夫のつとめ

藤谷 郁

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追い打ち

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 翌朝、壮二はいつものように出勤し、いつものように社長のデスクを拭いていた。

「おはようございます、希美さん」
「おはよう、壮二」

 希美はパソコンの前に座り、彼の様子をそれとなく観察する。一見普段どおりだが、やはり、目に見えない壁のようなものを感じる。
 昨夜は何の用があって先に帰ったのか、彼は口にしない。いつもなら、こちらが訊くまでもなく話してくれるのに。

(私も同じか。いつもなら、どうして先に帰ったのよって気軽に訊いてるし……)

「そうだ、希美さん」
「えっ?」

 急に振り向くので、希美は慌てた。不自然な動きでパソコンの電源を入れたりする。
 壮二が近づいてきて、ひょいと顔を覗き込んだ。久しぶりのドアップにドキドキしてしまう。

「ど、どうかしたの?」
「いえ、先ほど社長が『会社はバタバタしてるが、お前たちは気にせず結婚準備を進めろ』と言ってくださったんです」
「あ……ああ」

 昨夜、車の中で利希と話した件だ。壮二も気にしていると思い、利希が声をかけたのだろう。

「そのことなんですが……」
「……」

 希美は別の意味でドキドキする。
 まさか、『こんな状況ですし、やはり延期しましょう』とか言うのでは……

「良かったです。実は、僕も心配していたので」
「壮二……」

 表に出さないが、希美の心は爆発しそうになる。もちろん、喜びで。

 壮二も結婚を心待ちにしている。
 彼の気持ちは、何があろうと揺らぐことはなかったのだ。

「も、もちろん結納式も結婚式も、予定どおりよ。壮二と私は10月に夫婦になるの」
「はい、希美さん」

 微笑む彼に抱き付いてキスしたい衝動に駆られるが、仕事中なので我慢する。
 この喜びは、一人しみじみと味わおう。
 壮二の様子がヘンだとか、壁を感じるとか、すべては疑心暗鬼だった。

(そうよ。昨夜のことも、たまには先に帰ったっていいじゃない。壮二には壮二の都合があるし、全部報告する義務はないわ)

 考えてみれば、最近の自分は彼に干渉しまくりだ。好きすぎて依存していたのだと希美は反省する。

 それに、南村社長の件についても、壮二の反応は当然といえば当然。
 大企業の力にものを言わせたプロポーズ。一介の会社員には対抗できないやり方に驚き、無力感にとらわれたのだと希美は推測する。
 だから、一時的に無感情になっただけ。
 冷静に分析すれば、こうしてきちんと理解できるのだ。

「おっと、もうこんな時間だ。仕事の準備をします」
「ええ。今日も頑張りましょう」

 希美はパソコンに向き直り、本日のスケジュールを確認する。仕事も結婚も、きっとうまくいく。

 大丈夫、彼を信じればいい――

 
 その後、ノルテフーズはブランドの信頼回復につとめた。部門再編や財務部の資金確保が効果を上げ、経理予測も上方修正された。
 しかし……
 他企業の資本など借りずとも、何とかなる。誰もがそう信じかけた時、予想外のニュースが飛び込んできた。

「社長。ミズハラ食品が倒産しました」
「何だって?」

 財務部長の甲斐が突然社長室に現れ、その報告をした。
 晩夏の街が見渡せる部屋には、利希と希美、壮二がいる。
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