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最終章:空虚な静寂(バッドエンド・ルート)
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空を突き刺すようにそびえ立つ、政府直轄の医療要塞「聖域」。
その最上階、一般市民の立ち入りが厳重に禁じられた『特別供出区画』を、カレンは歩いていた。
彼女の足取りは軽く、腹部はモデルのように完璧に平らだ。彼女は、希少資源である「鎮静者」から最も多くの直接処置を受け、奇跡的に「完治」した個体として、国のプロパガンダに利用される象徴(アイコン)となっていた。
だが、彼女が毎日欠かさず訪れるその部屋には、希望など微塵も存在しなかった。
「……レン。今日も来たよ。今日の私は、少しだけ肌の調子が良いみたい」
カレンが語りかける先――部屋の中央には、巨大な円筒形の培養槽が鎮座している。
青白く光る薬液の中に浮かんでいるのは、かつて彼女を抱きしめた青年、レンの「残骸」だった。
全身の皮膚には、血管の代わりに数千本の極細カテーテルが刺し込まれている。脳死判定が下されてから、今日でちょうど180日。本来なら土に還るべきその肉体は、2026年に施行された『男性資源永久保存法』に基づき、無理やり「生」の檻に繋ぎ止められていた。
『――警告。個体識別番号:JP-009。心拍数低下を検知。アドレナリン及びマナ・ブースターを強制注入します――』
無機質なシステム音声が室内に響く。
水槽の中で、レンの指先がビクンと跳ねた。それは意志による動きではなく、機械的な電気刺激に対する単なる肉体の反射に過ぎない。
「……っ。やめて、痛がってる……!」
カレンがガラスを叩くが、背後に立つ白衣の管理官は、手元のタブレットに目を落としたまま冷淡に告げた。
「痛覚は既に遮断されています。彼は今、一人で一日1,200人分の鎮静因子を精製する、我が国で最も優れた『中和剤タンク』です。彼の細胞一つひとつが、国を救っているのですよ。カレンさん、あなたもその恩恵を受けた一人だということをお忘れなく」
カレンは、ガラス越しにレンの顔を見つめた。
かつて自分を見つめてくれた穏やかな瞳は、白濁し、焦点も合わないまま虚空を彷徨っている。彼の口元には、肺に酸素を送り込むための無骨な管が食い込み、喉からは常に「ゴボッ、ゴボッ」という、命を吸い上げる不気味な排液音が漏れていた。
カレンが愛した「レン」という魂は、もうここにはいない。
そこにあるのは、国が最も効率的に女性たちの「膨らんだ絶望」を溶かすために作り上げた、生ける装置。
「私……救われたんだよね? お腹も痛くない、明日も死なない。……でも、レン。どうしてかな。あんなに苦しかった時よりも、今の方が、ずっと息が苦しいの……」
カレンが水槽のガラスに額を押し当てる。伝わってくるのは、レンの体温ではなく、機械が発する冷徹な振動だけだ。
階下では、今日も何千人もの女性が、平らな腹を手に入れるために列を作っている。
レンの肉体から絞り取られた「因子」を、自らの体内に流し込み、一時的な安らぎを買い求めるために。
2026年、世界は「死」を克服したかのように見えた。
しかし、その代償として失ったのは、個人の尊厳であり、愛という名の不確かな情動だった。
「ねえ、レン。……いっそ、二人で弾けてしまえばよかったね」
カレンの呟きは、機械の駆動音にかき消される。
窓の外では、灰色の雪が、生命の輝きを失った世界をどこまでも白く塗り潰していった。
その最上階、一般市民の立ち入りが厳重に禁じられた『特別供出区画』を、カレンは歩いていた。
彼女の足取りは軽く、腹部はモデルのように完璧に平らだ。彼女は、希少資源である「鎮静者」から最も多くの直接処置を受け、奇跡的に「完治」した個体として、国のプロパガンダに利用される象徴(アイコン)となっていた。
だが、彼女が毎日欠かさず訪れるその部屋には、希望など微塵も存在しなかった。
「……レン。今日も来たよ。今日の私は、少しだけ肌の調子が良いみたい」
カレンが語りかける先――部屋の中央には、巨大な円筒形の培養槽が鎮座している。
青白く光る薬液の中に浮かんでいるのは、かつて彼女を抱きしめた青年、レンの「残骸」だった。
全身の皮膚には、血管の代わりに数千本の極細カテーテルが刺し込まれている。脳死判定が下されてから、今日でちょうど180日。本来なら土に還るべきその肉体は、2026年に施行された『男性資源永久保存法』に基づき、無理やり「生」の檻に繋ぎ止められていた。
『――警告。個体識別番号:JP-009。心拍数低下を検知。アドレナリン及びマナ・ブースターを強制注入します――』
無機質なシステム音声が室内に響く。
水槽の中で、レンの指先がビクンと跳ねた。それは意志による動きではなく、機械的な電気刺激に対する単なる肉体の反射に過ぎない。
「……っ。やめて、痛がってる……!」
カレンがガラスを叩くが、背後に立つ白衣の管理官は、手元のタブレットに目を落としたまま冷淡に告げた。
「痛覚は既に遮断されています。彼は今、一人で一日1,200人分の鎮静因子を精製する、我が国で最も優れた『中和剤タンク』です。彼の細胞一つひとつが、国を救っているのですよ。カレンさん、あなたもその恩恵を受けた一人だということをお忘れなく」
カレンは、ガラス越しにレンの顔を見つめた。
かつて自分を見つめてくれた穏やかな瞳は、白濁し、焦点も合わないまま虚空を彷徨っている。彼の口元には、肺に酸素を送り込むための無骨な管が食い込み、喉からは常に「ゴボッ、ゴボッ」という、命を吸い上げる不気味な排液音が漏れていた。
カレンが愛した「レン」という魂は、もうここにはいない。
そこにあるのは、国が最も効率的に女性たちの「膨らんだ絶望」を溶かすために作り上げた、生ける装置。
「私……救われたんだよね? お腹も痛くない、明日も死なない。……でも、レン。どうしてかな。あんなに苦しかった時よりも、今の方が、ずっと息が苦しいの……」
カレンが水槽のガラスに額を押し当てる。伝わってくるのは、レンの体温ではなく、機械が発する冷徹な振動だけだ。
階下では、今日も何千人もの女性が、平らな腹を手に入れるために列を作っている。
レンの肉体から絞り取られた「因子」を、自らの体内に流し込み、一時的な安らぎを買い求めるために。
2026年、世界は「死」を克服したかのように見えた。
しかし、その代償として失ったのは、個人の尊厳であり、愛という名の不確かな情動だった。
「ねえ、レン。……いっそ、二人で弾けてしまえばよかったね」
カレンの呟きは、機械の駆動音にかき消される。
窓の外では、灰色の雪が、生命の輝きを失った世界をどこまでも白く塗り潰していった。
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