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1. ヤンキー君と優等生ちゃん

1. 退屈な日常

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 つまんねぇな。

 隠そうとする努力は見受けられるが、悲しいくらいに隠せていない薄毛の頭を真っ赤にして怒鳴り散らしている偉そうな男をボーっと見ながら、久我山くがやま颯空さくはそんな事を思っていた。

「聞いているのか久我山!?」
「うっせぇな……聞いてるよ」

 面倒くさそうに返事をしつつ、ちらっと視線を上に向ける。壁にかけられた丸時計の短針がぴったり「4」の文字を差していた。教頭から職員室に呼ばれたのが十五時前だったため、既に一時間以上も説教を受けていることになる。その事実に、颯空は思わずため息を吐いた。

「なんだその態度は!? 説教されているという自覚はあるのか!?」
「ちゃんとあるって。……で、何で怒られてんだっけ?」
「き、貴様という奴は……!!」

 あまりにも無礼な態度に、沸騰ふっとうしたやかんよろしく、頭上から蒸気を噴き出した教頭を見て、颯空はポリポリと耳の裏をかく。どうやら怒りが頂点に達したようだ。これは下校時間コース待ったなし。

「むしろ貴様を見て怒らない理由を見つける方が難しいというのだっ!! その学生に似つかわしくない髪型!! チャラチャラした首輪やら指輪!! 耳につけているふしだらなもの!! 踵を潰した上履き!! 腰までだらしなく下ろしたズボン!!」
「ふしだらってこれはただのピアスだろ」
「見た目だけでこれだ、生活態度を含めたら数えきれないほどだぞ!! 遅刻はしてくるっ!! 授業は聞かないっ!! それどころかすぐに居眠りを始める!! 貴様は学校をなんだと思っているのだっ!?」

 まさに人間機関銃。飛び出してくる言葉が止まる所を知らない。このままでは拘束されているストレスでこっちが禿散らかしてしまうかもしれない。颯空は耳の穴をほじりながら適当に頭を下げた。

「すんませんっした」
「……っ!!」

 当然、悪いなどとは微塵も思っていない。そして、それは教頭も分かっていた。本当に反省をしている者は週二回のペースで職員室に呼び出されたりはしない。
 だが、演技だとしてもこうやって素直に頭を下げられてしまえば、他の先生の目もあるため、これ以上説教を続けることは出来なかった。こんな事なら個室で説教をすればよかった、とイライラしながら教頭は自分の腕時計に目を向ける。

「……とにかく、だ。規律と調和を重んじる我が学園に置いて貴様は異端なのだ! 問題を起こしたり、態度を改めないようであれば、退学も視野に入れていく事を肝に銘じて置け!!」
「はいはい」
「返事は一回だっ!!」
「失礼しまーす」

 背後で激怒している教頭をおちょくるように、颯空はひらひらと片手を振りながら職員室から出て行った。

「はぁ……だりぃ」

 職員室の扉を閉めたところで、颯空は独りちりつつ、体の中に溜まった老廃物を吐き出すように盛大にため息を吐く。教頭の話など最初はなから聞いていないとはいえ、目の前で小一時間怒鳴られるのは苦痛以外のなにものでもなかった。

「……とっとと帰るか」

 部活に所属していない颯空が学校に残る理由はない。ふらふら校舎なんて歩いていたら、またあの教頭に見つかってダラダラと説教を食らうかもしれない。それだけは勘弁して欲しかった。なので、さっさと教室に戻って自分の鞄を取り、帰宅するのが最善の行動だろう。

「それにしても無駄に綺麗だよなぁ、ここ」

 廊下を歩きながら自分の通っている学校の校舎を見て、颯空は改めてそう思った。それもそのはず、彼が通っている清新学園高等学校は財界人や著名人のご子息ご息女なども通学している言わずと知れた名門校なのだ。建物や附属設備が超一流である事はもちろん、在校生もその辺に飾られている絵画と同様に|がちらほら見受けられる。
 もっとも、普通の生徒もたくさんいるが、その中に赤みがかった茶髪をアシメントリーのツーブロックにしたり、しかもその刈り上げ部分にきっちり剃りこみをいれたり、これみよがしに銀色のリングピアスを耳にしていたりする者は、一人を除いて誰もいなかった。古来より、はみ出し者というのは奇異の目で見られるのが定め、特に多感な高校生などはそれが顕著に表れる。

「……あそこに歩いているのって久我山でしょ? ヤンキーの」
「そうそう。なんでも男でも女でも構わず暴力を振るう"狂犬"なんだって」
「やだ。こわーい」
「噂じゃ中学の時に気に入らない教師を半殺しにしたらしい」
「まじかよ。そんなおっかない奴がなんでうちの学校にいるんだよ?」
「校長の弱みでも握ってるんじゃないの?」
「うへぇ……流石は不良。人間、あぁはなりたくないよな」

 聞きたくもない言葉の数々が颯空の鼓膜を刺激する。うんざりしながら息を吐き出し、ぎろりと周りを睨みつけると、生徒達が一斉に自分から視線をそらした。それすらも颯空の神経を逆なでする。

「ちっ……」

 舌打ちをしつつ、両手をポケットに入れ歩く速度を上げる。始まりを告げる季節である春。クラスも学年も変わり、心機一転晴れやかな気持ちで新生活を過ごせると思っていたのに、颯空の気分は最悪だった。

「……つまんねぇな、本当」

 誰に言うでもなく、頭に浮かんだ言葉を息のように漏らしながら、汚れ一つない廊下を彼は一人で歩いていく。これから先の学園生活に何の期待も抱かぬままに。
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