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第一章 呪われた男
25. 白雪彩萌
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「彩……萌……?」
自分の中で渦巻いていた激情が嘘のように消えていく。代わりに芽生えた感情は驚きと戸惑いだった。颯空に名前を呼ばれた彩萌が静かに頷く。
「そうですよ、白雪彩萌です。しばらく会わないうちに私の顔を忘れてしまいましたか?」
「……忘れるわけねぇだろ」
その声も、笑顔も、仕草も、全てが記憶にる彩萌そのものだった。それだけに、颯空が苦悶の表情を浮かべる。
「これも呪いの一種か?」
ここが現実の世界でも召喚された異世界でもないのはわかっている。だからこそ、死んだ人間が自分の前に現れようとも不思議ではない。
自分が馬乗りをしているもう一人の颯空の方へと無理やり視線を移し、何かを抑えたような声で尋ねた。だが、もう一人の颯空は薄く笑っているだけで答えようとしない。その態度が予想外の出来事を前に冷静さを欠いている颯空の神経を逆なでした。
「……なるほど。さっさと始末されたいってことだな」
「待ってください」
もう一度小太刀を構えた颯空だったが、彩萌の声によってふたたびその行動を阻害される。ギリリ、と奥歯を噛みしめた颯空は苛立ちを隠すことなく振り返った。
「なんで止めるんだよ?」
「あなたが自分を傷つけようとしているのですから、止めない理由はありません」
「……なに?」
彩萌の言っている意味が理解できず、颯空が眉をひそめる。自分を傷つける? そんな事は一切していない。自分はただ呪いを消滅させようとしているだけだ。
「……悪いが幻影に惑わされてる場合じゃねぇんだ。さっさと俺はこいつをぶっ潰さなきゃならねぇ……生き残るためにな」
「幻影というのは私の事ですか?」
「当然だろ」
颯空が言い切ると、彩萌が僅かに寂しげな表情を見せる。それだけで颯空の心にナイフをぐりぐりと付きたてられたような痛みが走った。
「そうですね。確かに、颯空君の言う通り私は幻影です……あなたの心が生み出した、ね」
「……どういう意味だ?」
「別に難しい事ではありません。ここはあなたの心象風景……あなたの体験や感覚、感情によって生み出された空間なのです」
「なっ……!?」
彩萌の口から告げられた衝撃の事実に、颯空が大きく目を見開く。今いるのが自分の心象風景だと?
「別に驚くことじゃないですよね? だって、あなたはどこかへワープしたわけではなく、それこそ、異世界召喚されたわけでもなく、この場所へやって来たんですから」
それまで深くは考えていなかったが、彩萌に言っている事は尤もだった。体に異変を感じ、気が付いたらこの空間に立っていた。初めて来たときもそうだ。グリズリーベアに体を貫かれ、死を感じた瞬間、この空間でもう一人の自分と対峙した。それから考えても、謎の空間に飛ばされたというよりも、自分の意識の中に没入したと考える方が筋が通る。
「……出鱈目な事を言うな」
かすれた声で颯空が言った。認めない。認めたくない。いくら他人を拒絶する生き方を選んだとはいえ、自分の心の中がこんなにも闇の広がる世界だなんて認められるわけがない。
「出鱈目なんかじゃありませんよ。……正直、私のせいであなたがここまで思いつめる事になるなんて思いもしませんでしたから、申し訳なく思っています」
「やめろっ!!」
思わず声を荒げてしまう。そんな颯空に何かを言おうとしたが言葉が見つからず、彩萌が困ったような笑みを浮かべた。
「……なんとも不思議な気持ちです。私があなたを苦しめているのは事実なのですが……それを嬉しく感じてしまっている私がいるのです。あなたがどれほど私の事を大切に思っていてくれたのか……こうやって、私の姿がこの場に現れているのがその証拠です」
彩萌が嬉しそうにはにかむ。その記憶に刻まれている顔を見るたびに、心臓をギュッと握られるようだった。
「だからこそ、あなたの思いに感謝しながら、私はあなたを正しく導かなければなりません。それこそが、私があなたにしてあげられる唯一の事だから」
「正しく……導く……?」
「はい。……あなたが消そうとしているその存在は、あなた自身なのです」
彩萌が颯空の下にいるもう一人の颯空を見ながら言った。一瞬、何を言われたのかわからなかった颯空が、小さく頭を振る。
「こいつは'呪い'だ。この世界を司るクソみたいな神から与えられた、な」
「……どうしてそう言い切れるのですか?」
「こいつ自身がそう言ったからだ」
颯空が憎しみのこもった目でもう一人の自分を見ながら言った。俺はお前の中にいる'呪い'だ、初めて邂逅した時、確かにこいつは自分にそう告げた。それに関しては間違いない。
「いいえ、違います」
にも拘らず、そんな俺の言葉を彩萌は迷いなく否定する。もはや否定する余地すらない資質を捻じ曲げる彩萌に、颯空は憤りを覚えずにはいられない。
「なんでだ!? こいつが言ったんだぞ!? 疑いようのない事実だろうが!!」
「本当に彼が言ったのですか?」
「そうだ! 面と向かってはっきりとな!! だから、こいつが俺にとりついた呪いであることは……!!」
「本当に、この世界の神様が颯空君に与えた'呪い'だと言ったのですか?」
「それは……!!」
真剣な表情でされた彩萌の質問に颯空は口ごもった。この世界の神が自分に与えた呪い、というのは自分が勝手にそう思っていた事だ。もう一人の自分が言っていたことではない。だが、状況からしてそう考えるのが妥当なはずだ。自分の中にある後ろめたい感情を読み取った神が、その罪を自覚させるために与えたギフトであると。
「それが間違いなのです。確かに、そこにいるもう一人の颯空君は、あなたに巣くう'呪い'です。……ですが、それはこの世界の神様が与えたものではありません。あなた自身が作り出したものなのです。それを、この世界の神様がありがた迷惑なありがた迷惑な親切心で具現化しただけにすぎません」
「な……に……?」
自分が作り出した……? 何を言っているんだ……?
「だから、傷つけてはだめです。……それ以上、自分に刃を突き立てないでください」
「…………」
自分の手に持つ小太刀と、自分の下で達観した表情を浮かべるもう一人の自分を颯空は見つめる。こいつは俺自身が作り出した呪い、だと?
……いや、そうなのかもしれない。彩萌が死んで、俺は俺自身を呪った。もう少しうまく立ち回る事が出来たんじゃないかって。そうすりゃ、彩萌が命を落とす事はなかったんじゃないかって。あの日からずっとだ。この世界に来てからもずっと……そんな自分の不甲斐なさを呪い続けていた。その弱さを感じ取ったこの世界の神が空気を読んで俺に呪いのギフトを寄越したって話か。
「……ようするに、俺がやっていたのは見るに堪えない茶番劇だったってことだな」
颯空が乾いた笑みを浮かべる。自分で作り出したものを自分で壊す、必死に積み上げた積み木を自分で崩すようなものだ。何の意味もない無駄な行為。シフに言われた事を頼りに、呪いを消滅させる事だけを考えていたのに、それを見失った。自分で作り出したものをどうやって消滅させるというのか。
ただ単に倒せばいいと思っていた。何も考えずに目の前に立ちはだかる呪いを打ち滅ぼせば何もかもが解決すると思っていた。だが、これはそんな単純な話ではない。だからこそ、あの男は『打ち勝つ』という言葉を使ったのだ。滅ぼすではなく打ち勝つ、と。
だが、それを今更理解して何ができるというのか。自分の弱さが作り出した虚像にどう打ち勝てばいいのかわからない。そもそも、打ち勝てるのであれば三年も悩む事などなかった。つまり、これは打破することが不可能な事象。自分は'呪い'に食い殺される運命なのだ。
「……何を諦めているのですか? あなたらしくもない」
そんな颯空の心境を読み取ったかのように、彩萌が厳しい言葉をぶつけてくる。
「私が恋した御子柴颯空はそんな弱い男じゃありませんよ」
……そうだった。白雪彩萌という女はこういう女だった。普段は遠慮がちに一歩引いたところに立っているくせに、いざという時は誰よりも芯の強い女。
「ここはあなたの心の中です。誰も見ていません。……もう、何もかもを曝け出していいんじゃないですか?」
彩萌が優しく声をかける。それが、ギリギリまで押しとどめていた颯空の感情のしきりを取り除いた。
「……俺はっ!! お前を殺したんだっ!!」
面と向かって話す勇気なんてありはしない。彩萌に背を向けたまま、颯空が咆哮に似た声を上げる。
「俺が飯島美奈を追い詰めなきゃあんな事にはならなかった!! 本当大馬鹿野郎だよ、俺は!!」
叫べば叫ぶほど心が血を噴き出していた、だが、もう止めることなどできない。
「俺が刺されればよかったんだよ!! なのにお前は……俺を庇って……!! それどころか自分を刺した相手すら気遣って屋上から……!!」
あの時の光景が脳裏をよぎり、言葉が出て来なくなってしまう。
「俺は……俺は……それをただ間抜け面で見ている事しかできなくて……!!」
情けない。不甲斐ない。もはや下に向けた顔を上げる事すらできなくなっていた。
「優しすぎた……優しすぎたんだ、彩萌は。お前みたいなやつはもっと幸せになるべきだったんだ。なのに……なのに俺と関わったせいで不幸になった……俺がお前を不幸にしちまった……!!」
罪悪感と自己嫌悪が濁流となって自分を飲み込んでいく。
「俺が……お前を……!!」
視界が闇に侵食されてきた。
「俺が……俺が……」
もはや、自分の中に光はない。
「俺が……彩萌じゃなくて俺の方が」
「はい、そこまでです」
首に回されたか細い腕。背中に感じる体温。絶望に覆いつくされた体に、小さな灯がともる。
「いくら何でも曝け出しすぎです。……少しはすっきりしましたか?」
「…………」
最悪な気分だった。自分が目を背け続けた事と正面からぶつかるのは本当にきつい。
「こうやって吐き出させてあげないと、あなたは際限なく自分の中で溜め込んでしまう人ですからね。心配させまいと弱いところを見せないようにして……本当、困った人です。あなたは」
「……相変わらず厳しいな」
颯空が弱弱しく笑う。すべてを包み込む優しさを持つからこその厳しさ。そんなところが、颯空が彩萌に惹かれたところだった。
「でも、私はその弱さをもっと見せて欲しかったです。すずも澪も凪君も、そう思っていたはずです」
「どうかな……」
「絶対そうです」
彩萌が断言する。曖昧な返事をしたが、颯空にもその確信があった。にもかかわらず、三人から離れた。それは――。
「すず達と距離をとったのは、罪の意識から誰かに甘える事を許せなかったから……それか、自分のそばにいる事であの三人が不幸になるのが怖かったから。そんなところですか?」
まさに図星だった。声を出していないというのに、それを感じ取った彩萌が呆れたように息を吐く。
「次、三人と会ったら前みたいに接するように。わかりましたか?」
「いや、それは」
「返事は?」
「……はい」
有無を言わさぬ声音で言われ、頷くことしか許されない颯空。こんな意味不明な空間であっても、彩萌に適う気がしなかった。その事実が何となく喜ばしい。
「まったく……颯空君は一つ大きな勘違いをしています」
「勘違い?」
「はい。勝手に私を不幸な女扱いしないでください」
ビクッ。颯空の表情が僅かに強張った。
「どうして私が不幸だと決めつけるんですか?」
「それは……!!」
言葉に詰まった颯空が奥歯を噛みしめる。そんなものは明白だった。
「……彩萌は俺のせいで死んだ。それを不幸といわずに何を不幸と」
「だから、それが間違ってるんです!」
彩萌の声は少し怒っているようだった。
「私はあなたのせいで命を落としたのではなく、命を賭してあなたを守ることができたんですよ。最愛の人のためにこの命を使うことができたのです……これ以上に幸せなことがありますか?」
「っ!?」
巨大な金づちで殴られたような衝撃が颯空の体を駆け抜ける。その首に回した腕に彩萌がギュッ、と力を込めた。
「颯空君……あなたは私が優しいって言いましたが、私にしてみれば優しいのはあなたです。人の痛みを自分の痛みのように感じる事ができ、助けを必要としている人を見かけたら躊躇なく前に立つ……初めて会った時、私は暖かい風に包まれたような心地でした」
彩萌の声がひどく優しい。まるで、赤子に言い聞かせる母親のようであった。
「それからは本当に夢のような時間でした。颯空君がいてすずがいて、澪も凪君もいる。場違いなんじゃないかって思いながらも、颯空君達と過ごしたあの日々は、私にとって何にも代えがたい宝物です」
自分の意思とは関係なくあふれ出る涙が頬を濡らしていく。あの日から凍り付いた心が少しずつ溶けていくのがわかる。
「本当はもう少し一緒にいたかったのですが……どうやら、それは叶わぬ願いのようですね」
彩萌の声に寂しさが混じる。同時に、彩萌の腕が仄かに光を放ち始めた。颯空は、どこにもいかないように、とその腕を握りしめる。……それが無駄な行為だとわかっていても。
「……澪に言ってましたよね? 自己本位に生きろ、って。それは一番あなたが言われるべき言葉ですよ。もっと、好き勝手生きてください。これはお願いじゃなくて命令です」
小刻みに震えながら自分の腕を掴む颯空を見て、彩萌は慈しむような笑みを浮かべた。
「三年間、誰にも話さず、誰にも頼らず、よく頑張りました。本当に偉いです。……だから、もういいんじゃないですか?」
彩萌の頬にも涙が伝う。少しずつ自分の存在が希薄になっていくのを感じながら、彼女は懸命に自分の思いを言葉にしていく。
「もう自分を傷つけるのはやめてください。体に出来た傷はいつの間にか消えていますけど、心の傷はそういうわけにはいかないのです」
自問自答を繰り返した。自らを責め続けた。その様は監獄に投げ込まれた囚人そのもの。その監獄をぶち壊すために、彼女はこの場に現れた。
「私は本当に幸せでした。あなたに出会い、あなたと過ごし、あなたに恋をした……それは全てあなたが私に与えてくれたものなのです」
涙でくしゃくしゃになった顔を無理やり引き上げる。これ以上、彩萌に情けない姿を見せたくない。
「これだけ人を幸せにできる颯空君が不幸になるなんて私が許しません。そんなに涙が出るくらい辛い思いをしてきたんでしょう? だから、もういい加減――」
――自分を許してあげてください。
優しく包み込んでいた暖かな空気がなくなった。もう背中にぬくもりは感じない。それはこの場から彩萌がいなくなった事を示していた。寂しくないとは言わない。だが、縋ることを彩萌が望んでいないことだけはわかる。これだけ力をもらったのだ、これ以上は甘えすぎだ。ここからは彩萌の言葉を胸に刻んで生きていかねばならない。それこそが自分の生きる使命なのだから。
自分の中で渦巻いていた激情が嘘のように消えていく。代わりに芽生えた感情は驚きと戸惑いだった。颯空に名前を呼ばれた彩萌が静かに頷く。
「そうですよ、白雪彩萌です。しばらく会わないうちに私の顔を忘れてしまいましたか?」
「……忘れるわけねぇだろ」
その声も、笑顔も、仕草も、全てが記憶にる彩萌そのものだった。それだけに、颯空が苦悶の表情を浮かべる。
「これも呪いの一種か?」
ここが現実の世界でも召喚された異世界でもないのはわかっている。だからこそ、死んだ人間が自分の前に現れようとも不思議ではない。
自分が馬乗りをしているもう一人の颯空の方へと無理やり視線を移し、何かを抑えたような声で尋ねた。だが、もう一人の颯空は薄く笑っているだけで答えようとしない。その態度が予想外の出来事を前に冷静さを欠いている颯空の神経を逆なでした。
「……なるほど。さっさと始末されたいってことだな」
「待ってください」
もう一度小太刀を構えた颯空だったが、彩萌の声によってふたたびその行動を阻害される。ギリリ、と奥歯を噛みしめた颯空は苛立ちを隠すことなく振り返った。
「なんで止めるんだよ?」
「あなたが自分を傷つけようとしているのですから、止めない理由はありません」
「……なに?」
彩萌の言っている意味が理解できず、颯空が眉をひそめる。自分を傷つける? そんな事は一切していない。自分はただ呪いを消滅させようとしているだけだ。
「……悪いが幻影に惑わされてる場合じゃねぇんだ。さっさと俺はこいつをぶっ潰さなきゃならねぇ……生き残るためにな」
「幻影というのは私の事ですか?」
「当然だろ」
颯空が言い切ると、彩萌が僅かに寂しげな表情を見せる。それだけで颯空の心にナイフをぐりぐりと付きたてられたような痛みが走った。
「そうですね。確かに、颯空君の言う通り私は幻影です……あなたの心が生み出した、ね」
「……どういう意味だ?」
「別に難しい事ではありません。ここはあなたの心象風景……あなたの体験や感覚、感情によって生み出された空間なのです」
「なっ……!?」
彩萌の口から告げられた衝撃の事実に、颯空が大きく目を見開く。今いるのが自分の心象風景だと?
「別に驚くことじゃないですよね? だって、あなたはどこかへワープしたわけではなく、それこそ、異世界召喚されたわけでもなく、この場所へやって来たんですから」
それまで深くは考えていなかったが、彩萌に言っている事は尤もだった。体に異変を感じ、気が付いたらこの空間に立っていた。初めて来たときもそうだ。グリズリーベアに体を貫かれ、死を感じた瞬間、この空間でもう一人の自分と対峙した。それから考えても、謎の空間に飛ばされたというよりも、自分の意識の中に没入したと考える方が筋が通る。
「……出鱈目な事を言うな」
かすれた声で颯空が言った。認めない。認めたくない。いくら他人を拒絶する生き方を選んだとはいえ、自分の心の中がこんなにも闇の広がる世界だなんて認められるわけがない。
「出鱈目なんかじゃありませんよ。……正直、私のせいであなたがここまで思いつめる事になるなんて思いもしませんでしたから、申し訳なく思っています」
「やめろっ!!」
思わず声を荒げてしまう。そんな颯空に何かを言おうとしたが言葉が見つからず、彩萌が困ったような笑みを浮かべた。
「……なんとも不思議な気持ちです。私があなたを苦しめているのは事実なのですが……それを嬉しく感じてしまっている私がいるのです。あなたがどれほど私の事を大切に思っていてくれたのか……こうやって、私の姿がこの場に現れているのがその証拠です」
彩萌が嬉しそうにはにかむ。その記憶に刻まれている顔を見るたびに、心臓をギュッと握られるようだった。
「だからこそ、あなたの思いに感謝しながら、私はあなたを正しく導かなければなりません。それこそが、私があなたにしてあげられる唯一の事だから」
「正しく……導く……?」
「はい。……あなたが消そうとしているその存在は、あなた自身なのです」
彩萌が颯空の下にいるもう一人の颯空を見ながら言った。一瞬、何を言われたのかわからなかった颯空が、小さく頭を振る。
「こいつは'呪い'だ。この世界を司るクソみたいな神から与えられた、な」
「……どうしてそう言い切れるのですか?」
「こいつ自身がそう言ったからだ」
颯空が憎しみのこもった目でもう一人の自分を見ながら言った。俺はお前の中にいる'呪い'だ、初めて邂逅した時、確かにこいつは自分にそう告げた。それに関しては間違いない。
「いいえ、違います」
にも拘らず、そんな俺の言葉を彩萌は迷いなく否定する。もはや否定する余地すらない資質を捻じ曲げる彩萌に、颯空は憤りを覚えずにはいられない。
「なんでだ!? こいつが言ったんだぞ!? 疑いようのない事実だろうが!!」
「本当に彼が言ったのですか?」
「そうだ! 面と向かってはっきりとな!! だから、こいつが俺にとりついた呪いであることは……!!」
「本当に、この世界の神様が颯空君に与えた'呪い'だと言ったのですか?」
「それは……!!」
真剣な表情でされた彩萌の質問に颯空は口ごもった。この世界の神が自分に与えた呪い、というのは自分が勝手にそう思っていた事だ。もう一人の自分が言っていたことではない。だが、状況からしてそう考えるのが妥当なはずだ。自分の中にある後ろめたい感情を読み取った神が、その罪を自覚させるために与えたギフトであると。
「それが間違いなのです。確かに、そこにいるもう一人の颯空君は、あなたに巣くう'呪い'です。……ですが、それはこの世界の神様が与えたものではありません。あなた自身が作り出したものなのです。それを、この世界の神様がありがた迷惑なありがた迷惑な親切心で具現化しただけにすぎません」
「な……に……?」
自分が作り出した……? 何を言っているんだ……?
「だから、傷つけてはだめです。……それ以上、自分に刃を突き立てないでください」
「…………」
自分の手に持つ小太刀と、自分の下で達観した表情を浮かべるもう一人の自分を颯空は見つめる。こいつは俺自身が作り出した呪い、だと?
……いや、そうなのかもしれない。彩萌が死んで、俺は俺自身を呪った。もう少しうまく立ち回る事が出来たんじゃないかって。そうすりゃ、彩萌が命を落とす事はなかったんじゃないかって。あの日からずっとだ。この世界に来てからもずっと……そんな自分の不甲斐なさを呪い続けていた。その弱さを感じ取ったこの世界の神が空気を読んで俺に呪いのギフトを寄越したって話か。
「……ようするに、俺がやっていたのは見るに堪えない茶番劇だったってことだな」
颯空が乾いた笑みを浮かべる。自分で作り出したものを自分で壊す、必死に積み上げた積み木を自分で崩すようなものだ。何の意味もない無駄な行為。シフに言われた事を頼りに、呪いを消滅させる事だけを考えていたのに、それを見失った。自分で作り出したものをどうやって消滅させるというのか。
ただ単に倒せばいいと思っていた。何も考えずに目の前に立ちはだかる呪いを打ち滅ぼせば何もかもが解決すると思っていた。だが、これはそんな単純な話ではない。だからこそ、あの男は『打ち勝つ』という言葉を使ったのだ。滅ぼすではなく打ち勝つ、と。
だが、それを今更理解して何ができるというのか。自分の弱さが作り出した虚像にどう打ち勝てばいいのかわからない。そもそも、打ち勝てるのであれば三年も悩む事などなかった。つまり、これは打破することが不可能な事象。自分は'呪い'に食い殺される運命なのだ。
「……何を諦めているのですか? あなたらしくもない」
そんな颯空の心境を読み取ったかのように、彩萌が厳しい言葉をぶつけてくる。
「私が恋した御子柴颯空はそんな弱い男じゃありませんよ」
……そうだった。白雪彩萌という女はこういう女だった。普段は遠慮がちに一歩引いたところに立っているくせに、いざという時は誰よりも芯の強い女。
「ここはあなたの心の中です。誰も見ていません。……もう、何もかもを曝け出していいんじゃないですか?」
彩萌が優しく声をかける。それが、ギリギリまで押しとどめていた颯空の感情のしきりを取り除いた。
「……俺はっ!! お前を殺したんだっ!!」
面と向かって話す勇気なんてありはしない。彩萌に背を向けたまま、颯空が咆哮に似た声を上げる。
「俺が飯島美奈を追い詰めなきゃあんな事にはならなかった!! 本当大馬鹿野郎だよ、俺は!!」
叫べば叫ぶほど心が血を噴き出していた、だが、もう止めることなどできない。
「俺が刺されればよかったんだよ!! なのにお前は……俺を庇って……!! それどころか自分を刺した相手すら気遣って屋上から……!!」
あの時の光景が脳裏をよぎり、言葉が出て来なくなってしまう。
「俺は……俺は……それをただ間抜け面で見ている事しかできなくて……!!」
情けない。不甲斐ない。もはや下に向けた顔を上げる事すらできなくなっていた。
「優しすぎた……優しすぎたんだ、彩萌は。お前みたいなやつはもっと幸せになるべきだったんだ。なのに……なのに俺と関わったせいで不幸になった……俺がお前を不幸にしちまった……!!」
罪悪感と自己嫌悪が濁流となって自分を飲み込んでいく。
「俺が……お前を……!!」
視界が闇に侵食されてきた。
「俺が……俺が……」
もはや、自分の中に光はない。
「俺が……彩萌じゃなくて俺の方が」
「はい、そこまでです」
首に回されたか細い腕。背中に感じる体温。絶望に覆いつくされた体に、小さな灯がともる。
「いくら何でも曝け出しすぎです。……少しはすっきりしましたか?」
「…………」
最悪な気分だった。自分が目を背け続けた事と正面からぶつかるのは本当にきつい。
「こうやって吐き出させてあげないと、あなたは際限なく自分の中で溜め込んでしまう人ですからね。心配させまいと弱いところを見せないようにして……本当、困った人です。あなたは」
「……相変わらず厳しいな」
颯空が弱弱しく笑う。すべてを包み込む優しさを持つからこその厳しさ。そんなところが、颯空が彩萌に惹かれたところだった。
「でも、私はその弱さをもっと見せて欲しかったです。すずも澪も凪君も、そう思っていたはずです」
「どうかな……」
「絶対そうです」
彩萌が断言する。曖昧な返事をしたが、颯空にもその確信があった。にもかかわらず、三人から離れた。それは――。
「すず達と距離をとったのは、罪の意識から誰かに甘える事を許せなかったから……それか、自分のそばにいる事であの三人が不幸になるのが怖かったから。そんなところですか?」
まさに図星だった。声を出していないというのに、それを感じ取った彩萌が呆れたように息を吐く。
「次、三人と会ったら前みたいに接するように。わかりましたか?」
「いや、それは」
「返事は?」
「……はい」
有無を言わさぬ声音で言われ、頷くことしか許されない颯空。こんな意味不明な空間であっても、彩萌に適う気がしなかった。その事実が何となく喜ばしい。
「まったく……颯空君は一つ大きな勘違いをしています」
「勘違い?」
「はい。勝手に私を不幸な女扱いしないでください」
ビクッ。颯空の表情が僅かに強張った。
「どうして私が不幸だと決めつけるんですか?」
「それは……!!」
言葉に詰まった颯空が奥歯を噛みしめる。そんなものは明白だった。
「……彩萌は俺のせいで死んだ。それを不幸といわずに何を不幸と」
「だから、それが間違ってるんです!」
彩萌の声は少し怒っているようだった。
「私はあなたのせいで命を落としたのではなく、命を賭してあなたを守ることができたんですよ。最愛の人のためにこの命を使うことができたのです……これ以上に幸せなことがありますか?」
「っ!?」
巨大な金づちで殴られたような衝撃が颯空の体を駆け抜ける。その首に回した腕に彩萌がギュッ、と力を込めた。
「颯空君……あなたは私が優しいって言いましたが、私にしてみれば優しいのはあなたです。人の痛みを自分の痛みのように感じる事ができ、助けを必要としている人を見かけたら躊躇なく前に立つ……初めて会った時、私は暖かい風に包まれたような心地でした」
彩萌の声がひどく優しい。まるで、赤子に言い聞かせる母親のようであった。
「それからは本当に夢のような時間でした。颯空君がいてすずがいて、澪も凪君もいる。場違いなんじゃないかって思いながらも、颯空君達と過ごしたあの日々は、私にとって何にも代えがたい宝物です」
自分の意思とは関係なくあふれ出る涙が頬を濡らしていく。あの日から凍り付いた心が少しずつ溶けていくのがわかる。
「本当はもう少し一緒にいたかったのですが……どうやら、それは叶わぬ願いのようですね」
彩萌の声に寂しさが混じる。同時に、彩萌の腕が仄かに光を放ち始めた。颯空は、どこにもいかないように、とその腕を握りしめる。……それが無駄な行為だとわかっていても。
「……澪に言ってましたよね? 自己本位に生きろ、って。それは一番あなたが言われるべき言葉ですよ。もっと、好き勝手生きてください。これはお願いじゃなくて命令です」
小刻みに震えながら自分の腕を掴む颯空を見て、彩萌は慈しむような笑みを浮かべた。
「三年間、誰にも話さず、誰にも頼らず、よく頑張りました。本当に偉いです。……だから、もういいんじゃないですか?」
彩萌の頬にも涙が伝う。少しずつ自分の存在が希薄になっていくのを感じながら、彼女は懸命に自分の思いを言葉にしていく。
「もう自分を傷つけるのはやめてください。体に出来た傷はいつの間にか消えていますけど、心の傷はそういうわけにはいかないのです」
自問自答を繰り返した。自らを責め続けた。その様は監獄に投げ込まれた囚人そのもの。その監獄をぶち壊すために、彼女はこの場に現れた。
「私は本当に幸せでした。あなたに出会い、あなたと過ごし、あなたに恋をした……それは全てあなたが私に与えてくれたものなのです」
涙でくしゃくしゃになった顔を無理やり引き上げる。これ以上、彩萌に情けない姿を見せたくない。
「これだけ人を幸せにできる颯空君が不幸になるなんて私が許しません。そんなに涙が出るくらい辛い思いをしてきたんでしょう? だから、もういい加減――」
――自分を許してあげてください。
優しく包み込んでいた暖かな空気がなくなった。もう背中にぬくもりは感じない。それはこの場から彩萌がいなくなった事を示していた。寂しくないとは言わない。だが、縋ることを彩萌が望んでいないことだけはわかる。これだけ力をもらったのだ、これ以上は甘えすぎだ。ここからは彩萌の言葉を胸に刻んで生きていかねばならない。それこそが自分の生きる使命なのだから。
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『悪い魔法使い』の根絶を掲げるシュターメイア王国の魔法使いフィオラ・クローチェは、ある日魔法の暴発で幼少時の姿になってしまう。こんな姿では仕事もできない――というわけで有給休暇を得たフィオラだったが、一番の友人を自称するルカ=セト騎士団長に、何故かなにくれとなく世話をされることに。
「……おまえがこんなに子ども好きだとは思わなかった」
「いや、俺は子どもが好きなんじゃないよ。君が好きだから、子どもの君もかわいく思うし好きなだけだ」
そんなことを大真面目に言う国一番の騎士に溺愛される、平々凡々な魔法使いのフィオラが、元の姿に戻るまでと、それから。
◆三部完結しました。お付き合いありがとうございました。(2024/4/4)
ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜
KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞
ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。
諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。
そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。
捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。
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崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。
その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。
死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。
だが、その力の代償は、あまりにも大きい。
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これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、
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