それもまた、雲間からの陽光と溶け合って消えた。落ち着き払った相手に隙を探す霖は、激しく首を横に振る。
「嫌! 違うの、私が強さで、あんたが弱さじゃなきゃ……そうじゃないと、私は、何だって言うの?」
この想いが、霖を意固地にしていた。やっと本心を聞けた。ほっとする添花に、針が向けられる。
「答えてよ!」
叫び、霖は前に踏み出した。添花の背中は秘密基地にぶつかる。それきり、辺りの音は風だけになった。
添花の心臓を狙った針の先に、木の幹の感触だけがある。霖は目を見開いた。霊を刺すように、針は添花の体を通り抜けている。手が布に触れているのはわかるが、着物を染める蓮橋の紋がよく見える。霖の手は透けていた。
朝もやの中にいるようなぼんやりした気分で、添花は霖の頭越しに自分の手を見た。指先から、空気に溶け始めている。
「同じだよ」
消える前に、両腕を霖の背中に回す。雲を掴むような儚い体は、ほんのり温かい。
「あんたにとっては、私が霖だったんだね……添花。助けて、って……言ってたよね。ずっと」
霖の手から針が落ち、木の根に弾かれて地面を転がった。自分を長雨に喩えてから、彼女は「添花」ではなくなっていった。紅龍も、兄の青士も、幼馴染みとして、また妹として見てくれないと感じた。そうして少しずつ自分を見失うにつれ、片割れへの憎悪が増していく。あいつがいなければ、自分が「添花」だったのに。感情に振り回されていると自覚しながら、誰かに名前を呼んでほしいと願い続けた。それが自分の声で叶った時、ふたりの添花は光に包まれた。
ぱたり、降り出す雨が空気を動かした。悩む幼馴染みを前に、青士は焦ったり、多くを語ったりすることはなかった。紅龍は色々なことを分かっていると確信があるからだ。必要なのは、彼の心が追いつくのを待つこと。雨粒を見ながら気持ちを整理しようともがく顔は下を向いていたが、少しずつ角度を変えて前を見る。
(今、俺に出来ることって何だ? 子供の頃や落蕾の時に何が出来たか、じゃない。たった今のこと)
しばらくかけてひとつ浮かんだのは、嘘のように簡単な答えだった。
「……青士、ありがとな」
これからどうするのか口に出して自分を追い込まなくても、紅龍の決意は固まっているようだ。すっきりした様子で立ち上がる。
「添花を迎えに行く」
「うん」
青士は微笑んだ。紅龍は軽い足取りで一度自宅に戻り、傘を手に走っていった。小島からその姿を見て、深く頷く。そう、添花と紅龍のふたりで入るなら、傘は一本で充分だ。
町を出て、休耕の畑へ。雨雲と追いつ追われつ、かつて秘密基地にしていた枯れ木のうろを目指した。
(あった、あの木だ)
久しぶりに訪れても、幹の形や枝振りは目に焼き付いているからすぐに見つけられた。ただ、秘密基地の周りに添花の姿はない。入り口に使う幹の割れ目から、紅龍は中を覗いた。
「添花……添花!」
遠くから、幼馴染みの声がする。添花は重たい瞼を持ち上げて、ゆっくりと瞬いた。すると、自分を呼ぶ声が急に近くなる。
「紅?」
添花は秘密基地の中に座っていた。紅龍の手に傘をみとめて、雨が降ってきたことを知る。
「ん……もしかして、私、寝てた?」
寝起きの感覚に似て、頭がぼうっとする。親指の付け根でこめかみを叩くと、徐々に意識が鮮明になってきた。
「そうらしいな」
とりあえず、添花が生きているとわかって紅龍は安堵した。ただ、彼女の右腕に巻かれた包帯に気付くと、申し訳なさそうに目を逸らす。以前、紅龍が投げた短刀による傷だ。
添花は鈍い痛みで目が覚めてきて、やっと、自身の魂が無事だと分かる。腕の刀傷は跡が残るかもしれないが、強くなろうという気持ちの原点になると思った。見下ろす両手を握ったり開いたりして、深呼吸する。あと少しの勇気が欲しくて、紅龍に顔を向けた。
「帰ろう、添花。青士が待ってる」
「うん」
差し伸べられる左手が、添花の支えになる。手をとり、秘密基地の外に出る時に、兄のもとへ帰る決心をした。
ふと、地に落ちた針が目に留まる。自然と拾いにいく添花を傘が追い、あとに紅龍も続いた。
「やっぱり、岩龍地区にいたのか?」
霖として過ごした日々のことを、紅龍は目の前の添花に問う。
「少しの間だけどね。まあ、改めて顔を出しに行ってもいいかな」
答える添花は微笑んでいる。あの凛とした表情が、穏やかさを足して戻っていた。
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