生贄は、神殺しの野獣に神官を騙る

空木葉

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生贄は騙る

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私は呆然と玲泉の体を見た。
首が五分の四程、噛み千切られている。
人間なら間違いなく死んでいる。
しかし玲泉は神だ。
私は玲泉を呆然と眺めた。
でも玲泉の体からは一切の生気が感じられない。
と思った途端に、玲泉の瞳がスッと開いた。
私を見てフワリと笑うと、静かに唇に人差し指をあてる。
私がその事実を消化する前に、玲泉は手を下ろして瞳を閉じた。
どこから見ても死体のようになった玲泉を見て、私は唖然とした。
最初にやってきたのは感激だ。
流石は私たちの神様!
しかしすぐに疑問が湧いた。
死んだ狼を生き返らせたと思ったら、その狼に首を噛まれて死んだふりをしている。
(この神、何がしたいんだ?)
困惑しながらも、私は玲泉から瞳をそらし、狼を探した。
彼は湖の中に顔を突っ込んでいた。
彼は音をたてて口をゆすぐと、立ち上がってきれいになった口元を手でグイっとぬぐった。
そして遺跡の上に広げられた捧げものの前にしゃがんだ。
海老を掴み上げ、クンクンと匂いを嗅いでいる。
そして海老を大きな口に放り込む。
海老を咀嚼しながら目を丸くした彼は、満足げに唇を舐めるとまた海老へ手を伸ばす。
そのいっそ無邪気ささえ感じられる様子からは、さっき玲泉の首を噛みちぎったときのような覇気は感じられない。
まるでここで暮らしていたかのように、落ち着いている。
今のところ、玲泉への興味も失っているように見える。
私の存在には気がついていないのだろうか?
私はこの不透明な状況に対する安堵と緊張に、そっと静かに息を吐いた。
全くもって意味の分からない状況だが、この獣に噛まれて死ぬのは嫌だ。
玲泉が動く気がないのなら、私がこの聖域の外へ助けを求めに走る、いや船を漕ぐ必要がある。
パッと湖を見ると、対岸の遺跡の近くに船があった。
しかしその船体は固い何かに強く打ちつけたられたように、大きな柱が何本か折れ、半ば水に沈んでいる。
幾ら水路があるといっても、浮かない船ではどこにも行けない。
(泳ぐしかないのか?)
私は狼のいない方の湖へそっと、一歩踏み出す。
「おい」
その声に体が勝手に硬直した。
「そこの人間」
恐怖に身も心も支配されて、思考が固まる。
ただ空っぽの頭で声の方へ向くと狼が、こちらを見ていた。
「なあ、これ」
とほとんど空になった皿を指差す。
「どこでつくったんだ」
私は言葉に詰まった。
答えは分かり切ってるのに、それを声に出すことができない。
だって、この狼がそれを知ってどうすると思う?
普通の人間の様に、都の神遣の元を訪れて『おいしかったよ、ごちそうさま』なんて言うだろうか。
「早く言えよ」
狼は落ち着いた様子で、慣れたように言った。
「言わねえなら殺すぞ」
その温度の無い声に、鳥肌が立った。
と同時に腑に落ちた。
このけだものにとっては、人一人の命なんて軽いものなんだ。
「ええと」
私は必死で言葉を探した。
本当のことを言えば、彼は都に向かうのかもしれない。
左脚は欠けているが、私と玲泉の治療のせいでそれ以外の不調はなさそうだ。
警ら団では怪しの獣には対抗できない。
しかし国境から程遠く国の中心にある都には、衛隊は常駐していない。
「私がつ」
くりました、と続けようとして狼の鼻先が目に入った。
そんな嘘をついても、匂いで気が付かれてしまうだろう。
しかし言いよどんでは、更に怪しい。
「くらせました」
なんとか文章を続けたが、また頭が真っ白になった。
そんな私の頭に、ある日の光景が浮かぶ。
『よろしかったら、またつくります。いつでもおこしください!』
雨が降る寒い日に、少女が元気よく頭を下げる。
気が付けば、その言葉をなぞっていた。
「よろしかったら、またつくらせますよ」
言い終えてから喉がつまった。
何を言っているんだ、私は。
どの立場の誰なんだ。
彼の表情は変わらなかった。
その瞳が私を映す。
しかし何も言わない。
私も何も言わなかった。
彼は静かに視線をそらした。
そのまま湖へ視線を投げる。
私は固唾を飲んでそれを見守った。
遠くを眺める彼の横顔には、感情が浮かんでいなかった。
どこか空虚で、夢を見ているようでもある。
その瞳が、もう一度私を映す。
そして口を開いた。
「俺は肉は嫌いだ」
いくらか勢いが減って、呟くような声になっている。
「はい」
私は重々しく頷いた。
正直意外だった、肉を食べない狼がいるとは。
しかし努めて表情には出さないようにする。
彼はまだ私を見つめていた、迷うように瞳が揺れる。
その金色の瞳が僅かに穏やかな色を浮かべた。
「あら汁が…食べたい」
「はい」
私はまた重々しく頷いた。
「分かりました」
「なあ、お前、何者なんだ」
彼はぼんやりと私を見ている。
私に悩んでいる時間はなかった。
生贄という言葉を避けて、一番最初にぶつかった言葉を言った。
「神官です」
そして勇気を振り絞って、彼に背を向ける。
おそらく今がチャンスだ。
その一心で私は振り向かずに歩き出した。
しかし狭く見晴らしのいい遺跡の中では、狼の視界から消えることができない。
泳ぎは得意じゃないが、水域が9割を超えていそうな聖域では水を避けたらどこにも行けない。
私は6歩ほど歩いて遺跡の端に辿り着くと、そのままの勢いで湖へ踏み出した。
しかし覚悟と共に踏み出した右足は湖へ沈みはしなかった。
柔らかな弾力を持った水面に、侵入を拒まれたのだ。
水の中へ飛び込むつもりでいた私は、思わず立ち止まった。
その結果、私は水面の上に立っていた。
静かな湖面に私を中心とした波紋が広がる。
私は平静を装って歩き出した。
水面を踏むと靴がピチャリと音をたてる。
靴越しに冷たい空気を感じるが、水が浸みこんでくることはなかった。
まるでいつものことですよというふうに、淡々と歩く。
水の下の魚群が、私を避ける様に散っていった。
首を曲げて頭を体の上に乗せていた水鳥も、休めていた羽を広げてどこかへ飛び立つ。
あてもなく聖域を歩きながら、私は途方に暮れた。
狼から距離は取れたが、静かな水面の上では自分がどこにいるのか分からない。
しかし一刻も早くこの聖域の外へ出て、助けを求める必要がある。
とにかく同じ方角へ歩くべきだろうか。
それとも川を見つけて、その流れに従った方が早いだろうか。
思い悩む私の足元を、何かが通り過ぎた。
それが起こした湖面の波に私は足を止める。
足元を見ると一匹の小さな白い蛇が、私の足元をくるくると素早く泳ぎながらまとわりつた。
私はぎょっとして、反射的に片足を上げた。
そして次の瞬間には、水の中へ落ちていた。
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