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8章 始まりの地へ
挿話 船出前
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とん、てん、とん、てん。クーンシルッピの空に鳴り響く。木材を打つ音は、島で一番大きな船から聞こえている。ライカ達が、災禍の元凶がいると見込まれる場所へ行くために、みんなで修理をしているのだ。
知識や技術を持ち寄って、材料も協力してくれて。亜人種にこの安息地があるといっても、広い世界にのびのび暮らしたい想いを持つ者は多いらしい。
カーン、カンカン、カーン、カンカンと金属音が混じる。これは、魔物の襲来を知らせる半鐘だ。打ち方からして、応戦に人手が要る。自警団員に加えて、ライカやユニマ、セルも武器をとった。船の修理は、トラメなど力持ちや詳しい者に任せる。
「森側から多く来てるみたい。港は……少なめ! 私達は森側に行こっか」
早く現地に着いた団員が、状況を伝える指笛を鳴らしていた。聞き取ったライカが行き先を決める。
少し緊迫した空気の中、ライカはどこかに向けて手を振る。目線の先は集合住宅だった。
(そうか、彼女が顔を出したか? よく気を配れるな……さすがというか、何というか)
ここへ来たばかりの時は、セル達も半鐘の音に身構えていた。例に漏れず、アキレアも聞きつけて外をうかがったのだろう。動作と笑顔だけで、そのままそこに居るよう伝える。互いをよく知るからこそ成立するやりとりだ。
戦闘能力が高いとはいえ、彼女の置かれる立場が微妙なのはセルでも想像できる。ユニマも特に何も言わず、森の方へと走っていった。
「うわ~、こんな近くまで来るんだ」
ライカの体感だと、普段より居住地域に迫っているらしい。高い位置で旋回している鳥は鳶にも見えるが、状況からして魔物と思われる。肉眼で見やすい範囲にも鳥型、木立のほうにはコウモリ型。比較的知能の高い、二足歩行の獣型もいた。応戦している団員を確かめると、ライカは腕輪を外して腰の鞄にしまう。上から襲われては厄介なので、まずは鳶型を叩きに行くつもりだ。
「距離も高さも私担当かな。ちょーっと上で頑張ってみるけど、手強かったら引きつけて連れてきちゃうね」
翼を広げるにも、ずいぶん気が楽になった。ライカはチャクラムを抜いて飛び立つ。
羽音を聞いてか、旋回の輪を抜けて一羽が急降下してきた。獲物を捕らえんとする足の爪は鋭く、一枚一枚がナイフのようだ。すれ違いざまに顔を見たら、クチバシのない人面タイプだった。
(なるほど、尖ってないから少し降下が遅い……避けられる。でも、これのほうが噛み付いてくるから嫌なんだよね。気付かれたから不意打ちはダメか)
ならば、コソコソするより攻めた者勝ちだ。まずは降下した個体が上昇の態勢になる前に!
「ギャッ」
喉を潰した短い叫び。セルが上を見ると、首を境に切り分けられた魔物が落ちてきた。煙に変わり始めてはいたが、頭は地面で一度弾む。ユニマのほうに飛んでいきそうなので、蹴って逸らした。
鳶型は全部で五羽ほどだったと思う。そちらが片付くまで、セルは近距離用のナイフを持つことにした。落下物に対処しやすい。ユニマは、獣型の動きを鈍らせようと、複数の火を飛ばしている。頭上にまで注意できないだろう。
自警団員の手をかいくぐって、獣型が二匹こちらに来る。後方にいても、華奢で丸腰のユニマは標的にされやすかった。
「奥から狙え」
聞こえるように一言だけ置いて、セルが立ち塞がる。近い方は魔術が間に合わない距離感だ。獲物への進路を塞げば狙いが移る。腕を振り下ろす軌道に合わせ、ナイフの刃を立てた。
「ギッ」
指の背に傷が入った。血の代わりに煙が漏れ出す。痛覚はあるのかないのか、怒りの咆哮と共に左右の腕を振りかざした。
セルにとってはのろい攻撃、躱すのは易い。回り込んで、脇腹に蹴りをお見舞いする。重い相手なので倒すのは難しいが、後続の妨害程度にはよろけた。体勢を立て直される前に懐へ踏み込んで、頸部に切り込む。これで一匹は片付いた。
「ありがとう、セルくん。準備できたよ!」
続いて、集中する時間を確保できたユニマが、もう一匹の足下を指差す。それを合図に、地面を突き破って鋭い岩が生えてきた。魔物は串刺しとなり、煙の末路を辿る。
ライカが相手取った鳶型は、二羽め以降は落下位置を仲間から逸らせたようだ。今はもう、最後の二羽を残すのみ。投げたチャクラムが不規則な軌道で飛び回り、また一羽を落とす。残りの一羽とは距離が近く、武器の呼び戻しを待ってくれるはずもない。向こうの方が上空にいる限り、ほとんど直線的に降下する攻撃になるから、ライカは少しずつ高度を下げていった。避けるのは得意だ。
そのうち、チャクラムがライカに追いついた。爪先でキャッチし、回転を生かしたまま脚を振り抜く。自分より一回り大きな的だ、速さ重視でもどこかには当たる。何枚かの羽根が散り、鳶型がバランスを崩した。空に留まろうと抵抗するが、ふらりふらりと地面が迫る。
「ライカ!」
セルとユニマはほぼ同時に声をかけた。呼応して鳶型と距離を取る。ふたつのチャクラムが使い手に戻るまでの間に、矢が鳶型の肩を捉える。風を凝縮した刃が後を追い、空高い敵はいなくなった。地上の魔物もだいぶ少なくなっている。ほどなく、襲来した魔物は全滅となった。
「怪我したひと、いないかな?」
団員の様子を見に、ライカとユニマが駆けていく。セルは港の方角を気にしてから空を見た。あちらの魔物ももう片付いているだろうし、天高い太陽は昼時の訪れを示していた。
魔物が去り、腹も減った。それぞれ仕事の手を止めて、イア達が作ってきてくれた昼食に伸ばしている。いつの間にかナバナが引っ張ってきたアキレアも、ライカ達の輪の中にちょこんと置かれた。たまたま隣になったセルも口数が少ないので、ふたりの辺りだけ静かだ。
今日は食材がたくさん採れたのか、みんなの力を付けるためなのか、パンに挟む具は彩り豊か。固めにゆでた卵を小さく切り、マスタード種と酢を合わせたソースで和えたもの。塩漬け肉を焼き、ナスタチウムの葉と一緒に。手の込んだものは、大きな白身魚を切り分け、衣をつけてたっぷりバター焼き。間引いた香草を合わせたから、さっぱり食べられる。
「外で食べるってだけで、なんか楽しくなってくるね」
半干しトマトと柔らかいチーズのパンは、パンチを効かせるために多めの胡椒が混ざっている。ひとくち齧って美味しい! と目を輝かせ、ライカはアキレアにもひとつ取ってあげた。
「あ、ありがとう……」
受け取りはしたが、なんとなく手に持ったまま時間が過ぎていく。そのうち、くぅとお腹がなって、ようやくパンを口に運んだ。
その様子が、何かと重なる。セルはときどき隣を見ては、記憶を辿っていた。初めて顔を合わせた時は、虫の居所が悪かったせいもあり、名乗りあっただけ。仲間を襲うに至る事情を聞いてはいたが、積極的には関わることなく今日を迎えた。正直、アキレアのことはほとんど知らない。
(家族にふれることの叶わなかったひと。それは、不幸なんだろうか?)
家族は、苦くて痛い。不意に頭を掠める記憶をパンのせいにしたかったが、卵はこっくりまろやか。ソースが固茹での水分を補い、塩加減もちょうどいい。マスタード種がはじけ、考え事は続いた。
(強く勧められて、やっと食べる。ああ、働かざるもの……という考え。身に覚えがある)
ほめてもらえるように振る舞ってやっと、食べることを許される。生きるために死にものぐるい。異常な子供時代が脳裏に浮かぶ。大人に守られる環境に移った当初、何の苦痛もなく食事を与えられるのが理解できなかった。
「そんなに遠慮しないでよ、生きてりゃ誰でもお腹空くもん!」
ナバナの言葉に、アキレアは目を泳がす。
「でも……私……」
「あ、好き嫌いでもあった?」
「いいえ、違うの……」
雑談として軽く話したナバナは、間が空いたのを気にする風もなく、他の会話に居場所を変える。もごもごしていたのを、追及されずに済んだ。
現時点では、アキレアの後ろめたさはセルの想像でしかない。
ライカは甘いものが好きで、ユニマは神殿が嫌い。セルとの共通点があったから、いくらか簡単に話せるようになった。もし、幼い自分と通じる心理があるのなら、彼女もあと少し楽に息を吸えるのではないか。
「何が後ろめたいんだ」
かける言葉が見つからず、まっすぐ過ぎる問いになった。アキレアを挟んで向こうの、ライカのほうが目を丸くしている。
「いや~、もうちょっとこう、やわらかい表現してもいいんじゃ……?」
「綿の海では立てない」
卵パン最後のひとかけを口に放り込んで、手のパンくずを払う。セルの言うことは慣用句で、過ぎた優しさは相手のためにならないという意味だ。
「うしろめたい……」
つぶやき、アキレアが目を落とすのは、手にしたパン。まだ半分残っている。
「そうだわ。私、ここで何もしてない。なのに、こうして陽を浴びて、パンを食べている」
白い顔に表情はなく、陶器でできた人形を想起させた。
「だってアキレアは、」
「受け取り慣れない優しさは恐ろしいよ」
ライカを遮る低い声は、人形に息を吹き込む。初めてセルの方を向き、青い目を覗いた。短い黒髪の姿が映る。
(どうしてこの人は、私の心の内を言い当てるんだろう)
抱えている気持ちを形容するのに、「後ろめたい」がぴたりとはまった。足のつかない綿に埋もれて、立ち方を忘れそうで、もがいていた。その綿が何で出来ているかまで、短い言葉で明らかにしたのだ。
パンの具の隠し味に、はちみつが使われていることなんて、気づきようがない。噛むのも飲み込むのも申し訳ないのだから。アキレアは、強くなって義母の力になるためだけに、ものを食べてきた。ただ生命を維持するために食べるのは、悪いことのような気がしている。
「わけもなく生きているなんて、はじめて。私、こんなに空っぽだったのね」
「アキレア……」
やりたいことは、一応ある。クーンシルッピへの罪滅ぼし。ただ、何をすればいいかが分からない。
「戦うことしか出来ないのに戦わない私は、すごく……無価値でしょう」
「そんな言い方。私は、アキレアが戦いたいって思うなら止めないよ。ただ、今は捨て身の無茶しそうで心配だから止めちゃったけど。メネ・ウロスに行って戻って来たらボロボロでーす! なんて展開は嫌だもん」
「じゃあ……私は、どうすればいいの」
抑圧されてきたアキレアにとって、自由の身とは選択肢が多過ぎるのだろう。幼馴染みに向けた疑問は苦しげだ。ライカは腕組みして考えた。
「うーん。戦う他にも、出来ることはあるよ。まずは、一緒に船直してみよう。私達が目的地に行けるように!」
高い場所には慣れているから、帆柱のてっぺんにだって上れる。力になれるはずだ。
(クーンシルッピのひとたちは、私を憎んでいるだろうけど……ライカ達のためなら)
外に出るのは怖い。それよりも、普通に食べて、寝て、朝が来ることを受け入れたい気持ちが強くなってきた。
「うん……頑張ってみる」
「よし! じゃあ次はどれ食べる? 食べなきゃ動けないよ~!」
ライカが選んだのは、白身魚と香草のパン。
「案外、午後は長いからな」
また魔物が来るかもしれないし、夜はトラメの特訓に付き合わされるかもしれない。セルは塩漬け肉のパンを取った。
慌てて半干しトマトのパンを飲み下したアキレアは、卵のパンを食べることにする。
アキレアが自ら手を伸ばすのを見て、ライカは微笑む。不意にセルと目が合い、もっと大きく笑った。
苦手なりに、話をしてみて良かった。自分が笑い返しているとも気づかずに、セルはパンを頬張る。塩漬け肉の脂を、ナスタチウムの葉がぴりりと抑える。後味は爽やか、波の音は穏やか。このまま天気が続けば、片手指の日数で出港できるだろう。
知識や技術を持ち寄って、材料も協力してくれて。亜人種にこの安息地があるといっても、広い世界にのびのび暮らしたい想いを持つ者は多いらしい。
カーン、カンカン、カーン、カンカンと金属音が混じる。これは、魔物の襲来を知らせる半鐘だ。打ち方からして、応戦に人手が要る。自警団員に加えて、ライカやユニマ、セルも武器をとった。船の修理は、トラメなど力持ちや詳しい者に任せる。
「森側から多く来てるみたい。港は……少なめ! 私達は森側に行こっか」
早く現地に着いた団員が、状況を伝える指笛を鳴らしていた。聞き取ったライカが行き先を決める。
少し緊迫した空気の中、ライカはどこかに向けて手を振る。目線の先は集合住宅だった。
(そうか、彼女が顔を出したか? よく気を配れるな……さすがというか、何というか)
ここへ来たばかりの時は、セル達も半鐘の音に身構えていた。例に漏れず、アキレアも聞きつけて外をうかがったのだろう。動作と笑顔だけで、そのままそこに居るよう伝える。互いをよく知るからこそ成立するやりとりだ。
戦闘能力が高いとはいえ、彼女の置かれる立場が微妙なのはセルでも想像できる。ユニマも特に何も言わず、森の方へと走っていった。
「うわ~、こんな近くまで来るんだ」
ライカの体感だと、普段より居住地域に迫っているらしい。高い位置で旋回している鳥は鳶にも見えるが、状況からして魔物と思われる。肉眼で見やすい範囲にも鳥型、木立のほうにはコウモリ型。比較的知能の高い、二足歩行の獣型もいた。応戦している団員を確かめると、ライカは腕輪を外して腰の鞄にしまう。上から襲われては厄介なので、まずは鳶型を叩きに行くつもりだ。
「距離も高さも私担当かな。ちょーっと上で頑張ってみるけど、手強かったら引きつけて連れてきちゃうね」
翼を広げるにも、ずいぶん気が楽になった。ライカはチャクラムを抜いて飛び立つ。
羽音を聞いてか、旋回の輪を抜けて一羽が急降下してきた。獲物を捕らえんとする足の爪は鋭く、一枚一枚がナイフのようだ。すれ違いざまに顔を見たら、クチバシのない人面タイプだった。
(なるほど、尖ってないから少し降下が遅い……避けられる。でも、これのほうが噛み付いてくるから嫌なんだよね。気付かれたから不意打ちはダメか)
ならば、コソコソするより攻めた者勝ちだ。まずは降下した個体が上昇の態勢になる前に!
「ギャッ」
喉を潰した短い叫び。セルが上を見ると、首を境に切り分けられた魔物が落ちてきた。煙に変わり始めてはいたが、頭は地面で一度弾む。ユニマのほうに飛んでいきそうなので、蹴って逸らした。
鳶型は全部で五羽ほどだったと思う。そちらが片付くまで、セルは近距離用のナイフを持つことにした。落下物に対処しやすい。ユニマは、獣型の動きを鈍らせようと、複数の火を飛ばしている。頭上にまで注意できないだろう。
自警団員の手をかいくぐって、獣型が二匹こちらに来る。後方にいても、華奢で丸腰のユニマは標的にされやすかった。
「奥から狙え」
聞こえるように一言だけ置いて、セルが立ち塞がる。近い方は魔術が間に合わない距離感だ。獲物への進路を塞げば狙いが移る。腕を振り下ろす軌道に合わせ、ナイフの刃を立てた。
「ギッ」
指の背に傷が入った。血の代わりに煙が漏れ出す。痛覚はあるのかないのか、怒りの咆哮と共に左右の腕を振りかざした。
セルにとってはのろい攻撃、躱すのは易い。回り込んで、脇腹に蹴りをお見舞いする。重い相手なので倒すのは難しいが、後続の妨害程度にはよろけた。体勢を立て直される前に懐へ踏み込んで、頸部に切り込む。これで一匹は片付いた。
「ありがとう、セルくん。準備できたよ!」
続いて、集中する時間を確保できたユニマが、もう一匹の足下を指差す。それを合図に、地面を突き破って鋭い岩が生えてきた。魔物は串刺しとなり、煙の末路を辿る。
ライカが相手取った鳶型は、二羽め以降は落下位置を仲間から逸らせたようだ。今はもう、最後の二羽を残すのみ。投げたチャクラムが不規則な軌道で飛び回り、また一羽を落とす。残りの一羽とは距離が近く、武器の呼び戻しを待ってくれるはずもない。向こうの方が上空にいる限り、ほとんど直線的に降下する攻撃になるから、ライカは少しずつ高度を下げていった。避けるのは得意だ。
そのうち、チャクラムがライカに追いついた。爪先でキャッチし、回転を生かしたまま脚を振り抜く。自分より一回り大きな的だ、速さ重視でもどこかには当たる。何枚かの羽根が散り、鳶型がバランスを崩した。空に留まろうと抵抗するが、ふらりふらりと地面が迫る。
「ライカ!」
セルとユニマはほぼ同時に声をかけた。呼応して鳶型と距離を取る。ふたつのチャクラムが使い手に戻るまでの間に、矢が鳶型の肩を捉える。風を凝縮した刃が後を追い、空高い敵はいなくなった。地上の魔物もだいぶ少なくなっている。ほどなく、襲来した魔物は全滅となった。
「怪我したひと、いないかな?」
団員の様子を見に、ライカとユニマが駆けていく。セルは港の方角を気にしてから空を見た。あちらの魔物ももう片付いているだろうし、天高い太陽は昼時の訪れを示していた。
魔物が去り、腹も減った。それぞれ仕事の手を止めて、イア達が作ってきてくれた昼食に伸ばしている。いつの間にかナバナが引っ張ってきたアキレアも、ライカ達の輪の中にちょこんと置かれた。たまたま隣になったセルも口数が少ないので、ふたりの辺りだけ静かだ。
今日は食材がたくさん採れたのか、みんなの力を付けるためなのか、パンに挟む具は彩り豊か。固めにゆでた卵を小さく切り、マスタード種と酢を合わせたソースで和えたもの。塩漬け肉を焼き、ナスタチウムの葉と一緒に。手の込んだものは、大きな白身魚を切り分け、衣をつけてたっぷりバター焼き。間引いた香草を合わせたから、さっぱり食べられる。
「外で食べるってだけで、なんか楽しくなってくるね」
半干しトマトと柔らかいチーズのパンは、パンチを効かせるために多めの胡椒が混ざっている。ひとくち齧って美味しい! と目を輝かせ、ライカはアキレアにもひとつ取ってあげた。
「あ、ありがとう……」
受け取りはしたが、なんとなく手に持ったまま時間が過ぎていく。そのうち、くぅとお腹がなって、ようやくパンを口に運んだ。
その様子が、何かと重なる。セルはときどき隣を見ては、記憶を辿っていた。初めて顔を合わせた時は、虫の居所が悪かったせいもあり、名乗りあっただけ。仲間を襲うに至る事情を聞いてはいたが、積極的には関わることなく今日を迎えた。正直、アキレアのことはほとんど知らない。
(家族にふれることの叶わなかったひと。それは、不幸なんだろうか?)
家族は、苦くて痛い。不意に頭を掠める記憶をパンのせいにしたかったが、卵はこっくりまろやか。ソースが固茹での水分を補い、塩加減もちょうどいい。マスタード種がはじけ、考え事は続いた。
(強く勧められて、やっと食べる。ああ、働かざるもの……という考え。身に覚えがある)
ほめてもらえるように振る舞ってやっと、食べることを許される。生きるために死にものぐるい。異常な子供時代が脳裏に浮かぶ。大人に守られる環境に移った当初、何の苦痛もなく食事を与えられるのが理解できなかった。
「そんなに遠慮しないでよ、生きてりゃ誰でもお腹空くもん!」
ナバナの言葉に、アキレアは目を泳がす。
「でも……私……」
「あ、好き嫌いでもあった?」
「いいえ、違うの……」
雑談として軽く話したナバナは、間が空いたのを気にする風もなく、他の会話に居場所を変える。もごもごしていたのを、追及されずに済んだ。
現時点では、アキレアの後ろめたさはセルの想像でしかない。
ライカは甘いものが好きで、ユニマは神殿が嫌い。セルとの共通点があったから、いくらか簡単に話せるようになった。もし、幼い自分と通じる心理があるのなら、彼女もあと少し楽に息を吸えるのではないか。
「何が後ろめたいんだ」
かける言葉が見つからず、まっすぐ過ぎる問いになった。アキレアを挟んで向こうの、ライカのほうが目を丸くしている。
「いや~、もうちょっとこう、やわらかい表現してもいいんじゃ……?」
「綿の海では立てない」
卵パン最後のひとかけを口に放り込んで、手のパンくずを払う。セルの言うことは慣用句で、過ぎた優しさは相手のためにならないという意味だ。
「うしろめたい……」
つぶやき、アキレアが目を落とすのは、手にしたパン。まだ半分残っている。
「そうだわ。私、ここで何もしてない。なのに、こうして陽を浴びて、パンを食べている」
白い顔に表情はなく、陶器でできた人形を想起させた。
「だってアキレアは、」
「受け取り慣れない優しさは恐ろしいよ」
ライカを遮る低い声は、人形に息を吹き込む。初めてセルの方を向き、青い目を覗いた。短い黒髪の姿が映る。
(どうしてこの人は、私の心の内を言い当てるんだろう)
抱えている気持ちを形容するのに、「後ろめたい」がぴたりとはまった。足のつかない綿に埋もれて、立ち方を忘れそうで、もがいていた。その綿が何で出来ているかまで、短い言葉で明らかにしたのだ。
パンの具の隠し味に、はちみつが使われていることなんて、気づきようがない。噛むのも飲み込むのも申し訳ないのだから。アキレアは、強くなって義母の力になるためだけに、ものを食べてきた。ただ生命を維持するために食べるのは、悪いことのような気がしている。
「わけもなく生きているなんて、はじめて。私、こんなに空っぽだったのね」
「アキレア……」
やりたいことは、一応ある。クーンシルッピへの罪滅ぼし。ただ、何をすればいいかが分からない。
「戦うことしか出来ないのに戦わない私は、すごく……無価値でしょう」
「そんな言い方。私は、アキレアが戦いたいって思うなら止めないよ。ただ、今は捨て身の無茶しそうで心配だから止めちゃったけど。メネ・ウロスに行って戻って来たらボロボロでーす! なんて展開は嫌だもん」
「じゃあ……私は、どうすればいいの」
抑圧されてきたアキレアにとって、自由の身とは選択肢が多過ぎるのだろう。幼馴染みに向けた疑問は苦しげだ。ライカは腕組みして考えた。
「うーん。戦う他にも、出来ることはあるよ。まずは、一緒に船直してみよう。私達が目的地に行けるように!」
高い場所には慣れているから、帆柱のてっぺんにだって上れる。力になれるはずだ。
(クーンシルッピのひとたちは、私を憎んでいるだろうけど……ライカ達のためなら)
外に出るのは怖い。それよりも、普通に食べて、寝て、朝が来ることを受け入れたい気持ちが強くなってきた。
「うん……頑張ってみる」
「よし! じゃあ次はどれ食べる? 食べなきゃ動けないよ~!」
ライカが選んだのは、白身魚と香草のパン。
「案外、午後は長いからな」
また魔物が来るかもしれないし、夜はトラメの特訓に付き合わされるかもしれない。セルは塩漬け肉のパンを取った。
慌てて半干しトマトのパンを飲み下したアキレアは、卵のパンを食べることにする。
アキレアが自ら手を伸ばすのを見て、ライカは微笑む。不意にセルと目が合い、もっと大きく笑った。
苦手なりに、話をしてみて良かった。自分が笑い返しているとも気づかずに、セルはパンを頬張る。塩漬け肉の脂を、ナスタチウムの葉がぴりりと抑える。後味は爽やか、波の音は穏やか。このまま天気が続けば、片手指の日数で出港できるだろう。
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ファンタジー
幼くして異世界に消えた主人公、帰ってきたがそこは日本、家なし・金なし・免許なし・職歴なし・常識なし・そもそも未成年、無い無い尽くしでどう生きる?
別サイトにて無名から投稿開始して100日以内に100万PV達成感謝✨
この作品は「カクヨム」にも掲載しています。(先行)
この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。
この作品は「ノベルアップ+」にも掲載しています。
この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。
この作品は「pixiv」にも掲載しています。
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