先生

藤谷 郁

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乾杯

3

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水曜日。

更衣室の鏡で服装をチェックする私に、吉野さんが意外そうに声をかけた。


「あれっ、星野さんがお洒落してる……えっ、もしかしてデートとか!?」

「そ、そんなに驚かなくても」


どんな顔をすればいいか分からず曖昧に笑った。でも確かに、退社後に私がお洒落するのは珍しいことだ。


「ええと、これから飲み会なんです。その……」

「彼氏と?」
 
「は、はい。そうです……」


彼女は絶句した。そんなに意外だったろうか。


「知らなかった~。いつからお付き合いしてるの?」

「まだ最近なんです」

「そっかあ……で、やっぱりあの人?」

「えっ」

「ほら、松山さん」


いきなり出てきた名前に驚き、慌てて首を横に振った。


「何だ、違うの」

「前に言ったじゃないですか。松山さんと私は何でもないですって」

「あはは……まあ、そうだけどね。でも、やっぱりそうだったのかなあって」


吉野さんは冗談っぽく言いながら、気まずそうにする。


「そうだよね。彼、北海道に引っ越すとか秋田君が言ってたし、そんなわけないか」

「ええ」

「でもさ、うーん」


彼女は顎に手をあて、考える風にした。


「星野さんと松山さんって、初めからこう……親しげな空気があったよね」

「そうですか?」

「松山さんは強面で体も大きくて、最初は皆ビビッてたじゃない。短気な人だったらどうしようって」

「ああ……」


松山さんが地区の配達担当になった頃を思い出す。

皆、彼の外見を怖がって、積極的に受け取りに出なくなった。だから私が彼の担当みたいになったのだ。


「星野さんって度胸あるなあって、男の人も感心してたわよ」

「そんなこと」


でも私は確かに、松山さんのことを最初から好意的に見ていた。親切で力持ちで真面目で、こんな弟がいればなあ……なんて思っていた。

吉野さんはロッカーにもたれて、懐かしそうにつぶやく。


「人の相性って不思議だよね。何かのご縁でもあったのかしら。前世とか、遠い昔のご先祖が一緒だとか」

「……」

「出会えて良かったでしょ。なかなかいないよ、そういう人」

「はい」


出会えて良かった。それは心からの、彼に対する自分の思いそのものだった。


――彼は遠くに行ってしまう。このまま別れて、それでいいのかい


秀一さんに言われてから、ずっと考えている。

松山さんに、きちんとお別れを言いたい。そして、伝えたい。伝えなければ。


「吉野さん、ありがとう」

「え、何が?」

「いえ、うふふ……」


吉野さんの話を聞いて、たった今決意することができた。

更衣室を出た私は、知らぬ間に急ぎ足になった




居酒屋『ナンバーエイト』に着いたのは約束の10分前。秀一さんはまだ来ていなかった。

店に入ると、カウンターからマスターと真琴が「いらっしゃいませ~」と、声を揃えて迎えてくれた。


「おおっ、久しぶりだねえ~、薫ちゃん」


マスターに会うのは二週間ぶりだ。相変わらずダンディだけれど、気のせいか、少し若返った印象を受ける。やはり恋人となった真琴の、10歳年下という年齢の影響があるのだろうか。


「先日はベーグルサンドをご馳走様でした。とっても美味しかったです」

「いやいや、あれくらい朝飯前だからね、いつでもお作りしますよ」


おどけた調子で言う。何だか随分とご機嫌だ。


「ところで薫ちゃん、今夜はお洒落してるじゃないか。気合入ってるねえ」

「そ、そうかな」


あらためて言われると照れてしまう。


(飲み会なんだから、もう少しラフな感じでも良かったかな)


「大人っぽくてきれいなワンピースじゃん。島先生と並べば、より引き立つかも」


真琴が楽しそうに言うと、マスターはにんまりとする。


「あ、なるほどね。薫ちゃんは島さんのためにキレイにしてるんだな」

「そう言うわけじゃ」

「あっはは……まあそれはそれとして、もうすぐ島さんが現れるだろ、薫ちゃんを見た時の反応を当ててみせようか」

「反応を当てる?」


真琴と私が首を傾げると、マスターはカウンターの中から出てきて私の前に立ちはだかった。


「えっ、あの……?」


困惑する私に構わず、マスターはジ~ッと見つめてくる。一体、何が始まるのだろう。


「俺はあの人と長~い付き合いだからね、どんな反応をするのかなんて、すっかりお見通しだよ」

「はあ」


マスターはゴホンと咳払いをすると、入り口の方向へ通路をずんずんと歩き、適当な距離でくるりと向き直った。


「いいかね。では島さんが店に入ったところから」

「うんうん」


ということはつまり、秀一さんが私を見てどんな反応をするのか実演するつもりなのだ。


「まず、こうだよ。いつもあの人はね……『こんばんは、村上君』」


秀一さんそっくりの声真似である。あまりにも似ていて、本当に彼が入ってきたのかと、どきっとしたほどだ。マスターの意外な才能を見た気がする。


「それでさ、こう真っすぐに歩いてくる。姿勢良く、微笑を湛えて~」

「そんな風に笑う?」


真琴がにやけ顔のマスターに茶々を入れる。私は複雑だが、間違ってはいない。


「で、この辺りで君達を見回し、『やあ、待たせたかな』なんて髪をかき上げたりする」


(あ、有りうるかも……)


「そこでハッと、薫ちゃんのお洒落した姿に気が付く。こんな感じに、丸い目を見開いて」

知宏ともひろさん、それ絶対変だよ~」


大袈裟に驚きの表情を作るマスターに真琴がさらに茶々を入れるが、彼はお構いなしで続ける。


「ここで絶句だ。島さんはウルウルした瞳になり、薫ちゃんに吸い込まれるみたいに、見る、見る、見る!」


私は冷や汗をたらす。マスターは本当によく観察していると思った。


「そこでさ、褒め言葉のひとつも言えたらいいんだけど、あの人案外不器用だからね、こう、ぽっと頬を染めて、照れて曖昧に笑ったりするのよ」


はにかんだマスターの顔と態度に、真琴が噴き出す。


「あはは、嘘だ~、やめてよ知宏さん」


真琴がカウンターをどんどん叩いて笑う。何だか秀一さんが笑われているようで私は面白くないが、でも、マスターの物真似は要所要所を押さえ、彼の特徴を捉えている。


「どう? 薫ちゃん、似てるだろう」

「……そっくり過ぎて、笑えないくらいです」

「はっははは。ほらね、真琴さん聞いただろ……って、おっ、来た来た、ご本人登場だぞ~」


ドアを開ける音がした。

通路を歩いてくる。この歩調は間違いない、秀一さんだ。


「こんばんは、村上君」


良く通る声で挨拶をした。マスターと真琴は嬉しそうにつつき合っている。


(もう、知らないからね)


私は困ってしまうがどうしようもない。フロアに現れたのは、間違いなく本物の秀一さんである。


「あの、秀一さん」


思わず先に声をかけようとした私を、マスターが「シィーッ」と引きとめる。

秀一さんは何も気付かず、真っ直ぐに、姿勢良く歩いてくる。しかも、微笑を湛えて。

真琴は必死に真顔を作って堪えている。

彼はカウンター近くに来ると立ち止まり、皆が揃っているのを見回すと、


「やあ、待たせたかな」


本当に、その台詞を口にした。その上、前髪をかき上げる仕草まで。

マスターと打ち合わせたのではと思うほど、見事にそのままだった。


「いや~、全然大丈夫だよ、先生。なあ真琴さん」

「うん、全然オッケーですよ」


マスターの声が震え、真琴の目が泳いでいる。

秀一さんは不思議そうにするが、ふっと私を見ると、そのまま視線を固定させた。


(ううう…)


私はどうする事もできない。マスターを心から恨めしく思った。

秀一さんが穴が開くほど見つめてくる。マスターや真琴がそこにいるのに。

どうしてこの人はこんなに分かりやすいのだろう。

やがて秀一さんは照れたように目を逸らした。やはり頬を紅潮させて、はにかんだ表情を浮かべる。

まるで、まるでこの人は……


「もう駄目。先生ってば乙女!」


真琴の弾けた笑い声がフロアに響いた。秀一さんは目をぱちくりとさせている。


「おとめ、ですか?」
 
「ああそうか! そうだよ、それだ。島さんは乙女なんだ」


マスターがぽんと手を打つ。

もちろん秀一さんは何のことか分からず、首を傾げた。


「気にしないでね、秀一さん」

「ああ……しかし二人とも、えらくご機嫌だな」


私は秀一さんに気遣いながら、いつまでも笑っているマスターと真琴を横目で睨む。

だけど、乙女という表現は的を射ていると、認めざるをえなかった。

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